第120話 奇跡を掴み取る
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俺――雨霧阿頼耶が率いる『鴉羽』とセリカに取り憑いた瘴精霊の戦いはまだ続いている。
戦況はこちらに傾いていると言って良いだろう。
俺とセツナ、二人の聖武具使いが高純度の神聖属性の魔力をまき散らしているので瘴精霊が吐き出す瘴気が一気に勢いを緩め、瘴精霊自体も弱体化している。
俺は元々【毒耐性】を持っていたが、セツナが神聖属性の魔力で浄化しているので彼女も瘴気によるダメージを食らわなくなっていた。
のみならず、まき散らした神聖属性の魔力の効果で下位の瘴精霊も一掃された。そのおかげで、ミオとクレハも俺たちの戦いに参戦できるようになったので、これは大きい。
だからって安心はできない。
高純度の神聖属性の魔力は俺とセツナの実力を超えた出力で放出されているため、俺たちの体はその余波で焼かれていた。蒸気に触れるとその熱さに思わず手を引っ込めるが、それを常時全身に受けているような感じだと言えば分かるだろうか。
自身が手にしている武器でダメージを負いながら戦うなんて未熟さを露呈させているのだが、こればかりは必要なことなので仕方がない。
先端が硬質化した六本の触手が迫り来るが、俺とセツナの前にミオとクレハが躍り出る。
二本の触手をミオが暗黒属性の魔力を灯した魔剣『モラルタ』と『ベガルタ』で輪切りにし、残り四本の触手をクレハがワイヤーと両腕に装備したリストブレードでブロック状に切り刻んだ。
だがいい加減、向こうも学習したらしい。瘴精霊は瘴気を固めて弓矢を作り、俺たちに向かって射ってきた。
降り注ぐ矢の雨を、しかし俺とセツナは臆することなく掻い潜る。
自身を完全な人間族にする技――【天斬阿頼耶】の効力で聖剣の力を限界以上に引き出すことはできるようになったが、反対に俺のステータスは軒並み低下してしまっている。
元から人間族であるセツナもそれは同じこと。
普通ならそんな状態で突っ込むなんて正気の沙汰ではないが、そんなものは強化系の魔術で補えばいい。【身体強化】に【速力強化】、【感覚強化】を使えば、経験と勘を頼りに矢の軌道を読んで回避することなんて造作もない。
――【先読み】スキルを獲得しました。
即座に獲得したスキルを使用することでさらに回避が楽になった。が、さすがに矢の雨は鬱陶しいので、ここはダイナミックにいくとしよう。
デュランダルを振り下ろし、放たれた神聖属性の魔力が瘴気の矢を弾くのではなく、一切合切を浄化して消し去った。
俺たちと瘴精霊の間に空白が生じる。今度はこちらの番だ。
セツナの神聖属性の魔力が付与された魔弾が乱射される。コメットと併用していることもあって、ガトリング砲にも等しい魔弾の中を俺は突き進んだ。高い射撃精度を誇るセツナなら俺に当てることなく瘴精霊へ攻撃することもできる。
彼女の魔弾が瘴精霊の瘴気でできた弓を破壊した。丸腰の瘴精霊に、俺は横薙ぎで斬り掛かる。しかし瘴精霊は反応した。瘴気を固めて武器を作るのではなく、再生した触手で攻撃してきたのだ。
アレだけ輪切りにされて切り刻まれたら再生もまだかかると思っていたが、再生しているのが一本だけであることからすると、どうやら一本に集中させることで再生速度を速めたようだ。
触手はヒュッと風を切る音を出し、デュランダルの刃を弾く。表面だけではなく内部に至るまで硬質化させたようで、あまりの衝撃にデュランダルを取り溢し、弾き飛ばされてしまった。
瘴精霊は笑みを溢す。聖剣がなければ問題ないと思っているのかもしれない。
だがな、瘴精霊。勝ち誇ったような顔をするのはまだ早い。
俺は腰の極夜を抜刀した。ボウッと、極夜の刀身から神聖属性の魔力が溢れる。そう。俺は極夜を鞘に収めただけで、聖剣状態を解いてなんかいなかった。
「っ!?」
間近で顔を驚愕に歪める瘴精霊。防御しようとしても、もはや反応できる状態ではない。
夜月神明流剣術初伝――【一刀輝夜】。
上段から振り下ろされた輝く刃が軌跡を描き、その薄い胸にある魔石を両断した。
真っ二つに斬られた魔石にひびが入り、その半分が砕け、バラバラと残骸を地面に落とす。瘴精霊は胸元を抑えてたたらを踏むように後退した。今までにない、大ダメージを受けた反応だ。
彼女の胸元にある魔石は憑依されてから現れた物だ。魔物と他の種族を分けるのが魔石の有無である以上、アレを破壊することもまた、セリカを救うのに必要な要因の一つなのではないかと俺は考えたわけだ。
確証はなかったが、どうやら効果的であったらしい。
「クソッ!」
悪態を吐き、瘴精霊は触手を叩き付けてくる。紙一重で躱した俺はバックステップで後退し、地面に放り出されたままだったデュランダルを蹴り上げて左手でキャッチする。
「よくもやってくれたわね」
忌々しそうに瘴精霊はこちらを睨む。
切り裂かれたノースリーブシャツの胸元から覗く半分に割れた魔石からは瘴気が出ている。ただ、それは瘴精霊が意識して出しているわけではなく、魔石の断面から垂れ流されているような状態だった。
瘴気が垂れ流されるに比例して、瘴精霊自身も弱体化していくのが分かる。だがそれでも瘴精霊は強気な態度を崩さない。
「魔石を壊されたのは想定外だったけど、この程度じゃ何も変わらないわ。それに、良いのかしら? このまま続けても私諸共、宿主を殺すことになるわよ?」
瘴精霊を始末するには、宿主であるセリカから除去しなければならない。憑依された状態で攻撃しても、セリカの肉体を傷付けることになり、ひいてはセリカをも殺す羽目になる。
瘴精霊の言い分に思わず舌打ちすると、瘴精霊は得意気な顔をする。
「それに、これくらいの破損は時間が経てば元に戻る。アンタらのやっていることは全くの無駄なのよ!」
瘴気を固めてロングソードを作り出した瘴精霊は俺に向かって斬り掛かる。極夜を前に出して刃を受けようとした、その時だった。
俺に向けて振り下ろされるはずだった瘴気の剣は逆手に持ち替えられ、ドスッと、その艶めかしい太股を貫いたのだ。
「「「「「は?」」」」」
誰一人予想していなかったことに、この場の全員が頭の中を真っ白にした。
そして、状況を認識した瘴精霊が自らの太股に視線を投げたことでようやく痛覚が追い付いたらしい。
「あ、ああぁぁああああああ!?」
絶叫し、片膝を突く。倒れ込まなかっただけ、耐えた方だろう。何せ剣の中ほどまで刺し、右の太股から激しく血を流しているのだ。痛みも相当なもののはず。下手すれば、肉も骨も断っている。
「一体、何が……」
わけが分からず、極夜とデュランダルを構えたままそんな言葉が俺の口から漏れ出る。
明らかに瘴精霊の意思を無視した挙動だった。まるで、彼女の右腕が別の意思を持っていたかのように動いて、太股を貫いたように見えた。
何故そんなことが起こったのか分からず疑問に思うも、不可思議な現象はまだ続いた。瘴精霊の右腕は、今度は半分に砕かれた胸の魔石を鷲掴みにし、無理やり引き剥がそうとしたのだ。
「なっ!? ちょ、待ちなさい!」
慌てる瘴精霊は魔石から右手を離そうと躍起になるが、がっちり掴んでいるようで中々外れない。
全く以って理解できない状況だったが、瘴精霊が放った言葉が俺たちに浮かんだ疑問を一瞬で氷解させた。
「何でアンタが出てくるのよ! 邪魔するな、セリカ!」
「っ!?」
セリカ、だって!?
まさか……セリカの自我が浮上したのか!?
「邪魔も何も、これは私の体よ! いい加減、返しなさい!」
瘴精霊の言葉と俺の思考を肯定するかのように、瘴精霊へ文句を言う言葉が飛び出る。それは間違いなくセリカの言葉で。驚くべきことに、彼女は自らの体を取り戻すべく、瘴精霊に抗っていた。
魔石を引き剥がそうとするセリカとそれを防ごうとする瘴精霊が争う。
「アンタ! せっかく私が代わりに恨みを晴らしてやろうとしてんのよ!? 引っ込んでなさいよ!」
「うるさい! そんなこと、私は一言も頼んでない! アナタが勝手にやっていることでしょ! 押し付けがましく言うな!」
一つの肉体で二つの人格が言い合うという奇怪な光景に思わず唖然とした。
ただ、不思議には思っていた。
経過時間を考えれば、とっくに魔物と化していてもおかしくはないのにも拘らず、あんな短時間で『ステージⅠ』から『ステージⅡ』、さらに『ステージⅢ』へと進んだのに、いつまで経っても完全な魔物にならなかった。
「……」
俺はそれを、高純度の神聖属性の魔力が阻害しているからだと思っていた。
けれど、もしも。
もしも、だ
いまだに『ステージⅢ』に留まっているのは、セリカの自我が浮上したのは、もっと他に理由があったからだとしたら?
神聖属性の魔力の影響ではなく、魔物化の進行を止めるほどセリカの心が満たされていたからだとしたら?
その『もしも』は、結果として証明される。
「待て! 待ちなさい! 分かった! アンタの言葉の通りにするから! だから」
「うる、さい! 四の五の言わず、さっさと出て行けぇぇええええええええええ!!」
ベリベリベリベリッッッッ!!!! と、まるで強力なテープを剥がすように、セリカは自身の胸から魔石を取り除いた。
直後、病的なまでの白い肌、顔全体を隠すように長く伸びた、青色を帯びた白髪、泥水をさらに腐らせたような色をした瞳、背中から四本の触手を生やした女性形の精霊――瘴精霊の本体がセリカからずるりと引きずり出された。
瘴精霊が体から出たことで髪と眼が元の翡翠色に戻り、肌も血色が良くなった。腰から生えていた六本の触手は霧のように消え、服装はノースリーブシャツとミニスカートから狩人姿へ戻る。
剥ぎ取られた魔石は手から零れ落ちて地面に落下し、ぶつかったと同時に粉々に砕けて霧散して消える。すると、ぐらりとセリカの体が傾いた。
「セリカ!」
慌てて俺は彼女の体を支えて、ゆっくりと地面に横たえた。無理やり引きずり出すなんて行為はセリカ自身に負担をかけたようで、意識は失ってはいないものの、呼吸を荒くして疲弊している。
「ア、ラヤ……さん」
「喋らなくていい」
すぐさまミオとクレハが俺たちと瘴精霊の間に割って入って瘴精霊を牽制し、セツナがセリカに魔術を掛けた。
「――【治癒】! 【疲労回復】!」
体の傷を癒す初級の光属性回復魔術【治癒】と、スタミナを回復させる初級の光属性回復魔術【疲労回復】でセリカを治療する。問題なく作用したようで、セリカの呼吸が徐々に落ち着いていった。
「大丈夫です。命に別状はありません」
セツナの言葉に安堵する俺は改めて瘴精霊に視線を向けた。
「う、うぅ……」
無理やり引きずり出された影響は瘴精霊の方にもあったらしい。大幅にダメージを受けたようで、向こう側が透けて見えるほど全身が薄くなっている。かなり衰弱しているみたいだ。
「冗談じゃ、ないわよ」
苦しそうな声で瘴精霊は言う。それこそ憎悪で満ちたような感情が滲み出ていた。
「アレだけ不幸を抱えていたくせに! すぐ『ステージⅢ』に進むくらい不幸な目に合ったくせに! 何でちょっと信じてもらっただけで絆されてんのよ! 何でたったそれだけのことで、魔物化の進行が止められるのよ!」
ありえないことを目の前で行われて理不尽さを感じているのかもしれない。瘴精霊の言っていることは分からないし、おそらくセリカでなければその意味を正しく理解はできないだろう。
ただ言えることは、人が感じる気持ちなんて人それぞれだということだ。
どれだけ言葉を重ねても何も感じないこともあれば、たった一言の『ありがとう』で報われた気持ちを抱くこともある。きっと瘴精霊は、その辺りを分かっていなかった。だからこうして、セリカに一矢報いられるのだ。
「『ステージⅢ』まで進んだのに、魔物化する前に憑依した相手の手で引き剥がされるなんて……。私にとんだ大恥をかかせて。許さない! もう一度憑依して、今度こそ完全に魔物にしてやる!」
「させるとでも思ったか?」
ミオとクレハの間を通り抜け、注意散漫な瘴精霊に一歩で肉薄する。
頭に血が上って冷静さを失っていたのだろうが、甘い。恨み言を言う暇があれば、さっさと行動に移せば良かったのだ。こちらはすでに、予想外の混乱から立ち直り、思考を切り替えている。
「っ!?」
叫ぶ暇も、反撃のチャンスも与えない。
振り下ろされたデュランダルの刃が瘴精霊の体を引き裂く。それがトドメとなった。瘴精霊は瘴気を周囲に残しながらも消滅した。
「……」
ようやく、終わった。まだ辺りに瘴気は残っているが、それも時間が経てば消えるだろう。問題があるようなら、極夜とデュランダルの神聖属性の魔力で浄化すれば良いだけの話だ。
一息吐いた、その時だった。
辺りを漂っていた瘴気が不自然に動いたのだ。それは舞台全体に及び、まるで何かに吸い寄せられるように動く瘴気は一つ残らず、舞台の出入口へと吸い込まれてしまった。
「なに、が……?」
不可思議な出来事に困惑する。
一瞬の静寂を破ったのは粗暴な男の声だ。
「ったく、瘴精霊っつっても所詮こんなもんか。混血一人魔物にできねぇなんて、役に立たねぇな」
地面を踏み締める靴底と金属同士が擦れ合う鎧の音と共に、舞台の出入口から一人の男が出てくる。ここで警戒を緩めるなんてことはしない。全員で武器を向けたが、現れた男の姿を見て全員が驚く。
全身鎧からでもよく鍛えられているのが分かる、子供と見紛うほど小柄な体躯。無精髭を生やし、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた眉に、鋭い三白眼。面当てがないタイプの兜は頭から二本の角が生えたデザインをしており、ただでさえ犯罪者面をしているのに余計に威圧感を出している。
その、戦闘を得意とした体付きと装備を固めた土妖種を、俺たちは知っていた。
「アルキン・カルドーネ!?」
武闘大会二回戦第一試合でセリカに倒された、アルフヘイム妖精兵団団長ジスルフィド・カルドーネの甥が、そこに立っていた。




