第140話 勘違いの戦闘
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その瞬間まで、俺――雨霧阿頼耶は接近してくる人物の存在に気付かなかった。気付いたのは、何かを切り裂くような音が響き、何者かによる攻撃を防いだことでいくつかの白銀色の羽根が舞った時だった。
「っ!?」
驚いて振り返ると、黒い瞳に黒髪ショートで侍のような格好をした女性が刀を振り抜いていた。黒髪の女侍は舌打ちをする。
「天族がよぉ使ようる神聖属性防御魔術の【守護の羽根】か。そがぁなもんで守りを固めよるとはの!」
女侍の攻撃を防いだことにより現れた、この白銀の羽根。女侍は魔術によるものだと言ったが、身に覚えはない。けど心当たりはある。
また、あの白銀の少女が助けてくれたのか。
魔術をかけたのは、呼び掛けてから俺が反応して躱すまでの余裕がなかったからだろう。つまり、目の前で刀を構える女侍はそれほどの実力者ということだ。全く気配に気付かなかったことに加え、実際に極夜を構えて対峙することで分かった。
勝てない。どう転んでも、俺が死ぬ結末しか見えない。
「――【突風】!」
すぐさま初級の風属性魔術を、セツナたちの前にそれぞれ展開する。
「「「「「なっ!?」」」」」
セツナたちの驚く声が聞こえた。
けれど彼女たちが何かするよりも速く、発生した突風がセツナ、ミオ、セリカ、椎奈、テオドールを遥か彼方へと飛ばしていった。急いでいたから方角なんて考える暇はなかったけど、ゲノム・サイエンスの本拠地がある方じゃないと良いな。
思いを馳せるも束の間、目を逸らすことなく女侍を見据えていると、舞う白銀の羽根が消えたと同時に彼女は一足で俺の間合いの内側にまで接近した。
振るわれる刀。俺は極夜で受け止めようとしたが、受け止め切れずに後方へと押し込まれた。
力負けした。ステータス値の差は相当なものか。だったら、
「――【龍化】、三〇%。【人化】、七〇%」
見た目が変わらない程度に龍と人の割合を三対七に変更し、身体能力を強化して女侍の攻撃を迎え撃つ。
横薙ぎに振るわれた刀を、夜月神明流剣術初伝【浮月】で攻撃の軌道を変えてやり過ごす。女侍が眉をひそめたが、構わず俺は夜月神明流格闘術中伝【夜咲き】で上段蹴りを放った。
夜の闇を裂くような鋭い蹴りを、しかし女侍は難無く左腕で受け止めて俺の足に蛇のように腕を絡めた。
マズい! 動きを封じられたっ!
「このッ!」
封じられた右足を軸にして、飛び上がって左足で顔面を狙う。が、足を上げた瞬間を合わせられた。脇に抱えられた足を引っ張られ、投げ飛ばされた。
体を捻って体勢を整え、投げ飛ばされた先にある木の幹に着地する。そこに留まりはしない。すぐさま跳んで別の木へと移ると、先ほどまで俺がいた木が倒れた。一瞬で肉薄してきた女侍によって切り倒されたのだ。
とんでもない相手だな。この女侍もゲノム・サイエンスの? しくじったテオドールを始末するために来た刺客といったところか。それにあの刀、名のある名刀か? 使い手もさることながら、凄まじい切れ味だ。
足を着けた木の幹に極夜を突き刺して体を支えた状態で分析していると、セツナから念話が来た。
『先輩! 一体何が!?』
『セツナ! 今すぐ撤退するための段取りをつけてくれ!』
いきなり風属性魔術で吹き飛ばしたから焦っているみたいだ。セツナの念話には焦燥が滲み出ているが、彼女の疑問に答える余裕はない。
女侍に勝つ見込みがないから逃げの一手が最良だ。けど俺は女侍の攻撃を凌ぐことで手一杯だから、逃げる算段は彼女たちに頼むしかない。
セツナたちをこの場から強制離脱させたのもそれが理由だ。
『わ、分かりました! どうにかしますから、それまで持ちこたえてください!』
念話が切断される。
できるだけ急いでくれ。そう長くはもたない。
「思ったよりやりよるな。こりゃあ、二本抜くしかなぁか」
あの一撃で仕留めるつもりだったのか。女侍は困ったような声音で言って脇差も抜いたが……あれも名刀なんだろうな。
こちらも武器を増やす。『虚空庫の指輪』から、俺の【鍛冶】スキルで作った魔法剣を取り出す。
副業を鍛冶師として活動するために販売をバンブーフィールド商会に頼んだのだが、サンプルにと打った魔法剣をヴァイオレット令嬢に見せたところ『ただの鉄で作ったのにミスリル製並みの性能を持っている魔法剣なんて販売したら、魔法剣そのものの価値が変動して市場が大混乱するじゃない! こんなの売り物になるか、バカ!』と言われて突っ返された代物だ。
木の幹から極夜を引き抜き、【軽業】と【立体機動】のスキルで木と地面を跳ねるようにして縦横無尽に動き回る。かなりの速度で動いているので並みの相手ならこれで翻弄されるんだが……あぁ、駄目だ。しっかり俺を捕捉している!!
魔法剣で斬り掛かるが、刀で防がれた。こちらの動きに合わせて対応してきたことに思わず悪態を吐きそうになったが、予想外のことが起きた。ズッと魔法剣の刀身に切れ込みが入ったのだ。
「っ!?」
驚いて魔法剣を逸らすと、押し込んだ女侍の刀が俺の魔法剣の刀身を切り落とした。俺は刀身の半ばから両断された魔法剣を放り捨て、『虚空庫の指輪』から新しい魔法剣を取り出す。
まさか三等級の魔法剣をバターみたいに両断するとは思わなかったが、まだまだ在庫はある。
「まだ魔法剣を持っとるんか。なら、これはどうじゃ?」
言って、女侍は脇差を縦に振った。まるで斬る真似事をするかのような動作。脇差の間合いの遥か外にいるので意味のない行動だ。
だが、直後に凄まじい衝撃が上から左肩に襲い掛かり、左鎖骨が骨折した。
「ぐっ!!」
「痛がっとる暇はなぁぞ?」
振るわれる二撃目を俺は全力で屈んで躱す。今回は骨が折れることはなかったが安心はできない。女侍が振る脇差から逃れるように俺は走り回る。
『報告。左鎖骨の骨折により左腕の駆動に異常有り。龍の回復力による完治まで約一時間』
骨折が一時間で治ると聞けば破格な回復力だと思うだろう。実際そうなのだが、命のやり取りの最中に格上相手に一時間も左腕が使えないなんて大きなハンデだ。
ていうか、三等級の魔法剣を切った刀もそうだけど、振っただけで骨折させる脇差って何だよ!
ズルくないか!?
『嘆息。それはマスターには言われたくないのでは?』
うるせぇよ! 所有者の俺が必死になっているのにツッコミを入れるとは呑気だな!! それに何だか最近言葉が流暢になっていないか!? 前はもっと機械みたいに無機質な感じだっただろ!!
『否定。マスターの気のせいです。気のせいと言ったら気のせいです』
その反応も含めて人間臭いんだよッ!
「戦いの最中に考え事とは余裕じゃのぉ!!」
「うおっ!!」
女侍が振った刀を半身になって躱して考える。
あの刀の切れ味は凄まじいけど【不懐属性】機能を持つ極夜で対応すれば良いとして、あの脇差には注意しないと。
骨が折れただけということは、然程鋭さはないとみて良い。だがどういった条件で攻撃を当てているのか。射程距離はあるのか。回数制限はあるのか。
その辺りのことが分からないと対策の立てようもない。
……いや、待てよ? 押し当てて斬る刀に、斬る真似をしただけで骨を折る脇差?
まさか……!
「へし切長谷部に骨喰藤四郎か!」
へし切長谷部は織田信長が自分に敵対行動を取った観内という茶坊主を身を隠した棚ごと『圧し切り』にして斬殺したことからその名が付いた名刀で、骨喰藤四郎は『斬る真似をしただけで骨が砕ける』とされた脇差だ。
魔法剣を両断したり振っただけで俺の左鎖骨を折ったりしたのも、この二振りなら説明できる。
「何じゃ、もうバレたんか。いけんな。ステータス低下の呪いのせいで動きが鈍ぅなっとるけん仕方なぁが、こがいに早ぉ手の内を晒すとは思わんかったわ」
呪い?
『解答。対象、ステータス低下の呪詛にかかっており、現在進行形でステータスが低下しています』
…………待て。じゃあ、何か? ステータスが下がっている状態でアレだけの力があるっていうのか!? 万全の状態だったら一体どれだけの力を持っているっていうんだ!!
『解答。対象が阻害系スキルを所持していないようなのでステータスの鑑定に成功。ステータスレベルは六〇九。俗にいう化け物レベルの相手です』
そういうモチベーションが下がりそうな情報は与えないでくれませんかねぇ!?
へし切長谷部は極夜で防ぎつつ、骨喰藤四郎は軌道を【先読み】スキルで予測して躱す。その余波でどんどん木々が切り倒されていく。
「これはどうじゃ?」
試すような言葉の後、目の前の女侍が視界から消失したと思ったら彼女は俺の背後に移動していた。
この動きは……まさか【夜行】?
夜月神明流歩法術の中伝を、何で!?
「くっ!」
全開にしていた【気配察知】と【危機察知】と【魔力感知】のおかげでギリギリ気付けたが、振り返るほどの余裕はない。俺は腕を後ろに引くことで極夜で背後にいる女侍を攻撃した。
柄頭と刃がぶつかり合い、衝撃でお互いに飛び退くようにして間合いを開ける。
「――【身体強化】!」
龍の割合を増やしただけじゃ足りない。
少しでも生き永らえられるように無属性魔術で身体能力をさらに強化し、夜月神明流剣術初伝【一刀輝夜】を放つ。対する女侍はへし切長谷部を逆手に持って対処してきた。夜月神明流剣術初伝【盈月】だ。
上段から振り下ろされた輝く刃が描く軌道を、周囲を囲まれた時を想定した一対多の技で弾かれる。
やっぱりだ。
どういうわけかこの女侍、夜月神明流の技を使っている! しかも技の熟練度が尋常じゃない。俺よりも遥かに上だ!!
その後も、俺と女侍は互いに技を打ち合った。初伝、中伝はもちろんのこと、奥伝、終いには皆伝まで使った。鳴り続ける剣戟の音と斬撃の応酬。横薙ぎに振ってきた骨喰藤四郎を防ごうとしたが、絶妙なタイミングでへし切長谷部が振り下ろされた。
フェイント!? しまった、防御も回避も間に合わない!! 殺られる!!
女侍からしたら、俺を殺す絶好の機会だった。それほど完璧なタイミングで、俺は何もできない状態だった。しかし、振り下ろされるはずの刀は俺を両断する寸前で止まった。
「……」
「?」
不可解な行動に、俺は首を傾げる。
何だ? どうして刀を…………俺の左胸を見ている? そこに刻まれているのは俺たち『鴉羽』を示す紋章だけど、どうしてそれに注目しているんだ?
「お前、もしかして『鴉羽』のもんか?」
「? あぁ。俺は冒険者パーティ『鴉羽』のリーダーだけど」
何故そんな質問をするのか分からない。それほど重要なこととも思えない。
けど隠すようなものでもないので正直に肯定すると、
「――っ。す、すまんかったぁぁ!!」
サァッと顔を青褪めさせてから綺麗な土下座で謝罪をし、俺は訳が分からず目を白黒させることになった。




