第124話 残酷な真実
◇◆◇
夕刻。
俺――雨霧阿頼耶はティターニア女王に連れられて、王城の地下へと赴いていた。俺の背後にいるのはセツナ、ミオ、クレハ、そしてセリカの四人だ。
そう。セリカは正式に俺たち『鴉羽』メンバーの一員となった。
言われた時は驚いたし、母親と一緒にいた方が良いのではと心配したのだが、そこは母親も納得しているらしい。むしろ進んで送り出そうとしていた。
当人たちが納得しているのなら余人が口出しすることじゃないだろうということになり、俺たちは快くセリカを向かい入れた。
性格的にも好ましく、遠距離攻撃が可能な人材であるため、正直セリカが仲間になってくれるのは嬉しかった。
ちなみに、その時にセリカが『だって、一緒にいる幸せをくれるのでしょう?』と誤解を招くことを言ったせいでちょっとした不穏な空気になった。まぁ、それもどうにか誤解は解けたので何とかなったけどさ。
ついでに言うと、誤解を解いた後に女性陣だけで何かを話していた。
『もしかしてセリカさんも……が……なんですか?』
『な、何で…………ご迷惑……?』
『まさか。それならセリカさんも私たちと一緒に……』
『え? じゃあ皆様も彼のことが……?』
と、聞き取りにくかったせいで何を話していたのかはさっぱりだが、以前よりも打ち解けて距離が縮まっていたので、まぁ心配するようなことはないだろう。必要なことなら俺にも言っているだろうし、内緒の話なら尚のこと聞くわけにもいかないし。
……話を戻そう。
現在地は王城の地下・最下層。
長い長い螺旋階段を降り、俺たちは石造りの廊下を進んでいる。両サイドの壁に備え付けられた照明の魔道具があるからそれなりに明るいが、それでも足元はよく見えない。気を付けなければうっかり躓いてしまいそうだ。
前方を歩くティターニア女王は慣れているらしく、その足取りはスムーズだ。
そんな彼女の後ろ姿を眺めて歩いていると、八畳ほどの広さがある空間に辿り着いた。先ほどの石造りの廊下よりも明るいのは、目の前にある巨大で精緻な魔法陣が淡い光を放っているからか。
魔法陣は石壁一面に描かれているが、よく見ればただの石壁じゃない。わずかだが、上から下へと縦に溝が見える。おそらくは巨大な石造りの扉をあの魔法陣で施錠しているのだろう。
ふとセツナの方へ視線を投げると、彼女は何故か目をキラキラさせていた。
「(わぁ! わぁ!! 凄い! 何ですかこの魔法陣! 術式や構成どころか使っている言語すら分かりません! ルーン文字でも精霊文字でもエノク語でもない! 一体どんな言語を? いいえ、それよりもこの魔法陣に使用されている魔力は一体どこから賄っているんでしょうか? それだけでも謎なのにこんな膨大な量の書き込みで魔術が成り立つんですか? 軽く見ただけですけど、それでも一割も理解できないなんて凄過ぎます!!)」
何だか軽くトリップしていた。
魔道の申し子からしたら、この魔法陣はそれだけ凄まじいもののようだ。
「――――」
そうしている間にティターニア女王は魔法陣に手を置き、呪文のようなものを唱えた。何と言ったのかは聞き取れなかったが、直後にガコン! と何かが外れる音がして、石造りの扉が重量感のある音を立てながら左右に開いた。
奥にあるのは礼拝堂のような場所だった。地下だというのに随分と広々としていて圧迫感がない。
「ここは聖戦が終わった頃に、当時の聖戦の記録を残すために作られた礼拝堂です。アナタが手にした『聖剣』デュランダルを封じていた場所でもあります。……あの正面にある台座がそうですね」
ということは、ここは五〇〇〇年前からずっと存在する場所ってことか。
規則正しく並べられた木製の長椅子に、等間隔に整然と立つ支柱、自ら光を放つステンドグラス、左右の壁に描かれた壁画。どれも五〇〇〇年前から存在しているとは思えないほど綺麗に保たれており、それだけでここにある物がどれも普通ではないことが分かる。
こんな地下深くにあるというのに、金属コンクリートの類を一切使わずに天井と壁がその圧力に耐え切っているのがその証拠だ。
それは後ろにいるセツナたちも理解したようで、セツナは五〇〇〇年という長期の状態保存を可能にしている魔術的価値に、ミオはステンドグラスなどの芸術的価値に、クレハはその歴史的価値に、セリカはその場所の重要度に、各々が圧倒されていた。
こんな所に連れて来て、ティターニア女王は何を話すつもりなのだろうか?
「アラヤ君。アナタは聖戦についてどれだけ知っていますか?」
疑問に思っていると、不意にティターニア女王が問い掛けてきたので、知っている限りのことを答える。
「五〇〇〇年前、世界を滅ぼそうとした『魔王』ルシファーが起こした戦争です。彼に同調した者たちと、後に『救世主』と呼ばれるようになる英雄たちが熾烈な戦いを繰り広げ、そして『救世主』たちが勝利したことで世界に平和が訪れた」
これが一般的に知られている聖戦の概略だ。俺の回答は正しかったようで、『そう』とティターニア女王は肯定する。
「それが世間一般に知られている聖戦の内容です。……ですが、それは誤りなのです」
中央に敷かれた厚めの赤い絨毯の上を進み、デュランダルを封印していたという台座の前まで移動したティターニア女王は、くるりと身を翻してこちらへ向き直る。
「聖戦を引き起こしたのは『魔王』ではありません。それどころか、『魔王』も世界を救うために我々と共に戦った『大英雄』の一人なのです」
予想だにしなかった言葉に、俺たちは目を丸くする。
「『邪神』デズモンド。二柱存在する至高神の内の一柱――破壊を司る神が、聖戦を引き起こした張本人です」
それは、五〇〇〇年という長きに渡って語り継がれてきた聖戦の常識を根底から覆す言葉だった。
◇◆◇
五〇〇〇年前に起こった、世界の趨勢を左右した戦争――聖戦。
当時の『魔王』ルシファーが自身と同調する者たちを従えて、世界を滅ぼそうと戦いを起こしました。ですが、それに抗う者たちがいました。
異世界である地球から召喚した四〇人の異界勇者とアストラル勇者の五九人を合わせた、計九九人の勇者たち。
一つの属性に特化した『三大巫女姫』の『召喚の巫女姫』、『精霊の巫女姫』、『付与の巫女姫』。
英霊の力を受け継いだ『選定者』の『聖騎士』ミシェル・ローラン、『剣豪』沖田総司則正、『聖職者』クリフォード・ゲオルギウス、『魔術師』ハミッシュ・アレイスター・クロウリー、『錬金術師』グロリア・パラケルスス、『贋作師』ステファニア・カリオストロ、『召喚師』セオフィラス・ソロモン。
各種族を束ねた『大英雄』の『大帝』アドルファス、『黒龍王』バハムート、『妖精王』オベイロン、『獣王』シンハ、『巨人王』ウートガルザ・ロキ、『天使長』ミカエル。
彼らを筆頭に多くの英雄たちが猛々しく戦い、そして勝利したことで世界は滅亡を免れました。それが世界に普及している聖戦の伝承です。
しかし真実は違う。敬うべき『大英雄』はもう一人いた。
各種族の中で最も狡賢く、しかし契約には真摯な魔族たちの頂点に君臨する魔族の王――『魔王』ルシファー。
……そう。『魔王』は邪悪な存在なんかじゃありません。ただの、魔族を率いる王なのです。
それを『邪神』デズモンドは、『女神』アレクシア様が用意した『勇者システム』を乗っ取り、『魔王』を自らの身代わりにしたのです。そのせいで『魔王』は世界を滅ぼそうとした存在にされ、汚名を被ることになりました。
アレクシア様が『勇者システム』の乗っ取りを許してしまったのは、完全に隙を突かれたからです。
最上級神である『時空神』、『運命神』、『生命神』の三柱を始めとした複数の神々が『要』となることで『邪神』デズモンドを封印したのですが、その封印の間際に『邪神』デズモンドは『勇者システム』を乗っ取ったのです。
封印自体は成功したものの、『魔王』は七人に増え、『勇者』は『魔王』を倒すことを義務付けられ、聖戦の真実は歪められて世界に広まってしまった。完全に痛み分けです。
『魔王』が七人に増えたのは、『勇者システム』を乗っ取って自分の身代わりにするためにも辻褄を合わせる必要があったからでしょうね。『魔王』一人を相手に『勇者』九九人は明らかに過剰戦力ですから。
そして肝心なのは、『邪神』デズモンドは今もなお、自身に施された封印を解くべく信者たちを使って暗躍している。先のアルキン・カルドーネがそうだったように。
…………そんな深刻そうな顔をしないでください。大丈夫ですよ。今すぐ封印が解かれるなんてことはありません。アレクシア様から聞きましたが、よっぽどのことがない限り、少なくともあと七〇〇〇年以上は封印されたままです。
邪神教徒がどれだけ頑張っても、ね。
◇◆◇
「ともあれ、これがアナタたちに伝えたかったこと。聖戦の真実です」
ティターニア女王の話が終わり、俺――雨霧阿頼耶は深く息を吐き、礼拝堂の両サイドに同じものが描かれている壁画の、その片方に視線を投げる。
そこに描かれているのは当時の聖戦の様子だろう。大きな黒い影とそれに従う者たちに、それに立ち向かう神々と、二七人の『救世主』たちの姿。
二六人ではなく、二七人。
『救世主』側には二本の角と蝙蝠のような羽を生やした男性の姿が描かれている。彼が『魔王』ルシファーで、黒い影が『邪神』デズモンドというわけか。
ここに来る時にティターニア女王が『当時の聖戦の記録を残すために作られた礼拝堂』と言っていたが、こうやって壁画で残しているのか。いや、もしかしたらこの礼拝堂のどこかに文書で残している物もあるかもしれない。
さすがに壁画だけではさっきティターニア女王が話してくれた内容を読み解くことはできないからな。
「『邪神』が『魔王』を自分の身代わりにしたのは、封印後の活動を邪魔されないようにするためですか?」
「間違いなく。自分を討伐するための戦力を余所へ向けることができれば、自分は悠々と封印を解く作業ができますから。だからこそ『邪神』デズモンドは、『勇者』は『魔王』を倒すことが使命だと『勇者システム』を歪めたのでしょう」
こちらの世界に渡る前にアレクシアから聞いた話が、ようやく納得できた。
アレクシアが『邪神』のことを『魔の者』と呼称していたが、アレは一般的には聖戦を引き起こしたのが『魔王』とされていたからか。聖戦の真実を伝えることはできなかったが、それでも嘘のない範囲で言おうとした結果だったのだろう。
『勇者システム』についてもだ。あの時、アレクシアは勇者の召喚を止めることができないと話していた。何故、創造神である彼女ができないのか疑問であったが、それはシステムを用意したのはアレクシアでも、今はデズモンドにシステムを乗っ取られてしまったからだ。
アレクシアの制御下から離れてしまい、同じ至高神であるデズモンドの手中にあるため、今の彼女では【勇者召喚の儀式】そのものを止めることはできないのだ。
これらのことをアレクシアと『聖書の神』は『制限があるから言えない』と言って口にしなかった。あの時の状況や言葉から察するに、言えるのは精々が一般的に広まっている内容だけで、一般的に広まっていない且つ神が直接関わった事柄に関しては制限に引っ掛かるといったところか。
けれどここでなら話は別。
聖戦の記録を残すために作られたこの礼拝堂でなら、普通では知ることができない聖戦に関係する情報を得ることができる。ティターニア女王は神族ではないからそもそも制限に引っ掛からないからな。
であれば、
「歴代の異界勇者がどうなったのか、知りませんか? 地球に帰る手段があるのかどうか、俺はそれが知りたいんです」
「……」
少しの逡巡の後、ティターニア女王はどこからともなく木札のようなものを取り出し、それを封印の台座の表面にあった溝に差し入れた。
すると、ズズズッと引きずる音と共に左右の壁画が上へスライドする。壁画があった場所に現れたのは、古めかしい本で埋め尽くされた本棚だ。高さは天井に届くほど、横幅はそれこそ礼拝堂の奥から出入り口近くまでで、蔵書数はかなりある。
変化はそれだけでなく、礼拝堂の奥の台座を挟んで二つの扉が現れていた。
「これが、聖戦に関わるものを記録した資料です。礼拝堂の奥にもありますが、一先ずはここの資料だけでも充分でしょう」
言いつつ、ティターニア女王は本棚に近付き、そこから一冊を引き抜く。迷いがないことから、どうやら彼女はどこに何が書かれている本があるのかを全て把握しているようだ。
「聖戦はわらわたちが勝利しましたが、『邪神』デズモンドを滅するには至らなかった。そのせいで、後の世にわらわたちの不始末を支払わせる結果となりました」
当時のことを悔いるように、俺たちに正しく認識させるように、ティターニア女王は言葉を紡ぐ。
「これもその不始末の一つ。わらわたちが『邪神』デズモンドを滅することができなかったが故に生まれた罪過。……知れば、アナタはきっと絶望する」
まるで『言い伝えられているほど聖戦は有終の美を飾ったわけではない。それどころか禍根を残している』と言わんばかりに。
「それでも知りたいと言うのであれば、どうぞ、心して受け取ってください」
差し出された本を前にして、俺は受け取ることを躊躇った。
一体何が書かれているのかは分からないが、ティターニア女王の言葉だけで碌でもない内容が書かれていることは分かった。彼女の言うように、俺はショックを受けるかもしれない。
けれど、知る必要があるんだ。躊躇われるからと逃げていては、いつまで経っても状況は進展しない。前へ進むためにも、少しでも情報を集めなければならない。
それに俺は佐々崎さんと『クラスメイトたちを地球へ帰す』と約束を交わした。それを反故にするわけにはいかないし、何より委員長と姫川さんと修司の三人を少しでも早く地球へ帰してやりたいという気持ちがある。
「……」
深呼吸をし、意を決して本を受け取る。
中身を開いて、記された文字を目で追って……俺の喉は干上がった。
「……そん、な……嘘だろ」
“召喚された異界勇者を元の世界に帰す手段はなく、異界勇者に限らず全ての歴代勇者たちは、一人の例外もなくアストラルで凄惨な死を遂げた。”
受け止めるにはあまりにも辛過ぎる残酷な真実に、俺は奈落の底へ叩き落されたような衝撃を受けた。




