第123話 名誉近衛侍女
◇◆◇
阿頼耶たちがサフィニアと話し、ダンデライオンに追い打ちを掛けているその頃。
疲労で眠っていたセリカ・ファルネーゼがようやっと目を覚ました。
「……ここは?」
ぼんやりとした頭でセリカは上体を起こして周囲を見渡し、小首を傾げた。
天蓋付きの高級ベッドに、凝った意匠の燭台や扉。床に敷かれた絨毯も、置かれている机や椅子も見るからに上質な素材でできていて高価そうで、そこかしこに飾られている調度品なんて一ついくらするか分からない。
(客室みたいだけど、何で私がこんな所に?)
寝惚けて頭が回らないセリカであったが、しばらくすると事態を呑み込めた。
(あぁ、そうだった。昨日、治療と検査を受けて問題ないって言われたけど、何が起こるか分からないから、念のために王城の客室で一晩過ごすことになったんだった)
一晩経っても異常はなかった。ということはつまり問題ないということだ。客室にある時計を見ると、もう正午を過ぎていた。
(いくら何でも寝過ぎね。起きないと)
ベッドから出ようとしたその時だった。ガチャッと扉が開いたのだ。ノックも何もない。自分がまだ寝ていると思って、医療関係者が様子を見に来たのだろうと思ったセリカだったが、そこにいた人物を見て目を丸くした。
「あ、アザレア様!?」
入って来たのは、鎧とメイド服を組み合わせたような格好をしている侍女を二人伴った、『精霊の巫女姫』アザレア・フィオレンティーナ・ニコレッティだった。アーマーメイド服に身を包んだ二人の侍女は現役の近衛侍女だろう。
「あら。起きたのですね、セリカさん。……あぁ、そのままで構いませんよ」
急いでベッドから出て片膝を突こうとしたセリカだったが、アザレアに手で制されたので思い留まる。彼女が大人しくベッドに留まったのを確認したアザレアは侍女たちに指示を出し、椅子と机と紅茶を用意させる。
もちろん、セリカの分もだ。
出された紅茶を口に付け、セリカはどうしてアザレアがここに来たのかを考えるが、さっぱり分からなかった。彼女がわざわざここへ来る理由なんて思い浮かばない。分からず疑問を抱いているとアザレアが口を開いた。
「お体の調子は如何ですか?」
「え、あ、はい。それはもう大丈夫です。スタミナも回復しましたし、どこも不調はありません」
「それは良かった。彼らも頑張った甲斐がありますね」
彼ら、とは誰のことなのかはすぐに分かった。あの黒髪の少年たちのことだ。
「あの人たちは、無事なのですか?」
「大丈夫ですよ。すっかり回復しています。というか、アラヤさんとセツナさんはかなり重傷だったのですが、自力で回復してしまったのですよね」
アザレアは呆れたように溜め息を吐く。彼女の言葉を聞いたセリカもまた、彼女と同じ気持ちになった。アレだけ重傷を負ったのに自力で治すとは規格外にも程がある。
「えっと、それでアザレア様はどうしてこのような場所へお越しに?」
「アナタの様子を見に来たのが一つ。もう一つは先ほど会議で決まった、今回の事件に関することです」
となると、事後処理に関わる内容か。セリカも当事者なのでこれは知りたいことであった。居住まいを正し、アザレアの語る事の顛末に耳を傾けた。
今回の事件で真っ先に話し合われたのはその責任の所在だった。
瘴精霊を封入した魔水晶を使用したブルーベル・ガリアーノはまだ若いことと、知らずに使ったということも加味して、投獄の上で一〇〇年以上の強制労働となった。
もちろん、それを用意したアルキン・カルドーネも処罰の対象ではあるが、アルキンはすでに死亡しているので、こちらはどうしようもない。
だが、それだけでは終わらない。何せ事はアルフヘイム存亡の危機に陥った事件だ。その責任は当人だけでなく、その親類にも及ぶ。つまり、ブルーベルの父ダンデライオン・ガリアーノとアルキンの父親と伯父のジスルフィド・カルドーネも処罰の対象となる。
アルキンの父親は貴族位の剥奪と財産の一部没収、五〇〇年の懲役。
ジスルフィド・カルドーネは軍務大臣及び妖精兵団団長の地位並びにカルドーネ家当主の座の剥奪、財産の一部没収。
ダンデライオン・ガリアーノは全ての財産の没収の上、ガリアーノ家の取り潰し、そして仮釈放なしの終身刑。
このような結果になった。セリカは完全な被害者なので、もちろんお咎めなんてない。
「……何故、私の伯父のダンデライオンだけ処罰が重いのですか?」
普通に考えれば、瘴精霊を封入した魔水晶を用意したアルキンが一番罪は重いので、自然とその父親とジスルフィドが重い処罰を受けることになるのだが、実際にはダンデライオンが一番重い処罰を受けることになっている。
セリカはそれが不思議でならなかった。
「それはダンデライオンがこれまでに犯した罪のせいです」
「犯した罪?」
問うと、アザレアはカップをソーサーに置いた。
「決して面白い話ではありません。ですがアナタには聞く義務がある。心して聞いてください」
そう言って彼女はダンデライオンがこれまでに犯した罪の全てを語った。内容はあまりにも酷過ぎて、セリカは話を聞くにしたがって顔を険しくしていった。
「まさか、そんなことが。お母さんが捕まったのが、全部伯父のせいだったなんて」
あまりのことに気が遠くなりそうだった。まさかダンデライオンが自分の妹を嵌めて牢獄に入れるなんて誰が想像できようか。
(そこまでするなんて。……でも、それもアラヤさんたちがどうにかしてくれた)
聞けば、阿頼耶たちが証拠を見付けてティターニア女王へ提出したから発覚したとのこと。自分のことだけでなく、まさか裏でそんなことまでしていたとは。手回しが良いというか何というか。自分を救うのに、一体どんな道筋を立てていたのだろうか。
アレだけ強いくせに搦め手にも強いとはどういうことだとセリカは言いたくなった。
「さて、話は大方終わりになりますが、アナタにはちょっとしたサプライズがあります」
「サプライズ?」
「入りなさい」
首を傾げるも、アザレアは扉に向かって入室を促す。それに応じるように扉が開き、セリカはそちらに視線を投げる。
「っ!?」
入ってきた人物を見て、アザレアを見た時とは別の意味でセリカは驚き、信じられないものを見るような目になった。
そこにいたのは、緩くウェーブした緑色の髪に同色の瞳をした、セリカの面影がある五〇代くらいの見た目の女性。ダンデライオンの妹であり、同時にセリカの母親。二〇〇年もの間ずっと牢獄に囚われていたはずの女性――ヴェロニカ・ファルネーゼだった。
「……お、母さん?」
恐る恐る、口にする。するとヴェロニカは大切な我が子を慈しむように笑みを浮かべて、
「久しぶりね、セリカ」
「っ!」
その一言で込み上げるものを堪え切れなくなった。
セリカは大粒の涙を流しながら、二〇〇年ぶりに再会した母親を抱き締めた。
少し考えれば分かることだった。ヴェロニカの罪がダンデライオンによって仕組まれたものだったのならば、自然とヴェロニカは釈放されることになる。当然のことだ。とはいえ、まさかこんな早く釈放されるとはセリカも、事情を聞いたヴェロニカも思ってもみなかったが。そこは早く出そうとアザレアが手配したおかげだろう。
「本当に驚いたわ」
と、改めて席についてセリカとアザレアの三人でお茶を楽しむことになったヴェロニカは言う。
「ずっとこのままだと思っていたのに、いきなり釈放なんだもの。本当に、彼らには感謝に堪えないわ」
「私もまさか彼がそんなことまでしていたなんて思ってもみなかったから驚いた。でも彼ならやっても不思議じゃないわ」
「あら。そのアラヤ様って方は、そういう人なの?」
「救うことに妥協なんてしない人よ」
助けられたから、今ではそれがよく分かる。何せどれだけボロボロになっても諦めず、構わず、救うことに死力を尽くすのだから。それはあの戦いを見ていたアザレアも納得のだった。
「そうですね。普段の彼はどこにでもいるような少年ですが、いざという時は別人のようになります。……ふふっ。そうそう。彼が長老会側の言い分に腹を立てた時は見物でしたよ」
「それはどのような?」
「『救う気がないなら引っ込んでいろ』。刀の切っ先を突き付けてこちらを睨みながらそう言ったのです。セリカさんを救うために長老会に宣戦布告した。今思い出しただけでもゾクゾクします」
それは瘴精霊に操られた状態でも内側から見ていたのでセリカも知っていた。
瞼を閉じれば、その時の彼の姿を克明に思い出すことができる。
いや、それだけではない。
朗らかな笑顔。理不尽に憤る顔。助けようと必死な顔。彼が見せた様々な表情を思い出す度にセリカの心は綻ぶ。頬が緩む。心臓が早鐘を打つ。
ほぅ、と吐く息に熱がこもる。
胸に熱い想いが宿る。
どうしてそんな感情を抱いたのかは分からないけれど、一体いつからなのかは答えられる。思えばあの瞬間だ。湖の畔で彼に感情を曝け出して、それを正面から受け止めてくれたあの夜に……セリカ・ファルネーゼは雨霧阿頼耶に恋をしたのだ。
「「…………」」
気付けば、二人はセリカのことをジッと見ていた。何か言いたげな視線にセリカはたじろぐ。
「え、えっと……何か?」
問うと、アザレアとヴェロニカは顔を合わせて、
「何かって、ねぇ」
「セリカ。アナタもしかして、アラヤ様のことが好きなの?」
「っ!?」
突然投下された爆弾発言に、思わずセリカはカップを落としそうになった。
「……何のこと?」
取り繕って何でもないことのように聞き返したセリカであったが、ヴェロニカはそんなこと関係なしに追求する。
「そんな耳まで真っ赤にしていたら誰だって分かるわ。そう。あんな小さかったセリカがねぇ。そうよね。誰かに恋したっておかしくない歳だものね」
染み染みと言うヴェロニカにセリカは顔がさらに赤くなっていくのを自覚する。
「じゃあセリカ。アナタはアラヤ様たちと一緒に行く?」
まさかの提案にセリカは目を丸くした。
「え? でも、だって……お母さん、せっかく出所できたのに」
二〇〇年越しにようやく再会できたのに、これでセリカが阿頼耶たちの所へ行けばまた離れ離れになってしまう。セリカはそれを気に病んでいるのだ。
「それなんだけどね。私、また財務大臣をやることになったの」
「え?」
驚いてアザレアの方を見ると、彼女は頷いて肯定した。
「えぇ。彼女は冤罪で財務大臣の座を降ろされましたからね。ダンデライオンが投獄されることになったのもあり、彼女には再び財務大臣の職に就いてくれないかと具申したのです。新たに選出するよりも彼女がやれば、ダンデライオンによって左遷された彼女を慕っていた人たちも戻ってくるでしょうからね。あぁ、もちろん彼女にはこれまでのお詫びとして様々な特権も与えることになりましたよ」
「とはいえ、すぐに財務大臣として満足に仕事をこなせるわけでもないわ。二〇〇年のブランクがあるからね。それを埋めるためにもしばらくは仕事漬けの日々になる。そうなると、セリカとの時間も満足に取れなくなるの。そうなるくらいなら、いっそのことアラヤ様たちの所へ行った方が良いと思うのよ」
「でも、お母さん……!」
「私がヘマをしたせいでセリカには余計な心労をかけちゃったからね。これからは好きなように過ごしてほしいのよ。だから、アナタはアラヤ様の所へ行きなさい。なに、牢に入っていた時とは違ってこれからは手紙でやり取りもできるから大丈夫よ。それに、アラヤ様には大恩があるのでしょう? なら、それはちゃんと返さないと」
そう言われてしまうと反論できなくなる。セリカとしても阿頼耶に恩を返したいと考えているのでやぶさかではないのだが、やはり母親のことが心配だった。
「大丈夫ですよ、セリカさん。様々な特権を与えたと言ったでしょう? その中には『ヴェロニカ・ファルネーゼの生活と身の安全の保障』も含まれているのです。『精霊の巫女姫』の名に懸けて、彼女の身の安全は確約します。それでも決心が付かないのであれば、私が彼らの所に行くための大義名分をあげましょう」
すると、アザレアは侍女から一枚の紙を受け取ると、それは広げて咳払いをし、厳かな声で言う。
「セリカ・ファルネーゼ」
「は、はいっ!」
フルネームで呼ばれ、思わずセリカはピンと背筋を伸ばす。
「『精霊の巫女姫』アザレア・フィオレンティーナ・ニコレッティの名において、貴女を名誉近衛侍女へ任命します」
「名誉、近衛侍女?」
武闘大会で勝ち抜いて近衛侍女となる資格は持つものの、様々な事情やしがらみで近衛侍女の役職に組み込めない者に与えられる役職だ。
常に『精霊の巫女姫』の傍にいる必要はなくなるが、代わりに独自のやり方でアルフヘイムに貢献しなければならない。
職人、商人、研究者などその在り方や方法は人によって様々だが、大義名分と言っていることから、今回は冒険者である阿頼耶たちに同行して見聞を広めてそれをアルフヘイムに還元しろということだろう。
「瘴精霊の件で有耶無耶になりましたけど、セリカさんは武闘大会ベスト四入りを果たしていますからね。性格も申し分ないので近衛侍女となる資格は充分にあります。しかし『精霊の愛し子』を近衛侍女にするにはいろいろと問題があるので、名誉近衛侍女の枠に入れさせてもらいました」
口振りからして、始めからセリカを近衛侍女にするのは決まっていたらしい。
だがセリカは首を傾げた。
『精霊の愛し子』は精霊から特に愛された者のことを言う。個人によって愛される程度の差はあれど、その性質から妖精族からは敬意を払われる存在だ。そんな人物を下手に近衛侍女の枠に組み込めば政的に利用されかねない。
そんなことをしたら『精霊の愛し子』を守ろうと多くの精霊が牙を剥くだろう。事実、過去に何度か『精霊の愛し子』を利用した輩がいて、精霊の怒りを買ってしまって危うくアルフヘイムが滅びそうになったことがある。
だからアザレアの対応は妥当と言える。爆弾にも等しい人物を安易に抱え込みたくない彼女たちからすれば、名誉近衛侍女は強制的に命令することはできない特殊な役職なのでちょうど良いのだ。
そこまではセリカも理解できたが、それが何故自分に当てはまるのかが分からなかった。何せ自分は『精霊の愛し子』ではない。その理屈は通らないはずだ。
思案したセリカはそこで『まさか……』と思い、ステータスを確認した。
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セリカ・ファルネーゼ 215歳 女性
レベル:70
種族:妖精族/半森妖種
職業:精霊魔術師、弓師、魔術弓兵、猟師、手芸作家、演奏家、酒造家、軽業師
HP :2050/2050
MP :4210/4210
筋力:1590
敏捷:1510
耐久:2040
スキル:
レアスキル:
生産系スキル:
服飾系手芸
コモンスキル:
騎乗系スキル:
馬術Lv.4
生産系スキル:
解体Lv.5、栽培Lv.4、狩猟Lv.6、酒造Lv.4、弓作りLv.4
戦闘系スキル:
弓術Lv.6、短剣術Lv.4、投擲術Lv.4
知覚系スキル:
危機察知Lv.1、気配察知Lv.5、魔力感知Lv.5
補助系スキル:
演奏Lv.5、家事Lv.5、軽業Lv.4
魔眼系スキル:
鑑定Lv.2、看破Lv.4
魔術系スキル:
精霊魔術Lv.6
称号:
精霊の愛し子
補助効果:
隠蔽Lv.8、偽装Lv.5、経験値倍化、成長率倍化
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いつの間にか『精霊の愛し子』の称号を獲得していた。
何で? とセリカは頭を悩ませる。昨日の試合――ブルーベルと戦う前にステータスを確認した時にはなかった。となると試合開始時から今までの間に獲得したことになるのだが、何がきっかけでどのタイミングで獲得したのか、セリカには分からなかった。
ただ、素質はあった。
湖の畔で彼女がヴァイオリンの演奏をすると、精霊が集まっていた。それ自体は妖精族なら珍しいことではないが、数が異常だった。あれほどの数はそこいらの妖精族には集めることはできない。
その素質があったからこそ、セリカの元にはあれだけ多くの精霊が集まった。
瘴精霊の憑依から脱したことで、ここに来てようやくその素質が『精霊の愛し子』として芽吹いたのだ。
セリカ本人はそんなこと知る由もないが。
でも、これでセリカの心は定まった。
「……ありがとう、お母さん。ありがとうございます、アザレア様」
ここまでお膳立てしてくれたのだ。彼女たちの厚意を無下にはできない。彼らと共に行き、彼らに尽くそう。元々、そのつもりだったはずだ。アルフヘイムの上役も、実母も許してくれたのだ。
ならば何の憂いがあろうか。胸を張って、彼と共に歩んでいけば良い。
「まぁ、大義名分を用意はしましたが、それも彼がどう言うかです。彼に直接交渉した方が良いでしょう。ちょうどこちらに来たようですしね」
「?」
アザレアが指先を扉に差し向けると、示し合わせたように扉をノックする音が三回した。
『阿頼耶です。こちらにセリカとアザレアさんがいると聞き、伺いました』
何と、ノックしたのは阿頼耶だった。
おそらくアザレア配下の近衛侍女の誰かが知らせたのだろう。セリカが目を覚ましたのを聞き付けて、ここに来たに違いない。
「……」
ふと、セリカは考える。
一緒に行きたいと言ったら、彼は何と言うだろうか。快く受け入れてくれるだろうか。それとも首を横に振るだろうか。
『誰かと一緒にいる幸せを掴ませてやる!』
あの戦いで彼が言った言葉を思い出す。
(だったら、彼にそれを教えてもらっても良いわよね?)
彼自身が言ったことだ。文句は言わせない。
そうセリカが決めると、近衛侍女の一人が部屋の扉を開けたのだった。




