第15話 後悔先に立たず
今年最後の投稿です!
「第15話 後悔先に立たず」どうぞお楽しみください!
◇◆◇
ダンジョンに潜って三日目の朝。探索を続けていた俺とセツナの二人は第八階層の半ばにまで到達していた。
ここまで来るとダンジョン内の魔力濃度も濃くなり、その影響でダンジョン全体が仄かに明かりが灯っていた。仄か、とは言ってもその明るさは道がはっきり見えるほどで、ここまでの明るさだと【光源】を使う必要ない。
「さすがにちょっとキツくなってきた、な!」
ヒュッ!と風切り音を鳴らして剣を横に振るい、その延長線上にいたオークの腹を裂く。傷は思ったよりも浅く、オークは怯むことなく持っていた棍棒を振り下ろしてきた。今の俺の耐性なら即死することはないまでも、瀕死の重傷を負うことは必至。だが、躱す必要はない。俺の後ろにはセツナが控えている。
「文句は後です!」
声と共に銃声が響く。
魔法銃から放たれた魔弾は真っ直ぐオークの顔に向かい、吸い込まれるように直撃した。
「今です、先輩!」
「応!」
すかさず俺は振った剣を返し、オークの心臓目掛けて突きを放つ。だが肉厚の体に邪魔をされ、剣は心臓まで届かなかった。怒りを露にするオークが魔弾による攻撃で顔から煙を立ち昇らせながら、手近にいる俺を掴み上げようと空いた左手を向けてきた。だがオークの動きは漫然としており、捕まる前にできることはそれなりにあった。
「せあぁっ!」
そう判断した俺は軽く跳躍し、突き刺さったままの剣の柄頭を思い切り蹴り飛ばした。
ズンッ!とオークの分厚い肉に根元まで深々と沈む。だが思った以上にオークはタフであったようで、空中で回避行動が取れなかった俺はどうにか腕を交差させてガードするが、オークの振るった左手の動きに巻き込まれ、吹き飛ばされた。さすがに第八階層まで来ればそこそこ戦闘経験を積めるもので、俺は何とか受け身を取って体勢を整えた。
「ブ、ブオオォォ…………」
追撃が来るかと警戒したが、それは杞憂だった。オークは弱々しい声を吐きながら絶命した。
「……っはぁ~」
「先輩、大丈夫ですか?」
緊張の糸を緩めるように息を吐くと、セツナが駆け寄って来た。
「とりあえずは。骨折とかもないし、ちょっと打ち身したくらいだ」
「あまり無茶はしないでくださいよ? あそこは無理に攻勢に出ず、一度退いて、私が魔弾を撃って牽制しつつ再度接近するって手もあったんですから」
「結果的に倒せたんだし、問題ないだろ?」
「もうちょっと自分を大事にしてくださいって言ってるんですっ」
「いてっ」
小突かれてしまった。
「まったくもう。ほら、早く剣を引っこ抜いて魔石を取り出しちゃいましょう」
「そうだな」
頷いてオークに突き刺さった剣の柄を握って引っこ抜いて剣身を見てみるが、ドロドロになっていた。
「うっわ。これはダメだな。油やら血やらで、使い物にならない」
「ただの剣でここまでよく持った方だと思いますよ?」
彼女の言う通りである。
これが魔法剣やミスリル製の剣であったならまだまだこの先も使っていけるらしいんだが、俺が拾ったのは何の変哲もないただの剣だ。文句を垂れるのは、間違いというものか。
「ここまでありがとな」
剣を地面に突き刺し、手を合わせてお礼を言う。
元の使い手が誰かは分からないけど、ここまで役立ってくれたんだしな。
礼は尽くそう。
「武器は後どれくらいあるんですか?」
俺が手を合わし終えるのを見計らってセツナが聞いてきた。
「確か……大剣が一本、ロングソードが五本、ショートソードが二本、ナイフが二十本、槍が一本、楯が一つ、杖が三つだったかな」
「……あの、先輩。【虚空庫の指輪】の中身がちょっとした武器庫になってません?」
「まぁ、回復薬とかはセツナに持ってもらってるしな」
宝箱の中身を回収する時、どちらかが何かを言ったわけじゃないんだが、どういうわけか俺が武器・防具系を、セツナが回復薬や道具系を回収するようになっていた。それで宝箱を見付けるたびに全部入れてしまっているので、俺の【虚空庫の指輪】の中身は武器庫のようになってしまったというわけだ。
全くもって不思議な話である。
「その拾い物の中に魔術が付与されてる物はないんですか?」
「【鑑定】スキルを使って確認したが、残念ながらないな」
「そうですか。無いものは仕方ないですね。なら、【魔力流し】を使ってみるのはどうですか?」
「【魔力流し】?」
何だ、それ?
初めて聞いたな。
「【魔力流し】って言うのは武器に魔力を流して強化することなんですけど……実際にやってみますね」
と言ってセツナは魔法銃を取り出し、近くの岩に向かって魔弾を放つ。魔弾が直撃した岩は少し削れた程度だった。
「これが普通に撃った時です。次は【魔力流し】を使いますね」
彼女は集中するように目を瞑る。すると彼女の手にある魔法銃が淡い紫色のオーラを纏い始めた。その状態を保持したまま、セツナは先ほどの岩に向かってもう一度魔弾を放った。
「――っ!」
その結果に、俺は度肝を抜かれた。
彼女は、【魔力流し】は武器を強化するものだと言っていた。だから最初の魔弾よりも強力な攻撃になるんだろうと予想はついていた。だが、まさか岩を木っ端微塵にまでするとは思っていなかった。
「【魔力流し】は魔術ですらないものなんですけど、こんな感じで武器そのものの性能を引き上げることができます。私の銃の場合は、“より強く、より速く撃ち出す”という結果になります」
説明しつつ、セツナは【魔力流し】を解いた。
「じゃあ剣なら“より鋭く”って感じになるのか」
「後は強度も上がりますね。ただ、見ての通りずっと魔力を流し続けないといけないので、すぐに魔力が枯渇してしまうんです。ですから、ここ一番、この一瞬って時にしか使わないのが一般的です。ですが、先輩の動体視力と反射神経なら充分にやれると思います」
そりゃやれるかもしれないけどさ。
ただでさえ俺の魔力総量は少ないのに、これまで以上に魔力を消費するのか?
【身体強化】だって、やっと最小限の魔力量できちんと効果を得られるように無駄を省いた術式で運用できてきたのに。
「また魔力に気を配らないといけないのか」
溜め息を吐いて肩を落とすと、「まぁまぁ」とセツナが宥めた。
「魔力を流すだけなんで、魔術よりはずっと扱いやすいと思いますよ?」
「魔導士レベルの術師に言われてもなぁ。一つしか魔術を使えない俺からしたら、全く参考にならん」
「あれ? 私の魔術系スキルが三つ以上あることは言ってませんでしたよね? あぁ、【鑑定】スキルで私のステータスを見たんですね。……先輩のえっち」
「勝手に見たことは謝るけどその言い草はやめろ!」
「だって覗きはえっちなことじゃないですか」
「着替えや入浴を覗いてたならな!」
ステータスを見たくらいでそんなことを言われるなんて心外だ。
「大丈夫です! 私も見たのでお相子です!」
「会話の前後を考えろ! そのセリフだとお前が俺の裸を見たってことになるぞ!」
「女の子になんてことを言わせるんですか。先輩の変態」
「お前が勝手に言ったんだろうがぁぁぁぁ!」
ギリギリギリッとセツナの頭を鷲掴みにする。
「痛い! 痛いです、先輩! ちゃっかりフードの上から掴まないで! あぁっ! 指がこめかみにぃぃぃぃ!!」
しばらくアイアンクローをしていたが、このままこんなところで遊んでいるわけにもいかないので解放してやった。
「うぅ~。先輩、酷いです。頭が割れたらどうするんですか」
オークの魔石を回収して先を進んでいると、後方のセツナが恨みがましく言ってきた。
「アホなことを言うお前が悪い」
「ちょっと茶目っ気を出しただけじゃないですか」
「それで変態呼ばわりなんぞされたらたまったもんじゃないぞ」
まったく。
少し行動を共にしただけでえらく気安くなったものだ。
嫌というわけではないが、あまりにこの関係が馴染み過ぎて驚く。
「先輩は私の職業について何も聞かないんですね」
「職業? あぁ、俺は異世界人だからよく分からないけど、その歳で【魔導士】ってかなり凄いんだろ? セツナって魔術の才能があるんだな」
普通の人でも魔術が一つか二つ使えれば良い方って宮廷魔導士のシュナイゼルも言ってたしな。この歳で四つの属性の魔術を使えるなんて、かなり優秀だ。天才ってヤツなんだろう。
「そっちじゃなくて第三皇女の方ですよ」
「ん? それが何だって言うんだ?」
「何だって……あの、普通そこは「どうして皇族本人が魔道具を取りに来てるのか」とか「皇族なのにどうしてそんなに戦えるのか」とか、色々と聞くことはあると思うんですけど」
何だ、そんなことか。
たしかに疑問には思ったが、どうでも良かったからそんな疑問はすぐに脳の片隅に追いやられたな。
「だってそんなもん、俺にはどうだって良い。お前が皇族だろうが平民だろうが、さしたる問題じゃない。俺にとって重要なのは、お前が呪いを自力でどうにかしようと努力していることだ」
そう俺は断ずるが、彼女は納得していないようだった。
「自力でどうにかなんて、できてませんよ。今もこうして先輩にご迷惑を……」
「迷惑だ何だ考えてたらいつまで経っても救われないぞ。誰かに助けを乞うのも、立派な努力の形だ」
世の中、素直に誰かに「助けて」を叫ぶことができないヤツなんて沢山いる。修司、委員長、姫川さんもその「「助けて」を叫ぶことができないヤツ」だしな。委員長なんてその筆頭じゃないかな。あの頑固者、お節介焼きだからな。面倒見が良いのは美点だが、生真面目な性格のせいで背負わなくても良い責任まで背負って悩んでしまうのは悪いくせだ。
とはいえ、セツナの場合はもう他に道がないほどに追い詰められてしまったからこそ、こうやって赤の他人である俺に頼らざるを得なくなったのだろうが。
それでも俺なんかよりはずっと立派だと思う。俺なんて、もう誰かに助けを求めることを諦めたというのに、それでも周囲を憎んでいるのだから。
「正直なところ、俺にはお前が皇女だなんてとても思えない」
「どういうことですか?」
「何ていうか、皇女様って感じがしないんだよ」
確かに、ふとした時に気品を感じることがある。そんな時は「あぁ、やっぱり皇女なんだな」って思うけど、それ以外の時はただの仲の良い後輩って感じしかしないんだよな。
フェアファクス皇国第三皇女だとか、魔術銃士だとか、魔導士だとか、何かそういうのは、彼女にぶら下がってるただの付属品でしかないように思う。
あー、色々と脱線したが、つまりはアレだ。
「ただのセツナだな。俺にとってお前は、ただのセツナだ」
うん。これが一番しっくりくる。
「ただのセツナ、ですか。そうですか」
何だか嬉しそうな声で反芻しているが、今の言葉のどこに嬉しく感じる所があったのだろうか?
自分の言葉を思い返してみたが、やはり分からなかった。
しばらくそうして先を進むと、開けた場所に出た。
吹き抜けた空間だ。天井の方はどうにか見えるくらい高く、横の広さは野球場一つ分ほどか。広さの三分の一は壁に沿うような形で地面が続いているが、そこからは崖になっている。行き止まりのように見えるが、奥には石橋のような道がある。こちら側の地面から一本伸び、途中から三つに分かれている。
「死ぬな、これ」
「そうですね」
底が見えないほど深い崖を見下ろしながら呟くとセツナが同意した。
「ロープはありますけど、この高さを降り切れる長さじゃないので無理ですね」
「ここから第九階層に行けたら楽だったんだがな」
「止めてくださいよ? ここから降りるなんて自殺行為なんですから」
「やらねぇよ」
「先輩のことですからね。本当にやりそうで怖いです」
失敬な。
さすがにそんな無茶はしない。
「そんなに信用ないか?」
「信用も信頼もしてますよ。でも、先輩は平然と無茶をする節があるんで、心配なんです」
……俺としては、そんなに無茶をしてるつもりはないんだがな。
ズンッと地が揺れそうな足音が聞こえたのはその時だった。
俺とセツナは会話を中断し、足音が聞こえた方を向いて同時に剣と銃を構える。
「今の、聞こえたか?」
「足音、みたいでしたね。大型の魔物かと思います」
「となると、またオークか?」
棍棒とかまだしも、剣やら弓やらを持ってるヤツだと色々と面倒なんだよな。
「……?」
未だに目視できない敵の接近に緊張の糸を張り詰めさせていると、俺は違和感を感じた。
「何だか、おかしくないか?」
「おかしいって、何がですか?」
「何ていうか、オークにしては足音が妙にしっかりしてる感じがする」
オークの足音は、言ってみれば太った男が歩くような、ドシンとした足音なんだが、今聞こえているのは、引き締まった体躯をした、いわばボクサーのような絞った重さのある足音なのだ。
「……う、嘘。そんな……」
石橋を挟んだ対岸の通路の入り口から現れた魔物を見て、セツナが信じられないものを見たような声を出す。
俺もその姿を確認した。
「ミノタウロス」
人のような筋骨隆々の肉体に、牛の頭を持ち、手には刃こぼれした戦斧が握られている。
ギリシャ神話に登場する牛頭人身の化け物。このアストラルでも、Cランク冒険者が単独でギリギリ倒せる相手だ。しかもそれが二体。セツナはランク的にはまだE-3級だが、おそらく実力的にはC-3級。だがパーティを組んでいるとはいえ、こちらは二人しかいない。
「……撤退だ」
一体ならまだしも、二体なんて相手にできない。決死の覚悟で挑めばどうにかすることはできるだろう。だが俺たちの目的は魔物を狩って金銭を得ることではない。セツナの呪いを解くために階層主に挑むことだ。命を懸けるのは、ここではない。ここは一度撤退してやり過ごし、再度探索を行うべきだ。そう思っての俺の撤退指示に、セツナは苦虫を噛み潰したような声を漏らした。
「すいません、先輩。どうやら撤退は無理みたいです」
どうして、とは問う必要はなかった。
彼女が見ていた方向――俺たちが来た道から、大量のゴブリンとリザードマンの群れが襲い掛かって来ていたからだ。
「クソ……っ!」
前門の虎、後門の狼ってわけか。
一気に切迫した状況になったものだ。
「セツナ、後ろのゴブリンとリザードマンを任せても良いか? 前方のミノタウロス二体は俺が担当する」
「そ、そんな! 一人でミノタウロスを二体も相手にするなんて無茶です!」
「分かってる。だから、さっさと逃げ道を作ってくれ。ゴブリンとリザードマンが相手なら、どうにかなるだろ?」
「でもっ!」
「悪いが、もう問答する時間はない」
そう言い残し、俺は石橋を渡り切ったミノタウロスたちに向かって駆け出した。
「あぁ! もう! 勝手なんですから!」
背後からセツナの怒声が聞こえる。
すまんな、セツナ。だがお前が早々に退路を確保してくれれば、この状況から脱することができるんだ。だから、後は任せた。
【身体強化】をかけ、俺は駆ける速度を上げる。ミノタウロスはオークと違ってのろくはないし、力は上だ。だから正面から攻めるなんて愚行は冒さない。俺は大きく迂回するように側面に周り、陽動としてそこら辺で拾った石を投げる。
鬱陶しそうにミノタウロスの一体が戦斧で石を弾く。その隙に俺は、横に並ぶ二体のミノタウロスのうち、俺から見て右側の一体に接近し、擦れ違い様に剣を振るう。
「ぐ……っ!」
かってぇ!
何だ、コイツ!
まるで岩みたいな硬さだぞ!
「っ!」
ミノタウロスの外皮の硬さに悪態を吐いていると、視界の端から戦斧が振り下ろされるのが見えた。振り下ろしてくるのは、もう一体のミノタウロス。サイドステップで俺はそれを躱すが、俺が切り付けた方のミノタウロスが攻撃を仕掛けてきているのが分かる。俺はサイドステップから体を反転させ、【身体強化】を両手両足、腰に集中させた後、剣を楯にしてミノタウロスの攻撃を防御した。
「ブオォォォォォォォォ!」
雄叫びと共に襲い来る攻撃。俺は地面を擦りながら後方へと押しやられたが、集中的に強化を回したおかげで吹き飛ばされることはなかった。
けど、確信してしまった。ミノタウロスに勝つことはできない。圧倒的に力量が足りない。セツナに内緒で就寝時に結界を抜け出しての経験値稼ぎに、ダンジョンの魔物が高い経験値を持っているおかげで、現在の俺のレベルは五。比べて、ミノタウロスのレベルは十二と十三。意表を突いたり罠を張ったりすればまた話が違うだろうが、真っ向から、しかも二体を相手では勝ち目などない。
っと、そこで俺は手にある剣が何だか軽いことに気付いた。
横目で剣の状態を確認すると、俺は絶句した。
おいおい、嘘だろ。
たった一撃で折れたっていうのか!?
楯に使った剣はミノタウロスの攻撃に耐え切れなかったようで、根元からポッキリ折れていた。
これじゃ、使い物にならないな。
折れた剣を【虚空庫の指輪】に収め、別の剣を取り出す。
ミノタウロスの攻撃は防御しては駄目だ。
出来得る限り躱して攻撃を食らわないようにする戦法じゃないと俺自身が持たない。
「なら速度重視だ!」
俺は【身体強化】を脚部に集中させて速度を上げる。本当は速度のみを上げる【速力強化】という無属性魔術が使えれば良かったんだけど、生憎と俺が使えるのは【身体強化】のみ。ないものねだりをしても意味はない。
俺は強化された足を駆使して、縦横無尽に動いてミノタウロスを翻弄する。巨体であるミノタウロスからは攻撃しにくいように体勢を低くしたり、足元を集中的に移動したり、また戦斧の攻撃範囲外からチマチマと石を投げたりしてミノタウロスを挑発した。その甲斐あってか、ミノタウロスは苛立たし気に戦斧を振り回している。当然、そんなことをすればお互いを攻撃してしまうことになり、ミノタウロスたちは仲間割れを始めてしまった。
こちらに意識が向いていない隙に、俺は武器を大剣に変更する。先ほどの攻撃で、ミノタウロスの肉が断ちにくいのは分かっている。だから大剣に変更し、セツナが話していた【魔力流し】を使う。自身の体から剣へ流れるようにイメージすると、大剣の剣身が淡い紫色のオーラを纏った。それを確認し、俺はミノタウロスへ肉薄する。
「――っ!」
雄叫びは上げない。
せっかく意識が外に向いているのにわざわざこっちに気付かせる愚は冒さない。短く深い呼吸を吐き、一気に振り抜く。
「ブオォォォォォォォォ!!!!!!」
二体のうち一体のミノタウロスの脇を切り裂く。中々深かったようで、鮮血が激しく飛び散り、俺自身を赤く染める。それを気にしてる余裕はない。即座に俺は大剣を掲げ、もう一体のミノタウロスに振り下ろす。剣により傷が刻まれ、血が噴き出す。振り下ろした大剣を引き戻して横に薙ぎ払うが、そこでミノタウロスに防がれた。戦斧によって大剣の動きを止められ、鍔迫り合い状態になる。【身体強化】を使ってようやく互角の状態だが、後ろから二体目のミノタウロスが戦斧を振り下ろそうしていた。それを食らえばただでは済まない。
俺は大剣を手放し、後ろへ大きく飛び退いてそれを躱した。そこでタイミング良くセツナが合図を送ってきた。
「先輩!」
銃声と共に俺を呼ぶ声に振り返ると、彼女は火属性魔術を使ったようで、ゴブリンとリザードマンの大群は二つの炎の壁によって分断され、見事に退路が確保されていた。
流石だな、と思う暇はなかった。退路が確保されて安堵することもできなかった。何故ならセツナの背後に、炎の壁から運良く逃れたリザードマンが迫っていたからだ。
「セツナァァァァ!!」
全力で脚部に【身体強化】を集中させ、一気にセツナに接近する。抱き寄せて庇うには間に合わない。俺はそのままセツナを突き飛ばす。俺とセツナの位置が入れ替わり、リザードマンの持った鉈が俺の左肩から右のアバラにかけて切り裂く。しかも場所が災いして、切られた衝撃で更に飛ばされて俺とセツナは崖へと身を曝け出すことになった。
「ひっ……!」
「っ!」
不安しかない浮遊感の後、俺とセツナは仲良く落下していく。
マズい! 早くどうにかしないと二人とも御陀仏だ!
「きゃあああああああああああああ!!!!!!」
セツナの方を見やると、彼女は錯乱して絶叫していた。近くに崖肌があるのを確認した俺は迷わず彼女の手を掴み、【虚空庫の指輪】からロングソードを取り出してそれを崖肌に突き刺す。
ガリガリガリガリガリ!と削りながら徐々に落下速度が落ちていく。しばらくするとようやく止まり、俺とセツナは宙にぶら下がることになった。
「ぐっ……!」
ヤバい。落下して死亡ということにはならなくなったが、セツナにかかってる【熱傷の呪い】のせいで俺の手を焼いて来る。無茶苦茶、痛い。
「せ、先輩?」
あぁ、良かった。どうやらセツナも落ち着いてくれたようだ。
そう思ったのも束の間、またセツナが騒ぎ出した。
「だ、駄目です、先輩! 手を離してください!」
「馬鹿言うな! そんなこと、できるわけないだろ!」
「だって! このままじゃ先輩の手が……!」
セツナの言う通り、【熱傷の呪い】は今も「じゅうぅ……」と音を立てながら俺の手を容赦なく焼いている。
けど、だからって手を離せるわけないだろうが。離したら崖下に真っ逆様だぞ!?
「離さないからな」
「でも! さっきリザードマンに斬られた傷だってずっと血が出てるんですよ!?」
「ここで手を離したら、俺はきっと後悔する」
どうしてあの時、俺は手を離してしまったのだろうか。もっと何かできたんじゃないのか。手を離さなくて済む道もあったんじゃないのか。
そんな気持ちを抱えて生きていくことになると、考えるまでもなく分かる。
だからこの手は離さない。絶対に、離さない。
けれど、かと言ってこのままというわけにもいかないよな。
このままでいても、いずれ限界が来る。俺の体力が尽きるのが先か、手が焼け落ちるのが先かは分からないけどな。けど、そんなに時間はないだろうな。もうセツナを掴んでる左手の感覚もなくなってきてるし。ちゃんと目で確認しておかないと、掴んでいるかどうかも判断できない。
どうすれば二人とも無事に生還できるか考えていると、最悪のことが起こった。俺とセツナを支えていた剣が限界に達し、崖肌から抜けてしまったのだ。
再び落下。俺とセツナは今度こそ二人一緒に落ちて行き、水面に激突する感触がしたところで俺は意識を失った。
目が覚めると俺は上半身裸の状態だった。
何故だ?
一体何が起こったんだ? 崖下に落ちたところまでは覚えてるんだが。
そういえばセツナは?
「……起きましたか、先輩」
頭上から彼女の声がする。そちらに目を向けると、セツナが今にも泣きそうな顔で俺を見ていた。
いや、実際に泣いたんだろうな。目が真っ赤になってる。
どうやら、度を越して心配させ過ぎたみたいだ。
謝らないとな、と思ったが、そこで俺は後頭部の辺りが異常に柔らかいことに気付いた。
【熱傷の呪い】で焼けないようにマントに身を包んでいるが間違いない。俺、セツナに膝枕されてる。しかもよく見たらセツナのヤツ、マントの下に何も着ていない。そのせいでマントのわずかな隙間から彼女の胸元にある程好く育った二つの柔らかい果実が見えそうになり……
「わ、悪い! すぐに退く!」
それ以上見たら駄目になりそうな気がして、俺は急いで彼女の膝から退こうとしたが、セツナに押し止められてしまった。
「セツナ?」
「良いです、このままで」
「でも……」
「先輩だって、勝手をしたんです。これくらいの我は通させてください」
そう言われてしまってはぐうの音も出ない。それに、そんな悲しげな表情をされてしまっては退くことも躊躇われる。俺は黙ってセツナに膝枕されることにした。
改めて俺は自分の状態と周囲の状況を確認する。
どうやらセツナが治療をしてくれたようで、俺の上半身と左手には包帯が巻かれていた。俺の服は、少し離れた所で焚かれている焚き火で乾かされている。
「一体何がどうなったのか説明してもらって良いか? セツナと一緒に落ちたところまでは覚えてるんだけど、そこからが全く分からなくて」
「剣が抜けてしまった後、私たちはそこの湖に落ちたんです」
彼女が指し示す方を見ると、そこそこの広さがある湖があった。
なるほど、水面に激突した感覚の正体はアレだったのか。
「落ちた先輩は、たぶん限界が来ていたんでしょうね。気を失っていたので、急いで湖から引き上げました。幸い、気を失っていたので水を飲んではいませんでしたので、先輩の傷の治療をしたり、火をおこして服を乾かしたりして先輩が目を覚ますのを待ってたんです」
そういうことだったのか。
だから俺は包帯を巻かれてて、セツナはそんな格好になってるんだな。
……うっかり見てしまわないように気を付けよう。
「迷惑かけたな」
「それは別に良いんです。でも、少し怒ってます」
「崖肌でぶら下がった時のことか?」
そう聞くと、途端にセツナは目を半眼にした。
あ、あれ? 違うのか?
じゃあ、何でそんなに怒ってるんだ?
彼女が怒る理由を考えるが分からない。正解を求めて彼女に視線を向けると、セツナは俺の左胸――正確には心臓の位置を指差した。
「【名呼びの呪い】にかかっていることを、どうして黙っていたんですか」
……………………。
「あっ! コラ! 暴れないでください! 絶対に逃がしませんからねっ!!」
「こ、これにはのっぴきならない事情があるんだ! 俺は無実だ!」
「逃げるってことは疚しいことがあるからでしょ! 観念して往生しなさい!」
ちょっ!
そこで両肩を押さえ込むのはズルいぞ!
この体勢でそんなことされたら動けないだろうが!
しばらくどうにかしようともがいていたが、セツナが【身体強化】まで使ってきてしまったので、諦めるしかなくなった。
「それで、どうして【名呼びの呪い】にかかったことを黙っていたんですか?」
「別に言うようなことでもないだろ。ほら、言わぬが花って言葉もあるんだしさ」
「……本当は?」
「正直、言うのが面倒臭かったのと、どうせセツナを助けることは確定事項だから別に良いかなって」
「それで死んだら元も子もないじゃないですか! いい加減、本当に自分のことを大切にしないと怒りますよ!?」
もう怒ってるじゃん、と言おうとしたが、できなかった。
「ぐすっ……」
これでもかと顔をくしゃくしゃにして涙を流していたからだ。
さすがに、本気で俺のことを心配して泣いてくれる女の子を相手に茶化して誤魔化すことなんてできないし、そんなことをしてはいけない。
「……ごめん」
「分かったら、自分を……大切にしてください」
ボロボロと大粒の涙を流しながら懇願される。
それに俺は、ただ「ごめん」と言うことしかできず、こんなことならちゃんと言っておけば良かったと酷く後悔した。




