第111話 因縁の相手
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これからも『異界渡りの英雄』を、どうぞよろしくお願い致します。
「何て無茶なことをしているんですかっ!」
闘技場内にある医務室に怒声が響き渡る。怒っているのは我ら【鴉羽】のサブリーダーであるセツナ・アルレット・エル・フェアファクスだ。彼女は治療を終えたセリカに向かって怒っている。
治療を終えたセリカの体のあちこちには包帯とガーゼを貼られ、左腕は三角巾で首から吊っている。そんな彼女はベッドで上体を起こした状態でセツナの説教を肩身が狭そうに聞いていた。
治療が終わったと聞いて入ったらこの姿だったからな。セツナも余計に心配して怒っているのだろう。怒りたい気持ちは分かる。勝つためとはいえ、道連れ覚悟で魔術を放つなど褒められた行動じゃないからな。
医務室にいるのは俺とセツナとセリカ、そして俺のフードの中でまだ眠っているミオだけだ。クレハには引き続き試合を見てもらっている。来た時には治療を担当した女性の医者がいたが、その人に聞くとセリカの容体は中々に重傷だった。
脇腹と左腕の骨折。全身の打撲に凍傷。内臓が傷付いてなかったのがせめてもの救い。回復薬である程度回復はしたので脇腹と左腕の骨折も数日中には完治するとのことらしい。
本来なら戦闘なんて以ての外の状態なんだが……あんな決意表明をしたんだ。セリカは戦うつもりだろうな。俺としても止めるつもりはない。
「セリカさん。アナタは冷静に物事を観察して対処する実力があるんです。さっきの試合も、決着を急がなければもっと上手く立ち回れたはずですよ。先輩じゃないんですからあまり無茶なことはしないでください」
……ちょっとセツナさん? それはどういう意味かな?
「良いですか? 頑張ることが悪いとは言いません。時には体を張ることも必要になるでしょう。でもだからって、簡単に命を投げ出すようなことはしちゃいけません。……先輩は誰かを助けるためなら自分の命だって懸けてしまう人です。そんな彼を見て自分もアレくらい頑張らないと、と思ったのかもしれませんが、そんなことを続けていると体が持ちませんし、命がいくつあっても足りません」
何だどうした!?
最近は説教越しにディスるのが流行りなのか!?
「ですから、こんな無茶は二度としちゃ駄目ですよ」
「はい。申し訳ありませんでした」
二〇〇近くも歳の差が離れた女の子に説教をされて落ち込んだセリカは、森妖種よりは短いが人間族よりも長く尖った耳を垂れさせた。
「私からは以上ですけど、先輩は何か言うことはありますか?」
無自覚に刺してきたセツナのセリフにげんなりしていると、彼女がそう聞いてくる。俺からも説教されると思ったのか、セリカはビクッと体を強張らせた。そんな彼女に苦笑を浮かべ、俺はまず言うべきことを口にする。
「二回戦第一試合、突破おめでとう。よくやったな、セリカ」
「え? あ、ありがとうございます」
キョトンとした顔をしたセリカだったが、褒められて嬉しかったようで頬を赤く染めて耳をピクピク動かした。もしかして無意識に動いているのだろうか。
「てっきりアラヤさんからも説教されるのかと思っていました」
「まぁ、正直いろいろと言いたいことはあるのは事実だけど。でもそれについては散々セツナが説教をしたからな。セリカも反省しているみたいだし、これ以上責める必要はないだろ」
たっぷり説教を食らって反省しているのに、さらに追い打ちをかけたって意味なんてないからな。だったら、さっきの試合で勝ったことを褒めてやるべきだろ。
「……飴と鞭が上手ですね。見習いたいものです」
「?」
セリカの言葉の意図を図りかねたが、機嫌良さそうに耳がピクピク動いているので、落ち込んでいるわけではなさそうだ。
「むむっ? また先輩の人たらしが発動した気配が」
「誰が人たらしだ」
心外な。俺ほど他人に嫌われているヤツなんてそうはいないぞ。元クラスメイトたちが良い例だ。むしろ俺のような自分勝手な男に笑顔でついて来ているセツナたちが異質なんだ。優しいと言えば聞こえは良いが、悪い男に捕まってしまわないか少々不安になってくる。
一度息を吐いてから俺はセリカに問い掛ける。
「怪我の具合はどうだ?」
「もう何とも……」
最後まで言わせなかった。
青い蛍光色の患者衣に包まれた彼女の、真っ白な包帯が巻かれているであろう脇腹――アルキンによって折られた辺りを警告なしに指先で軽く触れる。優しく撫でるくらいの感覚だったにも拘らず、セリカはいっそ大袈裟なくらい反応し、肩を真上へ跳ね上げた。
「ぐ、うう!?」
「まったく」
無意味に痩せ我慢をする彼女に呆れたような声を漏らすと、痛みを堪えながら弁明を始めた。
「で、ですがこれでもいくらかマシにはなったのです。肋骨は繋がっていますし、数日中には完治していますので」
だが完全に繋がったわけじゃないから、ちょっとの衝撃でベキベキ折れかねない。
彼女や女性の医者が言うように数日中には傷は完治しているだろうが、それはつまり明日の試合には間に合わないことを意味していた。セリカは、充分なパフォーマンスを発揮できない状態で明日の試合に挑まなければならない状況にいる。
ただ、当初の目標であるベスト四入りは果たしている。このまま棄権しても近衛侍女や妖精兵団からのオファーは来るだろう。ここで降りるのも一つの手だ。
そう思ってセリカに視線を向け、俺は答えを分かっていながら敢えて端的に聞いた。
「続ける気は?」
「あります」
即答だった。
彼女自身も理解しているはずだ。
今の戦績でも充分に近衛侍女か妖精兵団からオファーはほぼ確実に来る。ならば、ボロボロの体に鞭打ってまで無理に以降の試合に挑む必要はない。ここで棄権して、安静にするのが賢い選択だ。
けれど、それでも彼女は戦うことを選んだ。ただの感情論ではなく、冷静に考えた上での決断ならば、拘泥する必要もない。
俺はバサッと、セリカに紙の束を渡した。
「これは?」
「次の対戦相手に関する資料だ。セリカの治療が終わるまでの間にまとめておいたんだ」
説明する俺の言葉を聞きつつ、セリカは紙の束に視線を走らせるが、ある一点……次の対戦相手の名前が記されている箇所を見て目を丸くした。
「ブルーベル・ガリアーノ。お前と因縁浅からぬ彼女が、次の対戦相手だ」
◇◆◇
同日。この日の試合は無事に終了し、明日の対戦カードは決まった、その後。すっかり日は暮れた時間帯だが、精霊祭の最中ということもあって辺りはまだ明るい。アルフヘイム国民のみならず、さまざまな国から来た人たちが各々で騒ぎ、祭りを楽しんでいた。
その中、たった一人で行動している女性がいた。
ショートヘアにした深緑色の髪と同色の瞳をした二〇代前半ほどに見える整った顔立ちをした森妖種の女性――ブルーベル・ガリアーノだ。彼女はその辺の喫茶店で買った、ミルクと砂糖をドバドバ入れて殺人的に甘ったるくなったカフェオレを片手に、ベンチに腰掛けている。
武闘大会で勝ち抜き、ベスト四入りを果たした。アルフヘイム国民からすればとても名誉なことで、それこそ飛び跳ねて喜んでも良い結果なのだが、反してブルーベルの顔は勝者とは思えないほど沈んでいる。
そんな陰気な雰囲気のせいか、周りの人たちも怪訝な表情で見ても誰も声をかけようとはしない。
「まさか、こんなことになるなんて」
彼女の実父であるダンデライオン・ガリアーノからの脅迫同然の命令通り、武闘大会に出場し、予選を通過し、本選で勝ち抜いた。これだけみれば、ブルーベルは順調にダンデライオンの命令を遂行しているように思える。
けれど想定外なことがあった。自分の従姉妹であるセリカ・ファルネーゼだ。
予選が開始される直前にダンデライオンから彼女が出場していることを知らされたのだが、ブルーベルはそこまで事態を重く見ていなかった。何せ相手は半森妖種だ。少々弓の腕はあるものの、契約している精霊は風精霊一体のみ。
考えるまでもなく自分より弱い。そもそも予選を通過できるかも怪しい。そう思ったから、ブルーベルは取るに足らないこととして捨て置いた。
だが実際にはそうはならなかった。
予選を自分よりも上位の成績で通過し、優勝候補であるカトレヤ・プロネルを下し、自滅覚悟でアルキン・カルドーネを強力な風の精霊魔術で打倒し、ついには自分の前に対戦相手として立ちはだかってきた。
「何で? どうしてよ。アイツ、あんなに強くなかったはずでしょ。それなのに、何であんな急に強くなっているのよ」
使者としてカルダヌスへ赴いた時に変異個体種のミノタウロスに襲われたこともあってセリカの実力をブルーベルは知っていた。なのにこれまでの試合で見たセリカの実力は、その時よりも格段に上がっていた。
これもすべて、阿頼耶がセリカを連れて【戦士たちの地下修練場】へと赴き、鬼の所業とも言えるくらいの常識外れな特訓をしてパワーレベリングを行ったからなのだが、当然ながらブルーベルはそれを知る由もない。
だからこそ、なのだろう。
セリカが急に強くなった原因が分からない。どうして今年になって武闘大会に出場したのか、その理由が分からない。その『答えを導き出せないこと』が、漠然とブルーベルの心を絞めつけていた。
人という生き物は『これくらいなら大丈夫』と数値化できる恐怖なら克服できるが、何の値を入れればいいか分からない『取っ掛かりが付かない恐怖』は払拭できない。不明、不明、不明ではいたずらに恐怖と不安を煽るだけだ。
というよりも、セリカの事案は彼女の恐怖の枝葉でしかない。その根っこ、大元はダンデライオンからの『命令』。近衛侍女にならなければ廃嫡という、後のない状況が原因だ。
ただでさえ武闘大会で優秀な成績を残さなければならないのに、セリカが出場したことによってダンデライオンはさらにピリピリしてしまい、今の成果でもオファーは来るのに半森妖種に負けることが許されない状況になった。そういったプレッシャーが、ブルーベルに恐怖と不安と焦りを生ませていた。
『分かっているな、ブルーベル。次の試合、負ければ貴様はもう私の娘ではない。近衛侍女になろうが関係ない。ガリアーノを名乗ることは許さん。貴様は問答無用で廃嫡だ』
「っ!?」
数時間前に言われた実父の言葉を思い出したブルーベルは、緊張でドバッと脂汗を流す。唾液を飲み込んで干上がった喉を潤そうとするが、全く意味を成してくれない。
手に持っていた、まるで生クリームとガムシロップと蜂蜜を混ぜ合わせたようなほど暴力的に甘いカフェオレを、酒を煽るようにして流し込むが、味なんて分からなかった。大好きなカフェオレだというのに、ちっとも味を楽しめず、気分も落ち着いてくれない。
「アイツが……アイツが武闘大会に出場さえしなければ、こんなことにはならなかったのに!」
思わず使い捨ての木製コップを投げ付けそうになったが直前で思い留まる。八つ当たりをしたところで現状が好転するわけじゃない。他の選択肢はなく、後ろに退くこともできない。ブルーベルにできることは、明日の試合でセリカに勝つことだけ。さもなくば全てを失うことになる。
一度深呼吸をしたブルーベルはポケットから魔水晶を取り出した。
術式や魔物などを封入し、魔力を流し込んで割るだけでインスタントに行使できる魔術素材。封入するための現実的な手腕や使用時に必要な魔力量の問題さえ解決できればどんな魔術だろうと誰でも一度だけ行使が可能で、一定時間の間ならばどんな魔物や神獣だろうと支配することができる。
ただ、特殊な機材と方法で魔力の除去や加工処理をしなければならないので精製は難しく、あまり流通していないし高価なのだが、長老会の娘である彼女なら入手も不可能ではない。
そんな魔水晶の中には、汚水をさらに腐らせたような色をした『何か』が揺蕩っていた。
汚物を見たように思わず顔をしかめたブルーベルは気を取り直して魔水晶を握る手に力を込める。
「あんな半端者なんかには負けない。勝つ。勝ってみせる。……たとえ、どんな手を使ってでも」
彼女は、果たして気付いているだろうか。
決意を込めて口にしたその言葉には、ちょっとの気の緩みで容易く道を踏み外してしまう、そんな危うさが孕んでいることに。
『何か』が封入された魔水晶をポケットへ戻したブルーベルは立ち上がり、雑踏の中へと消えていった。




