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Dead Line ——境界の儀  作者: 一条信輝


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63話 合わせる

 朝、目が覚めた。


 社務所の畳。秋の冷気。陽太は身を起こした。男が壁にもたれて立っていた。


 陽太は箱を膝に置いた。マリアの祈りの温度——ぬるい。普通。


 「今日は、訓練する」


 陽太が告げた。


 「逆流の延長か」


 「ああ。それと、御影に電話する。合同訓練を頼む」


 「武蔵と組むのか」


 「ああ。武蔵の刃道と、お前の橋道。連携の確認をしたい」


 男が薄く笑った。


 「悪くない計画だ」



      *



 陽太は朝食を済ませて、社務所の境内に出た。秋の朝の光。境内の地面は、長年踏み固められた土。


 逆流訓練を始めた。


 陽太は紋に意識を集中した。逆流を発動した。男の力の一部が、綱を介して陽太側に流れた。


 一秒。二秒。三秒。四秒——鼻血が、出始めた。


 陽太は耐えた。五秒。指先が痺れ始めた。六秒。視界が、わずかに白んだ。


 「やめろ」


 男が止めた。


 陽太は解除した。地面に膝をついた。鼻血を拭った。


 「六秒、安定したな」


 陽太が呟いた。


 「ああ。七秒の手前で止めれば、お前の体は持つ」


 男が頷いた。あの戦闘の日、七秒で壊れかけた陽太を、男は見ていた。男は陽太の限界を、誰よりも理解していた。


 「五秒で戦闘に使う。六秒は緊急時。七秒は——使わない」


 陽太が決めた。


 「ああ」


 男が頷いた。



      *



 訓練の後、陽太は御影に電話した。


 「もしもし」


 御影の声。


 「陽太だ。今日、合同訓練を頼みたい」


 「合同訓練?」


 「ああ。武蔵の刃道と、男の橋道の連携を確認したい。あの戦闘で、影に対しての戦い方の違いが見えた。だが、組み合わせると、どうなるか。試したい」


 御影が、しばらく考えた。


 「いいわよ」


 御影が答えた。


 「場所は?」


 「鴨川の上流。観光客が少ない場所。私が知ってる。午後一時。集合」


 「分かった」


 陽太は電話を切った。



      *



 電車。バス。徒歩。


 陽太と男は嵐山を出た。鴨川の上流へ向かった。


 車内、陽太は箱を膝に置いた。マリアの祈り。ぬるい。普通。


 「武蔵と組むの、久しぶりだな」


 男が呟いた。


 「ああ」


 「あの頃と、状況が変わった。今度は、第七陣営に対しての連携だ」


 男の声に、わずかな期待が混じっていた。武蔵に対する英霊としての敬意。



      *



 鴨川の上流に着いた。


 河原。観光客はいない。秋の陽が、水面を白く照らしていた。御影が、すでに先に来ていた。武蔵が、御影の隣に実体化していた。


 「来たわね」


 御影が告げた。


 「ああ」


 陽太と男が、御影と武蔵に合流した。


 「具体的に、何を試す?」


 御影が問うた。


 「武蔵が境界を断つ。男が境界を守る。これが、組み合わさると、どうなるか。例えば——武蔵が影を消す瞬間に、男が橋道で陽太を守る。その連携が、戦闘の中で機能するか」


 陽太が説明した。


 「いいわね」


 御影が頷いた。


 「武蔵、出る?」


 御影が、武蔵に確認した。武蔵が頷いた。


 「悪くないな」


 男が、武蔵の隣に立った。武蔵が、男を見た。短い視線の交換。英霊同士の確認。武蔵が、わずかに頷いた。


 訓練が始まった。


 御影が、空中に剣気を放った。武蔵の刃道。境界を断つ力を、訓練用に小さく発動した。剣気が、河原の空気を切り裂いた。陽太には見えなかったが、男には見えていた。


 「分かる、坊主」


 男が陽太に告げた。


 「武蔵の剣気が、空気の中に境界の断面を作ってる。お前が逆流を使えば、その断面を、俺の橋道で『繋ぐ』ことができる。武蔵が斬って、俺が繋ぐ。その繰り返しで、影を消した後の空白を埋められる」


 陽太は紋を見た。手の甲の紋が、薄く熱を持っていた。


 「逆流、使うか」


 陽太が問うた。


 「五秒だけだ」


 男が告げた。


 陽太は逆流を発動した。男の力の一部が、陽太側に流れた。武蔵が、もう一度剣気を放った。今度は、男が斧を構えた。武蔵の剣気が空気を切った瞬間、男の斧が、その断面を「繋いだ」。空気が、ふっと普通に戻った。


 「これが、連携か」


 陽太が呟いた。


 「ああ。武蔵が斬る。俺が守る。組み合わさると、影に対する戦い方が、変わる」


 男が答えた。


 陽太は逆流を解除した。五秒で止めた。鼻血は出たが、軽い。


 「悪くないわね」


 御影が評価した。


 「これで、第七陣営の影が次に来た時、勝てる」


 御影が、淡々と告げた。


 その時、武蔵が、視線を動かした。河原の上流方向を見た。男も、同じ方向を見た。二人の英霊の視線が、同じ場所で止まった。


 「気配が、する」


 男が呟いた。


 陽太は紋を見た。手の甲の紋が、薄く脈打っていた。微弱だが、何かに反応していた。


 箱を確認した。マリアの祈り——わずかに冷えていた。深い冷えではない。だが、警戒していた。


 「影、か」


 陽太が問うた。


 「分からん。だが、見られてる」


 男が答えた。


 武蔵が、刀の柄に手をかけた。御影が、武蔵の動きに気づいて、河原の上流を見た。


 しばらく、何も起きなかった。河原の風が、止まっていた。秋の昼の光が、水面を白く照らしていた。


 そして——気配が、消えた。


 武蔵が、刀の柄から手を離した。男が、肩の力を抜いた。


 「行ったか」


 陽太が呟いた。


 「ああ。だが、合同訓練の様子、見られてた」


 男が答えた。


 御影が、静かに告げた。


 「今日の訓練、向こうも観察したわね。武蔵と男の連携を、知られた」


 御影の声が、低かった。連携の確認は成功したが、情報は第七陣営にも渡った。次の戦闘では、向こうも対策を取ってくる可能性があった。



      *



 訓練が終わった後、陽太と男、御影と武蔵は、河原の石の上に座った。秋の昼の光。鴨川の水音。


 陽太は箱を取り出した。マリアの祈り。御影に見せた。


 「マリアの祈り、研究してくれてる?」


 陽太が問うた。


 「ええ。家系の伝承を辿ってる。マリアが箱に込めた力の構造を、もう少し解明したい。だが、まだ時間がかかる」


 御影が答えた。


 「マリアは、四百年前にバチカンから派遣された。儀式に敗れた後、箱だけが残った。ある家系に渡って、四百年守られた」


 御影が、家系の知識を語った。


 「マリアの祈りの全容を解明できたら、第七陣営に対しての武器になる」


 御影が呟いた。


 「ああ」


 陽太が答えた。


 御影が、武蔵を見た。武蔵が、わずかに頷いた。


 「私たち、いつまで一緒に戦えるかは、分からない」


 御影が、静かに告げた。


 「儀式の構造上、最後には一組だけが残る。私とあんたは、いつか、敵になる」


 陽太は頷いた。あの日、御影が同盟を結んだ時に告げたこと。永続的な同盟は、儀式の中ではあり得ない。


 「だから——今のうちに、できることをしておく」


 御影が、続けた。


 「マリアの祈りの解明。連携の確認。情報の共有。私が今、できることを、今のうちにやる」


 御影の声が、いつもよりわずかに低かった。


 陽太は、御影を見た。御影は、河原の水面を見ていた。武蔵が、御影の隣で、静かに立っていた。


 御影もまた、いつか武蔵を失う。陽太と同じ立場だった。だから、声が低かった。陽太は、その低さを、自分の体でも感じた。


 陽太は、御影の言葉を、ただ受け止めた。



      *



 夕方、合同訓練を終えて、陽太と男は嵐山に戻る途中だった。


 電車の中。陽太のスマートフォンに、電話が入った。


 葛城からだった。


 陽太は電車を降りた。駅のホームで、電話に出た。男が、陽太の隣に立った。


 「葛城だ」


 葛城の声。


 「ああ」


 「クリスの解放交渉、進展があった。だが、複雑化している」


 葛城が告げた。


 「複雑化?」


 「バチカン系の家系の中の反対派が、想定より強硬だった。クリスを解放する条件として、彼らが要求しているものがある」


 葛城が、続けた。


 「彼らは、お前を引き渡せ、と言っている」


 陽太は息を飲んだ。


 「俺を?」


 「ああ。クリスが揺れているのは、お前との接触が原因だと、彼らは判断している。お前を排除すれば、クリスは元の路線に戻ると、彼らは考えている」


 葛城の声が、淡々としていた。


 「私は、その条件は呑まない、と返した。だが、交渉は止まった。彼らは、別の選択肢を模索している。状況が、流動的だ」


 陽太は、男を見た。男は、葛城の話を聞いていた。表情が、わずかに硬かった。


 「お前は、しばらく動くな」


 葛城が告げた。


 「動けば、彼らはお前を排除しに来る可能性がある。お前の居場所は、私が知っている。だが、彼らが知ったら、危険だ」


 「分かった」


 陽太が答えた。


 「進展があったら、また連絡する」


 葛城が電話を切った。



      *



 陽太は、電車のホームに立っていた。秋の夕日。


 男が、隣に立った。


 「俺を引き渡せ、か」


 陽太が、低く呟いた。


 「ああ」


 男が短く答えた。


 「クリスを救うには、俺を差し出すしかない、ってことか」


 「葛城は、その条件を呑まないと言った」


 男が告げた。


 「だが、俺が動かなければ、クリスは解放されない。動けば、俺が排除される」


 陽太の声が、低かった。


 男が、しばらく黙った。


 「坊主、お前は、クリスを助けたい、と思うか」


 男が問うた。


 陽太は頷いた。


 「ああ。だが、自分を差し出してまで、ではない」


 「それでいい」


 男が、短く答えた。


 「自分を犠牲にする選択は、お前の選択じゃねえ。葛城が動いてくれてる以上、それを信じろ」


 男の言葉が、静かだった。


 陽太は頷いた。



      *



 夜、嵐山の社務所に戻った。


 誰もいない社務所。陽太が灯りをつけた。畳。秋の夜気。


 陽太は箱を畳に置いた。マリアの祈り。今日、合同訓練で、武蔵の刃道との連携を確認した。御影が、家系の伝承を辿ってくれている。葛城が、クリス救出を交渉してくれている。


 陽太は、急に、自分の周りに動いている力に、気づいた。御影が動いている。葛城が動いている。男が、陽太の隣にいる。マリアの祈りが、陽太を守っている。


 だが——「英霊を失った者」という葛城の言葉が、頭に残っていた。


 あの言葉を聞いた時、陽太は隣の男を一瞬見た。だが、葛城の前で、その動きを止めた。動きを止めたものの、頭の中の何かは止まらなかった。


 いつか、自分も、男を失うかもしれない。


 儀式の最後に、勝者は綱を断ち切る。英霊と別れる。陽太は、それを知識として知っていた。だが、葛城の話を聞いた後、それが自分の物語になり得ることを、初めて体で意識した。


 陽太は、男を見た。男は壁にもたれて立っていた。


 「お前——」


 陽太が、口を開いた。喉が、わずかに乾いていた。一度、唾を飲んでから、続けた。


 「お前、最後の戦いのこと、覚えてるか」


 男の表情が、わずかに変わった。飄々さの仮面の下で、何かが固まった。


 「最後の戦い?」


 「ああ。橋の上で、お前が死んだ時のこと。覚えてるか」


 陽太が問うた。


 男が、しばらく考えた。視線を、畳の一点に落とした。


 「断片的にしか、覚えてねえ」


 男が答えた。


 「橋の上に立った。後ろに、守りたい奴がいた。前から、軍隊が来た。俺は、橋の上で、軍隊を止めた」


 男が、淡々と語った。だが、淡々さの奥で、男の手が、わずかに動いた。腰の斧の柄に触れて、また離した。無意識の動き。男の体が、四百年前の戦いを、わずかに思い出していた。


 「橋の上で、死んだ」


 男が、続けた。


 「橋の下から、誰かが槍で突いてきた、って言われてる。だが、俺はそれを覚えてねえ。橋の上に立って、軍隊を止めて、その後の記憶がねえ」


 男の声が、淡々としていた。低かった。いつもの飄々さとは、別の質の低さ。


 陽太は、男を見ていた。男は、壁にもたれたまま、視線を畳に落としていた。


 「なぜ、聞く」


 男が問うた。


 「葛城が、第七陣営のマスターのことを言った。『英霊を失った者』だって。それで——俺も、お前を失う可能性を、急に意識した」


 陽太が答えた。


 男が、薄く笑った。


 「気にすんな、坊主」


 男が言った。


 「俺は、もう一度死ぬ。それが、儀式の終わりだ。お前が勝者になれば、お前が綱を断ち切る。俺は消える。それが、橋道の最後だ」


 男の声が、静かだった。だが、淡々さの奥に、何かがあった。


 陽太は、それ以上問わなかった。男の過去への入口が、わずかに開いた。だが、開ききっていない。今日は、ここまで。



      *



 陽太は準備リストを開いた。合同訓練——達成。武蔵の刃道と男の橋道の連携を確認。


 新しい項目を、書き足した。


 「葛城の交渉の結果を待つ。だが、動かずに、できる準備を続ける」


 陽太は紋を見た。橋道の紋。今日、五秒の逆流で、武蔵との連携が機能した。陽太の戦闘力は、五秒の中にあった。だが、五秒で、十分に役に立つことが分かった。


 男が、壁にもたれて立っていた。


 「悪くない一日だったな」


 男が呟いた。


 「ああ」


 陽太が答えた。


 陽太は、男を見た。男は、いつもの飄々さで、陽太を見返した。だが、陽太は、男の中に、わずかな揺れを感じた。最後の戦いを語った後の、何か。


 陽太は、それ以上問わなかった。今日は、ここまで。


 男の最後の戦いの輪郭が、陽太の中で、まだ揺れていた。

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