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◇◆◇◆◇




「いづみ。おまえ何才になった?」

 食事の席で、ふと思い出したように祖父が訊ねた。

「十七です」

「十七か………」

 ふぅと溜息をついた祖父に、

「じいさま、どうかしたのですか?」

 心配そうな孫のようすに、しかし、祖父は、

「いや。なんでもない」

と、答えるにとどめたのだ。いや、孫の曇りのないきれいな瞳に、ことばをなくしたといったほうが、より正確だろう。

 刀鍛治一筋でやってきた彼ではあるが、別段孫の存在を忘れていたわけではない。

 孫は、可愛い。

 今は亡いいづみの二親の都合で、女として育てられてきた孫である。その大半は、自分の不精のせいでもあるのだが――ふたりが亡くなったときに、すぐに性を正しておけばよかったのだ。――まぁ、孫はまっすぐに育ったと言ってもいいだろう。

 問題は、『おまえは男だ』と、いづみを本来の性に戻すことを忘れていたということだ。

 いづみ自身は興味がなく知らないらしいが、実を言えば、いづみは近在の若者に人気があるのだ。

 時代が時代だから、女として育てられたいづみがそうそう出歩いたり若者と話し込んだりすることはなかったが、家の前を通る若者の数がやけに多い。この家は町外れにあり、あとは、上見山があるばかりだ。上見山に用のあるものなどそうはいないことを考えれば、やはり彼らのうちのいくたりかは、いづみを一目見ようとばかりに通りかかるのだろう。

 いくつもの縁談を無言のうちに握りつぶしてきたせいか、よからぬ噂もたちはじめている。

 曰く、 『よほどの玉の輿を狙っているのだろう』

 それを聞いた時は苦笑をするだけだったのだが、そういえばいづみは男だったなと、ようやっと思い出したのだ。

 自分の呑気さに、次に真っ青になった祖父だった。

 今更、おまえは男なんだと言ったとしたら、いづみがかわいそうだ。

 これまでの人生はなんだったんだ! じいさまのバカっ! などとでも言われようものなら、立ち直れないだろう。

 祖父が解決策に悩んでいるうちにも、日々は容赦なくながれてゆく。領主が注文した刀の期日も迫っていた。

 そうして、問題が棚上げされている間に、いづみは、ひとりの青年と出会ってしまったのである。


 いづみだとて、自分のことをおかしいなと考えていなかったわけではない。

 少しも育たない胸や、腰のくびれのなさとか、ゆうが授乳しているところを見てドキドキするとか、変だよなと感じていた。

 だからといって、そんなことを誰に相談できるだろう。

 遠まわしに――それは、なによりいづみの苦手とするところだったりするのだが――ゆうに聞いてみたが、『へんだよねぇ』というだけで、だからどうだという答が得られたことはなかった。

 もっとも、毎日毎日悩んでいたわけではない。

 もとより、悩みやつれるということとは無縁の性格をしているのだ。しっかり食事をとってぐっすりと眠れば、翌日にはすっかり忘れている。

 ともあれ、その日、いづみは、自分の運命と出会ってしまったのだった。




 湖の主を見送り、鷹巳は朱塗りの欄干に浅く腰掛けて、考えていた。

 春の心地好い風が吹き抜けるたび、部屋の区切りに使っている薄物の帳が大きくひるがえる。

 乱される髪を無意識に手櫛で整えるさまは、それだけで絵になるものの、どこか神経質そうな印象でもあった。

 何の気なく鷹巳が懐から取り出したのは、一振りの女持ちの懐剣である。

 それは、数百年の昔、自分を産みほどなくして亡くなった、人間の女の唯一の形見だった。好いた相手のいる母を、父が無理矢理に人里から攫ったのだと聞いている。そのために最後まで、母は父と心を通わせることがなかったのだ。ゆえに、母はひとでなくなることを厭い、頑なに”実”を受け入れることを是としなかった。ある意味、一本筋の通った生き方を選んだ女性である。

 漆に金蒔絵の瀟洒な鞘から、刃を引き抜く。

 記憶にある母は、これをいつも握りしめていた。

(母親を恋しいと思っているわけではないのですけどね)

 人間を恋うということは、父と母のような関係に身をゆだねることにほかならないのではないか―――と、鷹巳は思うのだ。

 父は、母を愛していた。

 それは、ひとならざるものの愛しかたではあった。

 荒ぶる神であった父は、それ以外の方法など、知りはしなかったのだろう。もしくは、返されることのない愛情に、絶望と恐怖とを覚えていたのだろうか。

 それがために、母が逝った後ほどなくして、父もまた身罷ってしまったのだ。

 通じぬ恋情に身を焼き焦がし、遂には己をも焼き尽くして、そうして、逝ってしまった。

 父と母との擦れ違いを知ればこそ、それくらいなら、恋しいと思う存在など、端から作らなければいいのだと、鷹巳は思う。

 湖の主のように、互いに心を通わせあうことは、ひととひとならざるものの間では、稀有なことにちがいない。

 たいていが、一方通行の、悲惨な終焉を迎えることとなる。

 たとえ両思いであろうと、棲んでいる時に違いがありすぎる。

 取り残されるのは、いつも、永く存在するほうだ。ひとならざるものは、心に刻まれた傷に、苦しみもがいて、遂には消え去るのだ。

 それを避けるための秘中の秘が、仙木の花首から鷹巳だけがつくりだすことのできる、実であった。しかし、欲しいと訪れる存在はあっても、それを使いこなせたものは、ごく少数にすぎない。

 それを思えば、たかがひとの子に恋心を抱いて、どうしようというのだろう――と、思うのだ。

 冷めている自分を充分に知っていればこそ、湖の主の先見を信じつつ、信じられなかった。

(やはり私は父の子だというほかないのでしょうねぇ………)

「おや」

 肩を竦めた刹那に、もてあそんでいた懐剣を手から取り落とした。

 抜き身の懐剣は、銀色の光の軌跡を描いて、はるか下界へと落ちていったのである。




 その日、いづみの祖父は領主の館へ注文の刀を献上するために出かけていた。

 前々からの約束で、ゆうと山菜取りに出かけたいづみの腹の虫がぐぅと鳴いたのは、太陽が中天近くにさしかかったころのことである。

「いづみちゃんったら」

 くすくすとゆうが笑う。

「お腹減ったね」

 上見山近くの林の中だった。

「じゃあ、お弁当にしましょうか」

「やっとだ」

 竹筒を傾けたいづみは、

「あれ。水がもうないのか。汲んでくるよ」

 そう言い残して、川に向かった。

「気をつけてね」

「うん」

 川で水を汲むついでに顔を洗ったいづみは、視界の隅で光るものを捉えた。

「?」

 誰もいないと思っている気安さで着物の裾を捲り上げ、ざぶざぶと膝よりも少し水位の深い流れの中に踏み込んだ。

「はは、冷たい」

 ぶるるるとからだが冷たさに震える。

「もうすこし」

 よっと掛け声をかけて、いづみが水底から取り上げたのは、きらりと光りを弾く、女持ちの懐剣だった。

「ふぅん、切れ味の良さそうな刃をしてる。錆びてないってことは、水に落ちてまだそんなに経ってないんだよね」

 刃の水を丁寧に拭い、それに腰巻の裾を破ったものを巻きつけ、注意深く袂にしまった。

 そうして、いづみが来た方向へと踵を返した時だった。

「わっ」

 いづみがのっていた石が、ぐらりと揺れた。

 もともと運動神経がかんばしくはない。

 平衡感覚を崩して、そのまま流れに足を取られた。

「うわぁ」

 そうして、そこからいきおい深くなっていた川底に足をつくこともできず、ごぼんと、水に呑まれたのだ。



 母親の形見の軌跡を追って鷹巳が見たものは、勢いよく着物の裾を捲り上げたいづみだった。

「おやおや。とんだお転婆ですね」

 小さく独り語ちる。

 こんな状況で出ていっては女性に恥をかかせることになると考えて木の幹に身を隠したものの、そのまま立ち去ることもせずに、いづみを観察した。

 懐剣は、いづみが入った川の中にある。鷹巳には、いづみの興味を引いたものが川の底の懐剣の光だろうと、見当がついていた。だから、いづみがどこの某なのかを確かめて、それから返してもらいに行けばいいと考えたのだった。

 クヌギの木陰はいづみからは死角になっているので、心置きなく眺めることができたのだ。

 すらりとして白いはぎが、鷹巳の視線を惹きつける。

 知らず鼓動が乱れたのは、湖の女主のことばを思い出したからでもあっただろう。

 女主の先見に、心惹かれていたのかもしれない。

 しばらく考え込んでいた鷹巳が我に返ったのは、

『うわぁ』

という悲鳴のせいだった。

 めぐらせた視線に、川面から突き出した腕が映った。

 なにが起きたのか、考えるまでもない。

 瞬間、鷹巳の姿はクヌギの陰から掻き消えていた。



 誰かが腕を掴んでくれた。

 それに縋るようにもう一方の腕を必死で動かした。

 そうして、やっとのことで、引きずりあげてもらえたと安堵したいづみは、咳き込んだ後に、今度は悲鳴を呑む破目になった。

 浮いていた。

 浮いている?

 なんで?

 恐る恐る自分の今を確認したいづみは、そこではじめて自分を抱えている人物に気がついたのだ。

「あ、ありがとう」

 誰かが腕を掴んで引っ張りあげてくれたことを思い出しての、条件反射だった。

 言ってからいづみは、相手を見た。

 逆光でよくはわからなかったが、細面のきれいな男性だろうことが、感じられた。

「え、と、おろしてほしいです」

 なんと言えばいいのかわからないまま、そんなことを言っていた。

 抱きかかえられて宙に浮いているというのは、どうも不安定で、不安で、落ち着かない。

 相手が人間じゃないんだろうなということはわかるが、何で人間じゃないのが自分を助けてくれたのかがわからない。下手に逆らったりして、頭から喰われるような破目だけはごめんこうむりたかった。なんたって、ここは、上見山とは目と鼻の先の林なのだ。昼日中だから安心しきっていたが、化け物が絶対出てこないとは断言できない。

(ゆうだいじょーぶかな)

 心配になってきた。

 だから、誰かは知らないが人間じゃない相手が自分を川岸に下ろしてくれたことが、嬉しかった。

「ありがとう」

 そう言うと、いづみは、後ろを振り返りもせずに、びしょ濡れのまま走り出しそうとした。

「?」

 しかし、見知らぬ相手は、解放してはくれなかった。

 もがいても、腕の中から離してくれない。

 すっぽりと抱きしめられている。

「あのねっ」

 思わずかっとなったいづみは、そこではじめて、相手の顔をまともに見た。

 間近に見下ろしてくるのは、思考が止まるほどの、美貌だった。

 白皙に金の瞳。すっと通った鼻筋に、不思議なほど赤い、整ったくちびる。

 自分がなにをしていたのか、なにをするつもりだったのか、咄嗟に思い出すことができず、呆けたようになってただ相手を見上げる。

「そのままでは、風邪をひきますよ」

 薄めのかたちよいくちびるから発せられたのは、妙に人間臭い台詞だった。

(だから、あんたが離してくれればいいんだけどな)

 そう声に出そうとした時、何かが弾けるような音がして、頬をあたたかな風に撫でられるような感触をおぼえた。

 音のほうを見れば、豊かに炎が燃えている。

 赤や柑子(こうじ=蜜柑)の色に青い色の交ざった炎が、地面から一尺ほどの高さでゆらゆらと揺れていた。

「あなたが?」

 そうとしか考えられない。

 やはりこの男は人間ではないのだろう。

「どうぞ。着物や髪を乾かしてください」

 穏やかで丁寧な口調だった。

(なんでここまでしてくれるんだろう?)

 首を傾げるいづみだったが、

「じゃあ、遠慮なく」

 盛大なくしゃみのあとで、こんどは容易に男の腕から抜け出すことができたのだ。



「いづみちゃんってばなにやってんのよ~」

 いくら待ってもいづみが戻ってこないので心配になったゆうは、川へと向かっていた。

 赤ん坊はすやすやと腕の中で眠っている。

 ずっしりと重くなった赤ん坊に、母親特有のやわらかな笑みを浮かべて、抱きしめた。



(少年……ですよね)

 川から救いあげたときに抱きしめたからだの感触を思い出し、鷹巳は炎の向こうのいづみを観察する。

 女ものの踝丈の着物を身につけた少年は、たしかに愛らしい。

 いい身形をしていることから考えれば、それなりに裕福な家の娘――息子なのだろう。

(聞いてもいいものか、悩みますね………)

 仕草もひとつひとつが大雑把なものの、どちらかといえば、女性のものだ。女ものの着物に慣れているのだろう。

(理由があるのでしょうか)

「寒いですか? 少し風が冷たくなったようですからね」

 こちらに来ますか? ――と、自分の横を示すが、小刻みに震えているいづみは首を横に振るだけだ。

 くちびるがすこし青褪めているように見えるのは、気のせいではないはずだ。

 おそらく、初対面の自分に遠慮をしているのだろう。そう見当をつけ、鷹巳が自分から動く。

(お節介なたちではなかったはずですが……これは、よほど女主のひとことがききましたか)

 内心自嘲しながらいづみの隣に座を移し、薄手の羽織を頭から被せた。

「え、あ、いいよ」

 見上げてくる鳶色の瞳に笑みを返した。それは、鷹巳自身意識していなかったことだが、彼の白皙をより一層ひきたてるものだった。

 鷹巳の笑顔に視線を奪われて、いづみはただ見上げていた。と、

「!」

いきなり肩を抱き寄せられ、

「な、なにをっ」

 我に返ったいづみがもがく。

「じっとして。君、冷え切っていますよ。着物を脱がないから体温が奪われているのですよ」

「んなこといったって、あ……あなたがいたら、脱げっこない」

「それは、失礼をしました。けれど、目を離した隙に君がどこかに消えてしまうのじゃないかと思ってしまったものですから。ああ、私は鷹巳といいます。君は?」

「い、いづみ」

「いづみ……くん」

「なんで、”くん”?」

「不思議ですね」

 いづみの疑問を黙殺して、ふふ………と、鷹巳の赤いくちびるが笑みをこぼす。

「?」

 ひとの心を魅了する、笑みだった。

 なんというか、そこにいるだけで人目を惹く美男というのをはじめて見たと思いながら、小首を傾げた。

 既に鷹巳が人間じゃないだろうということなど、どうでもよくなっていた。

 先ほどの疑問も忘れていた。

 抱き寄せられてからだを預けていると、鷹巳の鼓動と体温とがいづみを包み込んでくれるかのようで、不思議と穏やかな気持ちになった。

 それまでの寒さが、嘘のようだった。

 人間と変わらないじゃないかと見つめていると、

「どうも、君に一目惚れのようですね」

 とんでもないひとことが、鷹巳の口から飛び出しのだ。この時代、ある程度以上に裕福な家の男女の自由恋愛は稀である。ましてや、そんなに簡単に愛の告白なんてしない。男性が好きになった女性の親にまず打診をして、それで、許可が出れば、吉日を選んで結婚というのが普通の手順だ。あまり、そこに、女性の側の好き嫌いは関与しない。ゆうも、そうやって、結婚した。だから、面と向かっての告白にいづみはビックリしたのだ。

「は?」

「いづみ、どうやら、私は、君のことを好きになってしまったらしいのです」

 大きく見開かれた鳶色のまなざしを見下ろして、鷹巳の金の瞳が艶然と笑った。



「きゃっ」

という押し殺した悲鳴に、いづみは我に返った。

 弾かれたように見開いた視界にあるのは、同じように見開いたのだろうぼやけた金の瞳。

 咄嗟に相手との間に距離をとろうともがいたものの、逆にきつく抱きしめられた。しかし、それは一瞬のこと。すぐに、きつい抱擁から解放された。

 心臓が痛いくらいに踊っている。

 自分がなにをされたのか、鷹巳が自分になにをしたのか。

 鷹巳の赤いくちびるが、自分のくちびるに触れたのだ。そうして、突然のそれを、自分は驚きはしたものの、心地好いと思ってしまった。

 鷹巳をまともに見ることができない。

 それに、こんなところを見られた――悲鳴の主は、確かめるまでもない。いつまで経っても戻らない自分を探して、ゆうがやってきたのだろう。――のだ。

 恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。だから、いづみは、いつにない素早い動作で立ち上がった。

 そうして、鷹巳が呼び止める間もなく、その場から駆け去ったのだ。



 取り残された鷹巳に、ゆうが、恐る恐るお辞儀をする。

 そうして、ゆうもまた、いづみの後を追ったのであった。



 しばらくの静寂の後に、クスクスと、鷹巳の楽しげな笑い声が響いた。


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