第135話 嫌いじゃない
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「というわけで、また先輩が女の子を誑かしましたとさ」
「いつ誰がそんな話をしたよ! 人の人生が懸かった弩級の話をしていたよな!?」
一夜が明けて、現在時刻は朝の八時。
場所は裏路地から移動して、今は俺――雨霧阿頼耶がリーダーを務めている冒険者パーティ『鴉羽』の拠点である屋敷のダイニングにいる。長いダイニングテーブルを挟んで、俺たちは昨夜助けた地味な色合いのローブを着た女性と相対している。
気絶してしまった彼女をそのままにするわけにもいかず、俺は屋敷に運び込んだのだ。
怪我もしていたので、寝ている間に光属性が使えるセツナに頼んで治療をしてもらい、ローブの女性が起きたタイミングで朝食を共に食べ、一通りの事情を聞き終わったところだった。
「冗談はさておいて、何で先輩って普通に暮らしていたら遭遇しそうにないイベントにこう何度も遭遇するんですかね? これも一種の才能なんでしょうか?」
責めるような言い方ではなかったが、その言葉に俺は困った顔になる。
「知らないよ、そんなの。俺だって、まさかラ・ピュセル支部長と話を終わらせてギルドから帰る途中にアンデッドに襲われている人を見付けるなんて思わなかったよ」
つまり、そういうことであった。
昨日の夕方にダンジョン探索から帰った俺はセツナたちを先に帰らせて、ラ・ピュセル支部長と一対一で話をした。内容はもちろん、彼女があの有名なジャンヌ・ダルクであるということについてだ。
話をしたと言っても、どういう経緯でアストラルに来たのかを聞いたくらいだ。彼女の話によると、史実の通りに地球で火刑に処された彼女は『聖書の神』と直接会話をしてアストラルに転生することが決まったらしい。彼女が異世界人のみに発症する、エピソード記憶が消える病『郷里記憶欠落症』を患っていないのも直接神と会話したからだ。
ちなみに転移ではなく転生なのは、彼女の元の体がすでに焼失してしまったためだとか。
生前のままの姿で転生したのだが、地球での活躍が影響していくつかエクストラスキルを持っているわ、種族が上位種の聖人になっているわ、『聖女』の称号を獲得しているわで大混乱。どうにかその力を使って冒険者として活動し、紆余曲折あって今の地位に就いたらしい。
その話を聞き終わった頃にはすでに日が暮れてしまっていて、話を切り上げて帰っていた時にアンデッドに襲われている彼女を見付けたのだ。
俺はローブの女性に視線を向ける。
フードを脱いでいる彼女の年齢は、見た目からおそらく俺の一つか二つほど上。長い淡青色の髪は最低限だけ整えたといった感じで飾り気はなく、同じ色の瞳は緊張したように揺れている。
ホムンクルスは総じて霞色の髪と目をしているのだが、どうやら実験の影響で変色したらしい。
俺やミオと同じように東洋の顔立ちをしていて普通に可愛らしいのだが、向けられた視線から逃げるように顔を俯かせて、垂れ気味の目も伏せているため、地味な女性という印象だ。
朝食を食べる時も遠慮がちだったし、事情を聞いた時は何度も言葉を詰まらせておどおどした反応をしていたので、注目を浴びたり、人と目を合わせたりすることが苦手で、内気な性格をしているのかもしれない。
彼女が着ている地味な色合いのローブも、彼女のそういった性格を表しているのだろう。ただ、ミオの時と同様に磨けば光るタイプの女性に見える。
「にしても、『人工勇者計画』ですか」
クレハの言葉をきっかけに、俺たちは目の前の女性から聞いた事情を思い出す。
『人工勇者計画』。
ゲノム・サイエンスという錬金術師系列の大手ギルドの一つが立てた、人の手で確実に勇者を生み出すことを目的とした計画だ。
その方法は、錬金術の中でもポピュラーな技術であるホムンクルス製造技術により作り出されたホムンクルスに、勇者シリーズのスキルを埋め込むというもの。
今回は六〇〇年ほど前に活躍した先代の『禁獄の勇者』四上縄郭が所持していた勇者シリーズの弱体化系ユニークスキル【勇者禁獄】を使用されている。
その道のりは順風満帆なものではなく、スキルが中々定着せず拒絶反応を起こし、実験の最中にホムンクルスたちは次々と廃棄処分されていった。
その数、実に三一七人。
そんな数の実験体が命を落とし、そして目の前の女性でようやく実験は成功した。
しかし、まだ九九人の実験体がゲノム・サイエンスにいる。彼女はその九九人の実験体を救うためにゲノム・サイエンスから逃げ出した。
「実際にその実験で生まれた勇者が目の前にいるので疑う余地はありませんが……しかしまさか人の手で勇者を生み出そうなんて」
朝食を片付けた後に台所から戻ってきて、全員分の飲み物を配ってから自分の席に座ったセリカは信じられないと言いたげな口調だった。
「『人工勇者計画』は……他にもいろんな計画を進めている、ゲノム・サイエンスでも……その……中核になる、計画、なの」
どもりながら遠慮がちに淡青色の女性はゲノム・サイエンスについて詳細を語る。
「む、むしろこの計画があるから……ゲノム・サイエンスっていうギルドは、成り立っている面が、あるの。……これを台無しに、されたら……ゲノム・サイエンスは、瓦解する。だ、だから……どんな手を使ってでも、計画を守ろうとする。最悪……その……ゲノム・サイエンスのトップの、選定者の……アスラン《サンジェルマン》イドリスと、ユーリン《フルカネルリ》イドリスが、出張ってくることも、充分に考えらえる」
だろうな。
ゲノム・サイエンスはキュアノス東方大陸にある極東の島国ヤマト、ヤン獣王国、ジャウハラ連邦王国という三つの大国を中心に拠点を置いている、錬金術業界でトップクラスのギルドだ。そこまで大きくするには相当な労力がかかったはずだから、失うのを黙って見ているわけがない。死守しようと躍起になるだろう。
それとこれは俺の予想だが、話を聞く限り極東の島国ヤマト、ヤン獣王国、ジャウハラ連邦王国の三大国を始めとしたキュアノス東方大陸にある各国は、ゲノム・サイエンスが人工的に勇者を作り出したことに成功したのをまだ知らないと思う。
表向き彼女はゲノム・サイエンス所属の勇者としてキュアノス東方大陸のあちこちで活動していたらしいが、もしも実験のことが公表されていたのならセツナたちは知っていたはずだし、非人道的な実験の内容を知ればさすがに各国は黙ってはいないだろう。
だからゲノム・サイエンスは彼女の口を封じるために刺客を送り込んだ。計画の詳細が露見すれば、非人道的な実験をしていた自分たちの立場が危うくなるから。
非人道的な実験内容を払拭するほどの実績を積んで有用性を証明してから、どこかの国に売り込む腹積もりだったのかもしれないな。
「仲間たちの、協力のおかげで……私は、ゲノム・サイエンスから、逃げ出せた。……でも、私は……本当ならもう二、三人くらいは……連れ出すことは、できた。連れ出した、仲間たちと一緒に、残りの人生を……穏やかに過ごす。そ、そんな選択肢も、あったと、思う」
震える声音で語る淡青色の女性はキュッと唇を引き結んで、緊張で揺れる瞳で俺を真っ直ぐ見る。人と目を合わせるのは苦手だろうに、それでも自分の意思を示そうとしている。
「でも、それじゃ……意味がない。中途半端に救って……他の仲間たちは仕方なかったんだって、勝手に諦めて……みんなをなかったことには、できない。だ、だから……みんなを救うために、敢えて一度、全員を見捨てた」
傍から見れば、彼女の行動は罵られるようなものなのかもしれない。
自分だけ逃げるなんて間違っている。全員は救えないんだから、一人でも多く助けるべきだ。救えなかった他の仲間たちは仕方がなかった。二、三人救えただけでも良しとするべきだ。
そうやって『諦め』にも似た『納得』をすることが、賢い選択というヤツなのだろう。
でも彼女はそうしなかった。
綺麗事では終わらせられない。
仕方なかったで誤魔化せない。
悲劇的な結末を美談にしない。
その諦め切れない気持ちを、どうして馬鹿にできる。どうして罵れる。どうして後ろ指を指せる。
……嫌いじゃない。
たとえ一度泥を被る羽目になっても、誰かを救うために妥協しないその姿勢は、嫌いじゃなかった。
「Bランク冒険者が、ソロでようやく倒せる……骸骨騎士を、素手で……一撃粉砕できる実力を見込んで……キミと、キミが率いる『鴉羽』の皆さんに、お願いします。……どうか、私たちを助けてください」
深々と、それこそダイニングテーブルの天板に額が付きそうなくらいに淡青色の女性は頭を下げた。
俺は目を伏せ、背もたれに体重を預ける。
昨日、彼女を襲っていた刺客は確保しようとしたが、奥歯に仕込んでいた毒で自害してしまった。持っていた通信用魔道具はロックがかかっていて、こちらから繋げることも、向こうからの呼び出しに応答することもできない。だが連絡が付かなくなった状態なんだから向こうは刺客を倒されたことには気付いているはずだ。
……ゲノム・サイエンスはこのまま手を引くだろうか。
沸き起こった疑問に思考を巡らせると、極夜が俺の疑問に対する見解を述べた。男性にも女性にも聞こえる無機質な声が頭に響く。
『否定。計画の露見を恐れている以上、今後はさらに腕の立つ刺客を送り込み、確実に標的を始末しようとするでしょう』
つまり、このままだと彼女は死ぬまでゲノム・サイエンスの影に怯えて過ごすことになるのか。
『肯定。加えて、ゲノム・サイエンスは第三者に計画が知られた可能性も考慮するはずです。今はまだマスターたちの存在は知られていないでしょうが、いずれはマスターたちも標的になります。とはいえ、以前アルフヘイムで起きた事件で瘴精霊を倒した際にマスター、セツナ様、ミオ様、セリカ様のステータスレベルは一〇〇を超えました。さらに、一体で大国の大都市が壊滅するとされる龍族が二〇体もいます。このまま防衛を続けても守り抜くことはできるでしょう』
だから守りに徹しろと? 冗談。攻撃してくる相手が分かっている状況で、何で一々やって来る刺客の相手なんてしてやらないといけないんだ? こっちから元凶を叩き潰して後顧の憂いを断つ方がはるかに良いだろ。
『得心。たしかに、降り掛かる火の粉を払うという意味でも、こちらから打って出て安全を確保する方が建設的です』
極夜との会話を終えると、考え事をしていたセツナ、クレハ、ミオ、セリカの四人が口を開く。
「人の手で勇者を生む。たしかに、魅力的な計画ですね。勇者はその圧倒的な力故に、戦争ではどちらの勇者が強いか、数が多いかという条件で勝敗がある程度予測できますから」
実際は相性やその勇者の人格による扱いやすさ、戦い方による向き不向きもあるから、そこまで単純でもないんだろうけどな。
でもたしかに、そんな戦略兵器にも等しい存在に対抗できるのは、魔王やSランク冒険者のような化け物レベルの強さを誇る者たちくらいなものだから、それを好きに用意できるとなればその有用性は計り知れない。
「計画を打ち立てた目的は、やっぱり富や名声、組織の地位向上とかでしょうか? 約三三三年周期で召喚される異界勇者とは違って、アストラル勇者は決まった周期はありませんし、どこでどんな人が勇者として生まれるのかは分かりません。それを自分たちの好きなタイミングで生み出せるとなれば、軍事的にも政治的にも宗教的にも考えられないほどの利益が出ますし、国営として国が後ろ盾になってくれます。救世主と同様に勇者という存在はそれだけ強大ですから」
「その辺りが妥当ですわね。充分に考えられることですし」
「……ポジティブに考えれば、何かしらの脅威に対抗するために勇者が必要だったっていう可能性も、ある?」
「あるいは勇者を戦力にゲノム・サイエンスを国として独立するため、とかでしょうか? でもこれはさすがに突拍子もない気もしますね」
みんなの意見は否定し切れない。分かっていることは少ないから、どれも可能性として挙げることができる。
だが、
「どんな目的であれ、人の命と比べればどうでも良いことさ」
総括して、俺は吐き捨てるように言った。
だってそうだろ。
人の命を食い物にしてまで通して良い目的なんて存在しない。たとえそれが、人工的に作られたホムンクルスの命であったとしてもだ。大きな目的があれば非道な行いも許されるなんて、そんなのはあっちゃならないんだ。
「…………」
俺の言葉が意外だったのか、それともあまりにもあっさりと言い捨てたからか、淡青色の女性は面食らったように目を丸くしている。
「じゃあ、どうしますか、先輩?」
笑みを浮かべて、まるで試すようにセツナは問い掛けてくる。
だが、答えは始めから分かっているのだろう。淡青色の女性以外の全員が次に俺が言うであろう言葉を予想し、それに期待して待っているような目をしていた。
まったく、俺のことをよく分かっていらっしゃるようで。
「もちろん、助けるとも」
肩を竦めてから鷹揚に頷き、俺はその願いを聞き入れた。




