08 ラプンツェル
「【アジリティ・ブレイク】!」
緇雨が持つ双剣が、マシュロンと呼ばれる大きなキノコの姿のモンスターを切り裂いた。
ずばん、と音を立てて、真っ二つに。
分厚いキノコの傘を両手の短剣で切り付けて、その勢いのまま二匹目のマシュロンへと向かう。
胞子を飛ばされる前に、仕留める。
剣を扱うものとしては、マシュロンへの対策はそれしかない。他にもあるのだろうが、マシュロンの胞子は麻痺効果があるため、なるだけ胞子は飛ばさぬうちに焼くか真っ二つに割いてしまうのが、この辺りでの騎士の常識だった。
「しっ!」
同じところを続けざまに素早く切り付けられる双剣だからこそ、大剣ほどリーチがなくともマシュロンを真っ二つにできる。短剣だとしても、ようは使いようなのだと気付いたのは、使い始めてから相当時間が経ってからだったと当時のことを思い出しながら彼女は苦笑した。
いや、それよりも目の前のマシュロンだ。
真っ二つに切り裂かれたマシュロンの死骸を背に、辺りの警戒を続ける。
戦闘を始めた時には二体しかいなかったが、時間が経つと気づけば増えていることもあるのが、厄介な魔物という存在である。
援軍は来ていないか。新たな魔物の群れは来ていないか。倒し残りはいないか。止めを刺し損ねてはいないか。
油断なく辺りを見渡して、それからようやく、緇雨は構えを解いた。
「大丈夫、か」
ふう、と小さく息をついて双剣を鞘へと戻す。
今回はマシュロンだ。キノコ型のモンスターなら露払いの必要もない。
『お前には簡単なクエストだったかもな』
「……ラプンツェル」
『何を当たり前なことを、ってか? 悪い悪い、アタシは緇雨の実力を疑ってはいないんだけど。でも他の奴らがねえ』
なにせ、お前は最近帰ってきたばかりだから。新しい奴らはお前の実力を知らないんだよ。
『魔法の手鏡』越しに見えるラプンツェルの表情は、言葉とは裏腹にどこか楽しそうなのが癪に障るが、まぁ仕方ない。ラプンツェルと語らうのですら数年越しのことなのだ。多少のことなら目を瞑ろう。……これが弟子ならば容赦はしないが。
ラプンツェルに塔に入る許可が欲しい、と告げると彼女は二つ返事で良しと答えた。
そんなに簡単に決めていいのかと頼んだ身ながら思いはしたが、否と言われないならいいかと緇雨は何も言わなかった。ピラカミオンでは何事も、直感に従う即決・即行動に移す者が多い。考えなしだと他国のものから言われもするが、緇雨はそんな素早い判断をするこの風潮は嫌いじゃなかった。それも、緇雨自身がピラカミオン出身だというものもあるだろうが。
「まぁ、緇雨とは長い付き合いだしね。ちょいちょい魔女ゴルテに隠れて塔に様子を見に来てくれた恩もある。アタシの騎士だって言うには、もう今更みたいなもんじゃないか」
ニヒヒッ、とラプンツェルが楽しそうに笑うと長い髪に挿された花がさらりと揺れ、ほんのりと優しい香りが漂った。もう過去のラプンツェルとは違うんだ、とでも言うかのようなそのからりとした表情に、ほんの僅かに緇雨の胸が痛んだ。
「……一度、お前の騎士にならないかと言われた時に、断った身でもか?」
「馬鹿だね、緇雨は。そんな昔のこと、アタシはもう忘れたよ」
ラプンツェルがまだ捕らわれていた頃。緇雨は何度かその身軽さを生かして捕らわれていた塔に忍び込んでいた。魔女ゴルテに見つからないように細心の注意を払っていたため、忍び込んだとしてもほんの少しの時間のこと。塔の窓枠に捕まって、ラプンツェルと言葉を交わした。
ピラカミオンのこと。ヴァーリアのこと。外の世界のこと。ラプンツェルのこと。
何を話したのか、ラプンツェルを励ますようなことをいったのか、それはもう覚えてはいないけれど。それでもその時に、ラプンツェルが「アタシの騎士にならないか?」と言ったことだけは覚えている。
緇雨は、探究者として外の世界を見たいが故に、一度それを断っていた。言葉では断ってはいたものの、それでも何度となくラプンツェルの力になれるように、ピラカミオンにいる間は動いていた。
それを知ってか知らずか、ラプンツェルは緇雨の瞳を真っすぐに見つめて笑う。
「緇雨がアタシの力になってくれたのと同じように、アタシはいつだって緇雨の力になる。だから、緇雨の力をまた貸してほしい。……アタシが緇雨に求めるのは、それだけだよ」
緇雨は緇雨の好きなようにやればいい。時々でいいから、騎士としてアタシの力になってほしい。
そう、ラプンツェルは緇雨に告げた。
なんだその破格な条件は。なんだそんなに甘い条件は。
そんな騎士があるものか。そんな姫でいいのか。
言いたいことは山ほどあったが、それでも、緇雨はラプンツェルに跪いた。
「ありがとう、我が主君よ」
「えぇっ!? ちょっと、やめてくれって! そんな柄でもないことするなよ、こっちが恥ずかしくなってくるじゃないか!」
顔を赤くして慌てるラプンツェルに、あぁやっぱり仮にでも仕えるなら、知らぬ姫君よりもラプンツェルがいいとそんなことを思った。
慌てふためくラプンツェルに促されて笑いながら立ち上がると、一枚の小さな手鏡を渡された。
「これは……?」
「『魔法の手鏡』さ。離れていても鏡越しに話が出来る、魔法のアイテム」
なにせ緇雨はどこにいるか、いつ捕まるかわからないからね。
皮肉気に言われてしまったが、それも事実なものだから緇雨は苦笑を返す他なかった。ありがたく手鏡を受け取った。
「それじゃ、早速だけど。一つ頼みがあるんだ」
「本当に早速だな」
「悪いね、騎士の仕事のうちの一つで、拠点を守らなくちゃいけない。……最近魔物が増えてきてね、討伐が追いつかなくなって来ているんだ」
「……それは、呪いの影響か?」
「かもしれないね、前はそんなことなかったから」
忌々しそうに吐き捨てるラプンツェルに、それくらいのことなら構わないだろうと双剣に手を添えた。塔に挑む前の軽い運動と思えばいい。それでいて役に立つのなら、喜んで引き受けよう。
どことなくやる気の緇雨の様子に、ラプンツェルは表情をほころばせた。
「緇雨の実力なら問題ないと思うけど、気を付けるんだよ」
「あぁ」
「ついでに緇雨のことを知らない新入り達に、その実力を見せてやりな!」
最近、気を引き締め直さないといけないと思っていたんだ。と言う言葉に、新入りとは来訪者たちのことか、と緇雨は悟った。ここにまで来訪者が来ているとは、物好きもいたものだと思う。
それでも、仕える主に期待されているのだ。それに応えなくては、と緇雨自身も気を引き締めて拠点外へと出たところで、冒頭につながる。
「渓谷の方にも向かった方がいいか?」
『いや、とりあえずは拠点の外だけでも間引いてくれればいいよ。確か緇雨は、塔に向かいたいんだろ?』
「まぁな」
『渓谷までは少し距離があるから、そこは他の手の空いている騎士に頼むさ』
「了解した……っと」
手鏡越しに話している間なら隙があると思ったのだろうか。毒の胞子を撒き散らしながら、マシュロンが全身でタックルをかましてくる。
ひらりと裾を翻しながら飛び避け、素早く手鏡を口にくわえて神双剣ヤヌスを引き抜く。着地と同時に姿勢を低く、マシュロンへと切りかかった。
『おいおい、お前! くわえて』
強く握りしめ、深く斬り込む。キラリと刀身が輝いたヤヌスに、斬り込んだ抵抗感が伝わらない。この勢いならばイケると、右手左手と斬り込んだ後、更に半身を捻り右手を突き刺した。
ずぶり、と肉厚の繊維感触が伝わる。柄まで通った感覚に、マシュロンに足を掛けて勢いよく刀身を抜く。
『やるねぇ、三回も攻撃できるなんて』
ひゅう、と鏡の向こうでラプンツェルが口笛を吹いた。
緇雨自身も表面には出さないものの、感心していた。さすが神の名を持つ双剣である。通常なら出来ないことが、こうして時折できるようになる。たまにであるが、こうして決まるとやはりどこか清々しい。
ピクリともしないマシュロンを見つめ、再びヤヌスを腰にさす。割れないように口にくわえていた手鏡をそっと持ち直し、さりげなく表面を拭いておいた。
『それくらいでいいよ。緇雨、拠点へ一度戻ってきてほしい』
「あ? あぁ、分かった」
ラプンツェルの真面目な声色に戸惑いを覚えながらも、緇雨は再びピラカミオン城へと駆け戻った。
執務室へ戻ると、『ピラカミオンの弾丸』の異名を持つ白馬、シビリーを思いつめた顔で撫でるラプンツェルの姿が見えた。全く以てらしくない顔に、緇雨はなんと声を掛ければいいのか躊躇してしまった。
ふと、ラプンツェルが顔を上げる。扉を開けて突っ立っている緇雨に気付くと、表情を柔らかくして入りな、と促してきた。
緇雨が素直に従うと、「手を出しな」と何かを差し出してくる。
そっと受け取ると、涼やかな雰囲気を放つ薄紅色の厚い花弁が手のひらの中に納まっていた。
「薔薇の、花びら?」
「ローズリーフって言うんだ。塔の呪いを防ぐ力を持った、魔力の結晶」
緇雨の脳裏に、呪いが蔓延したあの夜の光景がフラッシュバックする。
祈りの塔を侵食する茨。襲い来る魔物たち。宙を舞う、赤い、花弁。
あぁ、そういえばこれは、あの時から現れたものだったかと、なんとも言えない気持ちになった。
それでもこの花弁が、あの塔にかかる濃厚な呪いの力を防ぐというのならば、それが魔力の結晶と言うのならば、いつまでも複雑な気持ちで見ているわけにもいかない。これをラプンツェルが渡したと言う事は、だ。
「塔に向かっても、いいんだな?」
「あぁ。危険な場所だけど、緇雨の実力なら大丈夫だろうと、アタシは信じてる」
さっきも言ったが、拠点の周りはアタシと他の騎士に任せな。緇雨は緇雨の進むべきを進むんだ。
そう、ラプンツェルはつづけた。
「塔の調査をすること、それも騎士の仕事だ。……ただ、調査はどこも難航しているし、呪いのことも分からないことだらけ。塔に呼ばれていると言っていた来訪者たちにも頼んでいるけど、探究者であるお前の視点からなら、他に何かわかることがあるかもしれない」
そして、真面目な顔で緇雨に言うのだ。
「緇雨、改めて頼む! 塔の調査に協力してくれ」
「ラプンツェル……?」
「聖女様の力がなくても、アタシ達は戦える。アタシを塔から救ってくれた皆ならできる。それを証明する力を貸してほしいんだ!」
どことなく切羽詰まったような表情で、ラプンツェルは口早に言葉にする。
そうであってほしいと。どうか否定しないでほしいと願っているかのようなその様子に、緇雨は静かに大きく息をついた。
「ラプンツェル」
「……緇雨」
「ラプンツェルがいつだって私の力になってくれると言ったのだから、私もいつだってラプンツェルの力になる。それが答えだろう?」
少しの間に、そんなことも忘れてしまったのか? と皮肉気に告げると、ラプンツェルは一度きょとんと眼を丸くした後、大きく破顔した。
「ありがとう。アタシも精一杯、お前に協力するからね」
まるで大輪の花が咲くかのような、華やかな笑顔。ニヒヒッと照れ臭そうに、それでいてどこか誇らしげに笑う彼女の力になれるのなら、いくらでもなろう。
本物の騎士と言うには難しいけれど、それでも塔を攻略するものとして、力あるものとして、存分に彼女の力になろう。
言葉にはしないが、緇雨はそう心の中で誓った。
「……緇雨」
「なんだ、ラプンツェル」
「アタシは、お前が帰る場所を必ず守る」
だからね。
「苦しくなったらいつでも戻っておいで。ここはお前の変えるべき場所だ。忘れんなよ?」
そう優しく笑ったラプンツェルに、気恥ずかしくなった緇雨は、ただ「あぁ」としか返せなかったけれども。
帰る場所。それが変わらずにあることがどれほどありがたいか。
それを実感した身としては、なによりも、嬉しい言葉であった。