第132話 平穏な日常
本編再開!
第5章 東方魔境の悪鬼編、スタートです。
電の月の三番。地球でいう九月に入るもまだまだ暑い日が続いている季節。
早朝でも湿度が高いせいもあって暑いことこの上ない。数人は一緒に寝られるくらいの大きさがあるベッドの上で、寝苦しさから俺――雨霧阿頼耶は目覚めて目元を擦る。
「……?」
視界に映る天井に見覚えがなくて一瞬疑問を浮かべるが、そう言えばフェアファクス皇国フレネル辺境伯領の領主であるバジルさんから前領主の事件を解決した報酬に屋敷を貰ったんだったと、ボーッとした頭で思い出す。
噴水まである大きな庭に沢山の部屋がある、下級貴族が暮らすようなレベルの屋敷だ。ここまで立派な物件でなくて良かったのだが、バジルさんがどうしてもと頑として譲らなかったので押し切られたんだったか。
妖精王国アルフヘイムで起きた『瘴精霊武闘大会襲撃事件』を解決してカルダヌスに戻り、昨日まで屋敷の掃除やら家具の運び込みなどをしていた。
今日は、そう……カルダヌスの北部にあるダンジョン『戦士たちの地下修練場』に行く予定だったはずだ。
「……ふわぁ」
アルフヘイムの事件を解決してからそのまま新居を確認して掃除と家具の買い出しと運び込みをしたから、思ったよりも疲労が蓄積されていてまだ眠い。起きようとした頭は力尽き、二度寝に入る。
「あらあら兄上様。まだお休みになられるので?」
はて? 何だ? 今、布団の中から艶やかな声が聞こえた気がする。
声の正体を知ろうと布団の中を探ってみると……何だろう? しっとりと温かくて柔らかいものが手のひらに返ってくる。肉まん? にしては大きいような?? メロンくらいはありそうだけど……何だか心地良いな。ずっとこうしていたい。
「んっ……もう。兄上様はやんちゃですわね。わたくしとしてはこのままでも一向に構いませんけれど、どうせならちゃんと起きた状態でしていただけると嬉しいですわ」
ただでさえ艶のある声に熱と色っぽさが増したことでようやく頭の回転数が通常通りになった。冷や汗がたらりと流れる。現実を直視したくない。
いいや、待て。何もそうと決まったわけじゃない! 諦めるな! 可能性を信じろ、俺! 実は悪戯をされているというオチだってあるはずだッ!
意を決して俺はフリーになっている手で勢い良くシーツを捲る。
結果、いつもの三つ編み一本結びを解いているため癖が付いて波打つ素鼠色の髪を投げ打っている龍族の女性――クレハ・オルトルート・クセニア・バハムートの張りのある大きなお胸様を鷲掴みにしていた。
「おはようございます、兄上様。よく眠れましたか?」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」
今にも鼻先が触れ合いそうなほどの距離で、その龍特有の瞳孔が縦に割れた金眼を輝かせながらにこやかな笑みで朝の挨拶を言うクレハだが、こっちはそれどころじゃない! 俺は急いで彼女の胸部から手を退けて距離を取ろうとしたけど、何だこれ。楽しそうに微笑むクレハの頭が乗っている左腕がピクリとも動かないんだけど!? ステータス値の筋力差で拘束してやがる!?
「な、何で布団の中に……!?」
せめてもと彼女の行動の意図を知ろうと聞いたが彼女はあらあらと頬に手を添えて、
「まだ寝惚けていらっしゃるのですか? 昨日みんなで話して、一緒に寝ることに決まったではございませんか」
「え?」
目を丸くして、動ける範囲で周囲を見渡す。
左側にいるクレハとは別に、右側には真っ直ぐに伸びた綺麗な黄金色の長髪をベッドに投げ出した人間族の少女――セツナ・アルレット・エル・フェアファクスがいて、俺の腹部にはミディアムヘアにした胡桃色の髪に猫耳と尻尾が特徴的な獣人族の人猫種の少女――ミオが寝ていた。
アルフヘイムで起きた事件を経て俺たちBランク冒険者パーティ『鴉羽』に正式加入した半森妖種の女性――セリカ・ファルネーゼの姿は見えないが……おそらく一足先に起きて朝食の準備をしているのだろう。パーティに加入してから何だか妙に全員の世話を焼いているし。
「……そういえばそうだった」
昨夜のことを思い出す。
たしか、せっかく各人のベッドを用意したっていうのに何故かこの部屋を全員の寝室にして寝ることになったんだっけ。ちなみに提案者はセツナで、別々で良いだろという俺の意見は却下された。
どうして彼女はこうも一緒に寝たがるのか。最近は俺も少し慣れてきたから良いものの、恥じらいというものを学んでほしい。割と切実に。
「ごめん、クレハ」
腕にかかる圧が和らいだので腹に抱き付くミオを起こさないよう気を付け、上体を起こして謝罪すると彼女はケロッとして、
「驚きはしましたけど、別に胸をまさぐられた程度で怒ったりなんてしませんわよ?」
「……やらかした俺が言うのも何だけど、そこは怒るべきところだと思う」
くすくすと悪戯な笑みを浮かべるクレハは俺に身を寄せ、後ろから抱き付くようにしてしなだれかかってきた。背中全体に広がるぬくもりとマシュマロのような柔らかい感触。セツナとはまた違う、脳まで冒す甘い匂いが鼻腔を刺激してくる。
「あのですね、クレハさん」
「はい。何でしょう?」
「こちとら思春期真っ只中の青少年なわけですよ」
「それが何か?」
「何かじゃないんだよ、こんなことされたら理性が削られるって言っているんだよ!」
「本当は嬉しいくせに。心拍数は順調に上がっていますわよ? うふふ。意外と純粋な所もありますわよね」
純粋かどうかはさておき、こんな誘惑をされて平常心でいられる男なんているかっ!
「とはいえ、これでも兄上様の理性は崩せませんか。理性お化けですわね。あまりの鋼っぷりに呆れてしまいますわ。わたくし、それほど魅力がないのでしょうか」
何だか見当違いなことを言いつつも背中に柔らかいものを押し付けるのをやめないってどういうことなわけ!?
「ですが、さすがに三人で攻めればどうでしょうね?」
「え?」
気付けば、いつの間にかセツナとミオの二人が目を覚ましていた。大声で叫んでから声を潜めることなく普通に喋っていたのでさすがに起きたのだろう。もう起きる時間だが、さすがに騒がしくして起こしてしまったのであれば忍びない。
が、ちょっとおかしい。寝起きだっていうのに二人ともやけに獲物を狙う肉食獣っぽい目をしてはいないか?
その違和感は的中した。
「期せずして先輩を誘惑する千載一遇のチャンス到来です!」
「……私も、お師匠様と仲良くなりたいっ!」
「待てストップだ二人とも!!」
押し留めても聞きやしねぇ。二人して俺に向かって飛び込んでくるしクレハまで参加するしでカオスだ。美女美少女によって三方向から揉みくちゃにされていたその時だった。
「皆さん、朝ですよ」
朝食の準備が整ったのだろう。森妖種よりは短いが人間族よりも長く尖った耳に、アップヘアーにした翡翠色の髪と同色の瞳をしたメイド服姿のセリカが寝室に入ってきた。
「……」
寝室の扉を中途半端に開けた状態で、セリカは俺たちの姿を捉える。朝から騒がしくてカオスなこの状況を見て、しばしの沈黙の後にセリカはわずかに慄きながら、
「ま、まさかそういうアプローチは朝からして良いだなんて! ここは私も参加しなくてはっ!!」
「しなくて良いんだよ! 素直にこいつらを止めてくれ、頼むからさぁ!!!!」
どいつもこいつも一般常識が欠如しているんじゃないのか? そしてジタバタしていたって状況が好転することはない。朝っぱらから色仕掛けしてくるアホどもを相手に頭を悩ませながら事態の収拾にかかった。
朝から疲れたが、今日の予定に変更はない。セリカが作ってくれた朝食を食べた俺たちはダンジョンへと向かった。とはいえ、すぐそのまま直行というわけでもない。ダンジョンに行く前にギルドへその旨を伝えないと。
ダンジョンは基本的に誰でも入っても良いので、入場制限があるわけでもない。だからわざわざギルドに伝える必要はないのだが、ギルドに伝えていればいざダンジョンで行方不明になったり、危険な目にあったり、予定していた時間になっても帰還報告に来なかったりした時にギルド側も救援を送りやすくなる。
自分の命を守るという意味でも、これは推奨されている。まぁそうは言ってもあくまで推奨されているだけであって必須ではないので、中には伝えない人もいるわけだけど。
ちなみに、セリカの一件の時にダンジョンに行った時も同様に伝えていた。
冒険者ギルドに訪れると、朝の依頼貼り出しから時間が経っているから冒険者の姿はそれほど見なかった。受け付けの方も忙しそうではなかったので、俺は手が空いていそうな、白い兎耳が特徴的な獣人族の人兎種である受付嬢のレスティに声を掛ける。
「おはよう、レスティ」
「あっ。おはようございます、アラヤさん。依頼ですか?」
「いや、今日はみんなで『戦士たちの地下修練場』に行こうと思っているんだ」
「ダンジョン攻略ですか。帰還はいつ頃になりますか?」
「今日の夕方辺りかな。もしかしたら日没頃になるかもしれないけど。でもまぁ今日中には戻るよ」
「……ここから『戦士たちの地下修練場』まで馬車で三日はかかるから、普通は日帰りなんて無理なんですけどね」
「そこはほら、俺たちにはちょっと特別な移動手段があるから」
ケラケラと笑ってみせると、レスティは呆れたように溜め息を吐いた。
彼女には俺が半人半龍であることを伝えていない。だから日帰りでダンジョンに行ける詳しい方法を知らないけど、セリカの一件にて実際に短期間で帰って来たのを見ているので、彼女は『それを実現させる方法を持っている』とだけ理解している。
「そうだ。ラ・ピュセル支部長はいるかな?」
「はい。支部長室でお仕事をなさっていますよ。何かご用が?」
「アルフヘイムのお土産を渡しておこうと思って。ちゃんとレスティの分もあるよ」
何せカルダヌスに帰ってから昨日までは領主のバジルさんから貰った屋敷の準備にかかり切りだったからな。出立前にお願いされていたアルフヘイムのお土産を今日まで渡せず仕舞いだった。
「そういうことでしたら、支部長室へご案内します」
行くのは俺だけで充分なので、セツナたちにはエントランスで待ってもらい、レスティに支部長室までの案内をお願いした。
案内された支部長室に入ると、奥にある執務机にセミショートにした金髪に青い瞳をした、外見年齢は一九歳ほど(でも実年齢はそれ以上)の女性が座っていた。
俺と同様に特筆すべき点が見当たらないほどに平凡で、田舎の村娘と言われた方が納得できる容姿をした彼女が、この冒険者ギルド『アルカディア』フェアファクス皇国フレネル辺境伯領カルダヌス支部の支部長であり、同時にアストラルで五人しかいない『最高位に至る者』の一人でもあるS-3級冒険者のラ・ピュセルだ。
「やぁ、アラヤ君。いらっしゃい。今日はどうしまシタ?」
書類仕事をしていた彼女は左手のペンを置いて小首を傾げる。俺は『虚空庫の指輪』からプレゼント用に包装された二つの包みを出して、二人に手渡す。
「アルフヘイムのお土産を持ってきました。細長い方がレスティの、正方形の方が支部長のです」
「わざわざありがとうございマス。……開けても良いデスカ?」
「どうぞ」
許可を出すと包みを開いて中身を見た二人は「わぁ」と喜色を含んだ声を小さく上げた。
「私にはアロマで、レスティには万年筆デスカ。しかも上等な物を選んでくれたようデスネ」
「支部長はいつも忙しそうでしたからリラックス効果がある物を、レスティは仕事でも使える物にしました」
本当はもう少し気の利いた物の方が良いんだろうけど、生憎と女性にどういった物を贈れば良いのかなんて良く分からないからな。無難な物にした。
「お気遣い、ありがとうございマス。支部長になってから書類仕事が増えてストレスが溜まるので正直助かりマス」
「地球で起こった百年戦争を終わらせたジャンヌ・ダルクも、さすがに書類仕事が相手だと分が悪いですか」
「えぇ、それはもう心労が溜まって……」
と、そこでラ・ピュセル支部長は目を見開いて固まってしまった。完全に予想外の言葉だったらしい。レスティは……良く分かっていない顔をしている。五人いる『最高位に至る者』の内の二人は転生者だってことは有名なので、レスティもそれは知っているだろう。ただ、身近にいたラ・ピュセル支部長が地球で有名な偉人であることまでは知らなかったのかもしれない。
しばし呆然としていたラ・ピュセル支部長は、やがてゆっくりと口を開いた。
「一体、いつから気付いていたんデスカ? ステータスを見たのだとしても名前はラ・ピュセルになっているはずデスガ」
隠し立てするつもりはないようで、彼女はレスティを退室させることなく話を進めた。
「始めからもしかしたらとは思っていましたよ。そもそも『オルレアンの乙女』とはジャンヌ・ダルクの別称です。さらに左利きで神の啓示を受けたとくれば分かります。まぁ、確証はなかったのでカマをかけさせてもらいましたけど」
確証はなかったから、まさか本当にあの百年戦争でフランスを勝利に導いた『聖女』ジャンヌ・ダルクその人だとは思わなかった。史実だと最期は火刑に処されたから、地球で死んでからこっちに転生したといったところかな。
そう考えていると、支部長は背もたれに体重を預けて息を吐いた。
「まさか、私が左利きであることも判断材料になるとは思いませんデシタ。まぁ別にひた隠しにしているわけではありませんから、気付かれたら教えるつもりではいましたが、それでもこうも早く気付く者が現れたのは予想外デシタ。今まで会った異世界人は誰も分からなかったノニ」
まぁ俺はカマをかけたから判明しただけだし、それ以前に異世界人といえどそうそうギルドの支部長と何度も顔を合わせることなんてできないから、気付きようがなかったんじゃないかな。
「あまり言い触らさないでくだサイネ?」
「はい。それはもちろん」
俺としても、他人のプライバシーをあれこれと言い触らす趣味はない。
まだちょっといろいろと話したいところではあるけど、この後に予定があるので会話を切り上げることにする。
「それじゃ、失礼します」
「えぇ、戻って来た時にまた話をしまショウ」
頷きを返し、俺は支部長室を後にした。




