第119話 見据える者たち
セツナが張った結界【蜂巣の円蓋】の内側。闘技場の外壁の、その上で腰掛けて阿頼耶たちの激戦を眺めている人物がいた。
様々なスキルや魔術を使って生み出した白銀色の燐光に身を包むことで決して自らの姿を晒さないその人物は、陰から阿頼耶の手助けをしている白銀の少女であった。
「ふふっ」
宙に投げ出した足をぷらぷらと揺らす白銀の少女は、まるでお気に入りのキャラクターが活躍する場面を見てテンションを上げるように、楽しそうな笑みを溢す。
彼女の視線の先には、黒髪の少年の姿があった。
聖剣『デュランダル』を召喚した彼は極夜を鞘に収め、右手でデュランダルを掴んだ。一時的に瘴精霊の対応をセツナに任せ、阿頼耶は完全な人間族になるために必要なプロセスを踏む。力のある言葉を紡ぐ。
「“覆したい不幸なんて、幾千幾万もあった。
其の心に寄り添いたくて。
理不尽の数だけ痛みを知った。
どうにもならないことをどうにかしたくて。
立てた誓いを胸に前を見る。
先の見えない道を迷い歩く僕ら。
失くした希望の数だけ拾い集めよう。
零した救いの数だけ手繰り寄せよう”」
呪文ともまた違うそれは、例えるなら呪歌。
「“これまでの道のりの意味が欲しくて。
有償の奇跡の中で無償の救済を希う。
幾度も打ちのめされた心を抱いて。
僕らは望む結末へと手を伸ばす”」
龍であり人である自身の種族を改めて再定義するための、自己暗示に似た呪いの歌だった。
「“白く染まった願いは、海淵の如く青く沈んだ”
――【天斬阿頼耶】」
プロセスが終了した。元々龍の割合が少なかったこともあって、見た目に変化はない。だが以前よりも威圧感が薄れていることが、彼に変化が起きたことを如実に表していた。
「……【鑑定】」
白銀の少女は彼よりもスキルレベルが高い【鑑定】を使ってステータスを覗き見る。
HPとMP以外の各ステータスは軒並み低下して、龍力は使用不可の状態だ。それだけではなく、【龍の栄光】のような龍族固有のユニークスキルも使えなくなっている。龍の因子を完全に抑えて人間族になったからだ。
この分だと、龍族特有の回復力も人間族レベルに落ちていることだろう。
「でも、これで良い」
威圧感は薄れ、戦術の自由度は減り、大幅に弱体化した。敵からすれば馬鹿な判断だと思うかもしれない。むしろ完全な龍になっていれば圧倒できただろうに、と。だが、ただの腕っぷしの強さで全てが決まるわけではない。
人間族は矮小な存在でありながら、分不相応な大望を抱いて手を伸ばし、もがき苦しみながらもそれを掴み取ることができる『底知れなさ』があるのだ。
まぁそのほとんどは、方向性を間違え、盲目的に目の前の幸せ以上のものを求めすぎて、持っていたはずの幸せを握り潰してしまうのだが。
「にしても、これはちょっと予想外だったなー」
今回ばかりは救えないだろうと、白銀の少女は思っていた。
二つの呪いにかかった少女を救い、上位の黒龍と戦って生き残り、領主の問題を解決した彼でも、今回の相手は瘴精霊だ。頑張ればどうにかなるような問題ではない。膨大な魔力量。高純度の神聖属性の魔力。この二つが揃わなければ解決の糸口すら掴めない。
だがそんな人材を集めるなんて容易なことじゃない。
聖なる武具の適性を持った、膨大な魔力量を保有する人材など、そうそう見付かるものではない。勇者でさえ、聖なる武具の適性を持つ者は限られている。
それに、魔物化の進行を効果的に止めるには、それを覆すほどの幸福感を憑依された者に満たしてやる必要がある。これは魔物化の進行が憑依された者の不幸度合いに比例していることに起因している。
ならば満たしてやれば良いじゃないか、なんて言葉は考えなしの意見だ。
心の問題を他者が外から本当に満たされているかどうかを観測することはできないし、魔物化を後押ししている不幸を払拭するほどの幸福で満たすことなんて一朝一夕でできることではない。
何よりその間にも魔物化は進行するのだ。幸福感で満たしてやろうとしても圧倒的に時間が足りず、完全に魔物へ変貌してしまうのがオチだ。
今まで誰一人として瘴精霊の憑依をどうにかすることができなかったのも、この幸福感を与えることができなかったのが原因だ。
だから白銀の少女は、デュランダルのことは今の今まで黙っていた。言っても彼だけでは解決なんて不可能だったから。
けどセツナが選定者になったことで事情は変わった。
阿頼耶だけでは駄目。セツナだけでも無理。幸福感で満たすという難題が残っているが、阿頼耶とセツナ、膨大な魔力量を持つ二人の聖なる武具の使い手が現れたからこそ、白銀の少女は可能性を見出し、賭けたのだ。
(後は憑依されているセリカ・ファルネーゼ次第、かな。私が直接手を出すわけにはいかないしねー)
諸事情により、ダンジョンのような特殊な環境でもない限り、白銀の少女は大っぴらに動くことができない。彼女が手を貸せるのは、この辺りが限界であった。
……ならどうして白銀の少女は阿頼耶に手を貸すのだろうか。
手を貸すのが難しい立場にいるのなら、そのまま傍観者に徹すれば良い。誰にも見られないように細工しているのだ。それくらいのことはできるはずなのだ。それ以前に、彼女が阿頼耶を助けるメリットなんてない。
それなのに、彼女はリスクを冒してまで阿頼耶をサポートしようと、できる限りのことをしている。
何故か?
簡単だ。
彼女だって見たいのだ。どれだけご都合主義な展開であろうとも、一つでも多くの笑顔が増える、幸せな結末というヤツを。
「キミならそれができる。期待しているからね、アラヤ君」
期待している。それは上の者が下の者へと向ける言葉。
しかし上から目線な言葉とは裏腹に、白銀の少女が口にした声音にはどこか親しげな色が混じっていた。
今代の『精霊の巫女姫』アザレア・フィオレンティーナ・ニコレッティもまた、その光景を見ていた。
顔に浮かぶのは驚愕。
まさかあのBランク冒険者パーティ『鴉羽』にフェアファクス皇国第三皇女セツナ・アルレット・エル・フェアファクスがいるとは思わなかったが、これは然程驚くようなことではない。特殊な魔道具を使って髪の色を変えていたから、お忍びで冒険者をしていたのだろう。
窮屈な生活に辟易した高貴な立場にある者が市井へお忍びで出掛けて楽しむなんてことは、まぁない話ではない。
だから、アザレアが驚いたのは全く別のことだった。
雨霧阿頼耶。彼がアザレアの頭を混乱させた元凶だ。
(アレは一体、誰なの? 本当に私が出会った、あのどこまでも平凡な少年と同一人物なの? あんなの……まるで別人じゃない!)
S級災害指定精霊を前にして臆さない胆力。
仲間との息の合った高速戦闘。
多数のために少数を切り捨てることを良しとしない思想。
憑依された者は助からないのにそれでも救おうと希望を手放さない諦めの悪さ。
例え相手が貴族であろうと理不尽な行いを許さない精神性。
当たり前のことを当たり前に憤ることができる感性。
何もかもが平凡とは程遠かった。
ふとした瞬間に周囲の風景と同化してしまうほど目立たないのに、今では目を離すことができないほどの異彩を放っている。
どれもこれも驚くべきことばかり。
だが、その中でも彼女が一番驚いたのは、
(どうして彼がデュランダルを扱えているの!?)
黄金の柄に四つの聖遺物を収めた最強クラスの聖剣『デュランダル』を阿頼耶が事も無げに使っていることだった。
アレは、かつてアストラルを救った『救世主』たちの一人である『聖騎士』ミシェル・ローランが使った聖剣だ。ティターニア女王がミシェル・ローラン本人から預かり、ティターニア女王が許可した者しか立ち入ることが許されない王城の地下深くへ封じた聖なる武具。
『大帝』アドルファスが自身とミシェル・ローランの間に生まれる息子に継がせるために【未来視の魔眼】の力で息子の姿をデュランダルに見せて認めさせたため、その二人の息子にしか扱うことができない代物。
ティターニア女王がその息子を探すためにアルフヘイムに訪れた異世界人や異界勇者に封印を解けるか挑戦させたこともある。
だからアザレアや貴族たちは知っていた。
王城の地下に封印されている物が聖剣『デュランダル』であることも。
封印を解いて、それを扱えるのが『救世主』の息子だけということも。
つまり、だ。
アザレアたちは『救世主』の息子にしか使えないはずの聖剣を黒髪の少年が使っている光景を見ていることになり、その事実から彼女たちが一つの答えに至ったのは自然な流れであった。
「ティターニア女王陛下、彼がそうなのですか?」
聞かずには、いられなかった。これははっきりさせておかなければ、アザレアは最大の敬意を払わなければならない相手に無礼を働くことになってしまう。
「彼が、デュランダルの担い手。つまり彼は『救世主』の御子息なのですか!?」
「えぇ、そうですよ」
アザレアの問いに肯定したことで、貴族たちの間に驚きの空気が流れた。まさかあんな少年が『救世主』の息子だなんて信じられなかったのかもしれない。だが、アザレアの言葉とティターニア女王が肯定したことで、信じざるを得なくなっている。
彼らが驚いている中、アザレアは『そういうことか』と得心がいっていた。
(ティターニア女王陛下は、始めから全て知っておられたのね)
そう考えれば全てに合点がいく。異世界人とはいえ一介の冒険者でしかないあの少年と謁見したのも、精霊祭で忙しい中わざわざ王城を抜け出して妖精の庭園で彼と会話をしたのも、始めから彼の正体を知っていたから、ティターニア女王は彼と関わろうとしていたのだ。
あの妖精の庭園で彼の両親の話はアザレアも聞いていたが、まさか本当のことだとは思わなかった。何だかんだで、アザレアはティターニア女王に揶揄われているのだと思っていたのだ。
「な、何故それを我々に黙っておられたのですか! 言ってくだされば」
声を上げたのはダンデライオンだ。言ってくれれば、彼の宿泊先へ押し掛けるなんて無礼な真似はしなかったのに、とでも言いたそうだ。他の貴族たちも何名かが頷いている。ダンデライオンのように阿頼耶たちの所へ訪れた者たちだ。
対するティターニア女王は表情を崩すことなく言う。
「わらわがそれを話したとして、アナタたちはそれを素直に受け入れて納得しましたか?」
その一言にたじろぎ、沈黙する。そんなことはないと否定したかったが、あの少年が『救世主』の息子だと言われても決して納得しなかっただろうと思ったからだ。今でこそ納得するだけのものを彼自身が示しているが、それくらいあの少年は普通過ぎたのだ。
「だからわらわは精霊祭が終わった後に彼を地下へ招き、デュランダルに挑戦してもらおうと思っていました。それが一番手っ取り早いですからね。……まぁ、それをする前に自力で強引に召喚してしまいましたけど」
ティターニア女王の言葉を聞き、アザレアはディスプレイに映し出されている闘技場の戦いに再び視線を投げる。
選定者に至ったことで聖なる銃を扱えるようになったセツナと、召喚したデュランダルを使う阿頼耶が、必死の形相で戦っている。どちらも己の扱える限界を超えた高純度の神聖属性の魔力を使っているため、自身が放つ神聖属性の魔力の余波によって体を焼かれていた。
(瘴気精霊の憑依から脱した者は過去に一人もいない。全員が魔物と化してしまった。たしかに瘴気精霊の放つ瘴気の勢いは劇的に衰えているけど、だからって救える可能性は万に一つもない。冷静に考えれば彼らの行為は『無駄』の一言に尽きる。必要のない犠牲を出さないためにも、彼らを止めないといけない。……でも)
希望的観測を抱くような甘い考え方はしていないのに、もしかしたらとアザレアは思った。
混血だからと二〇〇年近くも虐げられてきた彼女のこれまでの不幸と帳尻を合わせるように現れた彼らなら、あるいは本当に救えるかもしれない。
始めからセリカ・ファルネーゼは救えないと断じて処理しようとした自分たちではできなくても、一人の女性のためにあそこまで必死になれる彼らならできるかもしれない。
『救う気がないなら引っ込んでいろ』
ディスプレイ越しに見た、刀の切っ先を突き付けてこちらを睨んで言った彼の姿を思い出し、アザレアは身震いする。恐怖とは違うそれを、アザレアは『気持ちが昂ったことによる感動の震え』だと果たして気付けたか。
「……」
そんな彼女を流し目で見て、ティターニア女王は誰にも気付かれないようにそっと息を吐いた。
(いろいろ予定とは違いましたが、彼らもアラヤ君が『救世主』の息子であると納得したようなので、良しとしましょう)
先ほどはああ言ったが、彼女たちが納得しないのも仕方のないことだとティターニア女王は思っている。
何せ、今でこそ彼は英雄らしい姿を見せているが、初めて会った時なんてティターニア女王から見ても英雄には見えなかった。『大帝』アドルファスの予言があったからこそ、ティターニア女王は彼に注目していたのだ。
そうでなければ有象無象の一人としてカウントされ、『そんな人いたっけ』と記憶に留めてすらいない。
(あの二人の息子。果たして救済できるのか否か。救済できたとして、一体どのような結末をもたらすのか。お手並みを拝見させてもらいましょうか)
その真価を見極めようと、ティターニア女王は目を細めたのだった。




