10 空白のひと月
「空白のひと月、か……」
カラバから教えられた事実に、ぽつりと言葉が零れ落ちた。
「ひと月、か……じゃないですよ師匠! ビックリですよ、おかしいじゃないですか! なんで師匠と別れてからひと月も連絡が付かないんだと不安に思っていたのに、師匠の中では昨日までの出来事ってなんですかソレ! タイムスリップですか! なんのタイムラグですか!」
「煩いぞカラバ。喚いたところで起こってしまったことは仕方ない」
「いやいやいや、仕方ないで済むようなことじゃないですよ! ノンノピルツの人なら間違いなくこう言いますって! 摩訶不思議・奇々怪々!」
「……ノンノピルツはいいから、少し黙れ馬鹿弟子」
「す、スミマセン」
カラバが言うには、呪いが蔓延してからひと月が経っているらしい。緇雨と別れてからひと月。何の音沙汰もないことから、万が一のことが起こってはいないかと不安に思っていたとのこと。
だがしかし、緇雨にとってはつい先日のこと。シュテルツキンに起こされてからアルトグレンツェに着いて、ラプンツェルに会いにピラカミオンに一度戻り、再びこのアルトグレンツェに戻ってきて一日。その前のことは、ただひたすらに魔物や茨と戦っていた。
妖精の帰還石を使い、戻ろうとして……それで。それでどうしてあの場に、ロゼシュタッヘルに倒れていたのかは、緇雨には分からない。
思わず呟いた、空白のひと月。
どこで、何をしていたのか。それが緇雨には分からない。
何が原因で分からないのか。濃厚な呪いを一身にその身に受けた弊害なのか。
それを確かめるすべは、あいにくと持ち合わせてはいないけれども。
「解決できない事象よりも、目の前の事象の方が未だ解明できるだろう? 目的を履き違えるな」
「でも、師匠のソレも十分不思議……あぁごめんなさい今すぐにお手伝いさせていただきますっ!」
尚も言い募ろうとしたカラバを一睨みして黙らせ、薄らと肌寒い第一の塔へと進む。
胸ポケットにローズリーフを仕舞うと、ほんのりと寒さが薄らいだような気がした。どこか緑掛かったもやが、淀んだ空気を表しているかのように薄らと見える。石畳で作られた通路の外側に窓が設置されているも、太い茨が這っていて、ほとんど外は見えなかった。
緇雨は右手を神双剣ヤヌスに掛け、油断なく歩を進めた。
「ここは、ある程度攻略されていますよ師匠」
「来訪者にか?」
「まぁ、おおよそは」
「ちなみに、お前はどれくらいまで進んだ?」
「えぇと……、まだ、第四階層まで、です」
連なる塔が多くある中で、まだそれだけしか攻略できていないことを恥じているのか、消え入りそうな声でカラバは申告した。
第一の塔は、高いと言ってもピラカミオン城よりも多少高いくらいだろうか。その広さはピラカミオン城よりはだいぶ大きいが。
ゆるやかに右手にカーブしつつ、なだらかなスロープとなっている内部に、二つ分の足音が響く。
「なら、第四階層までのナビゲートは頼むぞ」
「は、はいっ! ……あの師匠、怒らないんですか?」
控えめに訪ねてきたカラバの言葉に、緇雨の歩みが止まった。
不思議そうに見下ろすと、あれ? と予想外だったのかカラバの瞳が丸くなっていた。
「何故、怒らないといけないんだ?」
「えっ、だって。師匠がいないひと月の間に、もっと攻略できていた方が、師匠の力にはなれたでしょう? 師匠に教えてもらったことはたくさんあるのに、それしかできなかったのかって、師匠は思わないんですか?」
カラバが本気でそう思っているようで、緇雨はやれやれと大きく息をついた。
「いいか、カラバ」
「は、はい?」
「先を知れることに越したことはない。だが、お前は一人だった。その上、『導きのランタン』は私が持っており、武器の変更はほとんどできなかった」
『導きのランタン』は高価なもので、ほいほいと誰でも持てるものではない。その小ささと利便性から、妖精以外で持てる者は限られている。そのため、緇雨とカラバは共用で使用していた。
今現在、カラバが装備しているのは、修行用の装備品である。
緇雨と同じ種類の、『黒曜石の双剣』。薄くも硬い黒色の刀身が手になじみやすい一品として、それなりの値段で手に入る双剣である。カラバの普段使いの武器は別の種類のものであるが、どんな武器も使用できるようにと、双剣に慣れる修行の途中であった。
「制限された状態で、できることをする。一人であればそれなりにリスクも高い。そんな中でも四階層まで攻略できたのなら、私は上等だと思うがな」
「師匠……」
「自分の実力を過信せず、堅実な方法をとった。それだけだろう?」
「はいっ」
緇雨が本当に怒っていないことが伝わったのだろう。カラバはぱぁと笑顔で頷いた。そんな様子に、できれば塔の一つくらいは攻略していてほしかったと言う本音は、そっと心の中にしまった緇雨だった。
師匠の心中は微塵にも知らないカラバは笑顔のまま、黒曜石の双剣を緇雨に差し出す。
「これからは頑張ります! から師匠、そろそろ武器変えさせて下さい」
「それはだめだ」
「えっ」
まさか即答で断られるとは思っていなかったカラバに、緇雨は意地悪く笑って見せた。
「お前の手になじんだか、この階の戦闘で見せてみろ?」
「え、えええっ!?」
「安心しろ、私もいる。多少の……それなりの怪我を負ってもいいぞ。すぐに直してやろう」
「師匠それ全然安心できないです!」
師匠酷い! 横暴だ! と昨日誰かが言っていたような台詞を言われたが、緇雨はしれっと聞き流した。
神双剣ヤヌスを『導きのランタン』へ仕舞い、代わりに銀色の大きな盾と、紫色の悪魔をモチーフとしたメイスを取り出す。
「しかも師匠その盾、師匠が愛用している盾じゃないじゃないですか!」
「なんだ、ブレイブシールドでは不満か?」
つるりとした銀色の表面に、金色の縁取りがされている輝かしい盾。勇気の盾と呼ばれるそれは希少石を使用しており、硬度や使いやすさは言葉にするまでもなく良いものである。
ただし、緇雨が普段使っている盾ではない。カラバはなによりもソレが不満だった。
「だって師匠はいつも一番いい装備を使うようにしてるじゃないですか! ずっと見ていた弟子なめないで下さいよ、いつも使ってる盾は赤い目のような球が付いた、紫色の平坦ではないがっちりした盾です!」
「ほう、よく見ているな。それがわかるなら、杖だけでも普段使いのものを使用していることがわかるだろうに」
「いやまぁ、そうですけど。でも、師匠の愛用のメイスって悪魔の鎚矛じゃないですか……」
悪魔のメイスに回復されるのっていつもどうかと思うんですけど……。
そうぼやくカラバに、緇雨はひょいと肩をすくめた。名前や見た目はどうであれ、導きのランタンが緇雨に必要なものだとして引き寄せた、名武器である。現に、緇雨が持つメイスの中では一番使い勝手がいいと思い愛用しているのだが、弟子はそれがお気に召さないらしい。
「そうか、なら一人で頑張ることだな」
「……えっ。いや、一階層はゼリルーしか出ないから、まだなんとかなる……かなぁ?」
「ほう? いいことを聞いたな」
「あっ」
「第四階層まで、頑張ってみるか? なぁ、カラバ」
「師匠の鬼いいいっ!」
うっかり余計なことを言った、と撤回を求めるも、緇雨は笑うだけで応じなかった。
後悔先に立たず、口は禍の元。今のカラバにはどれも当てはまりそうだが、緇雨は嘆く弟子に温情など一切与えなかった。内心、愛用している武器を否定されたのが気にくわなかったのかもしれない。
「さて。探究者らしく、探究するとするか」
「あ、ちょっと師匠ずるい! 自分だけ聖女の像使うなんて横暴ですよ!」
「人のことをとやかく言っていていいのかカラバ? ほら、後ろから敵が来たぞ?」
「師匠が意地悪だー! 知ってたけど!」
喚きながらも黒曜石の双剣を構え、ゼリルーへと向かっていく愛弟子に、知っているのならいいじゃないかと緇雨はただ優しくその姿を見送った。
空白のひと月。
たったのひと月で、このいばらの塔のように大きく変わるわけではないとは思っていたが。それでも、変わらず慕ってくれる素直な弟子が、何一つとして変わっていないことに、緇雨はどこか安心していた。