第136話 極東の島国ヤマト
その日の内に、俺たちはキュアノス東方大陸にある極東の島国ヤマトに向かった。
天候や風向きの他にも水棲の魔物と遭遇した場合にもよるが、本来ならカルダヌスからヤマトまでは船でだいたい二週間ほどかかる。しかし俺たちは龍状態になったクレハに乗って高速飛行で移動したので約九時間で到着した。
もちろん、そんな速度で飛行したら大変なことになるので、酸素やら温度やら空気摩擦やら気圧やらの問題を魔術で対処した。さすがに九時間ぶっ続けは集中が切れる恐れがあるので、セツナと一時間交代で行ったけど。
島国であることや名前からして予想はしていたが、案の定ヤマトは日本とかなり酷似している国だった。
地球とアストラルでは発展の仕方が違うから一概には言えないが、時代背景としては大正時代に近い。東洋の情緒の中に西洋の様式が混ざった文化をしている。たしか、昔はああいうのをハイカラと言ったんだっけ。
日本との大きな違いは、明治九年に公布された廃刀令によって一般人の武装は禁止されたが、こちらでは魔物の被害もあるので一般人も武装が認められている点か。
ヤマトは他の大国に比べれば領土が広いわけではないが、ファンタジー鉱石としても有名な稀少鉱石であるヒヒイロカネの唯一の産出国であるため、非常に豊かで大国に引けを取らない国力と軍事力を有する強国だ。
「初めて来ましたが、クサントス中央大陸とはまた違った華やかさがありますわね」
「良い雰囲気です。私は好みですね」
クレハとセリカが窓から外の風景を見ながら感想を述べる。どうやら気に入ったようだ。
現在時刻は一六時。俺たちはヤマトの首都である皇直轄領帝都トウキョウにある、中堅どころの宿屋で借りた大部屋にいる。ここの冒険者ギルドの支部に来訪の挨拶をした後、今後の活動のために確保したのだ。
ちなみに皇とはヤマトを治める君主のことで、このトウキョウはその君主が統治している領地だ。
「帝都っていうだけあって賑わっているな。パッと見て、人間族以外だと獣人族と魔族の妖怪種がいるみたいだな。だいたい比率は同じくらいか?」
「表を歩いている人たちを見る限り、そのようですね。海を挟んださらに東の大陸本土には獣人族たちの国であるヤン獣王国があるからでしょう」
「魔族がいるのは、魔国領からかなり離れた飛び地になりますが、ヤマトが七大魔王第四席『総大将』玉藻前妖燈の占領地だからですわね」
レウコテス西方大陸から見れば隣の大陸とはいえ、飛び地にしても距離が離れ過ぎじゃないか?
「どうしてまたそんなわけの分からない状態に?」
「何でも、大昔はこのキュアノス東方大陸の一部が魔国領だったらしく、戦争やら独立やらで領土が変化していき、現在のような状態になったのだとか。わたくしが生まれるよりも前の話ですわ」
クレハが生まれるよりも前ってなると、少なくとも三〇〇年近くは昔の話になるのか。
戦争や独立なんて当時の人たちにとっては迷惑な話だろうが、人間族の女性の足に引っ付いて泣きじゃくる小さな迷子の雪女や、人狐種の女性にアプローチしている魔族の男性などの姿を見れば、三つの種族が仲違いすることなく共存しているのは良いことだと思う。
三つの種族が共存しているこのヤマトだが、しかし同じ人間族でも顔立ちの印象が異なる人がいる。
多くは俺やミオ、淡青色の女性のような東洋の顔立ちをしているのだが、中にはセツナたちのような西洋の顔立ちをしている人を見掛けるのだ。
おそらく彼らは別の大陸から来た外国人なのだろう。観光か、活動拠点を変えた冒険者かもしれない。
窓から見る行き交う人々は少しピリピリしている。
冒険者ギルドの帝都支部で働いている受付嬢が雑談混じりに言っていた話によると、どうやら今ヤマトでは伝説級以上の武具を所持している者ばかりを狙った殺人事件が横行しているらしい。
犯人はまだ捕まっていないようで、住民たちがピリピリしているのはそれが原因だ。
「ただいま戻りました」
「……ただいま」
「た、ただいま、です」
セツナとミオと淡青色の女性が戻って来た。
俺たちが冒険者ギルドに行っている間、彼女たちには帝都を見て回ってもらっていた。冒険者が新しい土地に来たらやる、観光という名の地理把握と情報収集だ。
部屋に入り、三人は空いた椅子にそれぞれ座る。大部屋だから、椅子の数は充分にある。
セリカが用意した黒を基調に水色で縁取りされたローブ型の『夜天の鴉』を着用している淡青色の女性も座り、被っていたフードを脱いだ。
今の彼女はセツナとミオ合作の【認識阻害】の効果を持った魔道具と、情報屋のエストから融通してもらった【染髪】の魔道具を二つ装備してもらっている。
付与された効果が競合を起こすことはなかったため、フードを脱いだ今も黒髪の和風美人にしか見えない。何だか和服が似合いそうな奥ゆかしい大和撫子って感じだな。
ここまで用心深く正体を隠しているのは、どこからゲノム・サイエンスに情報が漏れるか分からないからだ。
キュアノス東方大陸だと彼女は勇者として活動しており、その時もフードを目深に被っていたらしい。だが、うっかりどこかで顔を見られたという可能性もないわけではない。
臆病過ぎるかもしれないが、今のところゲノム・サイエンスはクサントス中央大陸に彼女がいると思っているだろうから、彼女の存在を伏せるためにもこうやって念を入れて正体を隠してもらっているわけだ。俺たちと同じ系統の外套を着ていれば、同じ集団と認識されて一緒に行動しても怪しまれないだろうからな。
セツナが風属性魔術【静寂の囁き】で防音してから俺は問い掛ける。
「どうだった?」
「だいたいの地理は把握しましたよ」
この三人に地理把握と情報収集を頼んだのには理由がある。
淡青色の女性は元々キュアノス東方大陸で活動していて土地勘があるから。セツナは魔術学園で魔術言語の他にもレウコテス西方大陸以外の別大陸で使われている言語も学んでいたため、キュアノス東方大陸で使われているアシハラ語の読み書き会話が可能だから。ミオは顔立ち的にキュアノス東方大陸で活動するのに不自然さが一番少ないからだ。
「……椎奈さんもいたから、問題なかった」
ミオが口にした『椎奈』とは、淡青色の女性の名前だ。より正確には俺が彼女に付けた名前、だけど。
驚くべきことに彼女には名前がなかった。どうにも、研究者たちから名前を与えられなかったらしい。
さすがに不便なので名前を付けてはどうかと提案したんだが、
『わ、私は……「人工勇者計画」実験体四一七号、だよ?』
『……それは製造番号であって名前じゃないだろ』
『だ、だって……誰のことを言っているのかは……製造番号だけで、分かるから……個体識別名称がなくても、問題なかった、よ?』
『…………』
『ひ、必要、なの?』
『少なくとも、人が人として人らしく生きていく上では』
と、自分の名前がなかったことに疑問を抱いていない有り様だった。まったく、名前がない状態でどうやって勇者として活動していたのやら。
結局、自分で名前を付けようにも良いのが浮かばなかったので、俺が『椎奈』と名付けた。
実験体四一七号の四一七から取って椎奈にしたわけなんだが……我ながら安直だ。ただまぁ、彼女は何度も名前を口ずさんでいたし、気に入ってはくれたのだろう。
その証拠に【鑑定】スキルで彼女のステータスを確認してみると、『???』となっていた名前欄が『椎奈』と表示が変更されていた。こんな簡単に名前は変わるのかと疑問に思ったが、どうやら元々名前がなかったことが原因で、本来なら教会に行って必要な手続きをしなければならないらしい。
「詳しい地理は後ほど情報共有しますけど、ちょっと気になることがありまして。どうやら今、この帝都では即位式が行われているみたいです」
「即位式?」
それは冒険者ギルドでは聞かなかった内容だな。
「今の皇である桜小路玄慈が年齢を理由に退位することになって、それに伴い娘の桜小路陽輪の即位が決まったんです。今日、ちょうどこの帝都で即位式が行われているんだとか」
「人が多いのは帝都だからっていう理由以外にもあったわけか。でも、どうしてこの時期に?」
「ちょっとタイミング的にどうなんだろうって感じですよね」
セツナたちも情報収集した段階で殺人事件のことは知っていたらしい。俺の言葉に共感を示した。
いくら狙われているのが伝説級以上の魔道具の使い手だけだからって、殺人鬼が闊歩していることに変わりはない。そんな中で即位式なんて、『何を考えているんだ』と国民から反感を買いそうなものだが。
全員で考えていると、『もしかしたら』とセツナが呟いた。
「『殺人鬼ごときではヤマトは揺るがない』と皇の威光を示したくて、敢えて即位式を行ったのかもしれません。事実、即位式を少しだけ見たんですが、『国民の皆様は不安の毎日を送っているでしょうが、ヤマトの御剣衆は優秀です。すぐに卑劣な殺人犯は捕まることでしょう』と口上を述べていましたから」
御剣衆とは、フェアファクス皇国やオクタンティス王国で言うところの騎士団に相当する武力組織だ。騎士団と同様に自国の治安維持や魔物討伐を主な任務としている。
「つまり、強気に出ることで国民の不安を払拭しようって腹なのか」
豪胆だが効果的ではある、か。もちろん限度はあるが、上が堂々としていれば下は安心するものではあるし。
「他の貴族、ヤマトでは華族でしたか。彼らは反対なさったでしょうけれど……おそらくは押し切ったのでしょうね」
「……でも、即位式を強行しておいてまた殺人事件が起こったら、皇への不信感が増すんじゃ?」
「それは皇も分かっていることでしょう。ともすれば、皇側は犯人も目星が付いているのではなくて?」
目星が付いていて捕まえる見込みがあるから強気の姿勢を見せた。なるほど、そう考えれば即位式を執り行ったのも納得できなくはないな。
「即位式があったのは予想外だったけど、むしろちょうど良い。この賑わいならちょっとやそっとの騒動で騒がれることもない。椎奈の持っているゲノム・サイエンスの情報を元に計画を立てよう」
俺たちがヤン獣王国でもジャウハラ連邦王国でもなくヤマトに来たのはこれが理由だ。
キュアノス東方大陸の三大国に支部を構えるゲノム・サイエンス。その本拠地兼『人工勇者計画』の実験施設がヤマトの、しかもこの帝都近郊にあるのだ。
スッとセツナがテーブルに向かって手をかざして光属性魔術を行使する。テーブル一面に魔法陣が展開され、半透明の3Dマップのようなものが浮かび上がった。椎奈から得た情報を元に組み上げた、ゲノム・サイエンスの本拠地の見取り図だ。
「椎奈のおかげで、施設のある場所と中の構造は分かった」
「とはいえ完全ではありませんけどね。いくつか不明なエリアもあります」
「仕方ありませんわ。椎奈さんはあくまでも実験体ですもの」
「えぇ。施設内の全てのエリアを知る立場にいなかったのですから、仕方がありません」
「……ん。仕方ない」
別に責めているわけではないのだが、全員から視線を向けられた椎奈は『ふえぇ』と涙目になっている。
何だろうな。見た目はたしかに女子大生っぽい年上の女性なんだけど、基本的にネガティブで必要以上に怯えているせいで頼りなさそうに見えてしまう。ちょっと意地悪したくなると思うのは俺だけだろうか?
「施設の全容が分かれば、そこから必要になる警備員の数を割り出すこともできるんだけどな」
「どれくらいの戦力があるのかは、知っておきたいところですわね」
自害してしまったけど、ゲノム・サイエンスには腕の良い死霊魔術師が刺客として送り込まれてきた。
三大国に根を張るギルドなんだから、戦力があれだけということはないだろう。アレ以上の戦力があると考えるのが妥当だが、最低でどれだけあるのかも現状だと判断できない。
「非人道的な実験をしているギルドが、外部の警備請負を生業としているギルドに警備を委託しているとは思えません。となれば、警備マニュアルは施設の中ですわ。当然ながら、施設は魔術的にも物理的にもかなり厳重に守られているでしょう」
細い指を動かして見取り図の一点を指差す。彼女が指し示しているのは施設の出入り口部分に当たる正面ゲートと裏口だ。
「時間をかければ魔道の申し子であるセツナさんと、ダンジョン探索のために【罠解除】と【鍵開け】のスキルを獲得したミオちゃんに任せれば開けられるでしょうけれど、その時間を確保するためにも警備体制の情報を取得してタイムテーブルを把握する必要がありますわ。なのに肝心の情報は固く閉ざされた扉の向こう側。兄上様はこの問題を、どう解決なさるので? カルダヌスの前領主の時はわたくしたち『灰色の闇』が手引きしましたが、今回はそうもいかなくってよ?」
「はははっ。頭が硬いなぁ、クレハ。何も馬鹿正直に外から鍵を開けないといけないなんて決まりはないだろ?」
「……」
「おや、分からない? いやー、凄腕の暗殺者だからこれくらいのことは分かると思っていたんだけど、これは見込み違いだったかなー?」
「むっ! それは聞き捨てなりませんわ! すぐに答えてみせて……」
「まぁ答えは、外から開けられないなら内側から開けさせれば良いってだけなんだけどな」
「あっ」
「蜂の巣をつついたような騒ぎの一つでも起こせば、その様子を見るために向こうから勝手に鍵を開けてくれる。そのタイミングで侵入してしまえばこっちのものだよ」
「あー!?」
近くで騒ぎが起これば、誰だって何が起こったのか確認しようとする。それは後ろ暗い事情を抱えているゲノム・サイエンスだって同じこと。いいや、後ろ暗い事情を抱えているからこそ、むしろ神経質なくらいに騒ぎには敏感だ。
事態を把握している最中の混乱に乗じれば、侵入することなんて簡単だ。
「むー」
クイズ形式で言っていたくせに先に答えを明かしたことに不満があるらしい。クレハは膨れっ面で俺を睨んでいるが、正直拗ねているだけなので全く怖くない。
「何だか可愛いからこのままにしておこうか」
「大人の女性がメンドクサイ子になりますけど、それでもよろしくて?」
中々に類を見ない脅迫が飛んできた。本当にこのままにしてメンドクサイ子になられても困るので、クレハを揶揄うのはこのあたりまでにしておく。
ともあれ、とセツナが話を締めにかかる。
「騒ぎが起きれば理路整然とした警備シフトだってガタガタに崩れる、ということですか。それならたしかに警備マニュアルなんて入手できなくても問題ありませんね」
「そういうこと」
さて。その騒ぎを起こす準備をするためにも、まずは施設の下見をするか。




