第121話 諸悪の根源と結末
闘技場内に現れたアルキン・カルドーネ。
ヤツは手の中で何かを弄んでいる。それは赤黒くて禍々しいひし形の物体で、一体何の素材でできているのかも判断できない。
繁々とひし形の物体を透かして見るように翳すアルキンは言う。
「ん~。潮時っぽかったから切り上げて取り込んでみたが……思ったほど負の感情は集まってねぇな」
仕組みは分からないが、言葉から察するにどうやら瘴気はあのひし形の物体に吸い込まれたらしい。となると、アルキンが瘴気を片付けたことになるが、それほど単純な話なわけがない。
潮時。切り上げ。思ったほど集まっていない。
これらの言葉は、仕組んだ側の者が発する言葉だ。
「ったく、せっかく混血に対する偏見を助長させたり、二〇〇年掛けてセリカ・ファルネーゼを追い詰めたりしたってのに、集まったのはこれっぽっちかよ。割に合わねぇなぁ、おい」
そしてこの言葉が、アルキンが俺たちの敵だと決定付けた。
「セリカを、二〇〇年掛けて追い詰めただと?」
「おうよ」
手の中でひし形の物体を弄びながらアルキンは予想が外れたことに落胆したように溜め息を吐きながら言う。
「ダンデライオン・ガリアーノや長老会の連中に、俺だって気付かれねぇように誘導して混血たちを差別させてきたんだが、労力の割には効果が見込めなくてなぁ。仕方ねぇから方針を変えて対象をセリカ・ファルネーゼに絞っていろいろとやったんだ。両親がいなくなってちょうど良かったからな。だがそれでも大した結果は得られなかった。ったく、とんだ無駄骨だぜ」
アルキンの言葉に、沸々と怒りが煮え滾る。
じゃあ、何か? つまり、そういうことなのか。
「お前が、やったのか。セリカを独りにして陥れたのは、全部お前がやったことなのか! お前が全ての元凶か! 一体何でこんなことをしやがった!!」
「負の感情を集めることが俺の、いいや俺たちの目的だからさ」
にやりと、三日月のように口元を笑みで歪めるアルキンは鎧の胸元からある物を取り出す。
それは歪な形をした十字架。女神教のでも、地母神教のでも、大海神教のでも、天空神教のでもないそれは、邪神教の十字架だった。
「俺はアルフヘイム担当の邪神教侍者、アルキン・カルドーネ。我らが活動の一つ、負の感情を収集するためにこのアルフヘイムで活動させてもらったんだよ! つっても、わざわざ瘴精霊を封じた魔水晶を用意したっていうのに、成果は芳しくなかったがな」
邪神教だって? 『邪神』デズモンドを奉ずる、活動自体が秘匿されていて拠点すら分かっていない宗教団体。アルキンがその邪神教の信徒だって!?
しかも、負の感情とやらを集めるのが邪神教の活動内容の一つ?
何を目的に集めているのか知らないが、そんなことのためにセリカは今まで理不尽な目に合ったのか!
それだけじゃない! ブルーベルさんが手に入れた魔水晶もアルキンが用意したのか!
諸悪の根源はこいつじゃないか!!
「ふざけやがって」
「何だ? 俺とやるってか? 構わねぇぜ。相手になってやるよ。ただし……こいつを使わせてもらうけどなぁ!」
言って、アルキンはひし形の物体を飲み込んだ。驚く間もなく、ゴクリと喉を鳴らして嚥下した瞬間、変化が現れた。
瘴精霊の時のように異形化しているわけじゃない。だが瞳孔は赤く、強膜は黒く染まり、肌も青白く変わって、視認できるほど膨大な魔力をさも当然のように常に放っていた。
肉体も土妖種特有の小柄な体躯から大きく膨れ上がり、俺と同じくらいの体格になっている。そのせいで着ていた全身鎧は内側から盛り上がった筋肉によって破壊されて粉々だ。
「チッ!」
やってしまった。目の前で起こった変化に驚いて、みすみす変化が終わるまで見過ごしてしまった。
特撮の変身ヒーローじゃあるまいし。変化が終わるまで待つ理由なんてなかったのに!
アルキンに斬り掛かるが、やはり遅かった。袈裟斬りで放った極夜の刃が、アルキンが放つ魔力が集まって戦斧となり、ガキィィィィン! と甲高い金属音を鳴らして受け止められる。
それだけじゃない。粉々になった鎧の代わりをするように、魔力を集めて装備を作り出していく。
魔術も使わずに魔力だけで物質化した!? そんなこと、セツナでさえもできないことだぞ!!
「見るのは初めてか? これがデズモンド様より力を与えられ、進化した種族――邪人だ」
魔力の物質化で生み出した戦斧で俺の極夜の刃を受け止めていたアルキンは自慢げに言う。
「【マナ・マテリアライズ】って言ってな。邪人だけが持つユニークスキルさ」
「――【大いなる火炎】!」
だったら油断したまま焼かれろ。そう思って中級の火属性魔術を使うが、一瞬だけ火が付いただけですぐにかき消されてしまった。無論、アルキンは火傷一つ負っていない。
「何っ!?」
「無駄だ! 邪人の体は魔力を散らす! 魔術なんざ効かねぇんだよ!」
手首を捻り、アルキンは戦斧を振る。その勢いで弾かれた俺は後退させられ、地面を擦るようにして制動をかけることで体勢を整え、再び極夜とデュランダルを構えつつ考える。
邪人? 『邪神』デズモンドに力を与えられることで進化した種族?
確かにあの【マナ・マテリアライズ】なんてふざけたスキルや魔力を散らす体なんて、そうじゃないと説明が付かないけど、だからってあんな簡単に進化するものなのか?
『予測。おそらくあのひし形の物体が強制的に進化を促したと思われます。個体名:アルキン・カルドーネは間違いなく邪人へ進化しています』
反則にもほどがあるだろ! くそったれ!
物理は物質化した魔力に阻まれ、魔術は魔力を散らす体でかき消される。しかも物質化した魔力で作った装備をそのまま装着できていることから、魔力を散らす体の効果は自身の魔力には及ばないらしい。
圧倒的に不利な状況。しかも俺たちは瘴精霊と戦った直後なので全員消耗している。
元が龍族であるクレハは【人化】スキルで人状態になっているから龍状態よりも弱体化しているしリハビリ中で魔術も龍術もまだ全力で使えないとはいえ、それでも俺たちと比べるまでもなくまだまだ戦える。
だがセツナは魔力的に、ミオはスタミナ的にそろそろ限界だ。俺も俺で、このままの状態だと長くは続かない。
完全人化状態の【天斬阿頼耶】を解いて、完全な龍族になるか?
ヤツの体は魔力を散らすだけで、無効化しているわけじゃない。だったら散らせる魔力量の限界値が必ず存在するはず。それに魔力ではなく龍力を使う龍術なら効果があるかもしれない。
何ならクレハにも龍状態になってもらって、龍二体で戦うという選択肢だってある。
「……」
希望を失うにはまだ早い。
絶望するにはもっと早い。
〇.一%以下だとしても、いつだって可能性はある。本当に可能性がなくなる時は、全てを諦めた時なのだから。
覚悟を決めるように極夜とデュランダルの柄を握り直した時だった。アルキンが愉悦に浸ったように笑った。
「はっはは! 良い気分だ! 力が溢れてきやがる! これでもう俺は誰にも負けねぇ! 誰にも俺に命令させねぇ! 混血だろうが、無能な長老会のじじぃどもだろうが! もう誰も俺に指図することはできねぇ! あっははははははははははごぶるぁぁああ!?」
……何の兆候もなかった。
俺の魔術は防がれた。セツナもミオもクレハも、まだ待機した状態だ。誰もアルキンに仕掛けていない。
なのに。
圧倒的優位な状況にいたアルキンは笑っていて、しかし何の前触れもなく吐血したのだ。
いいや、それだけじゃない。
膝から崩れ落ち、地面に両手をついて四つん這いになったアルキンの体から急速に魔力が失われていく。物質化した鎧も戦斧も、空中に溶けて消えるようになくなる。肌の色も元に戻り、体格も以前の大きさにまで萎んでいった。角度的に見えないが、この分だと眼の方も元に戻っているだろうな。
与えられた力が急速に失われていく。そんな風に見える。
「な、あっ!?」
何が起こったのか分からないのはアルキンも同様だった。彼は苦しそうな声で疑問を口にするが、それに応じる声があった。
『それは貴公が私の許可なく勝手に「邪法の贄」を使って邪人となったからですよ』
声はアルキンが自ら粉々にした全身鎧の残骸に混じっていた、小さな水晶玉から聞こえる。通信用魔道具だろうが、衝撃でひび割れているせいで姿ははっきりと見えないし、声も雑音混じりで性別の判断もできない。
「もしや……教皇様?」
だがアルキンは通信の相手が誰なのか察したらしく、震える声で相手の呼び名を言う。あの傲岸不遜な態度はどこにもない。自分より遥か上の存在を前にして畏怖しているような態度だった。
『我らが主の封印を解くために必要な負の感情を集める「邪法の贄」。これを取り込むことで確かに邪人になれますが、私の許可なく使用した場合は全ての力を剥奪し、体の内側からズタズタにするように設定されているのですよ』
「なっ!?」
アルキンは喉が干上がるような声を出した。何せ、この教皇と呼ばれた人物の言葉が真実なら、もはやアルキンに後はない。死を待つのみだ。焦燥に駆られるのも道理だ。
だがそんなアルキンの心情など意に介さず、教皇は冷徹に言葉を続ける。
『邪神教は潜む教団。残念ですが、大々的に行動する貴公は邪神教徒に相応しくない。そもそも集めた負の感情を勝手に使うなど言語道断。我ら邪神教に対する反逆行為に他なりません。その命を以って償いなさい』
「お、お待ちを! お待ちください! お願いです! 俺にもう一度チャンスを!」
『さようなら、アルキン・カルドーネ。教義に反する貴公は、我ら邪神教には要りません』
「そんな!? そんなぁぁああ!! 教皇様ぁぁああああああ!!!!」
縋っても意味はない。叫びは届かない。強度の限界が訪れたらしい水晶玉がパキンと音を鳴らして割れたのと同時だった。
「げぼぁあ!?」
内側から突き破るように、アルキンの体からいくつもの太い棘が飛び出した。
ガクガクと体を震わせるアルキンだったが、すぐに彼の体から力が抜け、地面へ倒れる。ドシャッと大量の血をまき散らして倒れたアルキンの体から飛び出る太い棘は、役目を終えたと言わんばかりに霧散して消えてしまった。
極夜を鞘に収め、彼に近付いて首筋に指を当てるも、やはり脈はない。【鑑定】スキルでHPも確認してみたが、こちらもゼロになっていた。
疑う余地はない。アルキン・カルドーネは、殺害された。
「兄上様」
「……お師匠様」
セツナはセリカの面倒を見ているため留まっているが、ミオとクレハが俺の傍に来る。俺は首を横に振って、アルキンが死んだことを伝えた。
「何が何だか分からないな」
ガシガシと後頭部を乱暴に掻く。
アルキンは邪神教徒だった。だが教義に反したとかで教皇によって殺害された。セリカや混血たちに対する偏見を助長させていたのはアルキンだったから、許すつもりはないし同情もしないが、これはあまりにもスッキリしない終わり方だ。
アルキンはいつから邪神教徒だったんだ? アルキンのように、他にも人知れず紛れて過ごしている邪神教徒がいるのか? 邪神教の教義とは何だ? 封印を解くために負の感情を集めていると言っていたが、その封印とは何だ?
瘴精霊のことが片付いたと思ったら次は邪神教か。
次から次へと分からないことが増えて頭が混乱しそうになっていると、ふわりと俺の横を何かが通り過ぎた。つられてそちらを向く。通り過ぎたのはセリカと契約を交わした風精霊のルルであった。
眦に涙を浮かべて今にも泣きそうな顔をしている彼女は、その小さな体を必死にセリカの顔へすり寄せている。
「セリカ、大丈夫?」
「大丈夫よ。ごめんなさい、ルル。巻き込んじゃいけないと思って逃がしたけど、余計に心配させちゃったわね」
あぁ。今の今までルルの姿が見えなかったのは、少しでも被害を少なくしようとセリカが逃がしたからだったのか。
「良い、良いの。私こそ、力になれなくてごめんなさい」
首を横に振り、涙を流しながらルルは謝る。どちらも互いを思い遣っているその姿を見ていると、ようやく俺は気付いた。
ルルだけではなかった。
いつの間にか、周囲には数多くの精霊たちが現れていたのだ。おそらく、セリカの家がある森林地帯の湖で、ヴァイオリンを弾いていた時に現れた精霊たちだろう。あそこの精霊たちはセリカに懐いているようだったから。
瘴精霊がいなくなったことで、姿を現すことができたのかもしれない。
数は驚くことに闘技場の半分に達するほど。そんな数の精霊たちが、セリカが助かったことを喜んでいるようだった。セリカ自身も、自分の身を案じる精霊たちを見て嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「……ふぅ」
数多の精霊から愛されるセリカの姿を見て、俺は一息吐いて緊張を解く。
気になることはできた。でも、セリカを救うことができた。笑顔を守れた。
今は、それだけで良しとしよう。




