海賊と伝説
「はいよ」
「ありがとう!」
「ありがとうございます」
結局俺たちは男――ツェットと名乗った――の好意に甘えて家まで着いてきてしまった。思いのほか高いところにあって階段が多かったが、お嬢様は根をあげることなく到着できた。海を見下ろせる立地は中々いいものだ。東の方を見れば、先ほどまでいた港や結局まだ足を踏み入れていない町が見える。日は傾き始めているが、まだまだ空は明るく、小さな人が動き回っているのが分かった。
そして、そこから大きく右に視線をずらせば、あの黒い船が見える。遠目から見てもやはり異様な雰囲気を放っていた。
家は外から見ると小ぢんまりとして見えたが、二階建てらしく、中は意外に奥行きもある。
どうやら船員だと思っていた男は単に家に帰るために船員として乗せてもらっていただけだったらしい。
ひょっとして俺たちもその方法であれば金を使わずに帰れるんじゃないかと思ったから、参考として頭の隅に入れておく。もちろん、最悪の場合に使うだけだ。お嬢様に船員なんてやらせられない。
……勤まるわけがないからな。
出されたお茶を啜り、盛られた焼き菓子を一つ頂く。お嬢様はどんどん手を出しそうだから、さり気なく皿をお嬢様から遠のけた。
物凄くムッとした表情をされたが、意図が伝わったのか文句は言われなかった。こういう察しの良さは、俺の教育の賜物と思いたい。
そんなやり取りを面白そうに見ていた男が、自身も椅子に座り口を開いた。
「嬢ちゃんは、縁談話から逃げてきたのかい?」
「そうなの! お父様ってば自分の事業の失敗をあたしに押し付けて縁談話なんて持ってきて!」
「そりゃあ逃げるわなぁ」
腕を組んで頷きながら分かる分かると言うツェット。
「でしょ?」
「だが、名家の娘にはつきものな話って気ぃもするが……」
「そんなの関係ないわ! 私には会って答えを聞かなきゃいけない人がいるんだもの!」
「ほぉ」
「またその話ですか」
夢見るお嬢様の話だ。
「何よ、いいじゃない! 話すだけならタダでしょ」
ツェットは興味深々といった具合で聞きたそうにしていたが、俺は聞きすぎて耳にたこが出来ているから意図的に話を逸らすことにする。
「町に海賊が来てると言っていましたが……」
「あぁ、普通の顔して紛れてたけどな。船もどこかにあるだろう。なんでも、《永遠の娘》がいるって噂を聞いたそうだ」
「何の娘ですか?」
「《永遠の娘》。なんだ、あんた知らないのか?」
少ない記憶を探ってみたが見つからない。
永遠の娘? 何か美術作品に付けられる名前みたいだ。
「海賊達の求める三人の娘の一人、でしょ?」
「あぁ」
「イクス、知らなかったのぉ?」
口元に手を添えてニヤニヤと笑うお嬢様を見ると、無性に頬を引っ張りたくなったが、話の続きが気になるからやめておく。
「嬢ちゃん、意外と詳しいな」
「えへへ」
「海賊の目的は、商船などの金銀財宝……と一般的には言われてるんだが、実はちっと違う。
始まりは西の果て、終わるは東の森の中、永遠は海の底で眠り続ける。
海賊の間で噂される伝説だ」
「……」
伝説?
そんなものを海賊達は信じているのか?
「それぞれ、始まりの娘・終わりの娘・永遠の娘と呼ばれてるんだが、その中でも始まりと永遠を探すのがほとんどの海賊達の目的だ。商船を襲うのは、その資金集めだな」
「見つけるとどうなるんですか?」
「永遠の娘は永遠を、始まりの娘は生を、終りの娘は死を与えると言われている。けどま、伝説だがな」
「初めて聞く話ですね」
「……そうかい」
「でも、永遠の娘が海の底で眠り続けるのなら、この町に居るかもっていうのは可笑しいんじゃない?」
「だよなぁ」
確かに、この町は海の底とは言えない場所だ。空気があるし、港がある。海面よりも確実に上だ。
いや、そんなことよりも、町人に紛れていたのに何故そいつらが海賊だと分かったんだ?
しかも、俺に海賊がいるからと親切に教えてくれたところも気になる。
「その海賊、知り合いですか?」
「……なんでそう思うんだい?」
「なんとなく、ですね」
「そうかい」
ツェットは、空になったカップにお茶をゆっくりと継ぎ足した。俺の質問に答えようか迷っているようにも見えるし、始めから答える気はなくて、話題を変えようとしているようにも見える。
菓子を一つ摘んで噛み砕き、お茶を啜ったところで再び男が口を開いた。
「譲ちゃんの質問だが、三人娘は伝説の場所にいるわけではないらしい。というよりも、伝説自体が居場所を指しているわけではないんだろうなと俺は思ってるんだが。この町に居るという噂が立つのは不思議でもなんでもない」
「そうなの?」
「むしろ、この近辺の島でその昔終わりの娘が出たという話もあるくらいだ。永遠の娘が出たという話は、信憑性が高いだろうよ」
「詳しいですね」
「まぁな。で、お前さんの質問だが仲が良くない方向で知り合いだ」
なるほど。とすると、少なくともこの男は海賊の顔を認識できる程度には海賊を知っていることになる。
指名手配されている者が居ないわけではないが、そんな大物がこの辺を堂々と歩いているわけがないからな。
さて。どこまで信用していいのやら……。
「ところで、あんた達。これからどうするんだ?」
俺が一人考えていると、男が聞いてきた。
この男を信用するかどうか以上に考えなければいけないことだな。
旦那様と連絡を取る手段はなく、迎えに来てもらえるということはまずない。運よくお嬢様を探して海を彷徨い、この島の港に到着するということはなくは無いが、確率はかなり低い。何故かといえば、ここに着く前に幾つかの島を素通りしてきているからだ。
今頃旦那様や他の使用人たちはどうしているだろう。
きっと、どうにかしてお嬢様を見つけなければと躍起になっているに違いない。もしくは、俺が着いていったのなら大丈夫と思われているかもしれない。
いや、待て。俺がお嬢様を攫ったことになっている、ということもありうる。実際は違うが、そんな勘違いをされていないことを願うのみだ。
だから、屋敷を目指して帰るしかない。
でも、帰れるかどうかが怪しい。
船はない。
ついでに言うと、所持金も少ない。
「一応、屋敷に帰ろうと……」
「一攫千金を狙ってお宝を探しに行きたいの!」
俺の言葉を遮ってここぞとばかりに主張をするお嬢様。昨日に引き続いてこの話をツェットにするのは二回目だ。せいぜい面白がってくれ。ついでに俺の代わりにお嬢様に「それはやめておけ」とアドバイスなんかをくれると嬉しい。
鷹揚に頷いて男は口を開いた。
「具体的にどうしようとかは決まってるのか?」
口にしたお茶を思わず噴出すところだった。
何故そこで乗るんだ!
単に面白がっているだけだろうと思いまじまじと男の顔を見るが、至って真面目。むしろ、話に乗ってきているような雰囲気さえある。
その男の言葉に嬉しそうに頷いて、昨日俺に見せた地図をどこかから出してテーブルの上に広げた。昨日見た通り、手書きでどこかの島の地図に×が付けられている。
「ここよ!」
「……これ、どこで手に入れた?」
「昔会った人に貰ったの」
「……」
「いいでしょ」
ちょっと自慢げに、お嬢様。
男は丸眼鏡の奥の小さな目で少しの間地図を眺めると、手書きか、と呟くのが聞こえた。
そうだよな、俺もそれが気になったよ。
「悪い悪い、驚いて固まっちまった。ってぇことは、船が必要ってことか」
「そうなの! だから船を買いに行こうと思って……」
「そうかぁ、流石に俺も船は持ってないな」
「船は買わないし、一攫千金も狙いません。明日船の予約を入れて、屋敷に帰ります」
「そういや、お前さんらどこから来たんだ?」
「フィーリアです」
「あぁ、たぶんだが……。その船、今の時期は潮の流れの関係で運行停止中だと思うぞ?」
な……に……?
「来ることは出来るが帰れない。逆に時期によって行くことは出来るが帰ってくることができない。東の方はそういう地域が多い」
「……ということは」
「一攫千金を狙うしかないな」
そっちか!
違う、帰れないってことだ。
「まぁ、俺んちは見ての通り俺一人で広いし、二階の部屋はほとんど使ってないから、どれだけ居ても構わんぞ」
「じゃあじゃあ、この島ならいける?」
お嬢様が自分の「宝の地図」を指差して聞いた。
「この島……南のほうか?」
「そう!」
「場所によってはいけるかもな」
お嬢様の嬉しそうな瞳が俺を見つめる。何が言いたいのか、手に取るように分かる。
どうせ、こっちならいけるじゃないとか考えているんだ。
確かに、何もせずにここで時間を無駄にするよりは、何かしらやっているほうがいい気もするが……ダメだ。ここで一攫千金を狙いましょうか、なんていえるはずはない。
俺は責任を持ってお嬢様の安全を守り、屋敷に帰して差し上げなければならない。
というか、まだ船が出ていないと決まったわけではないしな。
「とりあえず、船が本当に出ていないかどうかを確認しに行きましょうか」
「……はぁい」
「今日はもう暗いから、明日のほうがいいぞ」
男の言葉に窓の外を見ると、確かに空が漆黒に包まれていた。そんなに長く話していたつもりも無かったが、気がつかないうちに夜が訪れていたようだ。
「この家にあるもんは好きに使ってくれ。その向こうが俺の部屋だが、まぁ扉もないし好きに見てくれて構わない。取られて困るようなものもないからな」
どうやらこの男は本気で俺たちを泊める気らしい。
ありがたいが、どうしてそこまでしてくれるんだろうという気もする。不思議だ。
海賊の仲間で俺たちをどうにかするつもりなのかと疑う気持ちもなくはないが、俺たちの現状を知ってどうにも利用できないことはわかったはずだ。
昔の俺を知っているような素振りもあったが……借りでもあるのか?
昔の俺についての話が出るのは避けたいから、聞かないが。
「さて。んじゃ俺はちょっと飯の用意すっか」
適当に寛いでてくれと言われ、慌てて立ち上がる。
タダで泊めてもらうのに何もしないわけにはいかない。
「御飯くらい作ります」
「客人にやらせるわけにゃいかねぇよ」
「いいんです。結構日常的にお嬢様に作っているので」
それはもう頻繁に作っている。
一度、深夜にお腹がすいたといわれ、料理人を起こすわけにもいかず調理場を借りて夜食を作った。簡単な野菜スープだったが美味しいと言って器を空にして満足そうな顔をしていたのを覚えている。
ただのお世辞くらいに思って「お嬢様に気を遣わせてしまった」とほんの少し落ち込みもしたのだが、どういうわけか本当にその時のスープがお気に召したらしく、他にも作れと言われて作ったところ……。
「イクス、実は料理人だったんじゃない?」
「さぁ、そんなことはないと思いますが……」
料理人だったら記憶を失って海岸に落ちてるなんてことはまずないだろう。
とにかくお嬢様の舌には合ったらしい。
それ以来、料理人の作る目にも舌にも美味しい飯があるというのにたまに作ってとせがまれることがある。
どうやら記憶が無くなる前もやっていたようで、誰に何を教わるわけでもなく手軽に作ることができた。レパートリーが意外にもまともな料理であることも幸いした。
たまに旬のものなどを市で見かけると、お嬢様に出すならこの料理だなどと考えていることがある。
毒づくことも多いが、なんだかんだ今の俺はお嬢様中心の思考をしているのだと、そんな時に自覚させられて苦笑することもしばしばだ。
そして、どうして料理がこんなにも自然にできるのだろうと考える。
失った過去を知りたいと望むことはないが、どんな相手に作っていたのか、それだけがたまらなく気になる。
顔も知らない親か。
存在も分からない兄弟か。
……恋人か。
それとも単に自分自身に、か。
答えはどれであってもいい。ただこの、霧の中を走り続けぼんやりとしたものを追いかけている状態が、曇り空程度になればいいのにと思う。
「何を作る予定だったんですか?」
「手軽に鍋料理だ。多めに作るつもりで材料を買ったから人が増えても問題ないとは思ったんだが……」
「じゃあ、私が作るのでほかにやりたいことがあればどうぞ」
俺の言葉に少しだけ考えたあと、
「……そうか。それじゃ、頼む」
と、俺に調理場を明け渡した。そしてそのまま、すぐ戻ると言い残して外に出て行った。
赤の他人を家に入れたままで物騒な、と思うこともなかったが言った通りすぐに戻る気なのだろう。
お嬢様はどうやら本棚を物色し始めたらしい。気がつかなかったが、びっしりと大小さまざまな本が並んでいる。
しかも、さすが男の一人暮らしというべきか、ジャンルや作者名にこだわることなく乱雑に詰められている。
しっかりとしたつくりの背表紙をざっと眺めて、航海記らしき本の隣に「優しい猛獣の育て方」という本がおいてあるのだけが気になった。
お嬢様は割りと冒険ものを良く読んでいるのを見るが、この感じなら読みたい本も見つかるだろう。
大人しくしていてもらえるのなら、それに越したことはない。
俺は下の戸棚から大きな鍋を出し、片っ端から材料を入れていく作業を始めた。