第138話 麦藁(むぎわら)の苦悩
山中で剣戟の音が鳴り響く。
上から斜めに振り下ろされる大剣を阿頼耶は極夜でいなして軌道を逸らす。踏み込んだ足に向かってセツナが魔弾を撃ち込み、続いて阿頼耶も手首を返して胴へ攻撃した。
さらにミオも加わり、【紫電清霜】によって切れ味を上げたモラルタで右腕を斬り付ける。
テオドールの纏う鎧はワイバーンの鱗でできているので防御力が高い高級品だが、ティンクトゥラ・ゴーレムの装甲だって破断することができるこの三人ならば破壊することは容易い。
しかし、鎧を破壊して三人が付けたはずの傷は瞬く間に治癒されてしまった。
目の前で起こった事象に訝しむ三人に、極夜が答えを伝えた。
『報告。解析の結果、対象は巨人族の中でも山巨人種に分類される種族であるため、山巨人種固有の強化系ユニークスキル【山の息吹】の効果により、山から力を貰うことで攻撃力・防御力・治癒力を底上げしています』
つまり、山の中にいる限りテオドールはその恩恵により回復し続けるということだ。
(ベルグリシ……北欧神話に登場する山の巨人か。たしか、アースガルズの城壁の修復を申し出たって話があったんだったか)
四方を囲む土の壁もそういった伝承に由来するスキルによるものだろうと阿頼耶は納得する。が、そうしている間にもテオドールは次の行動に移る。左手に持った大楯で殴るように攻撃してきた。シールドバッシュだ。
ゴッ! と猛烈な勢いで迫り来る大楯だが、横から放たれた魔矢と先端に鏃が付いた鎖によって迎撃された。『ロビン・フッドの弓』を構えるセリカと両袖から『海魔烏賊の触鎖』を一本ずつ出す椎奈が遠距離から攻撃支援したのだ。
あらぬ方向に大楯が逸らされるが、慌てず右の大剣に魔力を注ぎ込んで【飛剣】を放とうと振るう。しかし、即座に阿頼耶が身を滑り込ませて、彼の大剣を極夜で受け止めた。
まったく怯むことなく防いだことにテオドールは舌を巻く。
(ぬう!? まさかそんな細い刀で儂の一撃を防ぐとは!!)
それに前衛と後衛との連携も上手い。前衛ができないことを後衛が、後衛ができないことを前衛が行うことで互いをカバーし合っている。常日頃から実戦を想定した訓練をしているのだろうとテオドールは容易に想像できた。
ギリギリッと鍔迫り合いになっている状態で阿頼耶が口を開いた。
「剣を引いてくれ! 俺たちはアンタと戦うつもりはない! やりたくもないことをやらされているのなら尚更!」
わずかばかりテオドールに動揺が走る。だがすぐに立て直す。
「言ったであろう。おぬしらにはなくとも儂にはあると。おぬしらにはここで死んでもらうとな!」
テオドールは話を打ち切るようにして叫び、グッと大剣を押し込んで極夜を弾く。同時に魔力を刀身に込めて【飛剣】を放ったので、至近距離で阿頼耶は飛んできた斬撃に襲われた。
全身を刻まれた阿頼耶だが、傷は浅い。これくらいなら龍持ち前の回復力ですぐに治ると判断し、バックステップで後退する。
(説得は無理、か)
言葉で説き伏せられる段階は過ぎていた。ならば、向こうが納得できるだけの材料を阿頼耶が提示しなければならない。
(戦闘中じゃ満足に話もできない。なら一度倒して改めて交渉するしかない)
決断して極夜を鞘に収める。
戦いを放棄したとしか思えない行動に訝しむテオドールだが、次の瞬間、視界から阿頼耶の姿が消えた。それを認識する暇もない。いつの間にか腰を落とし、極夜の柄に右手を添えて居合いの構えを取った阿頼耶がテオドールの目と鼻の先にまで接近していた。
夜月神明流抜刀術中伝――【清夜】。
静寂に包まれた清々しい夜の如く、静かな踏み込みで相手に接近して放つ抜刀術だ。
「なっ!?」
「ふっ!」
テオドールの驚愕の声と阿頼耶の呼吸を吐く音が重なる。
恐るべき速度で放たれた刃は、しかしコンマ一秒早くテオドールが大楯を引き寄せて防御してしまった。
ガギィィンッッ!!!! と甲高い音が響く。ギリギリで防いだことにテオドールは安堵するが、すでに阿頼耶は極夜を握り直して二撃目を放っていた。
二撃、三撃、四撃と間断なく放たれる斬撃の中、セツナたちもただ呆けているだけではない。それぞれがテオドールの周囲に展開する。
右側に回ったセツナは風属性魔術【疾風の突撃槍】を一〇個ほど並列展開し、ミオは阿頼耶の攻撃の合間に、左側に移動したセリカは魔矢を射り、残った背後を担当する椎奈は鎖を操ってそれぞれ攻撃した。
「ぬっ!?」
これにはテオドールも堪らず唸り声を上げる。
四方から迫る怒濤の攻撃。普通ならば逃れようと回避行動を取るが、これにテオドールはさらに守りの体勢に入った。
大剣を下ろし、地面に足を踏み締めると、途端にテオドールの防御力が強化されて阿頼耶たちの猛攻を凌ぎ切ってしまう。
『報告。対象、強化系エクストラスキル【不動要塞】を使用中。行動不能になることを代償に装備品の防御力及び自身の耐久値を五倍にします』
すぐにその原因を極夜は特定し、阿頼耶たちに伝えた。
(あのテオドールっていう騎士、持っているスキルは守りに特化したものや挑発系が多い。ステータスも耐久値の伸びが著しいから、ゲームでいうところの楯役ってわけか)
そうだとしても、【不動要塞】を使っているとはいえ、レベル一〇〇はある戦士を五人も相手に防ぎ切るなど並大抵の防御力ではない。ただ防御力を上げているだけではなく、スキルの熟練度が高い証拠だ。
このままでは防御を崩せない。阿頼耶は別の手段に変えることにした。
一方で、攻撃を凌いでいるテオドールの内心は穏やかではない。
(気配の隠し方は上手かった。おそらくレベルは一〇〇近くといったところかの。この若さでそこまでステータスレベルを上げているとは恐れ入る)
それでも戦いの経験はこちらが上だ。
だから勝てると踏んでいたのだが、思った以上に手こずっている。防戦に回ってしまい、攻め切れない。
(何を攻めあぐねておるのだ、儂は! こんな所で足踏みしておる暇はない! 儂はテレジア様をお救いせねばならんのだっ!!)
焦りが顔を出す。
こうしている間にも、実働部隊は桜小路陽輪を襲撃すべく動いているはず。囮役をしないといけないことを考えると時間をかけてはいられないのだ。
幸いなことに、弾幕攻撃なんてものはそう長続きしない。必ず攻撃の間に隙が出る。
(弾幕が止む隙を突いて攻撃に転じ、一気に決着をつける!)
そう意気込むテオドールだが、ふと違和感に気付いた。見遣れば、驚くべきことに大楯や騎士鎧のあちこちに傷が付いていた。彼らの攻撃がテオドールの防御力を上回り始めていたのだ。
(どういうことだ? こやつらの攻撃ではこれほどの傷を付けることはできん。儂の防御力はそこまであまくはない。となると…………しまった。弱体化か!)
テオドールの推察は正しかった。彼は現在【防御力低下】の状態異常にかかっている。
弱体化をかけたのは椎奈だ。彼女はこういった弱体化系の攻撃を得意としており、『海魔烏賊の触鎖』で攻撃している時にこっそりと弱体化のスキルをテオドールにかけたのだ。
テオドールと椎奈は顔見知りで、ゲノム・サイエンスの本拠地で幾度か会話をしたことがある。
だから椎奈が弱体化系を得意としていることも知っているのですぐに対策を立てただろうが、生憎と今の彼女は二つの魔道具を使って正体を隠しているのでテオドールは気付きようがなかった。
加えて、パーティ機能で阿頼耶の【隠蔽】スキルを共有化しているおかげでセツナ、ミオ、セリカの三人はもちろんのこと、椎奈も個人でレベル八の【隠蔽】を持っているため、テオドールは彼らのステータスを鑑定することもできなかったのだ。
(チッ! 向こうの【隠蔽】スキルのレベルが高いせいで【鑑定】が弾かれたが、まさか【山の息吹】の強化を突破するほどの弱体化系スキルを持っている者がいるとはな!)
テオドールの強化はユニークスキルによるもの。かなり強力なスキルであるため、ちょっとやそっとの弱体化ではビクともしない。
だが、椎奈は弱体化系エクストラスキルをいくつも持っているし、そうでなくても【勇者禁獄】は封印や拘束といった弱体化に主軸を置いているスキルだ。
いくらテオドールが強化系ユニークスキルで防御を固めようとも、削られるのは時間の問題なのだ。
「椎奈! 足!」
阿頼耶が椎奈に指示を飛ばした。
彼女の操っていた『海魔烏賊の触鎖』の二本の内、一本がテオドールの膝裏を強かに打った。ガクンと体勢を崩され、思わずテオドールは地面に手を付く。
そこに横からミオがミディアムヘアにした胡桃色の髪を揺らして、モラルタで薙ぐように一閃する。
「――っ!?」
全力で顔を逸らしたが、体勢が悪かったせいで避け切れなかった。モラルタの切っ先が兜に接触し、勢いで留め具が壊れて弾き飛ばされる。
素顔が晒される。
白髪が混じった麦藁色の短髪が特徴的な、初老の男。しかしその顔は鬼の形相を浮かべていた。
「儂の……邪魔をするなぁぁ!!」
雄叫びを上げて、スキルを行使する。周囲を囲う土壁を作る際にも使用した【山の威容】というスキルで、これは山中にいる間に限り、地形をある程度変化させることができる、山巨人種固有のユニークスキルの一つだ。
地面が隆起するように鋭く尖った土の棘が生成され、阿頼耶、セツナ、ミオ、セリカ、椎奈に襲い掛かる。背後にある土壁からも伸びているので、彼らは前と後ろの二方向からの攻撃に対処せざるを得なくなる。
ここにきてテオドールが優勢になったかのように見えたが、彼は遅れて気付いた。黒髪の少年が自身の右脇腹に土の棘が突き刺さることも厭わず、人猫種の少女の首根っこを掴んで上空へと放り投げたことに。
「――【雷電】」
バチバチとケラウノスを帯電させていたミオの体からテオドールに向かって雷が落ちた。
「がっ!?」
ミオが放った【雷電】は殺傷能力は皆無だが相手を麻痺させることができる技だ。ただし相手が【雷耐性】を持っていると効きにくいし強敵だと持続時間が短くなる。テオドールには問題なく効いたようだ。
麻痺の効果を伴った雷撃を食らったテオドールは地面に倒れ伏す。制御を離れたのか、彼が操っていた土の棘や土壁もガラガラと音を立てて崩れ去る。
とはいえ意識は失っていないようで、彼は地面に顔を擦り付けながらも苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「儂は、テレジア様を……救わねばならんのだ」
倒れてもなお、彼は助けたい人のために足掻こうとしている。その姿を、阿頼耶は貫かれた脇腹をセツナに【治癒】で治療してもらいながら見ていた。
「はらわたが煮えくり返るような思いをしてでも、テレジア様を救えるのならと、あのような外道どもの言うことに従って、これまで耐えてきたのだ」
それなのにこんなところで、とテオドールは悔しそうに言う。
きっと様々な葛藤があったのだろう。今まで何度も悩んだのかもしれない。彼の言葉からはそんな苦悩が滲み出ていた。
ただ、彼の言葉に阿頼耶は少し疑問があった。
「人質を取るような輩が律儀に約束を守るって、本気で思っているのか?」
そもそもの話として、相手は非道な行いすら平気でやるような者たちだ。そんな相手がわざわざ自分が不利になるような約束を守るわけがない。指示に従えばテレジア・エアハルトは解放してやると言っておきながら、最後まで使い潰すのが目に見えている。
それはテオドールも分かっていたようだ。彼はギリッと歯を食い縛って叫んだ。
「ならば……ならばどうしろと言うのだ! 儂には他に選択肢などない! いいや! それを言い訳にして儂は何度も悪行に手を染めた! 確実に起こる悲劇を見過ごしてきた! ならばせめて、もう二度と共にはいられずとも、この命を賭してテレジア様だけでもお救いせねば帳尻が合わぬではないかっ!」
「誰かを犠牲にするような助け方をしたって助けたことにはならないだろうがッッ!!!!」
「――っ!?」
メスのような鋭さで言い返され、テオドールの呼吸が詰まった。
「駄目なんだよ、それじゃ」
救済の道を歩み出した始めの頃、少年は何度も間違った。故に目の前の人物が辿る結末が手に取るように分かった。そんな道を歩ませるわけにはいかない。経験者は言い放つ。
「いくら助け出したって、救った側が命を落とすような結果になれば、救われた側は一生負い目を感じて生きることになる。それじゃ救ったことにはならないんだよ! 本当に救いたいなら、そんな重荷を相手に背負わせるな!」
「……ぁ」
テレジア・エアハルトが誰かを犠牲にして自分が救われることを是としない人物であることは、テオドールが一番よく分かっていた。ゲノム・サイエンスに囚われる時も、自身を守るために死にかけていたテオドールを助けるために自ら虜囚となることを選んだのだから。
だから、テオドールは何も言えなかった。自身のやり方では、テレジアの心に傷を残してしまうことになってしまうと気付いたからだ。
「もはや、ここまでか」
麻痺が解けてきたのだろう。気だるそうに身をよじるテオドールは仰向けになって薄暗い空を見上げる。阿頼耶たちに負けた時点でテオドールにはもうどうすることもできない。
彼らが事の次第を報告すれば、テオドールは拘束されてテレジア・エアハルトを救い出すことはできなくなる。奇跡的にこの場から退避することができたとしても、任務を全うできなかったのだからその責任を取らされて牢屋行きだ。
どの道、救出は遠退く。詰みだ。
「どうしても……救いたかったのだが、な」
無念。そんな思いで呟かれた言葉に阿頼耶は溜め息を吐く。そして何を思ったのか、腰の剣帯から鞘を外して……その横っ面を殴った。
「ごぶあっ!?」
わりと容赦のない一撃に、テオドールは顔面を抑えてのたうち回る。対して阿頼耶は呆れた調子で、
「勝手に終わらせようとするなよ。ようやく本題に入れるっていうのに」
本題と言う言葉に怪訝な表情を浮かべるのは椎奈とテオドールの二人のみ。セツナ、ミオ、セリカの三人は悟ったような雰囲気を出していた。
この三人は最初から分かっていたのだ。
人を救うことに対して妥協なんてしないこの少年が、お涙頂戴の結末を許容するわけがない。この騎士も救おうとするだろう、と。
「重荷を背負わせるようなやり方じゃ救えない。なら、それ以外の方法でテレジアさんって人を救えば良いだけの話だ」
「……な、なに?」
「だから、ゲノム・サイエンスなんぞに従わなくてもテレジアさんを救う方法はあるんだよ」
言って、阿頼耶は椎奈に視線を向ける。
いきなり視線を向けられてビックリした椎奈であったが、その意図を理解してフードを取り、【染髪】と【認識阻害】の魔道具を外した。黒から淡青色へと変わった髪にその顔立ちを見て、テオドールは唖然とした顔をした。
こんな所に『人工勇者計画』の成功例がいて、まさか自分と戦っていたなんて思いもよらなかったようだ。
視線に耐え切れなくなったらしい。椎奈は恥ずかしそうにフードを被り直してしまった。
「俺たちは元々、彼女と彼女の仲間である九九人のホムンクルスたちを救い出すためにゲノム・サイエンスを強襲するつもりなんだ。その道すがら、テレジアさんを助けることだってできる」
何せ見据える敵は一緒だ。助ける対象が一人増えることくらい、負担でも何でもない。お互いの目的は一致しているのだ。
「……」
突然降って湧いた幸運に、テオドールは脳の処理が追い付いていなかった。
それも致し方ない。この騎士は、もう自分の大切な人を救うことは叶わないと絶望していたのだから。
「正直なところ、俺たちは相手の総戦力を把握できていない状況にいる。それでもどうにかする策はあるけど、アンタが手を貸してくれるなら、救える確率はさらに上がるんだ」
阿頼耶は右手を差し出す。
まるで相手に握手を求めるように。
まるで絶望から引き上げるように。
「アンタの協力が必要なんだよ。単純に戦力が増えるっていう意味でもそうだけど、何よりヤツらの戦力を正確に把握しているであろうアンタの協力が。……俺だって、結局犠牲を出してしまいましたなんて結末は納得できないんだよ。だから理不尽に涙を流す人たちを一人残らず救うために手を貸してもらうぞ。アンタだって、どうせ救うなら自分自身の手で助けたいだろ、テオドール・クロイツァー?」
守るべき者を奪われた。散々利用され続けた。汚辱にまみれ、騎士の誇りは地に落ちた。
それでも、まだ、一縷の望みは残されていた。
最初から戦う必要なんてなかったのだ。救いは、彼の目の前にあったのだ。
「ぅ、ぁ……」
差し出された手を握り返し、巨人の騎士は涙で顔をぐしゃぐしゃにする。
そして。
嗚咽混じりだったが、少年はたしかに聞いた。
助けてくれと、決意のこもったその一言を。
「承った」
後悔と無力感に苛まれ続けた騎士の抱える苦悩を打ち破るように、黒髪の少年は小さく笑みを浮かべて告げたのだった。




