第8話 事件が終わって
決着が着けば後はあっという間だった。あの後、どこから現れたのかぞろぞろと警察の人が廃工場にやって来て、気絶している陰下先生を拘束・連行していった。どうやら阿頼耶が廃工場に来るまでの間にサンドリヨンさんを介して通報して状況も伝わっていたらしく、警察の人たちの動きに全く淀みがなかった。
まったく。阿頼耶の手際の良さには舌を巻くわ。
勝てたならそれで良し。勝てなかったとしても後から来る応援が捕まえてくれる。最悪の事態を考慮して事前に手を打つ。本当に私と同い年なの? 疑いたくなるほど頭が切れるわね。
ちなみにサンドリヨンさんは救急車も呼んでくれていたみたいで、阿頼耶はあれよあれよと救急車に突っ込まれて病院に搬送された。
「全治二週間か。思ったより長いな」
「ナイフでぶっ刺されたんだから当然でしょ。二週間でも短い方よ」
アレから数日が経った。病院に搬送されて治療を受けた阿頼耶は入院こそしなかったけど、その後に何度か検査を受けることになった。今日も検査を終えて、今は病院の近くにある全国チェーンのファミリーレストランに来ていた。
「取り調べの方はどうだったんだ?」
「特に問題はないわ。取り調べって言っても実際には事情聴取だったから、私がされたことを説明するだけで済んだもの」
「だからだよ。嫌なことをされたり、言われたりしなかったか?」
「それこそ問題ないわよ。アンタが事情聴取は女性警察官にやらせろって、救急車に乗せられる前に言っておいてくれたからね」
「性的二次被害なんてふざけた目に遭わせるわけにはいかないからな」
「心配性ね」
「身を守る上では必要なことだよ」
話しているうちに私たちが注文した料理をウェイトレスが運んできた。阿頼耶はふわとろのオムライスで、私はチキン南蛮の和食セットにした。
目の前に並べられた料理。でも私は自分の分には手を付けず、阿頼耶のオムライスを手元に引き寄せる。彼は困惑したような表情を浮かべたけど、構わず私はスプーンを取ってオムライスを一匙掬って阿頼耶に向けた。
「はい、阿頼耶。あーん」
「え?」
「え? じゃないわよ。今のアンタじゃ、ご飯を食べるのも一苦労でしょ」
今の彼は左肩と右腕に包帯を巻いていて、さらに体のあちこちにガーゼが貼られている。こんな状態じゃ、何をするにも手間取ってしまうわ。
「それを見越して食べやすいオムライスにしたんだけど。そもそも動かしにくいのは左腕であって利き手は使えるから自分で食べられるし」
「遠慮しなくて良いのよ。これくらいはしてあげるわ」
「遠慮とかじゃなくて、さすがに恥ずかしい……」
「うるさい大人しくお世話されろ」
「………………………………はい」
しょんぼりしながら阿頼耶は大人しくスプーンに乗ったオムライスを咀嚼する。「おかしい。何で俺、脅されてんの?」とブツブツと不満を垂れていたけど聞こえない振りをする。私のせいでこんな怪我をする羽目になったんだもの。せめて彼の傷が癒えるまで、私が身の回りのお世話をしないとね。
「やってほしいことがあるなら言ってちょうだい。何でもしてあげるから」
ゴフッ! と危うく口の中のものを吹き出しそうになった阿頼耶だけど、どうにか飲み込んだ。
「な、何でもって……お前、なんてことを……」
「?」
何をそんな動揺しているのかしら? と疑問に思ったけど直後に自分がとんでもないことを言っていたことに気付いた。
「あ、いや……ち、ちが……う、こともない、けど! でもそうじゃなくて! そういう意味じゃなくてアンタの怪我が治るまでの間、私がサポートするって意味よ!」
「あ、あぁ! なるほど、そういう意味か! 俺はてっきり……」
「それ以上言ったら私は制御が利かなくなるからねっ!」
「失言したのはそっちなのに!」
「う、うるさい! 黙ってオムライス食べてなさいっ!!」
誤魔化すように半ば強制的に阿頼耶の口へオムライスを投入していく。口の中をパンパンにしながらも文句を言いたそうな目で見てくる阿頼耶に言う。
「と、とりあえずアンタの面倒は私が見るから。手始めは勉強の方よ。その怪我だと板書もままならないでしょうけど、私を助けたから学力が低下したなんてことにはさせないわ」
ゴックンと喉を鳴らして嚥下し、阿頼耶は私の話に耳を傾ける。
「学校は違うけど、やっている内容にそれほど違いはないはずだから、私が付きっきりで教える。しっかり時間管理するからそのつもりでいなさい」
「まるで教育ママだな」
「誰がママよ! 出産経験どころか性行為の経験だって――って、どさくさに紛れて何を言わせてんのよ!」
「お前が勝手に自爆しただけだろ!?」
お客が私たち以外にいないから良かったものの、ギャーギャーとファミレスという公共の場でマナー違反も甚だしいレベルで騒いでいると、快活な笑い声が聞こえてきた。
「ハッハッハッ! 珍しく振り回されているじゃないか、阿頼耶。さすがのお前も友人の前じゃ形無しだな」
私たちに声を掛けてきたのは二人組の男女だった。一人はノートパソコンを片手に抱えているサンドリヨンさん。彼女は私たちに向かって『Hi』と笑顔で手を振っている。
もう一人は短髪に髭を生やした、くたびれたスーツを着ている大柄な男性。ぽっちゃりとしているけど馬力がありそうな体付きをしていて、学生時代は柔道部でしたって感じの、どことなく熊を連想させる人ね。
「来て早々失礼なヒグマだな。もう十月なんだからさっさと冬眠しろよ」
「ヒグマじゃなくて日野拓馬だ! 略すんじゃない! それに熊の冬眠時期は十二月だからもっと先だろ!」
言い合いを始めてしまった。
この男性の方は見覚えがある。あの廃工場で雪崩れ込んできた警察の人たちに交じっていた刑事さんだ。阿頼耶が『事情聴取は女性警察官にやらせろ』と言ったのもこの人に対してだったわね。
私と阿頼耶が病院からすぐに帰らずにファミレスに寄っていたのも、サンドリヨンさんから阿頼耶へ連絡が来て『事件のその後について説明がしたい』と言われ、この二人を待っていたからだ。
「阿頼耶、そちらの人は?」
「警視庁刑事部捜査第一課の刑事、日野拓馬だよ」
言い合いをやめて自己紹介をすると、熊みたいな男性――日野さんはにんまりと笑って敬礼した。
「廃工場で会ったきりだな、嬢ちゃん。警視庁刑事部捜査第一課の日野拓馬だ」
「私も直接会うのは初めてだし、改めて。警察庁警備局公安特殊サイバー犯罪対策課のパトリシア・ミラーよ。ハンドルネームは『サンドリヨン』だけど、顔を合わせているわけだし、パティで良いわ」
「椚優李です。今回は、いろいろとありがとうございました」
「良いってことよ。これが俺の仕事だからな」
頭を下げてお礼を言うと、日野さんはそう言って阿頼耶の、サンドリヨンさん改めパティさんは私の対面に座った。
「でもまさか、阿頼耶が公安だけじゃなくて捜査第一課の刑事さんとも知り合いだなんて思いませんでした」
「元々、俺と阿頼耶は二年前に知り合ってな。そこから何度も阿頼耶が面倒事を持ってきて、それを解決してきた。……言ってみれば腐れ縁だな」
「アンタの検挙率に貢献しているんだから文句ないだろ? それにパトリシアっていう戦力も手に入れたんだしさ」
「Yeah、あの時は私も日本に来たばかりで就職に難儀していたから助かったわ」
口振りから察するに、パティさんは最初から公安だったわけじゃなくて、阿頼耶と知り合った事件を経て公安になったみたいね。
私たちが食べ終わり、四人それぞれに飲み物が来たところで本題に入った。
「さて、パトリシアから事前に聞いているだろうが、今日二人に来てもらったのは事件の顛末を話すためだ」
詳細がそこに記載されているのか、日野さんはスーツの内ポケットから手帳を取り出してペラペラとページを捲り、パティさんはノートパソコンを開いた。
「現行犯逮捕した陰下史明だが、容疑は概ね認めていて取り調べには協力的だ」
「始めは否定していたんだけどね。被害者たちのポルノ写真が陰下史明当人のアカウントでクラウドに保存されていたから、それを指摘してやったの。そしたら観念して白状したわ」
「今はまだ聴取を行っている最中だが、どうやら他の学校の生徒にも似たようなことをしていたらしい」
ウチの中学だけじゃなく、他の学校の女子生徒も標的にしていたのね。一体どれだけの被害が出ていることか。かなりの人が泣き寝入りしたんだと思うと、胸が痛む。
「その上で罪状だが、分かっているだけでもナイフでの傷害、ストーカーと痴漢行為による名誉毀損に脅迫、強制わいせつに誘拐もある。それ以外にも余罪はあるだろうし、被害者の数も多くて極めて悪質だ。実刑は確実。一〇年くらいは豚箱から出ることはできないな」
日野さんから陰下先生が受けるであろう刑罰を聞くと、阿頼耶は不満そうに舌打ちをした。
「何人もの女性の人生を滅茶苦茶にしておいてたった一〇年か。いつも思うけど、日本の法律は犯罪の内容の割に刑罰が軽過ぎる」
「仕方ないだろ。加害者にも人権を、って考える風潮があるんだから」
「生温い。そいつらは実際に被害に遭ったことがないからそんなことが言えるんだ。それなのに分かったような口振りで、真っ先に気遣うべき被害者を蔑ろにして加害者を擁護する。決定的に優先順位を間違えている。あんな、自分のことしか考えていない我欲にまみれた輩なんて情状酌量の余地なんてないだろうに」
阿頼耶の意見には大いに同感だった。だって、それじゃあ『被害者側の気持ちはどうなるんだ』ってなるもの。人権云々言うなら、まずは私たち被害者側も気持ちを汲み取ってほしい。
とはいえ、こんなことを思えるのも私自身が被害にあったからでしょうね。そうじゃなかったら、たぶん私も加害者にも人権があるって吠えていたかもしれない。
「相変わらずお前は敵に回った相手には容赦がないな」
阿頼耶の言葉に思うところがあるのか、日野さんは苦笑を浮かべるけど、阿頼耶自身は素知らぬ顔で砂糖もミルクも入れていない食後のコーヒーを飲みつつ、
「半端に情けを掛けて相手が仕返しに来たらどうする。禍根を残さないためにも、完膚なきまで叩き潰す。リベンジする気が起きないほど徹底的にやる。こういうのはな、躊躇ってブレーキを踏んだ分だけリスクが増すんだよ」
「それはかつて失敗したことから得た教訓か?」
「……」
その一言には答えない。阿頼耶はただ、どう表現して良いのか分からない、淡い笑みを浮かべるだけだった。
でも、答えなかったからこそ肯定しているようなものだった。このまま聞いていれば私の知らない阿頼耶の二年間の一端でも知ることができるかと思ったけど、深掘りするつもりはないらしい。それ以上話を続けることはなかった。
話はそれで終わりみたいで、二人は帰り仕度を始めた。けど『あっ』とパティさんが何かを思い出したような声を漏らした。
「そうそう、優李ちゃん。実はこんなものがあるんだけど」
言って、パティさんはおもむろに一枚の写真を見せる。それは一緒に文化祭を回っていた時の写真で、私と阿頼耶が写っていた。しかもただのツーショットじゃない。私がうっかり躓いたところを阿頼耶が支えてくれた、まるでダンスでも踊っているような状態になった場面じゃない!!
「なっ! え!? どうしてこんなものが!?」
「何だ、どうした?」
「なんっでもない!」
私の反応が気になった阿頼耶が写真を覗き込もうとしたけど、こんな恥ずかしい写真を見られるわけにはいかないので隠した。私はパティさんを引っ張って、日野さんと阿頼耶の二人から離れて小声で話す。
「(何でこんなものがあるんですか!)」
「(良く撮れているでしょ? 優李ちゃんとこの中学の科学部がドローン体験をやっていたみたいでね。阿頼耶に内緒で、ドローンをハッキングして撮っておいたのよ)」
そう言えば学校紹介のプロモーションビデオを撮るっていう名目で、科学部のドローンには高解像度のカメラが搭載されているんだったっけ。
「(公安のやることとは思えない)」
「(だって元は知能犯だもの)」
くっ! ああ言えばこう言う。口先で勝てる気がしないっ!
「(そもそも、何でそんな写真を私に渡そうとするんですか)」
「(え? だって優李ちゃん、阿頼耶のことが好きなんでしょ?)」
「!?」
「(Ahahaha! 分からないとでも? アレだけ阿頼耶に対して熱っぽい視線を向けていれば分かるわよ。当の本人の阿頼耶は気付いてないみたいだけど。まぁアレだけヒーロー染みた助け方をされたら惚れちゃうわよねぇ。私の時だってそうだったし。あ、言っておくけど、私は彼に恩義こそ感じているけど恋愛感情はないから安心してね)」
それでどうするの? と意地悪な笑みを浮かべて聞いてくる。正直、すっごい欲しい、けどぉ……!!
「(阿頼耶に内緒で貰うっていうのは気が咎めるっていうかそういうのはちょっとっていうかやっぱり貰うにしても阿頼耶に一言言ってからっていうか)」
「(んもー、煮え切らないわねぇ。そうやって自分の気持ちを押し殺して理論武装で誤魔化していると、いつか後悔するわよ?)」
「(ぬぅぅうううう)」
「(じゃあ仕方ない。阿頼耶に買い取ってもらいましょうか)」
は?
「阿頼耶―。ちょっとこの写真を見てほしいんだけど」
「ちょっとおおおおおおおおおおおおおおおお!!!???」
止める隙もなかった。デスクワーク派なのにするりと私の伸ばした手から逃れるようにすり抜けて、あっという間に阿頼耶に写真を見せてしまった。写真を見て一瞬だけ驚いた顔をした彼はすぐに渋い顔をして、写真について聞くとパティさんに拳骨を落とした。
「痛い! 女の子に手を上げるなんて酷いじゃない!」
「喧しいわ! 正義のハッカーを自称するなら盗撮なんてするな!」
「何よー。別に赤の他人に流すわけじゃないんだから良いじゃない」
「そういう問題じゃないんだよ!」
七つも年下の男の子に説教されるパティさんだったけど、こういうことは何度もあったのか、ぶーたれながらもあっさり引き下がった。
「まったく。油断も隙も無い」
呆れながら阿頼耶はパティさんから写真を回収して、それを自分のポケットに
「ちょっと待ちなさい」
入れそうになったところで彼の腕を掴んで止めた。
「アンタ、何さらっと写真を自分の物にしようとしているわけ?」
「え? いや、責任を以って俺が保管しようかと思って」
「保管って何よ! 駄目に決まってんでしょーが!」
「そんな! せっかく貴重な優李のメイド服姿なのに!」
「だから駄目だっつってんのよ!」
そんな恥ずかしい写真が阿頼耶の手に渡ったままなんて耐えられるか!
「何やってんだか。俺らは先に帰るからな。ほら、パトリシアも行くぞ」
「Yeah、二人とも、それじゃあね」
「え? あ、はい! ありがとうございました!」
二人の立ち去る声を聞いてどうにかそれだけ返事を返しながら、私は阿頼耶から写真を奪い取った。写真をポケットに入れ、二人して席に座り直すと私は息を吐く。
「はぁ……まったくもう」
「お疲れだな」
「誰のせいだと思ってんのよ」
「パトリシアだな」
「アンタも一因でしょーが」
言いながらも、私は自然と口元に笑みが浮かんでいることを自覚する。何だかんだこうして笑っていられるのも、阿頼耶が必死になって頑張ってくれたおかげなのよね。一度は失った平穏。彼が取り戻してくれたもの。その幸せをそっと噛み締める。
「阿頼耶」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとう」
「……どういたしまして」
微笑みを浮かべて言うと、彼は頬を掻いて気恥ずかしそうに言った。真正面からだと彼も恥ずかしくなるみたい。耳まで真っ赤にして、可愛らしい所もあるじゃない。
日常を救われた者と誓いを守れた者。互いにそれぞれ満ち足りたように、私たちは顔を見合わせて揃って笑みを溢した。
こうして、私が抱えていた事件は幕を閉じた。




