第110話 決意表明
ロビン・フッド。
中世イングランドに伝わる伝説上の義賊だ。シャーウッドの森に住むアウトローたちの首領で、弓道では継ぎ矢とも呼ばれる、刺さった矢にもう一度矢を当てるという離れ技をやってのけた弓の名手である。
セリカの持つ弓はそのロビン・フッドが使っていた弓で、モンスターハウスで手に入れた大量のアイテムの中の一つだ。その逸話に違わぬ高い射撃精度と、イチイ製ということから【毒付与】の効果も持っている。聖弓には届かないものの、その等級は伝説級とかなり高ランクな魔道具だ。
聖剣や魔剣のように使い手を選ぶ物でもないし、十全に使いこなせるわけではないが全く使えないわけでもない。対戦相手の油断を誘うためにもセリカにあげたのだが、上手く嵌ってくれたようで何より。そのために、伝説級の魔法弓なら『魔矢の腕輪』が必要なくとも魔矢を生成できるのにわざわざ『魔矢の腕輪』を装備してもらっていたのだ。
油断してくれなければ困る。
『なんとぉぉおお!? ファルネーゼ選手、まさか伝説級の魔道具を持っていたぁぁ!?』
『開幕速攻でのあの射撃精度は、『ロビン・フッドの弓』があったからできたことだったようですね。【毒付与】の効果も、『イチイの長弓』よりも圧倒的に強力な毒性を持っているでしょう。……にしても、彼女はどこでそんな代物を手に入れたんでしょうか?』
【戦士たちの地下修練場】にあるモンスターハウスで、です。とはいえ、アレだけ高ランクの魔法弓を入手できたのは運が良かったからの一言に尽きる。普通に攻略しても入手できたかは分からない。できたとしても、もっと下の階層でだっただろう。
モンスターハウスというイレギュラーな場所で、尚且つ引きが良かったから入手できたようなものだ。その証拠に伝説級の魔道具は『ロビン・フッドの弓』だけで、他はほとんど二等級や三等級の魔道具だからな。それでも豊作には違いないんだけど。
『おっと! ここでカルドーネ選手、立ち上がったぁぁ! どうやらまだ戦うつもりのようです!』
イチイの毒は心臓毒の一種だ。タキシンというアルカロイド系の毒であり、筋力低下、手足の震え、呼吸困難、心臓麻痺、血圧低下、心拍数減少、痙攣、硬直、体温低下などの症状が出ていずれは死に至る。
アルキンにはその症状が出ているはずなんだがな。極夜の解析結果からも、そう出ている。それでも立つか。
『う……ぉぉおおおおああああああ!!』
振り絞るような雄叫びと共に、魔法戦斧に炎を纏わせたアルキンは力の限り振った。ゴオッ! と魔法戦斧を振るったことにより強烈な風が巻き起こり、セリカはわずかに顔をしかめる。
『……炎の燃焼による殺菌と空気の攪拌で毒を散らしましたか』
無論、全てを除去したわけではないだろうが、これ以上の効果は期待できなくなったか。
『ハーフなんぞに……負けるわけにはいかねぇんだよ!』
何をそこまでハーフに対して敵愾心を持っているのかは分からないが、叫ぶアルキンの背後で爆発が起こり、その勢いでセリカへと迫る。
セリカの場合は追い風を起こすことで速力を強化しているが、アルキンの場合は爆発の勢いを利用した方式のようだ。細かな調整は利かないだろうが、瞬間的な加速は馬鹿にならない。
『っ!?』
セリカは反射的に魔矢を射るが、やはりアルキンに直接ダメージを与えることはできず、魔矢は全身鎧に当たると飛散してしまう。仕方ないと突き立てていた魔法剣に手を伸ばそうとするも、そのままにしていたのが裏目に出た。アルキンの方が速く、迎撃が間に合わない。
肉薄したアルキンが横薙ぎに振るった魔法戦斧がセリカの脇腹にヒットした。
思わず心臓が縮まる。
セリカは攻撃の勢いで真横に吹っ飛ばされた。横から攻撃されたのは不幸中の幸いか。あのまま正面から一撃を食らっていたら、距離的に場外になっていた。しかし楽観もできない。
舞台の上を転がるセリカはどうにか体勢を整えるが、攻撃された右脇腹を抑えて顔を歪めている。革鎧のおかげで致命傷は避けられたようだが、革鎧には傷が付いていた。血は流れていないが、セリカの様子から察するに、おそらく脇腹を骨折している。
だがセリカはまだ諦めていない。彼女の目は、まだ死んでいない。
それがアルキンの不興を買ったらしい。再度彼は爆発による推進力でセリカとの距離を詰めてきた。吹き飛ばされた瞬間、どうにか魔法剣を回収していたセリカは上段から振り下ろす形で迎撃に出るが、アルキンはいとも簡単に魔法戦斧を魔法剣の側面に当てることで回避する。
隙だらけとなってしまったセリカにアルキンは手を伸ばし、彼女の胸倉を掴んでそのまま力づくで地面へ叩き付けた。
『がはっ!』
受け身を取ることもままならず、もろに背中を打ったセリカの口から強制的に息が吐き出される。背中から打ち付けられたことで折れた肋骨に痛みが走ったのだろう。彼女はくの字に体を折り曲げ、のた打ち回る。
『ぐっ! うあっ! ぁああ!!』
『舐めた真似しやがって』
ごほっと咳き込みながら震える手で口元を拭うアルキンは憎らしそうな顔をしてセリカを見下ろし、その腹部へ蹴りを放った。脚甲で覆われているため、金属で殴られたような重い衝撃が彼女の腹部へ襲い掛かった。
『あがっ!』
『下等な! 劣等種が! 俺様に! 立て付きやがって! テメェらハーフは! 下を向いて媚びへつらってりゃ良いんだよ!』
言葉ごとに、アルキンはセリカに何度も蹴りを見舞う。蹴って、踏み付けて、セリカを痛め付ける。
『ファルネーゼ選手、カルドーネ選手の攻撃から逃れることができません! で、ですが……これは、さすがに……』
司会兼実況のケトルも「やり過ぎなのでは」と思ったようで、言い淀んでいる。誰から見ても、アルキンは決着をつけられる状況なのにわざとそれをせず、セリカを痛め付けることに専念している。これはもはや試合ではない。ただの見せしめだ。
褒められた行動ではない。しかし、試合の勝敗を決める条件が『相手が気絶した場合、相手が降参した場合、審判が戦闘不能と判断した場合のいずれか』である以上、大会スタッフは試合を中断させることはできない。
わざわざ言うまでもないことだったんだろう。『相手をわざと痛め付けてはならない』なんてルールは存在しないのだ。
「……クソッ」
できれば介入したかった。今すぐここから飛び出して、アルキンの顔面を一発ぶん殴ってやりたかった。けれど、それをしてしまえば、彼女の努力を無駄にしてしまう。俺の無茶振りも甚だしい特訓を耐え抜いて、競争倍率の高い予選を通過して、本選で優勝候補に打ち勝った彼女のこれまでの頑張りが全て水の泡になってしまう。それはできない。他でもない俺が、それをしてはいけない。
どうにかしたいのにどうにもできない現状を歯痒く思いながら、俺は拳を握り締めてジッと耐えて試合を見る。
『俺様が正義だ! 俺様が正しいと言ったことは正しい! 間違ってると言ったことは間違ってる! クズだと判断したヤツはクズだ! だからテメェは! 他の誰が何て言おうが! 俺がクズだって言ったらクズなんだよ!』
散々セリカに暴行を加えたアルキンは彼女の胸倉を掴んで持ち上げようとしたが、イチイの毒で筋力が落ちたようで、持ち上げることはできなかった。代わりに魔法戦斧の刃をセリカの首に当てた。
脅しのつもりだろうか。
『予選通過者発表の直前の時は油断してテメェの精霊魔術に迎撃されたが、これがあるべき姿なんだよ。どんな汚ねぇ手を使ってここまで勝ち進んだのかは知らねぇが、所詮テメェは地べたを這いずり回ってるのがお似合いの蛆虫だ。まぐれで調子に乗りやがって。俺はテメェみてぇな、身の程を弁えない、調子に乗ったヤツが一番嫌いなんだよ』
セリカはもう、ボロボロだった。体のあちこちは打撲で痣が出来ていて、額を切ったらしく頭からは激しく血が出ている。カランと音を立てて落とした『ロビン・フッドの弓』を握っていた左腕はあらぬ方向に曲がって折れていた。
明らかに満身創痍で、目を背けたくなるような状態だ。いっそ気絶してしまえば楽だろうに。
『価値のある人って、どんな人だと思いますか?』
絶体絶命の完全に不利な状況で、声を出すのも辛いだろうに、セリカは絞り出すように言う。
『あ?』
『私には、よく分かりません。今まで他人と、真面に交流しませんでしたから、分かるはずもありません。ただ、何の見返りもなく誰かを助けるような、そんな人は……きっと得難い人なんだろうと、そう思うんです』
『だから何だ? そんなヤツがいれば自分を救ってくれるかもって思ったか? 馬鹿馬鹿しい。御伽噺の英雄じゃあるまいし。そんなヤツ、いるわけねぇだろ! 夢なんか見てんじゃねぇよ! 誰もテメェなんかを助けたりなんかしねぇ! 身の程を弁えろっつってんだろうが!』
見下ろしながら恫喝するアルキンに、しかしセリカはくすりと笑った。
『私は、もう救われていますよ』
『なに?』
『私はあの日、救われたんです』
大切な宝物を扱うような、そんな繊細で優しい声音でセリカは言葉を紡ぐ。
『お金が発生するわけじゃない。名誉が得られるわけじゃない。手間ばかりかかるだけで、彼らは何一つ得るものなんてありません。けれど、それでも彼らは私に手を差し伸べてくれたのですよ。そうすることが当たり前だと言わんばかりに』
『何を……何を言ってやがる』
『彼は言いました。種族でその人の価値は決まらない。これまで何を成してきたのかで決まるのだと』
『何で、そんなヤツがいるように喋ってやがる!』
『手を差し伸べてくれた。それだけで充分だったのに、彼らはそれだけで良しとはせず、私のためにいろいろと動いて、手間をかけて、私の価値を証明しようとしてくれています。とても嬉しかった。ただ、こうも思うんですよ。それは結局、彼らがいたから成し得たことで、私自身が何かを成したわけじゃない。だとすれば、私は胸を張れないって』
だから考えました、とセリカは正面からアルキンを見据える。それに何かを感じたのか、アルキンは思わず「うっ」と呻き声を上げた。
『この大会で勝ち進むことが、そのまま彼らの優しさに報いることに繋がる。私に手を差し伸べてくれたことを、後悔させずに済む。私は彼らの仲間なんだって、胸を張って言える。あの人たちに、何の憂いもなく仕えて尽くすことができる。だから……負けるわけにはいかないんですよ!』
それは、ある種の決意表明だった。心の中の不安や恐怖は完全に拭い去ることはできずとも、言葉にすることで改めて覚悟を決めることはできる。だからお前に勝つと、そんな熱意が、彼女の言葉にあった。
『ご大層なことをべらべらと言うがな、現実を見ろ。ここからどうやって巻き返すってんだ? お前は俺に負けるんだよ!』
『……本当、アナタは目の前のことにすら気が付かないのですね』
アルキンに指摘は事実だったにも拘わらず、セリカは笑みを崩さない。それどころか、勝ち誇ったような顔をしていた。
『アナタに蹴られ続けた状態で、どうして私は精霊魔術を使って逃げなかったのだと思いますか?』
『……何だと?』
『そもそも逃げることができないとでも思いましたか? でも、人は反射的にでも抵抗をします。普通は逃げることができなくても逃げようとはしますよ。――何かを企んでいない限りは』
そう言って、セリカはずっと握ったままだった右手の魔法剣の切っ先を空に向ける。それにつられて視線を空へと向けると、俺は目を丸くした。そこには精霊文字で描かれた、複数の術式を一つに統合した大きな魔法陣が風精霊のルルによって展開されている。さらに上空には極小規模の積乱雲が生まれていた。
規模から考えて、上級レベルの風の精霊魔術だ。
敵を前にしてずっと喋っていたのは、決意表明だけじゃない。意識を自分に向けさせて『これ』の準備を進めるためでもあったのか!
展開されている魔術から、セリカの狙いに気付いたのだろう。アルキンの顔が青褪める。
『まさかテメェ! 自分ごと魔術をぶつけるつもりか!? んなことをすりゃあ、テメェもただじゃ済まねぇぞ!』
『自分で行使した魔術です。ダメージはアナタよりも圧倒的に少ないに決まっているじゃないですか』
クソッとアルキンはセリカから離れるが、意味はない。あの魔術の効果範囲は舞台全てに及ぶ。
『アナタを倒して、私は先に進む。あの人たちの期待に応えるためにも!』
天に向けた魔法剣を逆手に持ち替えて振り下ろし、舞台へ深々と突き刺した彼女は術式名を叫ぶ。
『――【颶風の凍】!!』
その瞬間、風速五〇メートルを超える下降気流が舞台へ叩き付けられた。
ダウンバースト、というものがある。
地上に災害を起こすほど、極端に強い下降気流のことだ。地上にぶつかると四方へ水平方向に広がるので、被害は主に木々などが同じ方向に倒れるような強烈な突風だが、中には強い降水や雹が降ることもある。
セリカが放った精霊魔術は、そのダウンバーストを疑似的に引き起こすものだったようで、舞台は四方へ広がるように凍り付いていた。
普通のダウンバーストじゃ、あんな局地的に凍り付きはしないはずだが、おそらくセリカは高高度に存在する冷気を収束し、下降気流で引き摺り下ろしたのだろう。イメージとしては漏斗か。そして極寒の冷気が処理されることはないまま、風速冷却の影響も相まって舞台が凍り付いたのだ。
『な、何と!? 舞台が凍り付いてしまいましたぁぁ! 一面氷漬けです! 果たして二人はどこにいるのでしょうか!? 全く見えません!』
どうやらケトルの方でも判別が付かないらしい。
改めて舞台を見渡す。一面真っ白で、確かにどこにいるのか見分けるのは難しい。が、意外とアルキンはすぐに見付かった。彼は舞台から飛び出し、その先にある壁に寄り掛かる形で気絶している。背中からぶつかって気を失ったのだろう。
彼の武器である魔法戦斧は粉々に砕け散っていた。火属性の魔法戦斧で、何度も炎を纏わせていたからな。ダウンバーストの冷気に晒されて、急激な温度変化に耐えられなくなって砕けたか。
セリカは? 彼女は一体どこに? まさか彼女も場外に出たのか?
不安になりながら注意深く観察していると、バキバキと音を立てながら氷を割って這い出てくるセリカの姿が見えた。右手で魔法剣をずっと握っている。何で吹っ飛ばされていないのかと思ったが、突き立てた魔法剣を支えにすることで防いでいたのか。
四つん這いになって、荒々しく呼吸を乱すセリカ。折れた肋骨に痛みが走るようで、呼吸の度に苦痛で顔を歪める。今にも途切れそうな意識を無理やり繋いでいるようだった。突き立てた魔法剣を杖代わりにして、全身を駆け巡る激痛に歯を食い縛って耐えて、震える手足に力を込めて、立ち上がろうとしている。
その様子を、観客たちは息を呑んで見ていた。彼らは何を思っているのか。立ち上がってほしいと思っているのか、それともその逆か。俺には分からない。けれどこの場にいる誰もが……いいや、おそらく会場の外やこの森都メグレズ以外の六都市でも映し出されているこの試合風景を見ている者たちも、セリカの姿に見入っていた。
どれくらい時間が経ったのか。一分かもしれないし、一〇分かもしれない。何度も膝を突きそうになり、それでもどうにか踏ん張って……そして、ようやく、セリカは確かに二本の足で立ち上がった。
『ファ、ファルネーゼ選手、立った! 立ちました! 何という一撃でしょうか! あまりの威力にカルドーネ選手は吹き飛び、その武器までも破壊してしまいました! あんな威力の魔術を自分ごと放つとは! 誰も予想にしない攻撃! だからこそ出し抜かれました!』
興奮気味に実況するケトルはバッと手を広げて勝敗を決する言葉を放つ。
『カルドーネ選手、戦闘不能! 勝者、セリカ・ファルネーゼぇぇええええ!!』
ケトルによる勝利宣言と、彼女へ贈られる称賛の拍手と歓声。それを聞いた途端、セリカは糸の切れた人形のように倒れた。即座に大会スタッフがセリカとアルキンを担架に乗せて運んでいく。俺たちもすぐに、セリカが運ばれたであろう医務室へと向かったが、治療中だったから入れなかった。
彼女と面会できたのは、セリカの次の対戦相手が決まる次の試合が終わった後のことだった。




