第98話 闇夜のような
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森都メグレズの外れにある森林地帯にはそこそこ大きなツリーハウスが一軒建っており、そこには一人の女性がひっそりと暮らしている。
名前はセリカ・ファルネーゼ。
森妖種の長老会のメンバーであるダンデライオン・ガリアーノの妹を母、人間族を父に持つ半森妖種だ。
長老会メンバーという重鎮の姪という立場ではあるが、半森妖種だからという理由で、あまり良い扱いは受けていない。
伯父のダンデライオンからは蛇蝎の如く嫌われているし、従姉妹のブルーベルからは煙たがられているし、叔母のサフィニアからは距離を置かれている。それだけに止まらず、メグレズの住人たちもセリカとはあまり関わらないようにしていた。
無論、他者と全く関わらずに生きていくことなんて無理なので、セリカも食材の調達などでたまにメグレズへ赴くことはある。けれど、住人たちはセリカに直接何かをしては来ないが、真面に目を合わせることすらもしない。
いくらセリカが望んでも、素っ気無く、会話もせず、必要最低限の交流しか持たない。いや、そもそも目すら合わせず、言葉を発するにしても合計金額を言うだけ。そんなものは交流とは言わない。ただの機械的なやり取りだ。
もうずっと空気のような扱いを受けているセリカは、自宅で自分が愛用している弓のメンテナンスをしていた。
「……特に異常はない、か」
珍しく今回はアルフヘイムの外へ出て、しかもミノタウロスの変異個体種とまで遭遇した。何か不具合が起こっていないか心配していたのだが、そんなことはなかったらしい。
試しに弦を引き絞ってみるが、本体の方に妙な軋みも、弦の方に緩みもない。彼女が使っている弓は『イチイの長弓』と呼ばれる魔法弓で、イチイの木から作られていることから【毒付与】の効果が付いている。
だがそれほど珍しい物ではない。ランクとしては四等級程度の代物で、これくらいの魔道具はアルフヘイムの者であれば誰でも作成可能だ。
弓を引き絞った状態で確認していると、右手に手乗りサイズの蜘蛛が乗ってきた。フィル・アレニエ――別名を糸蜘蛛とも呼ばれる無害な魔物だ。その膨らんだ尻から出る糸は細く丈夫でしなやかであるため、その糸を寄り合わせて弓の弦に使っている。
ちなみに名前はケダマで、セリカが名付けた。いろんなスキルを持つ万能な彼女も、ネーミングセンスは壊滅的であった。
そのケダマはセリカの方を見ながら膨らんだ尻をふりふり振る。
「まだ切れることはなさそうだから大丈夫よ」
そう言うと、ケダマは前足で敬礼してからセリカの右手から飛び降り、部屋の端っこに置いてある丸い穴が開いた木箱の中へと戻って行った。ケダマの巣箱だ。その様子を一頻り見ていると、彼女に声を掛ける者がいた。
「せっかくの精霊祭なのに、今年も家で過ごすの?」
声のした方を向くと、そこにはセリカと契約を結んだ風精霊――ルルが宙に浮いていた。
「私が行ったって、みんなが迷惑するだけだもの」
弓に異常はなかったのでそれを壁に立て掛け、次にセリカはヴァイオリンを取り出して具合を確かめる。
「そんなことないわ」
「あるわよ。だからこうして、こんな所で生活する羽目になっているんじゃない」
セリカの言葉に、ルルは口を噤む。精霊は気に入った者としか契約を結ばない。故にルルもセリカのことが大好きであり、こんな森都の外れに一人で住んでいることに不満を感じていた。
彼女の人となりを知れば、きっと受け入れてくれる。そう思っているのだが、二百年以上経った今でも、それは叶っていない。
両親と共に暮らしていたこの家に、もう両親はいない。父親は人間族だったので既に故人となっており、母親は森妖種であったが、仕事で致命的なミスを犯してしまい、その罪を償うために独房に入っている。
ほとんど同時期に父も母も傍からいなくなってしまい、その寂しさを埋めるようにいろんなことに手を出した。
でも駄目だった。
どれだけ質の高い弓を作っても。
どれだけ美味い酒を造っても。
どれだけ綺麗な装飾の服を作っても。
どれだけ弓や狩猟が上手くなっても。
どれだけ精霊魔術の腕を上げても。
どれだけ栽培技術を上げても。
彼女が認められることはなかった。
それも全て、あのダンデライオンのせいだとルルは思っている。あの選民主義者が周りに半森妖種であるセリカと関わりを持たないようにと触れ回って、彼女は役立たずなのだと印象操作をしているのだ。
そのせいで、セリカはいまだに不遇な立場にいて、半ば彼女もそれが当然だと思い始めている。
どうにかしてあげたい。けれど自分一人じゃ大したことはできない。どうしたら良いんだろうと悩んでいると、ルルはここ最近出会ったとあるパーティを思い出した。
(……そう言えば、彼らはみんな種族が違うのに仲が良かった)
彼らに関われば、もしかしたら何かが変わるかもしれない。
「ちょっと外に出てくる」
そう考えたルルは、セリカの返事も聞かずに窓から外へと飛び出して行った。
「?」
そんなルルを不思議そうに見たセリカだったが、彼女がどこかへ行くのはいつものことであったので、さして気に止めることもなく、ヴァイオリンの入ったケースと護身のために『イチイの長弓』を持って自宅を出た。
木の上にある自宅の下には大きな小屋がある。一階と地下室の二層構造になっており、そこはセリカが今まで作った弓や酒や服、栽培している植物などが大量に保管されている。セリカ個人の倉庫みたいなものだ。
倉庫を横切り、セリカはメグレズとは反対方向へと進んでいく。彼女の行く先には水質の良い湖があり、彼女は気が向いた時にそこでヴァイオリンを弾いていた。別に周囲に民家はないのだから自宅で弾いても良いのだが、あの湖で弾く方が気分的に良く、ヴァイオリンの音色に誘われてやって来る精霊たちも楽しそうであるため、セリカはあそこで弾くことにしている。
慣れ親しんだ道を歩いていると、目的地である湖の畔へと辿り着いた。今はまだ精霊はいないが、これはいつものことで、演奏をしているといつの間にか集まっているのだ。こういった現象は音楽が得意な妖精族にはよくあることで、別段珍しいものではない。
妖精族――とりわけ森妖種はそれが顕著で、セリカも半森妖種ではあるが、しっかりとその特徴が出ているというわけだ。
しかもそういった人物は一流が多いのだが、それは長い寿命を持つが故に、人間族や獣人族とは比べ物にならないほどの長い時間を練習に費やすことができるからだ。かくいうセリカも、一番好きなのはヴァイオリンだが、この二百余年で弦楽器ならば何でも弾けるほどになっている。
ヴァイオリンケースを地面に置いたセリカは本体を取り出す。
鎖骨と顎で支え、添える程度に左手でネックを持ち、弓を弦に当てる。浅く息を吐いて心を落ち着かせたところで、セリカは演奏を始めた。
勢いのある曲調ではない。ゆっくりとしていて、不思議と心の緊張を解きほぐすような、そんな鎮魂の曲だった。曲名は『精霊の子守歌』。妖精族にとってはポピュラーな曲の一つだ。
他の曲ももちろん弾けるのだが、どうにも精霊たちは『精霊の子守歌』が一番のお気に入りみたいで、かなり昔に他の曲を弾いたらちょっと不機嫌になってしまったのだ。それ以来、ここではセリカは必ず『精霊の子守歌』を弾いている。
そのせいで、今では楽譜なんて見なくても最後まで間違えることなく弾けるようになってしまった。
まぁそれは別に悪いことではないので、セリカも気にはしていない。
しばらく演奏を続けていると、徐々に精霊たちが集まってきた。今ではもうすっかり見慣れた光景。演奏の最中、セリカは先ほどのルルとの会話を思い返していた。
『せっかくの精霊祭なのに、今年も家で過ごすの?』
『私が行ったって、みんなが迷惑するだけだもの』
『そんなことないわ』
『あるわよ。だからこうして、こんな生活する羽目になっているんじゃない』
セリカとて、考えなかったわけじゃない。
頑張っていれば、いつしか自分もみんなの輪の中に入れるのではないかと。
こんな自分にも、友達と呼べる誰かができるのではないかと。
そんな人と、他愛もない会話をして、ちょっとしたことで一喜一憂する日々が来るのではないかと。
そんな夢想をして、自分の価値を高めるためにいろんなことに手を出して……でもそれは全て無駄に終わった。
ちょっとでも期待した自分が馬鹿だったのだ。御伽噺のお姫様でもあるまいし。神頼みをしたところで、どうにかしてほしいと願ったところで、泣いて叫んで助けを呼んだところで、都合良くそれを解決してくれる英雄が現れたりはしない。
願いを口に出せば後は勝手に帳尻を合わせてくれるなんて都合が良すぎる。御伽噺は、現実では起こりえないことが起こるからこそ御伽噺なのだ。
そんなことは分かり切っていたのに……
(アルフヘイムの外だったら、少しは何か変わったのかしら?)
思わずそんな考えが頭を過ぎる。が、直後にその楽観的な思考を振り払う。
(今更、何を期待しているのよ。どれだけ努力したって無駄だって、もう充分理解したじゃない)
普段ならこんなことは考えない。けれどアルフヘイムの外に出たことで、あのいろんな種族が所属している【鴉羽】というパーティと出会ったことで、ありもしない希望を抱いてしまったのかもしれない。
演奏も終わり、セリカはヴァイオリンの弓を下ろす。すると、彼女の耳にガサッと草を踏み分ける音が聞こえた。
「――っ!?」
半森妖種を嫌っているダンデライオンの影響もあって、こんな場所に来る者はいない。一応、護身のためにと『イチイの長弓』を持って来てはいるが、そもそもこの森に有害な魔物なんて現れないので、本当に“一応”なのだ。
そんな場所へ、誰かがやって来た。それだけでセリカの警戒心は急上昇し、思わず後退る。そしてそこにいた、あまりにも意外な人物を見て目を丸くした。
「何で、ここに……」
黒髪黒眼で漆黒の刀を携えた、どこまでも黒い闇夜のような少年は、まるで彼女の声無き嘆きに導かれたようにそこに立っていた。




