第101話 それぞれの役割
翌日の精霊祭二日目。
午前中に必要な準備を整え、昼食を済ませた俺たちはアルフヘイムの国境に来ていた。目の前にはセリカさんが開いてくれた『妖精の脇道』という普段は幻術で隠れている街道が真っ直ぐ伸びている。
どうしてこんな所にいるのかというと、明後日から開催される武闘大会に備えてセリカさんの特訓を行うからだ。
武闘大会は毎年百名近くの出場者が集う大会だ。そのため、ふるい落としも兼ねて行われる予選はアルフヘイム国外の【シルワ大森林】の一区画で実施される。
種目は『狩り』。これはポイント制であり、強い魔物ほど高得点になる。朝から夕方までの間に、より多くより強い魔物を狩って、ポイントを多く獲得した上位十六名が本選への出場権を勝ち取れる。この時点で、近衛侍女や妖精兵団に入るのがどれだけ難しいか分かる。
ちなみに本選はトーナメント制で、これは残りの三日間フルで実施される。
セリカさんのステータス値は平均で1276ほどであり、【狩猟】がLv.5、【気配察知】と【魔力感知】がLv.4とスキルレベルも高い。冒険者でいうと熟練レベルであるBランク冒険者相当はあるので、大会初日に行われる予選の『狩り』は……まぁ苦労はするだろうが突破できる可能性は充分にある。
しかし突破できたとしても、本番はその後の本選だ。運良く予選を突破しても、初戦敗退してしまったらセリカさんは近衛侍女に選ばれないだろう。最低でもベスト四には入らなければ。
本選はトーナメントで上位十六名ということは、セリカさんは自身と同等かそれ以上の実力者と、優勝を狙うなら四回、ベスト四狙いなら二回は勝たなければならない。言葉にすればたった数回。けれど実現するのは簡単ではない。
そういう楽観できる状況ではないため、アルフヘイムの外へ一旦出て、レベルアップを図ろうというわけなのだ。ただし、行う場所は【シルワ大森林】ではない。武闘大会が近いということもあって、不正を行う者が出ないように大会スタッフが立ち入りを制限しているからだ。行き来するだけなら問題ないんだけどな。
さて、そうなるとどこでレベルアップをしようかという話になるのだが。
「【戦士たちの地下修練場】。カルダヌスから北へ三日ほどの距離にあるダンジョンですね」
そう。セツナが口にしたダンジョンが、今回の特訓場所だ。
難易度はB~Cランク冒険者が行くレベルの所で、初心者用のダンジョンである【魔窟の鍾乳洞】とは段違いに高い。【魔窟の鍾乳洞】をEランクとするなら【戦士たちの地下修練場】はDランク。
たかが一ランク。されど一ランク。
Cランク冒険者とBランク冒険者の実力に大きな差があるように、ダンジョンも一ランク違えば難易度も変わる。元クラスメイトのアイツらが今【戦士たちの地下修練場】に挑戦しても、第一層を突破することはできないだろう。それほどの差がある。
しかも【戦士たちの地下修練場】はその名の通り、特訓や訓練におあつらえ向きのダンジョンだ。罠の類もないわけではないが、そこまで悪辣なものはなく、現れる魔物は全て人型――つまり二足歩行の魔物ばかりで、階層主は五階層ごとと頻度は高い。
このダンジョンなら、予選と本選の両方を想定して特訓できる。
「さて、それじゃあ行きましょうか、先輩」
と言いつつ俺とセリカさんの方へと歩み寄るセツナ。ちょっと待て。
「何でこちら側に来ているんだ。お前にはアルフヘイムでやることをやってもらわないと」
「私もそのつもりだったんですけどね。午前中に準備を終えてから考えてみたんですけど、ミオちゃんとクレハさんだけでも問題はなさそうなんですよ」
おや? そうなのか?
真偽を確かめるためにミオとクレハの方を向くと、二人は頷いて肯定した。
「場所も確保して設営も完了しましたので。後のことはわたくしとミオちゃんの二人で充分ですわ」
「……頑張る」
ふむ。まぁ彼女たちが大丈夫だと踏んだのなら問題ないのだろう。それに、いざとなったら【灰色の闇】を呼んで人手を確保すればいいだけだしな。うまいことやるだろう。
「それで? どうしてセツナはこっちに?」
「サポートは必要かと思いまして。あ、大丈夫です。先輩について行く人はさっきジャンケンで決めたので!」
いや、別にそういうことを聞いているわけじゃないんだけど。ていうかジャンケンで決めていたの? まぁ、当人たちが納得しているなら良いけど。
「まぁ、そういうことらしいです、セリカさん。少し予定は変わりますが、セツナも同行することに問題ありませんか?」
「全てアナタにお任せします。ただ、ここからカルダヌスに行くまで普通の馬でも一週間はかかります。歩きならもっとです。行きに使ったハルピンナとプシュラを連れている様子もないようですし、一体どうやってカルダヌスから三日離れた所にある【戦士たちの地下修練場】にまで行くのですか?」
同意を求めた言葉に了承を返したセリカさんは不思議そうにそう聞いてきた。
彼女の指摘の通り、今この場にいるのは【鴉羽】の面々だけ。アルフヘイムへ来る時に使ったハルピンナとプシュラはおろか、馬の一頭だっていない。
そもそもハルピンナとプシュラはあくまで領主のバジルさんから貸し与えらえられたものに過ぎないし、あの二頭を使ったとしても間に合わない。
「そこはそれ、ちょっとした反則技を使うのさ」
言葉の意味を図りかねてセリカさんは首を傾げるが、俺はそのまま準備に入る。両足を肩幅に広げ、自身に意識を集中させる。
俺の体を詳しく調べた極夜曰く、半人半龍となった俺の体は龍20%、人80%の割合で固定されているらしい。龍力を制御できるようになって、自分にとって最適な状態にしているのだろうとのことだ。
意識しなければ視力も聴力も人並みだったのはそのせいだ。
本来、【龍化】や【獣化】のような変化系スキルは俺のように割合を調整することはできず、オン・オフを切り替えるようにしか使えない。そのため、クレハは【人化】で人形態になっている時は龍族としての能力は一切使えないし、ミオも【獣化】で猫形態になっている時は人語を話すことはできない。
俺が変化系スキルを調整して使えているのは、半人半龍という極めて特殊な種族だからに尽きる。しかし、クレハやミオと違って俺は一瞬で猫形態や人形態にはなれない。それぞれ90%までなら変化することはできるのだが、完全に形態を変えるとなると、別のプロセスを踏まないといけないのだ。
ただ、今は完全に形態を変える必要はない。割合を変更するだけで充分。
「――【龍化】、55%。【人化】、45%」
口にした途端、俺の体に変化が現れる。
大きさに変わりはない。だが両手両足はバキバキと音を立てながら鱗で覆われ、指先からは鋭い爪が伸び、背中からは肩甲骨の辺りから蝙蝠を連想させる飛膜の翼が生えた。自分では確認できないが、視界も普段より鮮明に見えるので、龍族特有の瞳孔が縦長になった黄金色の瞳になっているだろう。
「な、あ……」
異様な俺の変化を見てセリカさんは言葉を失う。当然だ。こんな不気味な変化をする者なんて、アストラル全土を見渡しても他にいないに違いない。
「細かい説明は省きますけど、間違いなく俺は異世界人ですよ。ただ、ちょっといろいろあって龍の因子を身に宿した半人半龍になったんです」
「半人、半龍? じゃあ、アナタも私と同じ、ハーフ……?」
呆然とした様子で呟くセリカさんを余所に、俺は彼女とセツナを抱き寄せる。昨夜のうちにこれから俺がやろうとしていることを聞いているセツナは俺の首に腕を回す。しかしそこに色気や浮付いた雰囲気など一切ない。あるのは絶対に振り落とされまいと語る必死の形相だ。
俺の行動とセツナの表情を見てさらに困惑するセリカさんに解答を提示する。
「たしかにアルフヘイムからカルダヌスまでは馬で一週間、ハルピンナとプシュラを使っても数日はかかる距離です。けれど、龍族の飛行速度なら一時間程度で着きます」
その速度は実に時速220キロメートル。新幹線とほぼ同じ速度だ。これなら充分に間に合う。とはいえ、さすがに何の安全策も講じずに生身で新幹線の速度で飛ぶわけにはいかない。俺はともかく、セツナとセリカさんは無事じゃ済まない。
「本当は俺がやろうと思っていたけど、せっかくサポートしてくれるっていうんだ。早速手伝ってもらうぞ、セツナ」
「それはもちろん。けれど具体的には何をすれば良いんですか?」
「セツナとセリカさんの体を守るために魔術を掛けてくれ。風圧の防御、酸素の確保、俺と二人の相対位置の固定、空気摩擦の軽減、風圧冷却による凍傷対策、その他諸々」
「あのう、先輩。それって風属性、土属性、火属性の魔術を同時展開しろってことですよね? かなり無茶な要求をしている自覚あります? 普通の魔術師じゃ異なる属性の魔術を同時展開することなんて無理なんですけど。しかも私、土属性魔術は最近獲得したばかりですし」
「できないのか?」
「……まぁ、先輩が以前に同時展開したのを見ているのでできなくはないですけど」
へぇ。一度見ただけでもうそれを再現することができるのか。さすが魔道の申し子。その名は伊達じゃないな。
「じゃあよろしく」
「……分かりました。やりますよ、やれば良いんでしょう。うぅ、何だか先輩に限界を試されている気がします」
そんなつもりは全くないんだけど。
泣き言を言いつつもセツナはきっちりやってくれる。さまざまな属性の魔術を展開していくセツナの偉業を目の当たりにして瞠目するセリカさんだったが、俺が翼を羽ばたかせて宙に浮き、ホバリングに入ったことでハッと何かに気付いたように俺へ視線を向ける。
顔が青褪めているのはきっと気のせいではないだろう。
「ちょっと、待ってください。まさか……!」
ようやく理解したセリカさんが顔を引きつらせて、笑って肯定する俺にいやいやと首を振るがもう遅い。冷徹に言い放つ。
「超特急旅行を楽しみましょうか。なに、一時間程度の辛抱ですよ」
「いやぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
◇◆◇
「初っ端からトップスピードで飛ぶなんて無茶しますわねぇ。セツナさんが衝撃緩和の魔術を使っていなかったらバラバラになっていたところですわ」
まぁそれを分かった上でやっていそうですけれど、とセリカさんの悲鳴と共に三人が飛び去った方向を見ながら、わたくし――クレハ・オルトルート・クセニア・バハムートは兄上様が巻き起こした風によって乱れた髪を片手で抑えながら思いました。
兄上様たちの姿はすでに見えず、それどころかセリカさんが開いていた『妖精の脇道』も今は閉じています。『妖精の脇道』は開いた者が一定の距離まで離れると自動的に閉じる仕組みらしいですから、その機能が働いたのでしょう。
さすがに飛び立って数秒で閉じるのはどうかと思いますけれど。兄上様、飛ばし過ぎではなくて?
「にしても、セリカさんには少し同情しますわ。何せこれから、兄上様の情け容赦のない地獄の特訓を受けることになるんですもの」
わたくしも彼と戦闘訓練は行いましたが、訓練なのに本気で殺しに来るってどうなんですの? しかもわたくしの方が強いからって遠慮なく斬りかかって来ますし。
……まぁ、普段から極限の状態で訓練することでいざという時に慌てることなく対応できるという理屈は理解できますけれど。その点は実力主義の龍族と似通った考え方をしておりますわね。
「……ん。まさに、鬼の所業」
兄上様が巻き起こした風圧で飛ばされないようにわたくしの腰に抱き着いていたミオちゃんが同意を返してきました。抑揚の乏しい声音ですが、そこにはしっかりと実感がこもっています。
まぁ、兄上様の訓練で一番被害を受けているのはミオちゃんですものね。わたくしはまだしも、セツナさんは兄上様と同じくらいの戦闘能力に急成長していますから接戦状態ですが、ミオちゃんはまだわたくしたちの中ではステータス値でも戦闘経験でも一番弱いですから。
「さて、わたくしたちもやることをやりましょうか。でないと兄上様に叱られてしまいますわ」
ミオちゃんの頭を一撫でしてから、わたくしは彼女を伴ってアルフヘイムへと舞い戻ります。向かう先は昨夜泊まった温泉宿の前。その隅には、こじんまりとした出店が出ていました。
見るからに急ごしらえのそれは、わたくしたちが午前中に設営した出店です。
「ミオちゃん。出してくれますか?」
「……ん」
わたくしの言葉に頷き、ミオちゃんは【虚空庫の指輪】から大量の物資――というか商品を出していきます。お酒、織物、弓、鉢植えに入った霊木の数々。どれもこれも一級品のこれらは、全てセリカさん個人が作成したもの。午前中に彼女の家に行って、倉庫にあったものをかき集めたんです。
これが兄上様のもう一つの手。それは、戦闘のみならず生産者としても優秀だと証明すること。
実は精霊祭は武闘大会の他にも、各店舗の売り上げを競うイベントがあります。これは精霊祭の全ての日程で行い、最終日にその売り上げが一番の者を決めるというもので、順位は毎日夕方に発表されます。
まだ精霊祭が始まって二日目。充分に上位は狙えるでしょう。とはいえ、そのままセリカさんの名義で売ってしまうとダンデライオン・ガリアーノ辺りが妨害してくるかもしれませんし、買う人も出てこないかもしれません。
なので、一旦はわたくしたちで売り、最終日の発表で本当の作成者を公表する算段です。
本当なら精霊祭の最中に途中参加なんてできませんが、そこはわたくしの暗殺者としての腕の見せ所。こっそり運営に潜り込んで参加者名簿に細工しましたわ。これなら記録上はちゃんと申請したことになります。
ちなみにこの場所については兄上様が温泉宿の人たちと交渉することで確保しました。当初はわたくし、ミオちゃん、セツナさんの三人で販売を行う予定でしたが、確保できた場所のスペースが狭いこともあって二人で充分になった、というわけですわ。
「……クレハさん。商品、出し終わった」
「ご苦労様。じゃあ、売り子の服に着替えてから販売をしますわよ」
さて、今日一日でどれだけ売れるかしらね?




