第127話 アルフヘイムからカルダヌスへ
翌日になり、クラウドと合流した俺たちはセリカが開いた『妖精の脇道』を通り抜け、カルダヌスへと馬車を走らせていた。
御者台からハルピンナとプシュラの手綱を引いているのはフェアファクス皇国護国騎士団第八部隊の騎士クラウドだ。彼の肩には小さな影がある。
愛らしい真ん丸とした目に、雪だるまを連想させるずんぐりとした体から手足を生やし、氷柱が垂れた衣装を身に纏う小さな精霊は、水の上位精霊である氷精霊だった。
あの瘴精霊との戦いの際、クラウドにブルーベルさんを任せたのだが、その時に妖精兵団と一悶着あったものの、そこをあの氷精霊に助けられた。
だが何の因果か、氷精霊がクラウドのことを気に入ったようでそのまま契約を交わし、クラウドは騎士系統の中級職である魔術騎士にランクアップしたのだとか。
惜しいな。精霊四体と契約を結ぶことができれば上級職の精霊騎士に就けるのに。まぁ条件がシビアなのでそれは欲張りなのかもしれない。精霊騎士に限らず、他の上級職だってシビアなのだから。
ちなみに、俺の母さんが就いていた聖騎士は上級職のさらに上、騎士系統最上級職の一つだったりする。
中級職とはいえ、精霊と契約したのだ。クラウドは本国に帰ったら騎士団に報告しないといけない。騎士だった時よりも階級は上がるので様々な権限を持てるようになるが、反してしがらみも多くなるだろうから面倒事が増えそうだ。
ただ、彼自身はそういうのは騎士になった時に覚悟していたからあまりしがらみや面倒事を気にしてはなさそうで、中級職になれたことを純粋に喜んでいるようだった。
そうそう。昨日、調べ物が終わった後にセリカが教えてくれたのだが、どうやらサフィニアさんは自首したらしい。聞いた時は驚いたが、何でも、俺が地下礼拝堂で調べ物に没頭していた時にサフィニアさんがティターニア女王の所に行って、事の次第を説明したのだとか。
俺の言った言葉に、思うところがあったということか。一晩考えた末、自首することを決めたのだろう。結果的に、サフィニアさんも無期懲役になったらしい。
視線を御者台から馬車内へと投げる。
クレハはどうやらカルダヌスで待機している仲間と連絡を取っているようで念話中。セリカは居眠りしているミオを膝枕。セツナはホクホク顔でティターニア女王から頂いた謝礼の数々を見ていた。
今ここで確認する必要もないだろうに、彼女は謝礼として受け取った品々を自分の前に広げていた。カルダヌスに戻るまで我慢できなかったのか、それともここにいるのが身内だけだからか。どちらにせよ不用心だ。
「かなり謝礼を貰いましたね」
俺の視線に気付いたセツナがそう言った。
謝礼に関しては、実を言うと俺は関与していない。貴重な資料はすでに見せてもらっていたし、特に欲しい物が思い浮かばなかったので、セツナに一任したのだ。彼女ならパーティ全体でメリットがあるように交渉くれるだろうと思っていたからなのだが、成果は予想以上だった。
AランクやSランク蔵書を含めた、禁書の閲覧許可証。
いくらかの謝礼金。
アルフヘイムへの入国税の免除及び王城へのフリーパス。
アルフヘイムでの身分の保証。
無の精霊石。
世界樹の苗。
精霊樹の苗。
とまぁ、こんな感じなのだが……うん。最初の四つはまだしも、残りの三つは疑問だ。どうやら、せっかくだからとアルフヘイムでしか手に入らない希少素材も貰えるように交渉したらしい。
精霊石とあるが、これは精霊が魔力を超高圧縮で押し固めることで生み出される鉱石だ。今回の謝礼の中にある無の精霊石は単純に無属性の精霊石という意味で、中には火属性の力を持つ火の精霊石という物もある。
魔石と同じく魔力がこもった鉱石ではあるのだが、純度と魔力量と魔力伝達率が桁違いなので、素材価値としてはかなりの値打ち物になる。
さすがに加工するためには俺が【鍛冶】スキルを上げるか、加工できる人物を探さないといけないけど。
で、だ。
問題なのが、この『世界樹の苗』と『精霊樹の苗』だ。
世界樹とはもちろん、王城の傍にあるあの巨大という言葉でも生易しいほど全容が見えない大きな樹――ユグドラシルのことだ。精霊樹というのも、ユグドラシルほどではないが巨大な樹のことをいう。
どちらも格の高い霊木であるため、魔術素材としても触媒としても最高ランクの代物だ。
「……」
そんな樹の苗を、それぞれ?
……育てろと? あんな馬鹿デカい樹を? 二つも?
セツナの前に転がされた二つの苗を見て顔が引きつりそうになるのをどうにか堪えていると、俺の懸念を察したらしいセツナがクスリと笑みを溢した。
「心配しなくても大丈夫ですよ。品種改良しているから、家庭でも栽培できるくらいの大きさにしか成長しないそうです」
あ、そうなの? なら良かった。あんな馬鹿デカいものを育てる自信なんてないからな。
というか育てる必要があるのか、アレ? スケールが違い過ぎて、人の手を借りずとも勝手に成長しそうな気がするんだが。
ともあれ、以上が謝礼となる。聖剣『デュランダル』も譲り受けたし(どうやら元々俺に渡すよう母さんに言われていたらしい)、引いてしまうくらい得している。
「交渉一つでここまでもぎ取ってくるなんてな。よくやるよ」
「えへへ。それほどでも」
褒めてないからな?
照れくさそうに笑うセツナの豊かな胸元でチャリっと細い鎖が擦れる音がする。彼女の胸元を彩るのはアパタイトと呼ばれる鉱石が埋め込まれたネックレス型の魔道具だ。セツナとミオが共同して作製したもので、【認識阻害】の効果がある。
周りの目を気にしたり変装したりフードで顔を隠したりする必要がなくなったので、今のセツナは以前のように綺麗な黄金色の髪を惜しげもなく晒していた。
黒髪も悪くなかったが、個人的には普段の方が良いな。
【認識阻害】は相手から自分の印象を薄くすることで認識されないようにしているらしいのだが、逆に言えば今のように真正面からの会話など、強く意識される状況だと印象を薄くすることにも限界があるので効果を発揮できない。
正体を隠して行動する分には充分なのだが、セツナには一点だけ問題がある。それは、今回の事件で姿を晒してしまったことだ。しかも闘技場の空中ディスプレイで大々的に移されていた。
そのせいで、貴族たちはもちろん一般人にもセツナがアルフヘイムに来ていたことが知られてしまった。
一応、クラウドには口止めをしたらしいのだが、ティターニア女王に箝口令を敷いてもらったわけではないので、別口から彼女の家族――フェアファクス皇国の皇族たちに知られるのも時間の問題だろう。
「セツナの居場所が知られたら、連れ戻されるかな?」
「全くないとは言えませんけど、大丈夫だと思いますよ。居場所が分かったとしても、さすがに私にかけられた呪いが解けているのかいないのかまでは分かりません。まだ呪われている可能性の方がずっと高いので、そんな者を無理やり連れ戻そうとはしないでしょう」
たしかに、以前セツナを呪っていた【熱傷の呪い】と【名呼びの呪い】は対象がセツナ本人ではなく周囲の人であるため、彼女自身には何ら影響はない。【鑑定】や【看破】のスキルを使えば別だが、傍から見て呪われているかどうかの判断なんてできない。
それを考えれば、セツナはまだ呪われている可能性が非常に高いので、無理やり連れ戻すなんて手段は取れないわけか。
「それにコレもありますからね」
言って、彼女は自身の『虚空庫の指輪』から紙の束を出した。何やらびっしりと事細かに記載されている
「コレは?」
「先輩が教えてくれた地球の知識を参考に【猟犬の檻】をアレンジして作った結界魔術【蜂巣の円蓋】に関するレポートです。これを私が懇意にしている魔術師ギルドの一つに提出して実績を上げようかと」
実を言うと彼女は魔術学園に通っていた時に何度も魔術に関するレポートを書いており、恩師の薦めでフェアファクス皇国に根差した魔術師ギルド系列の一つにそれを提出している。
彼女は魔道の申し子と呼ばれるほどの天才。そのギルドに所属する魔術師たちは彼女が提出するレポートの数々に目を見張り、こぞって勧誘したのだが、当時はまだ学生だったこともあってセツナは辞退したらしい。
それでも何度かレポートを提出していることで、ギルドに属さない外部の魔術師でありながら良好な関係を築いている。ただその繋がりも、二年前に呪われたことが原因で今日まで疎遠になってしまったのだとか。
彼女が書いたレポートを軽く読んでみる。
研究者や学者は小難しく書いた物を好む傾向があるため、普通レポートは専門用語や回りくどい言い回しで必要以上に賢そうに書くのが常なのだが、彼女はそういうのは面倒臭いという理由から専門用語は使っているものの、分かりやすい書き方をしていた。
「アレンジとはいえ、新しい魔術を作成したんです。確実にこのレポートは取りますから、実績を積むことができます」
彼女が懇意にしている魔術師ギルドの一つ、名前は確か『プライベート・ミスティック』だったか?
そこはフェアファクス皇国に保証された大手ギルドであるらしく、政府と協力して研究成果を民間に公開したりして国の発展に貢献しているので、そこに提出すればまず間違いなく皇国の利益になるとのこと。
なるほどたしかに、新しい魔術を作り出し、自国に利益をもたらす者が相手なら向こうも譲歩するしかないだろうな。
「ただ、このレポートでちょっと先輩にお願いがありまして」
「何だ?」
「連名でレポートを提出したいんです。先輩の知識で作り出せた魔術ですから、提出するにはやっぱり先輩の名前が必要になるので」
そういうことか。
「良いよ。好きに使え」
「ありがとうございます。一応、今後もレポートは提出していくつもりなので、場合よってはまたお借りすると思います」
このレポートだけでは満足していないらしい。ぐうの音も出ないほどの実績を積んで向こうに反論させないようにする腹積もりか。
以前に『政略結婚させられるだけだから戻らない』と言っていたし、余程好きでもない男と結婚するのが嫌みたいだ。まぁ、皇族や貴族と言えどそういった心の動きがあってもおかしくはないと思うけど。
あるいはそういったことを当然のこととして受け入れられる者が皇族や貴族としての素質があるのかもしれない。
「元気になったみたいで良かったです」
そんなことを考えていると、セツナが安堵したような声音で続きを口にした。
「聖戦の真実や、勇者の末路を聞いた時に激しく動揺して、憔悴した顔をしていましたから」
「……悪い。心配かけた」
謝ると、セツナは首を横に振った。
「気にしないでください。それに、突破口は見付かったんでしょう?」
「セリカのおかげでな」
「ダンジョンの転移魔法陣を解析する必要があるんですよね」
「あぁ。でも俺だけじゃ難しくてな。……手伝ってくれるか?」
問うと、セツナは嬉しそうにニッコリと笑った。
「何を今更。そのための仲間じゃないですか」
即答だった。
仲間なのだから助け合う、協力し合う、手を貸す。こういうことを臆面もなく言えるのだから彼女たちは優しいと思う。本当、俺には勿体ないくらい優しい子たちだよ。
そんな彼女たちの存在をありがたく感じ、嬉しくなって笑みを深めていると、念話を終えたらしいクレハがこちらへにじり寄ってきた。四つん這いの状態で近付いてきているのだが、その妖しい肢体のせいで無駄に色香を撒いている。
ここぞとばかりに誘うように体をクネクネさせて近寄るのは止めてくれないかな。
「兄上様、イザベル経由でフレネル辺境伯から連絡がありましたわ」
「バジルさんから? 何て?」
「『ご希望に沿う物件がいくつか見付かったので、戻り次第確認してほしい』とのことですわ。本当は数日前に見付かったらしいのですが、わたくしたちはアルフヘイムにいましたから」
「あー」
国土防衛結界【妖精郷】に阻まれて念話が届かなかったか。
だからクレハは『妖精の脇道』を抜けてから念話を使ったんだな。
「じゃあ戻ったら早速みんなで見てみるか」
「では、そのように伝えておきますわ」
「頼む」
これから俺たちの拠点となる家か。
どんな感じなんだろう。今から楽しみだ。
馬車から顔を出して進行方向を見る俺は、視線の遥か先にあるカルダヌスへ思いを馳せたのだった。




