再会
二人が城下町を視察し終わるころには既に日は暮れていた。
「リフィー、明日は物資の行き届き難い村に行きます。なので今日はこの辺であの宿に」
「…カンナ!?」
トリフィラの侍女が手配した宿へ案内している時、
後ろから突然声がした。
「…おばさ…ん?」
「カンナ、カンナ、カンナ…!!!とても心配したのよ、連絡寄越さないで!」
カンナをぎゅっと抱きしめたその女性は、カンナの第三の…
「カンナ、その女性は?」
トリフィラがその女性を尋ねた時、カンナの瞳が凍った。
「…知人です」
「カンナ…?」
訝しむ女性を引き寄せ抱きしめ、耳元でそっと囁く。
「事情があります。どうか今は詮索なさらぬよう」
そして女性の言葉を待たずにトリフィラに向き直った。
「しばらくぶりの再会でして。お時間使ってしまって申し訳ありません。…では宿に向かいましょう」
にこり、と微笑みトリフィラの腕を引いた。
でも一瞬女性に振り返り、口だけで
「しんや、ここで」
「…カンナ」
部屋についた時、ずっと無言だったトリフィラが口を開いた。
その部屋は忍びであっても王族が泊まるだけはあって、なかなかに綺麗だった。
「なんでしょうか」
「私に、言えないことがあるのね。」
「…」
「でも…教えてほしいとは言わないわ。嘘をつかれるよりは、いいから…」
トリフィラはカンナの顔に手を伸ばし、そして包み込んだ。
「教えて…あの人は、誰…?」
「………」
至近距離にあるトリフィラの瞳は真っ直ぐにカンナの瞳を、身体を貫き身動きを取れなくした。
「…いいのよ、嘘をつくくらいなら言わなくて」
そういってトリフィラの瞳に寂しさの影がよぎったとき、顔に添えられていた手は力なく落ちていった。
そこにあった温もりが無くなる。目が逸らされる。全ての距離が、遠くなる
そして、カンナに襲ったのは焦燥感だった。
それは不思議な感情であった。
「彼女は、…」
絞り出した声は、何故か掠れていて
「彼女は、…」
それなのに、何故絞り出すのか分からなかった。
「…そう」
トリフィラは目を合わせぬまま呟いた。カンナは何か言い繕わなければいけない気がしたが、黙っていた。
「私、貴方の事を知りたいのに…知ることができない…知る術が無いの」
実はトリフィラは前に、主として、友としてカンナのことを知りたくてカンナに気づかれない間に兵の養成所の名簿も見たし、カンナの友…と思われる兵にも聞き込みを行った。
でも成果は少しだけしかなかった。カンナはある日突然現れ、養成所にて登録を行い、兵となったらしい。
唯一分かったことは最初は非力な少女であったこと。それでも彼女が放つ眼光は殺気すら纏っており、周りの者に覚悟を感じさせたこと。
「話すことは、できません。話せる時が来たら…」
カンナは理解できなかった。ただ守り、守られるだけの関係なのに、トリフィラが過去を知りたがるその意味が。
話したいとも思った。自分について知って欲しいとも思った。
でも、そうしたら騎士になった意味が無くなると思った。
そしてなにより…嫌われると思った。
「わかったわ…でも、これだけは約束してくれるかしら」
トリフィラは微笑んだ。その影には涙があった。
「お願い…私から、離れていかないで」
カンナはやっと分かった。さっきの焦燥感の意味は、これと同じ気持ちであったこと。
トリフィラはいつの間にか傍に居ることが当然で、大切だった。気づかぬうちに彼女の微笑みが唯一の光となっていた。
「私は…貴方の元から、離れたくはないです」
絶対に離れないよ、と言えるほどにカンナは強くなかった。
トリフィラと別々の部屋に別れた後、カンナは部屋で物思いに耽っていた。
夕方出会った女性はアザミと言う。カンナが孤児院を飛び出して城下町に苦労して辿りついた時、死にかけていたカンナを助けてくれた女性。
それから育ててくれた母のような存在。
アザミの家はパン屋で、仕事を探していたカンナを雇ってくれもした。
でも、身をそこに置くようになった3年後、カンナは何も言わずにその家を出た。
孤児院に送れるように、と貯めておいたお金を含め、何もかもを置いて。
アザミはある日突然姿を消した居候を訝しく思ったかもしれない。心配も、してくれたかもしれない。
でもカンナからすると、兵の養成所に行くだなんて言えるはずが無かった。
時刻はもう健全な民は寝ている時間。トリフィラもきっと眠りについているだろう。
あの言葉は伝わっただろうか…
「行こう…」
おばさんに、話したいことが沢山あるんだ。今まで秘密にしておいたこと、今のこと。
深緑のペンダントをポケットにしまい、
足音を立てずにそっと宿を出て、すぐそこの再会した場所へ向かう。
「カンナ…」
アザミは居た。
そして、何も言わずに抱きしめた。
「おばさん…心配かけてごめんなさい。」
恐々としながら抱きしめ返すと、アザミの纏う空気が緩んだ気がした。
「カンナとこうしてまた会えたから…許してあげるわ。もう会えないかと思ったもの…」
掠れるような声でそういい、カンナを離す。
「ねえ、なにがあったの…?」
真剣にそう問うアザミ。
温かさが懐かしい。心配してくれていた温かさが、痛い。
鼻に突き刺さる様な痛みを感じ、自覚した時にはもうカンナは涙を流していた。
「カンナ…!?どうしたの、大丈夫?!」
慌て、更に心配するアザミ。
でも、優しくしないで欲しかった。何かが決壊して溢れてしまいそうだった。それなのにカンナにはアザミを突き放す勇気なんかなくて。
「私は…騎士になりました。」
温かいアザミの腕から抜け出し、ぎこちなく敬礼。
「孤児院の家族が殺されたから…復讐を誓ったんです。私は今、人を殺す為に存在しています。全て、私の意志です」
何年も心を凍らせて石の様になっていたのに、アザミの前では容易く熱くなった。そんな自分が惨めだった。強いふりをしていたのにこんなにも自分は弱かった。
「おばさん…私はもうあの頃の自分ではありません。私のことは…どうか忘れてください」
言うなり背を向け、逃げようとしたのは明らかにカンナの弱さであり、痛々しさであり、汚さであった。
「騎士様だなんて、立派よ?カンナ。」
そんなカンナをアザミは捕まえ、抱きしめた。
「カンナ…強くなったのね。寂しかったでしょうに、悲しかったでしょうに、独りで…」
アザミはカンナを肯定した。
もうしわくちゃになってしまった手でよしよし、と撫でられる。
「でもね、もうやめて。カンナだけが苦しむなんて見たくないわ。カンナは家族が殺された後を見てしまったのでしょう?だからって、自分がやり返す位置に、立たなくたっていいの。また…一緒に暮らしましょう?」
それは、魅力的で残酷な提案だった。純粋であったあの頃、皆が大好きで、大好きなひと達に大切にされた幸福が思い出される。
でも今は、あの頃のように純粋だろうか?
「おばさん…一度殺意を知ってしまった人間は、果たして同じように笑えるでしょうか?」
強いふりをして、弱いふりになって。
あの時は確かに幸せだった。あれが自然で、当然で、奇跡で。
でも今となってはあの過去は眩しすぎた。
でもなによりも、今は放っておいてはいけないものがあった。
ポケットの中の深緑のペンダントをにぎりしめる。
「私は、第一騎士団団長です。まだ就任して間もないので皆さんの認知度は低いですが…私は引き返すことなんてできません」
アザミは息を呑んだ。第一騎士団団長なんてこれ以上上がることのできない地位だから。
そして、重い責任、任務が伴う…
「…じゃあ、街で見たとき隣に居た方は…」
「…陛下です。」
誰にも聞かれぬように囁く。アザミにはいいと思ったから。カンナの、母だから。
その彼女は、息を詰めたあと、ふっと息を漏らす。
「嗚呼、貴方はもう私の手の届かないところに行ってしまったのね」
アザミは紡いだ。
「私、貴方を見たときびっくりしたわ。死んだ娘にそっくりだったから。格好こそ悲惨なものだったけれど、歳も、涼しげな目元も、あの子そっくりで、話してみると性格もそっくりだったの。」
そう言って、懐かしむようにカンナの輪郭をなぞった。
「あの子は病気で亡くなったわ。何であの子が、代わりに私だっていたじゃないって嘆いていたころかしらね、貴方と出会ったのは。」
それは、初めて告げられる過去であった。
「私は貴方に娘の面影を見たの。ただ貴方に感情を受けとめて欲しかっただけ…でもやはり娘という存在は、私の手の届かない処に行ってしまう…」
汚いでしょう、私って、と苦笑するアザミ。
カンナは自分が想像以上に因縁深く、それ故に大事にされていたことを知った。
「おばさん…いや、御母さん。私を助けてくれてありがとう…」
御母さんと出会えてよかった、と微笑むカンナ。
でもアザミにはそれがとても痛々しく見えた。
カンナの背後に苦しんでいる現状が見えた。
「カンナ…あなた…」
カンナをこのまま送りだしてはいけないと思った。
「御母さんと…話せてよかった。少し、もやもやしてたから…」
ではまた、と背中を向けるカンナに届かない手を伸ばす。
なにが幸せなのか分からない。
けれどカンナの瞳には諦めと羨望があった。