13 見届ける者
塔を出たものの、はてどうしようかと考えながら師弟はアルトグレンツェの村を、どこと目的も決めずに歩き出した。連絡をとるにしても、今後を相談するにしても、挑戦者が多い塔の近くにいると邪魔になると思った故の行動である。
とりあえず、中心部にある泉の方でいいかと足を向けた。
途中、蔦で覆われた教会の傍を通る。珍しく、オズヴァルトが外に出ていた。
「くれぐれも気を付けて、ロビン」
「うん! ありがとうオズヴァルトさん!」
「……君がクック・ロビンかロビン・フットかは、僕には分からないけれど。どうか気を付けて」
元気よく駆けていく少年を見送るオズヴァルトの小さな声が、緇雨の耳に届いた。
思考の海に浸かっている時の自分も、今の彼と同じように呟いてのだろうかと思うと、気をつけねばと緇雨は思った。
なんとはなしに、駆けて行った少年の背を見送ると、緇雨たちのことに気付いたオズヴァルトが、穏やかな顔でやぁ、と声を掛けてくる。
応えないわけにもいかないか、とそっと教会の方へと近づいた。
「君は確か、この前の……」
「緇雨だ。よく覚えているな、毎日たくさんの顔を見ているだろうに」
「君は今のところ僕にとっての“分からない者”だからね。記憶にも残るさ」
皮肉気に返すと、苦笑を返された。
オズヴァルトは素っ気ない態度の緇雨から視線を動かし、おや、と小さく目を見開いた。
「今日は別の子を連れているんだね」
「あ、僕はカラバって言います。師匠の弟子です」
「カラバ……あぁ。長靴をはい……てはいないみたいだね」
「長靴?」
「いや、失敬。こちらの話だ」
戸惑ったようにカラバに見上げられ、気にするなと返してやった。
緇雨はオズヴァルトの、何でも知っているというこの態度が気にくわなかった。中途半端に言葉を発するくらいなら、全てを言い切ればいいのにと。もしくは何も言わないままでいればいいのにと思うのだ。
思考の海に溺れがちな探究する者だからこそ、そう言ったことが無性に気になる。
緇雨の胡乱気な視線に気付いたのか、オズヴァルトは困ったように苦笑した。
「そう胡散臭いようなものを見るかのような目はやめてくれ。ただ僕には言えないことが多い、それだけさ」
「なら、言えるようなことってなんですか?」
緇雨はきっと何も言わないと思ったのか、それとも純粋に自分が聞きたいと思ったことなのか、おそらく後者であるとは思うが、カラバがきょとんと眼を丸くしてオズヴァルトを見上げた。
まさか質問が返ってくるとは思わなかったのだろう。少し驚いたような表情を浮かべながらも、そうだね……とオズヴァルトがゆっくりと考えながら言葉を紡いだ。
「僕自身の目で見たこと。それから、多少の助言をすることかな」
「多少の助言? それはどんなことでも?」
「……内容によるね」
「じゃあ、いばらの塔については?」
「それは言えないことが多い。自分の目で確かめることだ」
「なら、どんなことならいいんですか?」
「この物語に直接の関係がないこと。それに関しても部分的な、とても限定的なことなら答えられるだろう」
「物語が何か分からないと、そんなの聞けるわけないじゃないですか」
結局は教えてくれないんじゃないですか! と唇を尖らせたカラバに、ほらみたことか、と緇雨はひょいと肩をすくめて見せた。
だが。
「ふむ……」
条件が分かれば、いかようにもやれる。
ぐるぐると思考の海に沈みながら考えていた内容を、緇雨は手早く頭の中でまとめ、口を開いた。
「ならば問おう。シュテルツキンはこの教会の前を通ったかわかるか?」
「いや、僕は見ていないね」
「ふむ。……あの馬鹿時間が掛かりすぎだろう」
「あの、師匠。さっきから出ているしゅてなんとかって」
「後で説明してやる」
それにしても時間が掛かりすぎだと、緇雨はこめかみを抑えた。言いたいことは本人に直接言ってやるべきだと深く呼吸をし、込みあがってくる衝動を押さえ込む。
カラバにも、いい加減説明してやらねばとは思うが、彼のことを考えるだけでイライラしてくるのだから、まぁ後回しにしても許されるだろうと勝手に思う。
「オズヴァルト」
「なんだい?」
「あの塔は……」
「塔については人並みにしか答えられないよ」
「なら質問を変えよう。魔力に詳しいものはどこにいる?」
「……それなら、答えられなくもない、かな」
くすりと笑ったオズヴァルトは、小脇に抱えていた豪華な装丁の本を開いた。
ぱらり、ぱらりとページをめくり、悩むようにして内容に視線を向ける。
「詳しいのは、間違いなく魔力を使用する者……魔女や魔法使いたちだろう。ピラカミオンの魔女ゴルテやその娘のヴィオラが一番、君にとって近しい魔女だとは思うが」
「アレは論外だ」
「そう言うと思ったよ。それならば、沈没船にいるオクタヴィア。水晶の森のフィリーネ。シュネーケンのエルヴィーネにアレクシア……と言ったところだろうか」
「そうか……お前は違うのか?」
「僕が、かい?」
ぱたん、と本を閉じて、ゆっくりと緇雨を見つめた。
そらされない視線。交差する、互いに探り合う眼差し。
そらされることない視線に、オズヴァルトはやがてゆっくりと瞳を閉じた。
「今の僕は、ただの……見届ける者だよ」
それ以上でも、それ以下でもない。
そう続けられれば、そうか、としか緇雨には答えられなかった。
「答えに感謝する。参考にさせてもらうとしよう」
「役に立てたのなら、よかったとでも言うべきかな?」
「え、えぇと師匠。もう、いいんですか?」
「あぁ、行くぞカラバ」
「はいっ! あ、オズヴァルトさん、ありがとうございました!」
「カラバくんも、気を付けるんだよ」
何か思うところでもあったのだろう。どこか足早に歩き出す緇雨を慌てて追いかけるカラバ。飼い主を追いかける子犬のようなその姿に、オズヴァルトは一つ首を傾げた。
二人の姿が完全に見えなくなると、オズヴァルトは再び本を開いた。
「……カラバ。物語の名は、『長靴はいた猫』」
ぱらりぱらりとページがめくられると同時に、せわしなくオズヴァルトの視線は動く。
「遺産分与で三男に与えられたのは、一匹の猫。その猫の機転と知恵によって、三男はやがて公爵と言われる地位に着く。そんな話だったはずだ。あの少年がカラバと言うのなら、彼が三男だとしても、師匠と呼ばれるあの存在は一体何か」
子犬のようなとも思えた反応は、それは彼自身の性格を表しているのだとすれば、何も問題はない。
だが、緇雨は違う。
師匠なんてものは、あの物語に出てこない。緇雨なんて名前、どの物語にも出てこない。
願いをかなえる猫……いや、しっかりと人の姿をしていたではないか。そんなはずはない。
「本当に、君は一体何者なんだい?」
いくら探しても見つからない名前の持ち主を思い、オズヴァルトはぱたりと、本を閉じた。
いずれその正体がわかると、自分に言い聞かせながら。