光の住人
覚醒した亮二
不思議なお店の少女。
初のデートはどうなるのか・・。
「大丈夫ですか」亮二は混乱したまま座り込んでいた。そこに声をかけたのが、電車で一緒の学生だった。亮二が気分でも悪くしたのかと、声をかけたのだ。
「ありがとう、なんでもないよ」そう言って顔を上げた亮二は、少年の顔に見覚えがあると思った。
「うん?君、学校は?」何故そんな質問をしたのか、亮二には分からなかったが、聞かずにはいられなかった。心の中で、何かがそう言わせた様にも感じた。
「早退です。まだ2時間目だったけど・・・・。身体が弱いのですね。僕の名前は・・・・」最後まで聞く必要はなかった。少年のはにかむ笑顔に、亮二の古い記憶が蘇ったのだ。亮二が中学入学間もない頃に、病気で死んだ亮二の父。その父が見せてくれた自分の学生時代の写真。その笑顔が今、目の前にあったのだ。しかも名乗った名前も、父の名前に相違なかった。死の間際、亮二の父はこう言った。
「私は身体が弱かった。でも、お前たちは元気だ。それが一番嬉しい。身体をいたわれ」
亮二は若かりし父の顔を見ながら、意識が遠のく自分に気が付いた。目の前のもやが徐々に視界を奪っていった。
「・・・か。大丈夫か」ふと目を開けると、いつもの課長の顔が見えた。
「えっ」亮二は何度も瞬きを繰り返した。
「まったく。えっ、じゃないよ」課長は亮二を抱き起こした。
「急に倒れるから、ビックリしたよ。本当に、大丈夫か」心から心配しているのが、亮二にも伝わった。
「はい、大丈夫です」亮二は身体の手や胸を撫ぜ回したが、これといった異変は見つからなかった。そこはいつもの倉庫。毎日亮二が働く場所だ。食料品の卸問屋で、仕入れた商品を箱詰めにして送る倉庫。誰でも最初はこの倉庫からだ、と聞かされた亮二の仕事場だった。時計を見上げると、10時10分前。しかし亮二には、出勤した記憶も、仕事を始めた記憶もなかった。電車を乗り越し、懐かしい故郷にいるはずだった。亮二は頭をかきながら、課長に尋ねた。
「僕、今日ちゃんと来ましたか」課長は目を丸くした。
「何、言ってんだ。しょうがないな。こっちこい」課長は倉庫の隅に亮二を連れて行った。
「君は、まじめだし、心配だから言うけどな。この頃顔色悪いぞ。心配事でもあるのか」怒ると怖い課長だが、部下の事は人一倍考えていた。もちろん亮二がまじめだからこそだ。
「何も、心配はありません。大丈夫です」
「そうか、それならいいが・・・。まあ、今日は帰りなさい。倒れた上に顔色もよくないようだし、出来たら医者にかかったほうがいいだろう」確かに、普通でないことは亮二も理解していた。頭はボーっとしたままだ。亮二は言葉に甘えて帰ることにした。タイムカードの出勤時間は、いつもと変わりはしなかった。全ては夢なのか。夢としたなら、意識のないまま出勤したことになる。眠った状態だ。それも、考えられなかった。ところが、帰宅中に電車の中で聞いた話は、亮二の疑問をさらに大きくした。
「今朝の雪、ビックリね」
「降るなんて言ってなかったのに」高校生だろうか。2人の女子学生が話していた。やっぱり、今朝の雪は本物だった。寒さを感じ、カーテンから見た景色が、現実だったのだ。亮二はそこまでは起きていたと確信できたが、いつ現実から引き離されたのかが、解らなかった。アパートの扉を開けるまでの短時間に意識を失ったのは、確からしい。どんなに思い出そうと記憶をたどったが、その答えは見つからなかった。亮二は無性に冬に会いたくなった。日曜以外に会うのは初めてだ。冬はきっと驚くに違いない。亮二はそう思った。反面、忙しくて話も出来なければどうしようと、言う気持ちもあった。ウィークデーは込み合ってるかも知れないのだ。家に寄らずに真っ直ぐ行けば、丁度、ランチタイムのはずだった。亮二は冬のことを考えながらも、不思議な店にも興味を持っていた。第一にあのレコードだ。無造作に飾られているにしては、すべて、保存状態は良い。そしてメニュー。2度目に訪れたとき、じっくりと見たのだが、メニュー全体が古めかしく思えた。紙が古いというわけではない。商品としてのメニューが古いのだ。ハヤシライスに、ライスカレー。今はどこでも、カレーライスだと思っていた。そして、ビフテキ。初めは意味が解らなかった。冬の説明で、初めてビーフステーキだと解ったのだ。極めつけはオレンジジュース。昔、幼い頃には飲んだ記憶もあったが、今では出回っていない商品だった。一度、レコードをかけてもらった事があった。亮二が余りに熱心に聴くため、冬がかけてくれたのだ。夜にはよくかけるらしいが、昼はかけないそうだ。そのアンプに亮二は驚いた。真空管のアンプだった。電源を入れると、僅かに電流の流れる音が聞こえる。ジーっと言う音は、それまでもが音楽の一部になっていた。一歩でも店に入ると、そこが21世紀とはとても思えなかったのだ。しかし、元々古いジャズの好きな亮二には、その雰囲気が心地よく、いつも長い時間冬の店にいたのだ。渋谷に近づく頃には、頭のもやもやもすっきりと晴れ、亮二は気分爽快な足どりで、通いなれた坂を上り始めた。羽のように身体が軽い。亮二は思った。冬は本当の女神だと、自分を救う女神だと感じていた。その証拠に、店に近づくにつれ、心も軽くなってきたのだ。一刻も早く店に行きたい。一秒でも早く冬に会いたい。亮二は足を速めた。坂にはランチタイムに繰り出した、サラーリーマンやOLでいっぱいだった。「混んでるかな」一抹の不安をよそに、亮二は人々をすり抜け、店へと駆け出した。ところが店は閉まっていた。定休日の看板も何も表示はされていない。目の前には、心の落ち着く楽園があるにも関わらず、無情なシャッターが下ろされていたのだ。亮二は思わずシャッターを叩いた。
「冬さん、冬さん、おやすみですか」何度か叩くうちに、2階の窓から冬が顔を覗かせた。
「亮二さん、どうしたの、こんな日に・・・」冬の顔は、困惑した表情だった。冬は振り向き、誰かと話していた。母親だろうか。考える間もなく、冬に笑顔が戻り亮二に話しかけた。
「今行くわ、待ってて」下から見上げる冬も素晴らしかった。ネグリジェとでも言うのだろうか、見かけない室内着を着ていたが、普段では判らない身体の線が、日の光で透けて見えた。冬はスタイルも抜群だったのだ。冬は裏から出たのだろう、家の脇から姿を現した。
「どうしたの、今日は木曜よ。仕事は」亮二は、会社で倒れ、早退したと冬に伝えた。その時冬は、一瞬悲しそうな目をしたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「今日は、おやすみなの。ごめんなさい。母の調子が悪くて」
「いえ、謝ることはないですよ。急に来たのは僕ですから」亮二は慌てて答えた。
「でもね、今聞いたら、気分もいいから出かけて来なさいって。もちろん、亮二さんがよければの・・」
「もちろんです」亮二の心ははっきりと躍りだした。やはり、振り向き話していたのは、母親だった。
「じゃあ、用意してくる。待ってて」冬はそう言って家へと戻っていった。初めに感じた予感は当たっていたのだ。亮二に素晴らしい出会いを教えてくれていたのだ。亮二はその予感に、素直に従った自分を褒めた。さらに「よくやった」と声に出して褒めたのだ。しばらくして現れた冬は、それこそ雪のように真っ白だった。腰の辺りからふわっと広がったワンピース。少し短めのコート。そのコートは、スカートの広がりを邪魔しない丁度よい長さだった。そして真っ白なローヒールには、甲の所に小さなリボン。ストラップのない手持ちのバッグ。その全てが真っ白だった。日はまだ高い。その太陽の光が、冬の全てを光輝かせていた。普段の冬でも眩しいのに、今の冬は、光の住人のようだった。
「行きましょ」冬は躊躇することなく、亮二の腕に手を絡ませた。
「う、うん」亮二の心臓ははるか遠くまで聞こえそうなほど、激しく鼓動を打ち鳴らした。冬に聞こえはしないかと心配だったが、冬は平然と亮二の腕に絡み付いていた。
「食事は。食べたの」亮二は冬に尋ねた。
「ううん、まだよ。そうね、ご飯たべましょ」冬の眼は輝いて見えた。実際、輝いていたのだ。日の光を反射して、キラキラと輝いていたのだ。まるで穏やかな水面に太陽が照り返すように・・・・。
「そうだ、いいところがあるの、そこに行きましょ」亮二の返事も聞かずに、冬は腕を引っ張った。もちろん反対などする気もなかったが、積極的な一面に、正直なところ亮二は驚いた。だが、不快感は微塵もない。冬に対して不快感など起きるはずもなかった。道行く人は、誰もが冬を振り返った。男も女も、皆が冬に見とれていたのだ。亮二は照れくさい気もあったが、冬といられる自分を誇りにさえ思い始めていた。冬は人の目などは気にも留めない。亮二に話しかけては笑い、自分が話しては笑っていた。その笑顔が、人を惹きつけているのだろう・・・・。




