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Sea Wolf  作者: Noa.
7/12

そして再び……


 湯浴みをして体を拭き、ツェットが貸してくれたズボンを履いた。俺と同じくらいの息子でもいたのかといいたいくらい、サイズが調度いい。丈が短いかも知れないと思っていたから良かったが……一体誰のなんだ?

 本人のものとは思えなかった。

 年齢から考えれば、息子もありえないだろう。どう見ても、あいつは三十くらいだ。俺の年齢は謎だが、十も離れていないと思う。

 まぁ、余計な詮索はするまい。

 思い出したくないことの一つや二つ、誰にだってあるはずだからな。

 そのまま上を着ようと畳んであったものを広げたところで、お嬢様の声が聞こえてきた。

「昔会ったあの人よ……その人は言ったの……」

 どうやら『答えを聞くまでお嫁に行かないって決めてる』相手の話のようだ。ツェットが何か言っているらしいが、生憎俺のいる場所からは聞こえない。

 お嬢様の声が高くて聞きやすいってことか。

「でしょ? ついでにイクスの記憶が戻ったらいいなぁって」

 記憶。

 どうしてもお嬢様は俺に記憶を取り戻して欲しいらしい。

 そんなことをしたって、仕方ないのにな。

 目の前にある鏡には、俺の上半身が映っている。肩にかけているタオルの脇から緑色の髑髏が覗いていた。左鎖骨下にあるそれは、記憶が無くなる前からついているタトゥーだ。

 そして、俺が海賊だった確たる証拠。

 そう、俺は恐らく海賊だった。誰に指摘されずとも分かっている。海賊以外にこんな悪趣味なタトゥーをつける奴がいるとは思えないのだ。

 海岸に打ち上げられた状態でお嬢様に助けられ、記憶を失って初めて鏡で自分の姿を見たとき。

 まず気になったのは、肩よりも長く伸びた髪の毛だった。少し伸びた髭、鋭い目、それから左鎖骨下のタトゥー。見るからに悪いことをしていましたという姿に愕然とした。

 次に着ていた服、持っていたとされる小物類、それらを一通り確認して、あぁ俺は海賊だったんだと納得した。

 お嬢様も旦那様も特に何も言わず屋敷で働けばいいと言ってくれたが、気がついているだろう。記憶を失っているとはいえ海賊だった俺を雇ってくれたことには、言葉に表せないくらい感謝している。

 幸いだったのは、記憶がないのは自分に関することだけで、日常生活には支障が無い程度に一般的なことは覚えていたことだった。

 もちろん俺の常識では海賊なんて、やってはいけない犯罪者の代表だったからどうしてその道を選んだのかと自分を責めもした。

 だが今は、消えた過去のことは考えず正しく生きていこうと思っている。忘れたものを思い出す必要はない。

 そんな訳で、俺はここまで普通の一般的な執事兼教育係を目指して生活してきた。

 俺の過去になんて興味はない。

 どうせ海賊という犯罪者に違いないんだ。

 だから、早く海賊とは縁のない場所に帰りたい。それが俺の本心だった。お嬢様の財宝探しに付き合っていて、うっかり自分の過去を思い出しでもしたら、お屋敷にいられなくなるかもしれない。

 俺は執事兼教育係という立場が気に入ってるし、手放す気もないからな。

 全てを振り払うつもりで、思い切り頭を拭いて髪の水分を十分に吸い取った。

 扉を開けば、テーブルに横並びに座って仲良さそうに話をしている二人。お嬢様の服も、これまたこの家にちょうどあった女性物のドレスを着ている。勿論ダンスパーティーに来ていくようなものではないが、十分に仕立てのいい、そしてお嬢様に似合うものだった。寝づらくないかと訪ねたところ、部屋でバスローブに着替えて寝ると言っていた。

 なるほどだ。

 お嬢様は初対面の相手には借りてきた猫のように大人しいのが常だが、この男には随分と砕けて接している気がするなぁと、そんなことを思った。


 ☆ ★ ☆


 気がつくと知らない場所にいた。

 暗くてよく見えないが、どこかの洞窟のようなゴツゴツとした岩肌の地面と、あちこちに尖った岩が上から下から突き出している。植物らしきものは見当たらなかった。

 地面を触ると、濡れていた。ここはどこかの地下なのかも知れない。

 吐く息は、白い。だがそれにしては、自分は明らかに薄着だった。少し肌寒い程度で済んでいる。だがそれを、不思議には感じなかった。

 かすかにツンと鼻をつく匂いも、我慢できる程度。

 気になるのは、この声だ。

 絶え間なく聞こえる絶叫が、鼓膜を刺す。

 声の主は視界の範囲にはいない。

 それは、俺がこの謎の空間の端にいるからなのか。それとも声に聞こえるだけで、実は風の音なのか。

 道はある。

 ただ前に進むしか出来ない道だ。その先からはぼんやりと灯りも見える。

 それを、俺は進んだ。じっと立ち止まっていても仕方がない。

 だが、すぐに進んだことを後悔した。

 眼下に広がったのは、まるで地獄。

 所々で松明の灯りに照らされて。

 赤い眼をしたゴーストたちが、鞭を持って奴隷らしき者達を指揮している。叫びは奴隷たちのものだった。

 俺が立っているのは、それが一度に見渡せる場所。左にある階段が大きな弧を描いて下へと続く。

 この場所でどうしろと言うのか。

 右は行き止まり、来た道も行き止まり。

 左に行けば地獄。

 もちろん前も行き止まり。

 このまま、ここに佇んでいるしかないのか。

 すると、すぐ傍で風が起こった。円を描くようなその風は小さな竜巻のようで、その中に黒い何かが混ざっていた。そして黒い影が形になるまで、ほんの瞬きをするほど。

 その黒い影は、鞭を持ち、赤い眼をこちらに向けたのだ。


 ☆ ★ ☆


 誰かの気配を感じて目を覚ました。

 目を覚ませてよかったと安堵する。妙に汗を掻いているのは気のせいじゃない。嫌な夢だった。

 扉を背に横向きに寝ているため部屋の中の様子は分からない。思い切り寝返りをうちたいのを堪えて、意識を気配に集中した。

 誰かが部屋の中に入ってきて近づいてくる。お嬢様かと思ったが、その可能性は低い。扉は閉まっていたはずだ。お嬢様なら必ずノックをする。

 じゃあ、ツェットか?

 何のために?

 見当をつけて俺はそいつが十分に近づいてくるのを待った。そして、ベッドの傍まで来たところで飛び起き、枕の下に隠していたナイフを首元に突きつける。

「何の用だ? 答え次第では今ここでお前のあの世訪問を手伝うが?」

「いやぁ、一応知らせようと思ってな」

 そこに居たのは、やはりツェットだった。

 俺の反応に別段驚いた風もなく、いつも通りの軽い口調で言う。

 窓のほうを指差しているから、一応警戒しつつそのまま傍まで行って外を見ると、かなり下のほうに人影が見えた。家の影に隠れて見えにくいが、たまに見える姿は野生の動物というよりは人のそれだ。知らせに来たからには、何か良くない奴なのだと思ったのだが、こちらに向かっているのではなく、遠ざかっているのが分かった。

「あれは……」

「あんたのお嬢様だ。俺も始めは気のせいだと思ってたんだが、どうも部屋を抜け出したらしい」

 ……あんんんんんんんのお嬢!

 何しに行ったんだ?

 昼間の船を見に行ったか、それ以外に気になることがあったとか。こんな時間に店がやっていないことくらいは分かっているはずだ。

「因みにそのまま東を見てみ」

 言われるままに視線を動かすと、町のほうが赤く光っていた。

 なんだ、夜祭でもやってるのか?

「恐らく海賊達の夜襲だ」

「夜襲?」

「あぁ、今日明日にでもって雰囲気だったからな」

 どうやら本当に知らせに来ただけなのだと分かって、突き出したままだったナイフを仕舞った。

「失礼しました」

「いや、別に気にしてないからいいぞ? 言葉遣いも適当で」

 とてもありがたい申し出だった。

 苦情は思い切り言いたいからな。

「そうですか。じゃあ聞くが、お前知ってたな」

 何をといえば海賊が夜襲を仕掛けることを、だ。

 でなければ、あんなに強引にここに泊まれなんて言わないはず。

「知りはしないさ。ただ、数日以内には仕掛けてきそうだと思っていただけだ」

「それを知ってるって言うんだ!」

 こうしてはいられない。急いでお嬢様を連れ戻さなければ!

「お前も来い!」

 服もそのままに、俺は部屋を飛び出した。

 思えば、俺が飯を作ると言ったときにお嬢様が一言も発することなく静かだったという辺りがそもそも不審だったんだ。いつもなら喜ぶくらいはする。きっとその時から、どうしようかと考えていたのだろう。

 俺は屋敷に帰るとしか言わない。だが、あの地図の島へ行くことが出来るかも知れない。

 それなら、誰の持ち物でもないあの船で夜逃げしよう。そうお嬢様が考えたとしても不思議はない。そもそもこの状況の発端は、お嬢様の夜逃げだ。

 もっとお嬢様の様子に気を配っておくべきだったと後悔しても遅い。いつもなら同じ部屋がいいと駄々を捏ねるのに、それをしなかったのは何故だ?

 夜逃げするためだ。大人になったと感動している場合じゃなかった。

 なんとしても止めなければならない。最悪、付いていかなければならない。

 俺はお嬢様の執事だ。どんなときでも傍にいて身の安全を図るのが勤め。

「お前さんも大変だなぁ」

 俺の後ろを静かについて、ツェットが言った。重たそうな身体をしている割に、意外と体力があるようだ。俺の駆け足に普通に付いて来ている。

「もう慣れたさ。いつもこんな感じだからな」

「なるほどな」

 降りても降りても終わらない階段を一段飛ばしで駆け下りて、昼間見たあの船を目指す。

 ただもう、変な奴ら――主に海賊だ――に目を付けられないことを願うだけだ。

 そんなに行きたいのなら、もうどこまででも付いていく。

 記憶探しは勘弁してほしいが、一財産探してから屋敷に帰ろうじゃないか。

 クビになることを覚悟で、執事として貴女の傍にいるから。

 だから、勝手に目の届かないところへ行かないでくれと。

 その俺の想いも虚しく。



 あの船の傍には、お嬢様はいなかった。


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