故郷
故郷に戻った亮二。だが、彼の横には・・・。
日曜日。着替えと薬を小さなバッグに入れて、亮二は冬の店に向かった。亮二はまだ悩んでいた。話すべきか話さないべきかを、一晩中考えていたのだ。結局は、冬への答えが出ないまま、時間が来てしまったのだ。遅くなれば、帰省が間に合わなくなる。ところが、店の前には冬が立っていた。店のシャッターは下ろされ、冬はちょっと大きなバッグを下げていた。亮二は冬に駆け寄り冬に尋ねた。しかし冬は黙ってうつむいていた。
「どうしたの、店はおやすみなの?」亮二の質問に、冬は答えず、黙って亮二と手をつないだ。
「冬さん・・・」亮二が何かを言う前に、冬は亮二の手を引き歩き出した。お母さんと喧嘩でもしたのかと、亮二は何も言わずに歩き出した。二人はそのまま駅まで歩いた。駅まで来ると、冬がやっと口を開いた。しかしその内容は、亮二の予想を大きく外れた驚きの言葉だった。
「私も一緒に行くわ。切符はどこまで?」冬の顔は必死に笑っていたが、眼には悲しみが見えた。
「行くって、どこへ」冬の答えは想像できた。しかし、聞かずにはいられなかった。
「亮二さんの田舎。行くのでしょ?」やはり、答えは想像通りだった。冬には隠し事は出来ないようだ。
日曜日の昼下がり。下り電車は空いていた。二人は無言で揺られていた。二人の座るボックス席の向かいに人はいない。冬は亮二の肩に頭を乗せて、静かに目を伏せていた。寝ているわけではない。それは亮二のも分かっていた。だが、なぜ冬は亮二の帰省を知っていたのか。もしかしたら、病気も知っているのでは、と亮二は考えていた。冬には不思議な力がある。老婆が拝み、デートの時にも、一銭のお金も使わなかった。レコード店の店長も、亮二のことを薄々感じたくらいだ。冬には全てがお見通しなのかも知れない。しかし、冬が何も言わない以上、亮二も何も言えなかった。特急電車で3時間。あとは、ローカル線への乗り換えだけだ。ローカル線は途中の駅で3両編成に減らされる。編成作業の待ち時間に、二人は駅のお弁当を買い込んだ。ずっと無言でいたために、昼食を取り損ねていたのだ。
「お弁当。食べる?ここのはおいしいよ」亮二のかけた言葉に、冬はコクンと頷いた。空は夕焼けが始まりだしたところで、白と青とオレンジの色が絡み合い、駅のホームを柔らかな光が包んでいた。暖かくもあり、ちょっと冷えた感じもする光だった。作業も終わり、ローカル電車は動き始めた。亮二と冬、ほかには2人の乗客しかいない。その時亮二は思い出した。この情景、どこかで見たぞと、思ったのだ。あの日、亮二が意識を失い倒れた日だった。思わず亮二は立ち上がった。やはり乗っているのは3両編成の真ん中の車両。乗客は老婆と学生。あの情景そのままだった。冬がとなりにいる以外は・・・。
「どうしたの」不意に冬が話しかけた。
「いや、何でもないよ」亮二は腰をおろした。よく見ると、顔は違うし服もちがった。何より電車が新しかった。だが、夢とも現実とも言えない記憶と、状況はそっくりだった。駅には早めに着いた。母には夜と伝えておいたが、冬を連れて行くことには、抵抗があった。どう紹介して分からなかったのだ。しかも、話が話だけに、冬の存在が大きく左右することにもなりそうだった。
「私はホテルに泊まるね」冬は亮二の気持ちを察したのか、いきなりそう言うと、一人で歩いていった。
「どこ行くの?この街分かるの」亮二の問いかけに、冬は黙って指を差した。差された指のその先には、この街唯一のビジネスホテルの看板が見えていた。
「わかった。あとで顔出すよ」
「おいしいものを食べさせて」冬はにこりと笑って歩いていった。まだ、雪は残っている。ロータリーの周りには、除雪された雪が高々と積み上げられていた。その雪の匂いが、故郷をはっきりと意識させた。
「急にどうした」母は食事の用意の最中だった。
「うん・・・」亮二は言えなかった。帰ってすぐには切り出せなかったのだ。
「うまくやってるのかい。全然帰ってこないで」言葉とは裏腹に、その声には非難の色は伺えなかった。
十分亮二の気持ちが分かっていたからだ。3年ぶりに見た母は、かなり老けたように見えた。
「もうすぐご飯できるからね」母は嬉しそうに言ったが、亮二は夕食を断わった。
「何言ってんだい。その娘さんも連れていらっしゃい」母は妙に嬉しそうだった。でもその前に、話しておかなければいけないことがあった。
「かあさん、ちょっといいかな」
「なんだよ、あらたまって」母の顔はニコニコしていた。まるで結婚の承諾を待っているようだ。そう思われても仕方がなかった。いきなり戻って、しかも女性連れなのだ。ほとんどの親はそう思うだろう。エプロンで手を拭きながら、母が居間にやってきた
「さあ、話してごらん。いい娘さんだろうね?」母は完全に勘違いをしていた。
「そうじゃないんだ。母さん。実はね・・・」その時、玄関のベルがひとしきり鳴らされた。
「誰かね?」母は話の途中で席を立ってしまった。玄関の引き戸の音が聞こえた。話し声は聞こえない。
「亮二、亮二。来たわよ。娘さんが」駆け込んできた母の後ろには、冬が立っていた。
「まあ、まあ、遠いところを。汚いとこだけどゆっくりしてね。この子は何にも言わないから・・・」
母は慌てて茶碗を出し始めた。
「おかあさん、お構いなく。座ってください。私がします」冬は母のとなりに立膝で立ち、急須に茶の葉を入れていた。母の目から大粒の涙がこぼれたのを、亮二ははっきりと見たのだ。
「お母さん、だって・・・。うれしいね。お父さんも喜んだろうね」母は目頭を押さえて泣き出した。亮二は何も言えなくなった。病気の話は結局なされなかったのだ。冬は終始母を気遣い、率先して台所に立ち、楽しい食事が進んでいった。ただ、下の弟だけは、冬に見とれて食事に手を出さなかった。




