04 アルトグレンツェ
オズヴァルトの元を立ち去り、アルトグレンツェの町中を歩く。
煉瓦を積み重ねられて作られた壁に、淡い落ち着いた色の屋根が立ち並ぶ村は、いばらの塔に最も近い場所だからかどこか閑静としている。オズヴァルトが拠点としている場所が教会だった、と言うのもあっただろうが、それにしても村人の姿があまりみえない。
「まぁ、茨が村の中まで侵食していたら、活気もなくなるか」
いくら薄ピンク色の大輪を華やかに咲かせていようと、壁に道端にと、そこら中に茨が絡みついている様子を見れば、不安にもなるだろう。呪いの象徴たる茨を常に見ていることとなるのだから。
中心地にある大きな泉をくるりと囲うように作られた石畳を進みながら、なんとはなしに歩を進めた。
記憶と変わりなければ確か、このまま進めば西の城塞都市『シュネーケン』へとたどり着くだろう。
だが、それはいいか、と泉沿いに進み東部にあるはずの商店へ足を向ける。
気になるのは、やはりいばらの塔である。呪いによって巨大化したのか、それとももっと別の理由があっるのか。
「まず、呪いとは何か、と言うところから始まるだろうが……」
緇雨があの時感じたのは、身の毛がよだつほどの膨大な負の要素。それが魔法が使えなくなるときの状態異常の感覚に似ていたため、あの時はとっさに"呪い"と言う言葉を使った。
しかし、茨が塔を侵食するような、それも世界に影響を及ぼすような大きな呪いなど聞いたことがない。薄紅色の薔薇を咲かせる茨が、何かを求めるかのようにいばらの塔に絡みついている。それはまるでこの呪いは解けやしないかとでも言うかのような様で、人々の不安を更に煽っているように感じた。
「そもそも、いばらの塔ではなく、祈りの塔だったか……」
エインセールやシュテルツキンが、当たり前のように『いばらの塔』と称しているため、そういうものなのかと思ってしまっていたが、緇雨が知るアルトグレンツェにあるあの塔は、聖女が平和を願うための『祈りの塔』である。
教会の村『アルトグレンツェ』。
『祈りの塔』の間近にあり、聖女と共に祈りをささげる場所として作られたのであろう教会がある村。その程度の認識の村だった。呪いが蔓延するまでは、たったそれだけの村だったのだ。
それが一体何故、呪いが塔を、聖女を蝕んでしまったのか……。
いや、それは実際に見て確かめればいい。
騎士でなければ塔の内部には入れないが……外部から見る分には問題ないはずだ。と自己解釈をし、泉の中にまで部分的に侵食している茨を見つめながら、緇雨は辺りをゆっくりと観察していた。
「南はいばらの森……ここは先ほど来たロゼシュタッヘルへ出る街道か。意外と人通りがあるようだな」
先ほど通ってきた道まで出ると、ちらほらとそれなりの装備をした者たちが出入りしている様子がよく見える。それなりとは言え、装備しないよりはマシ、といったレベルのものだが。
そうまるで、これから初めて戦闘に行きます、とでもいうかのような出で立ちで……とそこまで考え、彼らの右上に浮かぶ小さな光に気付けば、あぁなるほど、とおおよそを理解した。
「だとすると、相当な数の来訪者が襲来しているわけだ」
騎士になりたい来訪者たちが、妖精を引き連れてロゼシュタッヘルへと実力を見せるための試練へと向かっている。ほとんどの者が妖精を引き連れており、一見した限りでは来訪者しかいないように見えた。これは一体喜べばいいのか悲しめばいいのか。
きっとあの中の一人に、シュテルツキンもいるのだろう。現在の騎士に攻略できていない塔に、来訪者の一人でも攻略出来る者が現れるのか否か。それは、今の緇雨には未だ判断しかねることだけれど。
「さて、手持ちのアイテムも不足気味だし、まずはアイテム屋か。……いや、この格好をなんとかするのが先か」
どこの店を先に廻ろうか考え、ふと泉に映った己の姿を目にしてげんなりと肩を落とした。
元から無造作に跳ね回っていた藍色の髪はさらにボサボサで、気に入りの『竜翼のローブ』も泥や傷でへろへろに汚れ草臥れている。そんなぼろぼろの自分の腰に収めてある『神双剣ヤヌス』だけが異様なほど美しく輝いていた。その輝きがなんともアンバランスで、なるほど。これではオズヴァルトに違和感があると言われても仕方あるまい。
くるりと辺りを見渡すと、いばらの絡みついた井戸が見えた。
そこでいいかと踵を返し、人気のない共用井戸へと向かう。人の気配がないだけで、泉が近くに沸いているのだから枯れてはいないと予測はしている。
緇雨はゆっくりと上着を脱ぎ、装備を外し、備え付けられていた桶を井戸の中へと投げこんだ。
カラカラカラ、と貨車が勢いよく跳ね回る。やがて、ぽしゃんと水音が聞こえた。
「いばらが浸かってようが、問題ないようだな」
いばらに水は必要ないらしい。毒性があったとしても、まぁそれくらいはこの汚れたままの気持ち悪さから解放されると思えば、微量のものならば気にしないでおこうと緇雨は考えた。
ぐっと重くなった桶を引き上げ、頭上から勢いよく水をぶちまける。
ばしゃりと勢いよくぶちまけられた水は、緇雨の体から茶色の滴となって地面へと染み込んだ。わしわしと豪快に髪をかき、それから再び水を汲み上げる。己から茶色の滴が流れなくなるまで、それは続けられた。
やがて、インナーがたっぷり水分を含み、流れ出た滴が透明となった。もうこれくらいでいいだろうか、と最後に汲み上げた桶の中をのぞき込む。
ぺたりと顔に張り付いた藍色の髪は滴を垂らし、前髪の間から覗くつり目気味のエメラルドの瞳が真っ直ぐに緇雨を見つめている。ずぶ濡れの状態だが汚れは全て落ちたらしく、サッパリとした様子の見慣れた己の顔が写っていた。
「こんなものか」
人気がないのをいいことに、インナーを取り替え、予備のローブに着替える。【神双剣ヤヌス】を研石で調整し、再び腰へ装備した。
汚れ物はまた今度時間があるときに手入れしようと、【導きのランタン】へと押しつけた。望む物を引き寄せることができると言う【導きのランタン】は、旅をする者としてなくてはならないものだと、このような時につくづく実感する。
身綺麗になりさっぱりとしたところで、今度こそアイテム屋に向かおうかと再び石畳を歩き出した、そんな時である。
「ランタンは、こちらを示しています」
「本当にこんなとこに……いたー!」
別れたはずの二人に、発見されてしまったのは。