第125話 『知る』ことは時に苦痛を伴う
『勇者』とは世界を救う存在であり、『魂魄等級』という魂のクラスが『勇者クラス』である者だけが成れる存在だ。
これは現在でも変わらない条件だが、初代異界勇者たちと二代目以降の異界勇者たちでは異なる点が存在する。
一つ目は、二代目以降の異界勇者が地球から召喚された『勇者クラス』の魂魄等級を有する生者であり転移者であるのに対し、初代異界勇者はかつて地球で活躍した『勇者クラス』の魂魄等級を有する英霊――つまり死者であり、アストラルで新たな生を受けた転生者であること。
二つ目は、二代目以降の異界勇者たちは同意もなく強制的に召喚されるが、初代異界勇者たちは同意の上で転生していたこと。
三つ目は、二代目以降の異界勇者たちの使命が『魔王』を倒すことだが、初代異界勇者たちは『邪神』デズモンドを倒して世界を救うことを使命としていること。
元々、『女神』アレクシアは『勇者』の召喚は聖戦での一回のみにするつもりでいた。だが『勇者システム』を乗っ取った『邪神』デズモンドが後に何度も召喚されるようにその仕様を書き換えたのだ。
ではどうして『邪神』デズモンドは何度も『勇者』を召喚するようにしたのか。それは『邪神』デズモンドが封印を破るために必要だからだ。
最上級神を始めとした数多くの神々が『要』となることで『邪神』デズモンドを封印したが、この封印を破るためには並大抵の力では不可能である。それこそ当時の『邪神』デズモンドでも容易なことではない。
なので『邪神』デズモンドは自らの力を強化するために負の感情を信者たちに集めさせた。
負の感情は誰でも抱きやすく、それでいて簡単に強い感情を抱くそれを『邪神』デズモンドは注目し、それを己の力の糧とした。
これは死霊魔術でも怨念を集めることで魔術の威力や精度を上げる理論が使われているので、それを応用すれば只人でも負の感情を集めることは可能だ。
そのため邪神教徒は各地で悲劇を起こしている。負の感情を生み出して集め、それを『邪神』デズモンドに捧げるために。
『勇者』が何度も召喚されているのは、『勇者クラス』、『魔王クラス』、『英雄クラス』といった高いクラスの魂魄等級を持つ者が抱く負の感情がより強力だからに他ならない。少しでも強い負の感情を集めるために、異界勇者を何度も召喚し、アストラル勇者を誕生させているのだ。
そんな重要な存在をわざわざ手放すようなことはしないし、それに元々の仕様が英霊を『勇者』として転生させるシステムであったため、召喚された異界勇者を元の世界に帰す方法なんて存在しない。
もう分かるだろう。
召喚された異界勇者を元の世界に帰す手段はなく、異界勇者に限らず全ての歴代勇者たちは、一人の例外もなくアストラルで凄惨な死を遂げた。
あるいは愛する者を殺された者。
あるいは信じた仲間に裏切られた者。
あるいは一般人から理不尽に糾弾された者。
あるいは『魔王』以上の脅威とされて処刑された者。
あるいは薬漬けにされて死ぬまで戦わされた者。
あるいは気が触れて無残に殺された者。
誰も彼もが穏やかな最期を迎えることができなかった。それもこれも、『邪神』デズモンドが『勇者システム』を歪めてしまったから。そのせいで、『勇者』は『邪神』デズモンドを復活させるためだけの生け贄に成り下がってしまったのだ。
真実を求めてこの本を開いた者よ。これが、『勇者』に関する真実だ。
――『死霊魔術師』セドリック・ハートフィールド著、『勇者に関する今と昔の差異について』
「……」
書かれている内容に目を通し、眩暈がしてたたらを踏んだ俺は長椅子に足を引っ掛け、そのまま尻餅を付くように座った。
そんな俺を心配してかセツナたちが近寄って何事か言っているが、今の俺の耳には入ってこない。今知った事実で頭が一杯だった。
異界勇者を元の世界に帰す方法はない?
そもそも仕様になかったから存在すらしない?
しかも勇者は、邪神を復活させるための生け贄?
「……そんなのって、ないだろ」
これはあまりにも救いがなさ過ぎる。
それじゃアイツらは、こっちの世界でいつ邪神の生け贄になってしまうかびくびく怯えながら生きていくしかないのか。
どうすれば良い。どうすればこの理不尽を覆すことができる?
……駄目だ。分からない。頭がきちんと動いてくれない。考えがまとまらない。
ぐるぐると同じことを考えていると、バチィ! と俺の体を雷撃が貫いた。
「ガハッ!?」
――【雷耐性】スキルを獲得しました。
な、んだ? 何が起こった!?
いきなりのことに驚き、スキル獲得のアナウンスも無視して意識が無理やり内から外へと向けられる。気付けば、ミオが俺の胴回りに抱き着いていた。
「……お師匠様、大丈夫?」
小首を傾げ、見上げるようにして聞くミオ。無表情だったが、その声音には不安の色が滲み出ている。
さらに視線を周囲に向けると、セツナ、クレハ、セリカも同様に心配そうに俺のことを見ていて、「はぁ」と安堵の息を漏らした。
「良かった。急に黙り込んだと思ったら過呼吸になったから心配したんですよ、先輩」
「過呼吸に?」
全く気付かなかった。
どうやら知らぬ間にパニックを起こしていたようだ。過呼吸になったことで異常だと判断して、ミオの雷撃でショックを与えて意識を余所へ向けさせてくれたらしい。
「あぁ、大丈夫。ありがとう」
でもちょっと心の平穏を取り戻したいので、ミオを抱き締めてモフモフを満喫する。その時にミオの『ふにゃっ!?』と慌てふためく可愛らしい声が聞こえたが、ちょっとだけ我慢してもらおう。
「「「…………」」」
何やら三人が羨ましそうな目で見ている気がする。
彼女たちもミオでモフモフしたかったのだろうか?
申し訳ないが今は俺に堪能させてほしい。
体勢を変えてミオを膝の上に乗せて、後ろから猫耳と尻尾を触ってSAN値を回復していると、ティターニア女王が近寄ってきた。
「もう大丈夫のようですね」
「取り乱したようで、すいません」
自覚はないんだけどさ。
「事が事ですからね。それも仕方ありません。昔、ここへ招いた勇者たちにも同じ物を読ませましたが、似たような反応をしましたから」
「歴代の異界勇者たちもここに?」
「異界勇者だけではなく、アストラル勇者もですね。アルフヘイムに来た勇者には閲覧できるようにしていますから。……それでも、彼らが悲劇に巻き込まれるのを防ぐことはできませんでしたが」
忸怩たる思いでティターニア女王は語る。彼女からしたら、止められたかもしれないのに止められなかったのだから、その分悔しさも増しているのだろう。
「本当に、過去の勇者たちは碌な目に合わなかったんですね」
「えぇ。彼らはみんな、邪神教徒が起こした悲劇によって凄惨な最期を遂げました。中には、このアルフヘイムで死んだ勇者も何人かいます」
アルキンと同じく、邪神教徒がアルフヘイム国民として紛れ込んでいたのだろうか。
「邪神教徒を見付けることはできないんですか?」
「難しいですね。巧妙に隠れていますから、こちらから見付け出すのはほぼ不可能です。わらわたちも手掛かりを掴もうと、過去に何度か現れた邪神教徒を捕まえて尋問を行いましたが、有力な情報は得られませんでした。どうやら彼らの間ではこのアルフヘイムは島流しのような扱いになっているようで、切り捨てられる寸前の邪神教徒ばかりが現れるのですよ」
それはおそらく聖戦時代から生きているティターニア女王がいるからかもしれない。彼女に見込みがなくなった信者を始末してもらう腹積もりでアルフヘイムに潜伏させていたのかもしれない。あるいは、信者として相応しいかどうかのテストを兼ねているのか。
アルキンを始末した教皇と呼ばれた者の言葉からは、そんな意図が見え隠れしていた。
となると、切り捨て候補の者やテストを受けている者に自分たちに繋がるような情報を与えはしないか。
「……異界勇者が元の世界に帰る方法も?」
「……残念ながら」
ない、か。
オクタンティス王国の国王であるカーエル王は魔王が帰還方法を知っていると言っていたが、これに関しては嘘だろうと思っていたので期待なんてしていなかった。
期待は、していなかった、が……正直、それでも何かしら手段はあるんじゃないかと思っていた。来ることができるなら帰ることができて当然なのだ。完全な一方通行であってたまるか。
それなのに、ここに来て真正面から潰されてしまった。帰還方法を用意すらしていないのでは手の打ちようがない。
一から何かを作り出すことはできても、〇から何かを生み出すことはできない。そんなことができるのは、それこそ神くらいだ。
気持ちが再度沈みかけたのでミオの猫耳を弄ると、彼女はくすぐったそうに身をよじった。
「…………」
帰還方法は存在しない。その事実を突き付けられたというのに、俺はまだ諦め切れないらしい。それでもどうにかできないかと知る限りの知識をかき集めて、帰還する術を探している自分がいる。
我ながら、呆れるほどの諦めの悪さだ。
自嘲気味に笑いそうになったが直前で思い留まると、ティターニア女王が俺に何かを差し出してきた。
「これは?」
差し出されたのは、ティターニア女王が礼拝堂の両サイドにある本棚を出す時に封印の台座に差し込んだのと同じ木札だった。
意図が分からず首を傾げてティターニア女王を見ると、彼女はこう言った。
「この地下礼拝堂の合鍵です」
ますます分からなかった。そんな物を俺に渡してどうしろというのだろうか?
「わらわはアナタに分かりやすく伝えるためにその本を読んでもらいました。けれど、聖戦とそれに関わることはそれだけじゃない。まだまだ資料はこんなにあるんです。ここにある資料を読み進めていけば、もしかしたら固定観念に捉われたわらわたちアストラルの者では気付けない突破口を見付けることだってできるかもしれないでしょう?」
「……」
その考えはなかった。
たしかに、この一冊を読んだだけで全てを決めるのは良くない。ここにある資料を読むことで何かしらインスピレーションを得る可能性だってゼロじゃない。
ならばと、俺は礼拝堂の合鍵を受け取る。何か魔術的な処理を施しているようで、木札の両面には流線的な模様が描かれていた。
「……正直ありがたいですけど、こんな重要な場所の鍵を俺なんかに渡して良かったんですか?」
「ここに来た者にはいつでも出入りできるようにしているので構いませんよ。……まぁ、出入りの許可だけでなく合鍵まで渡したのはミシェルに『力になってあげて』と言われたからですけど」
「?」
聴覚を普通の人間並みにしているせいで後半に何て言ったのか聞き取れなかったが、まぁ良い。
もう数日はアルフヘイムにいるので、ティターニア女王の言うようにそれまでのごくわずかな時間でもここで調べ物をするとしよう。たかが数日程度で何か進展するとは思えないけど、それでも何もしないよりはずっとマシなはずだから。




