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破壊

「いらっしゃいませ!」


香ばしい焼きたてのパンの香り。店内に漂ういい香りの中、看板娘の長い黒髪の少女は笑顔を振舞う。


彼女は客の世間話から愚痴、相談まで真摯に聞き、街でも評判の娘だった。


「カンナちゃん」


店内の飲食スペースで、彼女が通りかかったのを常連のおじさんが捕まえる。


「あ、向かいのおじさん!今日もありがとうございます」

少女は満面の笑みで応える。


「はは、君の笑顔を見ると今日一日頑張れる気がしてね」

おじさんは照れくさそうに笑い、頭を掻いた。

「ところでさ、」

ほんの世間話のつもりで続ける。




「南の方の村が、また隣国の奴らに襲われたって知ってるか?」




「へえ…また…?まだこの国の占拠を目論んでいるのね…」


「ああ…いつも弱い奴らばかり襲いやがって…汚い奴らだぜ」

静かに怒る常連のおじさんに彼女は宥めるように眉を下げる。


「まあまあ…私達がどうにかできる問題じゃありませんし」






「それもそうだけどよ…もっと酷い話が、そこの孤児院まで襲撃されたって話だ。…血も涙も無い奴らだよ本当に。」







少女の纏う空気が一瞬にして固くなった。


「孤児院…?南…」


「…お、おい?カンナちゃん?どうしたんだよ、顔色悪いぞ?」


常連のおじさんは少女の青白くなった顔を見て焦り出した。


「だっ…大丈夫ですよ?最近忙しくて…疲れているのかなぁ…えへへ…あの、私、失礼しますね、今日もゆっくりしてってください」


少女はまだにこにこと愛想を振り撒き、そそくさとその場から逃げた。手と足が冷たくなり、次第には震え出す。



「おばさん…ちょっと外、出てくるね。」

明らかに様子のおかしい少女は多くを語らず、それだけを店主の女性に伝え、


「え、カンナ?気分悪いなら上で休んで…」


何も聞かずに外に出た。




カンナは南へ走った。家族が殺されたのかもしれない、と考えるといてもたってもいられなかった。


そこまでは馬で1日はかかる距離だ。

今のカンナの足でも2日くらいはかかるだろう。


お願い、生きていて…


でも祈りが、愛がカンナを突き動かした。



「おい、どこへ行く気だ」


無我夢中で走っていた為気づかなかったが、いつの間にか軍服を着た男達がカンナの方へ馬を寄せていた。



「……南、です」


立ち止まり、膝に手をやる。


「ここから先は危険だ。引き返しなさい。」


敵軍が居るだろうとの忠告だということは分かったが、杓子定規に戻されると思って睨みつけた。

「嫌です…あの村には、家族が居るんです」


「なら尚更だ」

軍服の男は即答で後方の者に目配せした。


「城下町まで送ってやりなさい。」

男が命令に応じ、馬から降りてこちらへ来た。


「嫌よ!!!やめて、放っておいて!!」

手を掴む男の手を振り払い、暴れる。


「ごめんな、お嬢ちゃんの気持ちも分かるんだが、俺達は増援部隊…この意味が分かるか?」

武骨な手がカンナの頭を撫でた。その瞳には慈しみがあった。

この男を残して軍服の男達は南へ向かう。


「増援…」

それは前の部隊が手に負えない状況まできてしまうと来るもの。

「生存者は恐らく居ない。俺達は……」

視界が真っ白になった。それから先の話なんて聞けなかった。






生存者は…いない?







「嘘よ…絶対どこかに居る筈だわ!!!!嘘よ!嘘よ!!!!」

否定して。嘘だと言って。


「お嬢ちゃん…辛いのは分かるが…」

お願い、やめて


「い…や」



これ以上、何も言わないで




カンナはよろよろと歩き出した。

本当は、どっち?


本能では分かっていた。でも理性が許さなかった。



「お嬢ちゃん!」

男がカンナの肩を掴み、揺さぶる。



でも…人から聞いただけなんだ。

そうだ、まだ死んだって、皆が死んだって、わからない。自分で見ないと、わからない




「それでも…行くんだから」

カンナは振り返り、笑った。お芝居のような、狂気のような笑みだった。

「どうしても街に連れ戻すつもりなら私はここで死ぬわ。」

その瞳は凶器へ変わって男を貫き、

広がる荒野に落ちた石は、少女には凶器になるだろう。



「…わかった」

男は諦めたように、悲しむように、憂うように、泣くように頷いた。


「俺が、連れていってやる。」

手を差し延べて自らを語る。

「俺はヴィクター。第二騎士団の端くれさ。」

そして自傷気味に嗤う。


「…私はカンナ。」

差し伸べられた手を握った。


「っよし、カンナちゃん!」


「!?」

鼓舞するように叫び、カンナを馬に乗せ、自らも乗る。


「ん?馬に乗るのは初めてだったか。まあでもすぐ慣れるって。落なきゃいいんだからな」

そう言ってカンナの腰辺りを引き寄せ、腕で固定した。


「貴方、怒られる?」

「まあ、そうだろうな…でも、カンナちゃんが死ななきゃいいんだし」


カンナの頭上から降る低い声は、不思議と落ち着いていた。


「そんなこと、できる?」

「まあ、現地は悲惨だが敵はもう居ないだろう…何かあっても俺が責任とるし」


カンナも不思議と落ち着いてきていた。

家族が死んでいるかもしれなくても、でも今頃なんとかなっているような気にすらさせるような…




それから着くまで、色んな話をした。

ヴィクターが騎士になるきっかけとか、家族とか、上官のこと。

さっきの増援部隊の隊長はエリアルと言って超怖い人、らしい。


カンナも色んな事を話した。

城下町のパン屋さんで働いていることを話したら驚かれ、昔はよく行ってたぞ、なんて言われた。

でもヴィクターはカンナの家族の話は器用に避けた。




そして話している間に村へだんだんと近づいているようで、焦げた臭いが漂ってきた。




「…ヴィクター…」

「今から戻ってもいいんだぞ。元から望みは薄いって言っているんだからな」

首を横に振る。

「…どうなっても知らねえぞ…」



カンナは何も言わずにヴィクターに寄りかかった。

ずっと落ちないように守ってくれている右腕に力が込められる。

胸はざわざわと落ち着かないのに、なんだか安らいだ。


「私は…どうすればいいのかな」






彼は暫く黙った後、ぽつりと呟く。


「…俺も、似たようなもんさ。」

ヴィクターの家族はある日盗賊に襲われたらしい。抵抗した母は殺され、幸い仕事をしていた父は無事だった。

彼は賊を取り締まりたいと言って騎士になることを志願したと言っていた。










辺りは更に焦げ臭くなっていき、煙は視界をぼやけさせた。

カンナは何となく察するようになっていた。誰も、居ないのだと。きっと皆がこの火に巻かれ、息が出来ずに死んでいったのだと。


ヴィクターは、何も言わなかった。



「おいお前…その子…」

増援部隊は煙巻く家屋の中に居る遺体を運んでいた。その中の一人が馬上のヴィクターとカンナを見て目を剥く。



だが指揮をしていたエリアルは怒ることもせず、ただ一瞥しただけだった。



その反応にはヴィクターも驚いたらしく、その上司を惚けたように見ていた。


「一応…報告に行くからな」

そして我に返ってカンナにそう言い、ひらりと馬から降りた。その後でカンナもそっと降ろしてくれる。




ヴィクターは右手に馬の手綱を、左手にカンナの手を引きエリアルのもとへ行く。

確かに怖そうな人だなとカンナは思い、ヴィクターの背に半分隠れた。



「エリアル第2騎士団長。」



ヴィクターも緊張した面持ちで声をかけたが、エリアルはカンナを見た。



「貴方の家は何処に在った?」

切れ長の瞳は咎めることも、戒めることもなく、水のように掴みどころがなかった。

それが逆に怖かった。


ヴィクターの左手に大丈夫だと安心させるように力が入る。


「丘の麓の、孤児院です」


頑張って声を絞り出すと、ヴィクターは驚きながらも傷ついた様な顔をし、エリアルは特別な反応はせず周囲に言い放った。


「今から私の代わりに彼に指揮をとってもらう。」

第二騎士団の端くれ、と自ら語ったヴィクターは目を見張り、増援部隊は承知の意を示した。


「貴方は私に付いてきなさい。」


エリアルはカンナとヴィクターの間を颯爽と通り、後ろを気にせずに歩き出した。


繋いだ手が放された2人は焦った様に各々の役目を果たそうとした。

でも一瞬、振り返ると瞳が合う。ヴィクターのそれは励ましであり、憂いであった。





















まるで、あの村ではないようだった。

知っている建物は倒壊し、安らぎであった大きな木は焼け焦げて、村の大人達は物言わぬ物体となって存在していた。

炎が、煙が、死体が、熱が、騎士が、そこを非日常にして、戻ることのない日常を更に遠いものにした。


それでもカンナに涙は無かった。だってそんなもの、カンナにとっては飾りのようなものであったから。そこはカンナが見ていた世界でも、居場所でもなかったから。




でもカンナが見ていた世界は、




「ここがその孤児院にあたる所だ。」



瓦礫しかなかった。

孤児院はくろいかたまりとなっていた。

こんなの、想像できなかった。カンナの頬に涙が伝う。


まだ向こうの方にあがっている炎が更に絶望を感じさせた。

本当に、誰も居ないの…?


ふらふらと歩み寄り、

瓦礫を退かす。皆で読んだ本がボロボロになってそこにあった。

瓦礫を退かす。皆で囲んだ食堂のテーブルの様な板があった。

瓦礫を退かす。皆で遊んだお人形の手と足と顔がバラバラだった。

瓦礫を退かす。皆が大好きだったお菓子の缶が潰れていた。


涙を拭うことなく退かして、退かして、退かして。

そこには思い出が無惨な姿で佇んでいた。




「ご遺体は、あの仮設のテントの中だ。」



それを無表情で見つめていたエリアルは更に重い事実を突きつけた。


見ると、沢山の人が運び込まれている。そこは生気がなく、時間が止まったように見えた。


カンナは何も言わずに向かった。足取りは重く、頭はどくどくと脈打ち、目は涙を流すのに忙しい。

エリアルも何も言わずについてくる。



カンナはやっと涙を拭い、テントの中を全て見た。

きれいな人は居なかった。

手だけ、足だけ、若しくは手足無し…みんな欠けていた。


「隣国は野蛮な民族だ。」


エリアルはカンナの後ろに立って言う。

「民を傷つけることはたとえ敵国であっても騎士のモラルに反する。だが、彼らは傷ついた民を切り開き、領土を得る。必要とあれば嘘をついて隠蔽する。そして…本来ならば、これらの命は散ることなんて無かったものだ。」


悲しむことも憤ることもなく、ただ淡々と無表情で。


「彼女は、死ぬより酷いことをされただろう」

エリアルは奥の女性に目を向けた。


そこには、カンナが良く知る人物。


「マーサ…」


「彼女は顔貌が整っていたために男達に犯され、そして使い捨ての玩具のように殺されたらしい。」



「彼女は、」

ぐちゃぐちゃで誰か分からないものに目を向ける。

「子供を助けようと火に巻かれたらしい。」

それはきっとアイリスだった。優しくて、荒れてしまった手が懐かしかったから。


彼女は、彼は、と推測と伝聞の死に様を語り、エリアルはカンナに向き直った。


「貴方は、これを見るためにここまで来たのか 」


その時にはもう既に、カンナの視界は真っ赤に染まっていた。頭は脈打ち、心臓は沸騰した。


「……」

何も言えなかった。言葉が出てこなかった。

皆を救うはずだったのに、自分が救われていた。再会を喜ぶはずが、再会すらできなくなっていた。

自分は、ここで皆と死ねばよかったのか。

後悔と、悲しみと、そして怒りと憎しみ。混ざった感情の中、ただ家族を見下ろすことしかできなかった。

死体はカンナに目も呉れずに絶望を表すのに忙しい。




「問い直そう。」

カンナはもう目を合わせなかった。エリアルに何も話したくない。話すことがなんてない。



「貴方は今、何がしたい?」



カンナはゆっくりと顔を上げエリアルと、虚空を睨んだ。








「復讐よ」








自然に口をついて出たその言葉は、カンナの身体に角砂糖のように染み込み、収まった。

それはあまりに甘美であり、酔いしれてしまう。

頭がぐらりと傾いだ気がした。



「私は、隣国の兵を…いえ、隣国そのものを滅ぼしたい」



隣国が全て悪い。土地を拡大することしか考えていない奴らが憎い。兵、貴族、王、民…全て殺してやりたい。殺したい、殺したい、殺したい…!!

醜い感情は爆発して、カンナの心を凍らせた。



でもエリアルは、




「では、貴女の願いを私は正当化することができる。」






相変わらずエリアルの瞳は何も語らない。

しかし、カンナは彼に抱きとめられるような感覚に陥った。この醜い感情を肯定されたのだ。




悪魔は囁く。



「私と共に来なさい」


手を差し出される。


でもカンナは何処に堕ちようと構わなかった。



「私が望む者は、それくらい歪んだ願いを持った者だ。」


悪魔は囁く。









「貴女の進む道は分かっているだろう?」







「綺麗事で騎士は務まらない。」





そう言って、エリアルは遂に嗤った。







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