第89話 コール峡谷へ
「あのうろちょろしている敵をなんとかせい!」
「なんとかせいと申されましても…。こちらから攻撃しようとすると逃げますし、卑怯にも輜重が焼かれたりして満足に追撃ができない状態にされてしまいますので、今のところは難しいでしょう」
こんなところまでやってきた教会幹部に、グラフィーノ将軍は呆れ半分で返答した。
グラフィーノ将軍が見たところ、あの部隊は無視しても構わない規模でしかない。見たところ百もいない小部隊で、本気で突撃をかければすぐにでも壊滅できるだろう。だが、相手もその辺がわかっているのか、罠や奇襲で兵力を削りに来ている。だが、教会幹部はその部隊を何としても叩き潰して士気を上げたいのだろう。無駄な事だ、と将軍は思ったが、教会幹部の方が地位は上なので無視するわけにもいかない。
「将軍、またあの部隊が姿を見せました」
「またか。魔族のくせにろくに魔法も使わず攻撃されたら逃げ出すだけの部隊のくせに、やけにしつこい」
グラフィーノ将軍は、この時点でその違和感に気付くべきだった。だが、教会幹部に頭を押さえつけられ、また実の別動隊が見事なほどに引っ掻き回しているせいで心の余裕がなくなっており、その事に気付かない。気付けば、それこそ実の部隊を無視していただろう。
そして、へスター聖王国軍はコール峡谷へと誘導されていくのだった。
「そろそろいいかな」
「そうね、いい加減コール峡谷にも近づいてきたから、第二段階に入ってもいいんじゃないかしら」
馬上で語る実と早苗。いつもなら囮部隊としてへスター聖王国軍の前に居るのだが、今日は別の場所にいる。なんとへスター聖王国軍の輜重部隊に紛れ込んでいるのだ。
この輜重部隊、一見普通のへスター聖王国軍輜重部隊に見えるが、全員がベアル王国軍の兵であり、運んでいるのも食糧だけでなくこれらの兵が使用する武器等である。輸送任務中の輜重部隊を襲い、入れ替わっていたのだった。
実は諜報担当の兵に合図を送ると、術式を展開する。退路をある程度絶っておかねば、罠も完全にはならないし、敵に再起の機会を与えることになる。
「土壁」
その瞬間、ヘスター聖王国軍は信じられないものを見た。自分達の後方に突然高い壁が現れたのだ。その高さは約五メートル。幅は分からないが、表面の光沢を見るにただの土ではなさそうだ。
「つい魔力を籠めすぎて鉄壁になってしまったよ」
苦笑いで早苗に言う実。この土壁は、土ではなく鉄でできていると言うのだ。これは、偶然にも近くに鉄の鉱脈があったことも関係している。術式を展開する前に地中を探査した実は、鉄の鉱脈があることに気付き、そこから鉄を拝借して壁に使ったのだ。
浮足立つヘスター聖王国軍に、後方から実の別動隊が魔法で襲い掛かる。聖王国軍としては一旦体勢を整えるためにも前進するしかない。急な方向転換は難しいし、後方は輜重隊や支援中心の魔法使いが中心で、前衛のできる兵が少ない。
「ゴーレム達、思う存分やってこい!」
空間魔法で収納していた一郎達を出した実が、指示をする。ゴーレム達は一礼すると、他の輜重隊へと向かっていった。きっと輜重を奪い取ってくるだろう。彼らは少し意地汚いところがあり、兵糧を焼く時もちゃっかり確保してから焼いていた。自分達は食事は不要なのに不思議なものである。
実達はそのままヘスター聖王国軍の制服からベアル王国軍の鎧姿へ着替えると、魔法使い部隊へ氷の槍を飛ばし始めた。魔法使い達は必死に防御結界を張るものの、それをものともしない氷の槍が結界を突き破り魔法使い達の命を奪っていく。
「何てことだ!敵が後ろに居たとは!」
グラフィーノ将軍が歯噛みしながらも全軍を再編しようと必死に周りへ指示を出す。一旦退く先はコール峡谷だ。ここなら例え挟撃を受けても、前衛のできる兵を前後両方に配置でき、中央に配置した魔法使い部隊が支援することができる。教会幹部が何か喚いているが、そんなのは無視だ。ここは取りあえず自分たちが殿軍となって後方部隊を守りつつコール峡谷に向かうしかない。
「前衛第一軍はコール峡谷で拠点を確保。左翼第二軍は後方部隊を守りつつコール峡谷に向かえ!右翼第三軍は交戦中の敵部隊を叩くぞ!」
グラフィーノ将軍の指示が全軍に行きわたると、士気が少し盛り返して各軍指示に沿って行動を開始した。グラフィーノ将軍自身は第三軍で指揮をとる。
第三軍が実達の部隊と会敵するのに、意外と時間がかかった。後方部隊の兵士達は直接の闘いをあまり経験していない。そのため戦場のあちこちを右往左往しており、進軍の妨げとなってしまっていたのだ。
「この魔族が!」
指揮を執る実を見つけたグラフィーノ将軍が大剣を抜き放ち、襲い掛かる。だが、その剣は実を切り裂くことはできなかった。傍らに居た女性兵士が見たこともない剣で大剣を斬りおとしたのである。
長さが半分以下になった剣に驚愕するグラフィーノ将軍を早苗は峰打ちで打ち据えると、近くの兵に捕縛するよう指示する。身なりから、かなりの高位にいる人物であると判断したためだ。
こうして、後世に「ヘスター聖王国最後の愚行」とも言われる「コール峡谷殲滅戦」は開始されたのである。
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