第100話 動き出す鴉たち
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とりあえずセリカさんにボッコボコにされた俺――雨霧阿頼耶は彼女の自宅で手当てをすることになった。何せ全身打撲に左肩貫通だ。死にはしないけど、まぁまぁ重傷である。
「「…………」」
彼女の自宅であるツリーハウスのリビングで、彼女はただ無言で俺の手当てをしてくれる。今まで独りで生きてきたためか、動きに淀みはない。包帯を巻いていく彼女の手元から瞳へと視線を移す。
彼女の瞳にはさまざまな感情が浮かんでいる。心配、呆然、後悔、不安。おおよそそういった感情が見て取れるが、もう以前のようなあの諦観めいた死んだ魚のような目はしていなかった。
溜め込んだものを思い切り吐き出して、いろいろと吹っ切れたのかもしれない。
視線をリビングへと向けた。中央には大きな木が貫き、それに沿うように二階へと続く螺旋階段がある。二階は自室や寝室があるらしい。大きな木の傍にはテーブルがあり、三人分の椅子が置かれている。
ここへ来るまでの道中に少し聞いたのだが、彼女は元々父と母の三人でここに暮らしていたらしい。人間族であった父は既に他界し、森妖種である母は仕事のミスで牢獄に入れられているのだとか。
あの三人分の椅子は、その名残りだろう。
「アラヤさん。これからどうなさるのですか?」
手当てが終わったところで、セリカさんがそう聞いてきた。
「敬語に戻っちゃいましたね。さっきまでアレだけ声を荒げていたのに」
「アレはアナタが挑発するからじゃないですか」
不機嫌そうに目を鋭くして俺を睨み付けるセリカさん。とはいえ本気で怒っているわけではなく文句を言っているだけなので、俺は肩を竦める。
「とりあえず俺の仲間と合流ですね。彼女らに今回のことを説明する必要がありますし」
「でしたら、私もご一緒致します。ご迷惑をお掛けする以上、謝罪せねばなりませんから」
「別に迷惑だなんて思っていませんけど?」
「アナタはそうだとしても、アナタの仲間はそうではないでしょう? せっかくの休息なのに私の事情に巻き込んでしまって台無しにしてしまうので、あまり良い気はしないはずです」
「そんなものですかね?」
確かにあまり良い気はしないだろうけど、事情を説明すれば理解してくれると思うんだが。
そう思って言った言葉だったが、何故か彼女は呆れたように溜め息を吐いた。
「アナタはもう少し、女心を理解した方が良いかと思います」
「??」
何故ここで女心が出てくるんだろうか?
関連性が分からず首を傾げるが、緊急性はないので一先ず脇に置いておくことにした。体の調子は悪くない。セリカさんが手当てをしてくれたし、何より俺は半分が龍であるため、回復力は並じゃない。数時間すれば完治しているだろう。
「さて、それじゃあ仲間のいる温泉宿に戻る前に、ちょっと地上にある倉庫の中を見せてもらっても良いですか?」
首を傾げるセリカさんを余所に、ツリーハウスの下にある倉庫の中身を一通り確認した俺は彼女を伴って温泉宿へと戻ったのだった。
「なるほど。そんなことが」
温泉宿に戻り、宿側が用意してくれていた部屋に入った俺とセリカさんを出迎えたセツナ、ミオ、クレハの三人はセリカさんの登場に首を傾げていたが、だいたいの事情を説明すると納得したように頷いた。
「となると、いろいろと考えないといけませんね。先輩は何か策があるんですか? 私たちはどう動きましょう?」
自然と関わろうとしてくるセツナの言葉に俺は思わず目を丸くする。
「待て待て待て。何でサラッとお前たちも動こうとしているんだ」
「え? 私たちじゃ役に立てませんか?」
……正直手伝ってくれるならかなり助かるが、だからと言って無遠慮に巻き込むのは違う気がする。
そう考えて口に出そうとしたが、セツナが伸ばしてきた指先で唇を触れられ、発言を遮られてしまった。余計なことは言わなくて良い。そんな反応を示す彼女の顔はとても穏やかな笑顔で、気付けばクレハも同じような顔をしている。ミオは相変わらず無表情だが、きっと同じ感情を抱いているのだろう。
ジッと三人の顔を見るが、誰一人として顔を背けず俺と目を合わせる。
……これは、黙っていても勝手に関わってきそうな気がするな。それなら始めから巻き込んだ方が得策かもしれない。彼女たちの優しさに甘えている感じがするけど。
「分かったよ。なら手を貸してもらう」
俺が手を上げて降参のポーズをしながらそう言うと三人はハイタッチした。
そうと決まれば早速話し合いを始めるとしよう。
詳しく話をするために、とりあえず全員で木製の長テーブルを囲むようにして座った。その時にセリカさんがお茶を淹れてくれたので、それを飲みながら話を進めることにする。
「解決方法だけど、今回はセツナ、ミオ、クレハの時とは違って、ただ戦って相手を倒せば良いってわけじゃない」
「何せ今回は半森妖種に対する偏見ですからね。分かりやすい敵が存在しない以上、単純な戦闘で解決するものじゃないですよ」
セツナの言葉に全員が頷く。
「偏見を払拭するには、その対象となっている者について詳しく説明し、誤解を解いていく――平たく言えば相手が納得するまで根気強く何度も説得を繰り返せばいい。けど、これはある程度名の通ったヤツがやることで信憑性や言葉の価値が出る。一介の冒険者に過ぎない俺たちじゃ、何年かかるか分かったものじゃない」
「……それに、ハーフ嫌いが、妨害してきそう」
「ミオちゃんの言う通りですわね。少なくとも、今までセリカさんの努力を悉く台無しにしてきたというダンデライオン・ガリアーノは確実に邪魔をしてくるでしょう」
「となると、できる手段は限られてきますね。どうするんですか、先輩?」
「簡単なことさ。半森妖種云々じゃなく、セリカ・ファルネーゼという一個人の有用性を示せばいい」
率直に切り返しつつ俺は一枚の紙を取り出して長テーブルに置く。それは精霊祭の案内が書かれたパンフレットだ。俺はそこに記された文字列の一つを指差して言う。
「精霊祭の四日目に開催される武闘大会。そこで近衛侍女に選ばれるほどの成績を残せれば、否が応でも証明されるだろ?」
それから充分に話を詰めたところで時間も遅くなったので今日はもう明日に備えることになった。部屋にいるのは俺とクレハのみ。セツナとミオは、セリカさんがまだ風呂に入っていなかったのもあって、一緒に入りに行った。
もう一度入りに行くのか? と疑問に思ったが、セツナがこっそりと
『セリカさんの今までの境遇を考えると、ここは言わば敵地みたいなものです。できるだけ一人にならないようにしませんと』
と耳打ちをしてきた。呪いのせいで周りが敵だらけになった辛い経験を持つセツナだからこそ思い至った配慮であった。さらりとフォローに回れるあたり、中々に気が利くヤツだ。
「明日から大忙しですわね」
「そうだな。特に午前中はセツナたちに任せたヤツの準備もあるから」
セリカ・ファルネーゼを武闘大会で優秀な成績で勝利させ、近衛侍女になれる権利をもぎ取ることでその有用性を証明する。これが主な手段だが、それ以外にも人手の問題で断念していた手段があるので、せっかくセツナ、ミオ、クレハの三人が手伝ってくれるというのだからそれをやってもらうことにしたのだ。
打てる手は打っておきたいからな。後になって『やっておけば良かった』と思い出したように後悔なんてしたくない。
「クレハ、【灰色の闇】は何日で招集できる?」
「七人までならすぐにでも。それ以上なら数日で招集できますわ」
「ん? 何で七人までならすぐに招集できるんだ?」
「それはもちろん、すでにこのアルフヘイムへ潜伏させているからですわ」
……いや何で潜伏させているの?
「こうなることが分かっていたのか?」
「まさか。ですが、備えあれば憂いなしというでございましょう? 何が起こるか分かりませんもの。常に配下の者は数名ほど潜伏させておりますわ。とはいえ、臨機応変に対応するためにも半数はカルダヌスへ残しましたが」
自分の判断で備えていたというわけか。一組織の頭目をしているだけあって、本当に優秀だな。気の利くセツナとミオや手回しの良いクレハ。ウチの女性陣は仕事ができるヤツばかりだ。
「ここに書いてあることを調べてほしいだけだから、七人で充分だ」
言ってクレハに調べてほしいことを書き出した紙切れを渡すと、彼女はそれを一読してからパチンと軽快に指を鳴らした。
すると、物音や衣擦れの音どころか、気配も魔力も感じさせずにクレハの配下の七名が姿を現した。
以前、彼らから受けたテストでは全員の気配を(どうにかだが)探知できていたけど、さすが本職の暗殺者だな。彼らが本気を出すと、全く探知できない。
被っていたフードを脱いだ七人の顔を一通り見ると、【灰色の闇】のNo.2であるイザベルはいなかった。どうやら今回はカルダヌスで留守番をしているようだ。代わりにというわけではないだろうが、【隷属術式】によって捕まっていた残りの二人――アウグスト・リヴァイアサンと黄龍晴信がいた。
七人は跪き、声を揃えて言う。
「「「「「「「招集に応じ、参上致しました。どうぞ御命令を」」」」」」」
「……」
クレハの教育の賜物なのだろうが、統率が取れ過ぎていて逆に怖い。基本的に俺は小市民なので、こういうことをされても気後れしてしまう。彼らを仲間にした以上、こういうのも慣れていかないといけないんだろうな。
顔が引きつるのをどうにか堪えていると、クレハは俺が渡した紙切れを配下たちに差し出した。
「兄上様からの命令ですわ。ここに書かれていることを早急に調べ上げなさい。期限は三日以内。できますわね?」
「無論です。お任せを」
そう言って紙切れを受け取った、長く伸びた青い髪の青年――アウグストの言葉と共に七人はまた姿を消した。それを見送って、俺は息を吐く。
さて、現時点でやれることは全部やった。後は結果を出せるように尽力するだけだ。




