第126話 光明を見出す
結局、俺は地下礼拝堂で一夜を明かした。
俺の周りには大量の本が積み重なっており、俺が座っている長椅子はおろか、その後ろ二つ分も占領している。さすがに床へ置くのは憚れたのだが、いくら何でも積み過ぎた。戻しておかないとな。
この場には俺以外は誰もいない。昨日の夕暮れ時まではセツナたちも手伝ってくれていたのだが、さすがに女の子としてはシャワーも浴びずに一夜を過ごすのは我慢ならなかったらしい。
俺としてもさすがに夕飯と風呂は済ませておきたかったので一度地上に上がった。セツナたちはそのまま眠りについたが、俺はすぐここへ舞い戻って調べ物を続行したわけだ。
今は朝の一〇時くらいかな? 今頃彼女たちは各自で行動していることだろう。
セツナは髪の色を変える魔道具が壊れてしまったので、付与魔術が使えるミオと共に認識阻害の効果を魔道具の作製。クレハは『灰色の闇』を招集して撤収の準備。セリカは自宅に戻って母親と共に荷造り。
と、各々でやることがあるので、そっちを優先してもらった。みんな何だかんだと理由を付けて手伝おうとしてくれたけどな。でもやることを放り出してずっと俺の手伝いをしてもらうわけにもいかなかった。
「……ん、んぁああ~」
机もないので猫背の状態で本を読んでいた俺は背筋を伸ばして首の関節をコキコキ鳴らす。首がもげるんじゃないかと思うほど豪快な音が鳴ったが気にしない。
ずっと同じ姿勢だったせいか、体のあちこちが強張っている。軽くストレッチをしつつ、俺は現時点で得た情報を頭の中で整理する。
まず、二代目以降の勇者たちは誰一人として穏やかな最期を迎えることはなかったという話だが、その詳細を記した大量の本が見付かったことで疑う余地なく確定した。
当然、その本を書いた人物はその代によって違うし一人で当時の勇者全員分を書き残したわけではないが、二代目から一五代目、そしてその時代に生まれたアストラル勇者の生涯が事細かく記録されていた。
どんな旅をしたのか。どんな問題を解決したのか。どんな戦いをしてきたのか。どんな人々と出会ったのか。どんな気持ちで『勇者』という役割を全うしたのか。それを知ることができた。
ただ、少し感情移入し過ぎたかな。
勇者たちが、自分たちが邪神を復活させるための生け贄だと知った場面や、その最期がどうなったのかを読んだ時は、克明にその時の情景が書かれていたせいで胸が締め付けられそうになった。
……というか、だ。
「勇者だけじゃなくて魔王も酷い死に方をしているじゃないか」
勇者の他に、七大魔王側のことが記された本も見付けて読んだのだが、書かれていた内容がこれまた理不尽極まりない。
何せ、七大魔王はただ同族である魔族たちを束ねて自らの国を統治していただけなのに、それまで何の関わりもなかった勇者にいきなり戦いを挑まれて死んでいったのだから。
勇者が魔王を倒すことを義務付けられた存在だからというのもあるのだろうが、周りの印象操作で魔王が悪役に仕立て上げられたのが大きい。
もちろん、歴代の七大魔王の全員が良き王だったわけじゃない。中には圧政を敷く魔王や、他国へ攻め込む好戦的な魔王もいた。例えば先代の七大魔王第四席『戦鬼』羅門とかな。
魔族の妖怪種に分類される、大嶽丸という種族である彼は政治に興味がなく、ただひたすら戦いを望んでいたらしい。そのせいで内乱と勇者たちによる強襲によって討伐されたのだとか。
そんな統治をしていたら反乱を起こされて当然だ。人間族側は『だから魔王は悪なんだ』と主張するだろうが、よくよく考えると人間族の王でも同じようなことをする者はいる。
これだけのことで魔王だけを絶対的な悪だと声高にすることはできない。どの種族も変わらないのだ。善行を積む者もいれば、悪行を重ねる者もいる。そこはきちんと理解しておかないといけない。
とはいえ羅門のような魔王でなくても、情報操作による勘違いと行き違いのせいで両者は戦う必要なんてないのに戦いを強いられてしまったのは事実だ。
「……はぁ」
異界勇者だけでも五六〇人分、アストラル勇者や歴代七大魔王も合わせれば九〇〇人以上。その全員の酷い死に様を読み進めていくのは中々に苦行だった。
ただ、そのおかげで分かったことがある。
勇者や魔王たちが凄惨な最期を迎えた時、そこには必ず邪神教徒がいた。
始めの方から一緒にいた場合や途中から行動を共にした場合と様々だが、絶対に邪神教徒は勇者の傍にいる。魔王側にいないのは、勇者の方にいれば自然と魔王に辿り着くからだろう。
その邪神教徒が勇者に張り付いている理由はもちろん、勇者や魔王を絶望のどん底に叩き落して、負の感情を収集するためだ。
勇者や魔王が争えば、それだけで戦争が起こって負の感情が生まれるし、勇者と魔王の両方が相打ちにでもなれば、両方からより強い負の感情を集めることができる。
読んだ大量の資料によれば、むしろ邪神教徒はそれを狙って、魔王が倒された直後の隙を突いて勇者を殺す、なんてこともしていた。
信じていたのにいきなり後ろから刺されて裏切られたら、確かに絶望するよな。
「……ただ、そうなると」
今代の異界勇者。アイツらの近くにも邪神教徒がいる可能性が高い。
一体誰だ?
勇者の召喚を強行したカーエル王か? それか戦闘訓練担当のウィリアム? それとも魔術訓練担当のシュナイゼル? あるいは第一王子のバートランド? 第二王子のギデオンや第二王女のカーラという可能性もあるか? まさかリリア姫ってことはないよな?
怪しい行動をしていたのは誰だったか思い返してみるが、確たる証拠がないので断定できない。誰にでもその可能性があって、疑い出せばキリがない。
……仕方ない。オクタンティス王国に潜伏中のヘルマン・ニーズヘッグとカミラ・リンドヴルムの二人に、勇者たちが死にそうになっていたら知らせるようにしてもらうか。
アイツらを助けるということに思うところはあるが、むざむざと死なせたら邪神教徒の思い通りになってしまうし、何より勝手に死なれたら俺を殺そうとした『アイツ』にケジメを付けさせることができなくなる。それはちょっと面白くない。
多少の不満はあっても、より大きな結果を望むなら我慢するしかないな。
長椅子から腰を上げると、ちょうどそのタイミングでセリカが礼拝堂に入ってきた。
「おはよう、セリカ」
「おはようございます、ご主人様。とはいっても、もうお昼前ですが」
「あぁ、やっぱりもうそんな時間になっていたか。……ん? ちょっと待て。今、俺のことを何て呼んだ?」
「ご主人様、です」
「……何でまたそんな呼び方を? しかもその姿」
彼女の服装に目を向ける。
今の彼女はこれまでのような狩人姿から一変してメイド服姿であった。
だが現役の近衛侍女たちが着ているような鎧とメイド服を組み合わせたようなアーマーメイド服ではない。
アップヘアーにした翡翠色の髪を彩るホワイトブリムに、白と黒で配色されたエプロンドレスといった、スカート丈の長いスタンダードでクラシカルなメイド服だった。
「私には似合わなかったでしょうか?」
「そんなことはない。丈の長いスカートやタイトなパンツを好むセリカらしいデキる大人の女性って感じで良く似合っている」
地球ではミニスカのメイド服なんて物もあるが、個人的にアレは邪道だと思う。
生足にはそれはそれで良さがあるのは認めるが、メイド服に関しては安易に足を出すなんて言語道断。長いスカートで隠されているからこそ、そこにロマンが生まれる。
メイド服はロングスカートの方が映えるのだっ!!
そういう意味ではセリカのメイド姿は実に良い。彼女は元々貞淑さを感じさせる雰囲気を出していたから、それも相まって長いスカートのメイド服は彼女の魅力をグッと引き上げている。
ただ俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて、何でそんな格好をしているのかってことなんだけど……セリカさん? 小さくガッツポーズしてないで答えてくれません?
「俺の呼び方もそうだけど、どうしてメイド服なんだ?」
「皆様にお仕えするんですもの、当然です。それに私は名誉近衛侍女です。メイドとして振る舞うのが妥当かと思いまして」
「どういう理屈だよ」
仲間なのに使用人ってどういうこと? と頭を悩ませる俺だったが、気を取り直して彼女に聞く。
「それで、どうしてここに?」
すると、スッとセリカが何かを差し出してきた。
手にあるのは俺の服だった。一見すれば綺麗に洗濯されているように見えるが、よく見れば所々を繕った跡がある。
一昨日の戦闘でボロボロになってしまったのだが、俺を含めてセツナ、ミオ、クレハの服をセリカが修繕すると言ったので渡したのだ。
修繕が終わったから届けに来てくれたのか。……でも、早過ぎやしないか? 渡したのは昨晩で、しかも四人分だぞ。
彼女は荷造りもしないといけなかったはずだから、俺は出来上がるのはカルダヌスに戻ってからと思っていた。
まさかこんなにも早く終わらせてくるとは予想外だ。しかもこんな短時間でここまで違和感なく修繕するとは。さすが生産系レアスキルの【服飾系手芸】を持っているだけはある。
「お召し物をお持ちしました」
「随分と早いな。ありがとう、セリカ」
「ただ、皆様の上着に関しては損傷が激しく、修繕はしましたが付与されていた【温度調節】の魔術の効力は失っています。さすがにそちらを復元することはできませんでした」
「それなりに丈夫なヤツだったけど、瘴精霊との戦いは激しかったからな。仕方ないさ」
それにセリカは付与魔術は使えない。復元できなくて当然なのだ。
「ミオに付与し直せるか聞いてみるか。……それか新しいのを買った方が早いか?」
結構高かったから、付与し直せるならそれに越したことはないんだけど。無理なら新しく買い替えるしかないな。
「でしたら私が一から仕立てましょうか? 【服飾系手芸】スキルを持っていますので、質の良い上着をご用意できます。付与スロットも二枠までは確約できますよ」
驚くようなことをサラッと提案された。
付与スロットとは平たく言えば付与魔術で付与できる枠のことだ。
付与スロットが多いほど多様性に優れた魔道具を作り出せるため、道具としての価値は高い。また、付与スロットを多く設けるためには高品質あるいは希少な素材で作る必要があるという一面も、価値が高い所以だ。
付与されていない状態だとしても希少素材で作られたというだけで高値で取引されることもあるが、必ずしも付与スロットが確保できるわけではない。場合によっては作製の段階で付与スロットの確保に失敗して、ただの道具になることだってある。
そうなれば価値は半減。大損してしまうため、職人たちは細心の注意を払って作製に当たる。これは付与を行う付与魔術師にも同じことが言える。せっかく付与スロットを確保しても肝心の付与に失敗したら目も当てられない。
腕の良い職人でも失敗することがあるのに、彼女はそれを二枠も用意できると断言した。
彼女の作成した作品が一級品であることは承知の上だし、生産系レアスキルを持っていることも知っているが、それでも驚きだ。
とはいえ彼女が物自体を作ってくれるなら付与魔術はミオに任せれば良いので、出費は材料費だけになるから新しい物を買うよりもずっと安上がりだ。
「だったら頼もうかな」
「承知しました。デザインは如何致しましょう? 前と同じようなデザインでよろしいでしょうか?」
「俺はそれで構わないけど、セツナたちにも聞いてもらえるか? そういったデザインのセンスは俺にはないんだ」
学校の美術の授業じゃ、五段階評価で最低の一だったからな。既存のものを真似たり組み合わせたりするならまだしも、一から手掛けるのは無理だ。
「素材はどうする? 付与スロットを二枠も確保するにはそれなりのものが必要だろ?」
「それについてはご安心を」
彼女が片手を前に出すと、スカートのポケットから何かが出てきて、それは腰、肩、腕と順に移動し、最終的に彼女の手のひらの上に収まった。彼女の手のひらの上にいるのは、手のひらサイズの蜘蛛。フィル・アレニエと呼ばれる無害な魔物だ。
「ケダマと言って、私の飼っている魔物です。普段は私の弓の弦に使っているのですが、この子は質の良い糸を出してくれるので、良い上着が作れますよ」
魔物を飼っていたのか。まぁ、オクタンティス王国にはリーフウルフっていう狼型の魔物を飼っている御夫人もいたので別に不思議なことじゃない。ただ、その名前が気になった。
「……ケダマ?」
「はい。私が名付けました」
「………………………………………………………………そうか」
セリカ。ネーミングセンスはなかったんだな。
お前はそれで良いのかとケダマ当人に視線を向けるが、両前足を上げて肩を竦めるような反応を示した。もう諦めたってことかな。ていうか意外と気さくな反応をするんだな。
それはそれとして、彼女の言うように素材にも困らないのであれば、ただも同然で性能の良い上着の魔道具を用意できることになるので、彼女にお願いすることにした。
「……一晩中調べ物をしておられたのですか?」
長椅子三つに積み上げられた本の山を横目で見つつ聞いてきた彼女に肩を竦めると、呆れたように溜め息を吐かれた。
「焦るのも仕方ありませんが、根を詰め過ぎても良い考えは浮かびませんよ?」
「平気さ、何せ半人半龍だからな」
必要な一日の睡眠時間は四時間ほど。そのおかげでちょっと徹夜しても然程問題はない。それにちょうど休憩を取ろうと思っていたところだしな。
半人半龍といえば、龍にも人にもなれる俺は分類的には爬虫類と哺乳類のどっちになるんだろう? 完全な人間族になったら哺乳類で、完全な龍族になったら爬虫類に分類されるだろうけど、半々だといまいちどうなのか分からないな。
「………………」
いかん。疲れて思考が変な方向に飛んでいる。一度地上に上がって、本格的に休憩してリセットした方が良さそうだ。
そうは言ってもこのままの状態にしてはおけない。読んだ本の山を本棚へと戻す。
「調べ物の進捗は如何ですか?」
「……ん~」
作業を手伝って、共に本を戻してくれているセリカからの問いに何とも言えない反応になってしまった。
「勇者や魔王についてはある程度のことは分かったけど、やっぱり地球に帰る方法はないらしい。初代はそもそも転移じゃなくて転生だし、二代目以降は全員アストラルで死んだみたいだから。欠片も手掛かりはなかったよ」
「そう、ですか。空間ではなく世界を転移する方法ですもの。そう簡単に手段が見付かるわけがありませんか。それこそダンジョンの転移魔法陣なんかとは比べ物になりませんよね。規模からして違いますもの」
「はははっ。そうだな。いくらダンジョンの転移魔法陣でも……」
と、俺は途中で言葉を止めた。
ダンジョンの……転移魔法陣?
「そうだ。……そうだよ! ダンジョンの転移魔法陣だ!」
「えっ!? な、何がですか!?」
抱えていた本を床に落とし、俺はガシッ! とセリカの両肩を掴む。いきなりのことに彼女は身体を強張らせ、顔を赤らめて驚いていたが、俺はそれに構ってはいられなかった。
声にすることで考えをまとめるように、しかし興奮のままに言葉を続ける。
「ダンジョンの中から外への一方通行だけど、アレは空間そのものを飛び越える魔術だ! あぁ、あぁ! そうだ! 空間を飛び越えるなんてことができるなら世界を飛び越えることだってできるじゃないか!」
もちろん言うほど単純な話ではないだろう。
ダンジョンにある転移魔法陣は複雑で高度過ぎてほとんど解明されていないので、いまだに転移の魔術は確立されていないのが現状だ。魔道の申し子たるセツナに協力してもらったとしても、きっと解析は難航する。
けれど転移そのものは実現されている。ならば不可能なことじゃない。
それに別空間にあるという裏ダンジョンや亜空間を作り出して物を保管する『虚空庫の指輪』。これの構造や魔術の術式を調べれば、別空間への移動方式だって分かるに違いない。
「転移魔法陣に裏ダンジョンや『虚空庫の指輪』の亜空間形成と別空間への移動方式! それを調べて規模を拡張していけば地球への転移だって現実味を帯びてくる! はははっ! 何で今の今まで気付かなかったんだ! 届く! どれだけ時間がかかるかは分からないが、それでも手の届く場所に答えはある! 解決の糸口はすぐそばにあった!」
いつの間にか俺は彼女の肩から手を離し、代わりに彼女の両手を包むようにして握っていた。
「ありがとう! ありがとう、セリカ! お前のおかげで光明が見えた!」
「そ、それは良かったのですが。その、ちょっと、こう、なんと言うか一旦落ち着いて頂ければ嬉しいのですが。いろいろと私の許容量がオーバーしそうなので」
両手を握ってブンブン振り回していると、何やらセリカが恥ずかしそうに頬を赤らめてそっぽを向いていた。かなり一杯一杯そうだが、今はこの喜びを彼女に伝えたい。何せ彼女のおかげで諦めなくて済んだんだから!
結局セツナたちが呼びに来るまでの間、俺はずっと戸惑う彼女を振り回していたのだった。




