第11話「夜明けの誓いと王都の決戦」
天幕の外で、微かに鳥のさえずりが聞こえ始めた。
夜明けだ。
薄暗い天幕の中、リアンはアルヴィンの腕の中で目を覚ました。
全身が重だるく、節々が痛む。
昨夜の情事の記憶が鮮明に蘇り、頬が熱くなるのを感じた。
アルヴィンはまだ眠っているようだ。規則正しい寝息が聞こえる。
彼の顔は近くにあり、長いまつ毛や整った鼻筋が間近で見える。
普段の厳しい表情とは違う、無防備な寝顔。
リアンはそっと指先を伸ばし、アルヴィンの頬に触れた。
ざらりとした無精髭の感触。温かい肌。
これが自分の「番」なのだと思うと、胸の奥がじんわりと満たされていく。
首筋に走る微かな痛みが、昨夜の契約の証だ。
アルヴィンが自分に噛みつき、マーキングを施した場所。
そこから、アルヴィンの感情が流れ込んでくるような気がした。
深い愛情、独占欲、そして安堵。
言葉にしなくても通じ合える感覚。これが番の絆なのだろうか。
ふと、天幕の入り口が揺れ、冷たい風が吹き込んだ。
リアンが身を起こすと、アルヴィンも目を覚ました。
アイスブルーの瞳が、すぐにリアンを捉える。
「……おはよう」
寝起きの掠れた声が、やけに色っぽく聞こえる。
「おはようございます、アルヴィン様」
リアンが恥ずかしそうに答えると、アルヴィンは満足げに微笑み、リアンの額にキスを落とした。
「体調はどうだ? 辛くないか?」
「はい、大丈夫です。少しだるいですが……」
「無理をするな。昨日は……少し激しすぎたかもしれない」
アルヴィンがバツが悪そうに視線を逸らす。
リアンは真っ赤になって首を振った。
「い、いいえ! 俺も……嬉しかったですから」
その言葉に、アルヴィンは愛おしそうにリアンを抱きしめ直した。
しかし、甘い時間は長くは続かなかった。
外から、慌ただしい足音が近づいてくる。
「団長! 起きておられますか!」
副団長の声だ。切羽詰まっている。
アルヴィンの表情が一瞬で騎士団長のそれに切り替わる。
「入っていいぞ」
リアンに自分のマントを被せ、体を隠すように抱き寄せる。
入ってきた副団長は、一瞬だけリアンを見て驚いた顔をしたが、すぐに深刻な表情で報告を始めた。
「北の森から、再び魔獣の大群が接近しています。昨夜の比ではありません。推定三千……いや、それ以上です」
「三千だと……?」
アルヴィンが眉をひそめる。
王都の防衛戦力は限界に近い。昨夜の戦いで多くの騎士が負傷し、魔力も枯渇しているはずだ。
「しかも、先頭には『黒き厄災』と呼ばれるSランク魔獣、ベヒーモスが確認されました」
その名を聞いた瞬間、天幕の中の空気が凍りついた。
ベヒーモス。
山のような巨体を持ち、歩くだけで大地を揺らし、吐く息で森を腐らせるという伝説の怪物だ。
過去に一度現れた時は、国軍の精鋭部隊が全滅し、王都の半分が壊滅したという記録が残っている。
「……わかった。すぐに指揮に戻る」
アルヴィンは立ち上がり、鎧を身に着け始めた。
その背中は大きく、頼もしいが、同時に悲壮な覚悟も滲んでいた。
リアンは不安に駆られた。
アルヴィン一人で勝てる相手ではない。
もし彼が死んでしまったら。
嫌だ。やっと結ばれたのに。
「アルヴィン様……」
リアンが服の裾を掴むと、アルヴィンは振り返り、優しく手を重ねた。
「心配するな。俺は死なない。お前を残して死ねるわけがないだろう」
「でも……」
「リアン、お前はここで待っていろ。ポチがついている」
アルヴィンは天幕の隅で眠っていたポチを顎でしゃくった。
ポチはムクリと起き上がり、大きく欠伸をしてから、凛とした表情でリアンの横に座った。
「ポチ、こいつを頼んだぞ」
ポチは力強く返事をした。
アルヴィンは最後にリアンを強く抱きしめ、行ってくると言い残して出て行った。
***
残されたリアンは、じっとしていられなかった。
天幕の外へ出ると、王都は戦場と化していた。
遠くの空が土煙で茶色く濁り、地鳴りが響いている。
騎士たちが叫び、魔法の光が飛び交う。
しかし、魔獣の数は圧倒的だった。
黒い波のように押し寄せる魔獣の群れ。その中心に、山のような巨体のベヒーモスがそびえ立っている。
アルヴィンが先陣を切って突撃していくのが見えた。
彼の剣から放たれる氷の魔法がベヒーモスの足を凍らせるが、巨獣はそれを意に介さず前進する。
他の騎士たちの攻撃も、まるで蚊が刺した程度にしか効いていない。
絶望的な光景だ。
リアンは震える手で胸元のペンダントを握りしめた。
かつて母がくれた、小さな精霊石のついたペンダント。
「……俺に、できることはないのかな」
昨夜の光を思い出す。
あの時、自分の中から溢れ出した力。あれは何だったのか。
精霊たちが応えてくれたのだとしたら。
リアンは目を閉じ、意識を集中させた。
風の音、土の匂い、そして空気中に漂う微かな魔力の粒子。
それらが歌っているように聞こえる。
(助けて……みんなを、アルヴィン様を……)
祈るように念じると、周囲の空気がざわめき始めた。
ポチがリアンの足元で遠吠えをあげる。
それに呼応するように、リアンの体から再び淡い光が漏れ出した。
今度は昨夜よりも強く、そして温かい光。
光の粒子が集まり、小さな精霊たちの姿を形作る。
風の精霊、水の精霊、土の精霊。
彼らがリアンの周りを踊るように飛び回る。
無邪気な声が頭の中に響く。
リアンは驚きつつも、彼らに語りかけた。
「お願い、力を貸して。あの怖い魔獣を止めて」
精霊たちは顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
次の瞬間、精霊たちが一斉に戦場の方へ飛んでいった。
***
戦場では奇跡が起きていた。
突如として、魔獣たちの足元の地面が泥沼のように変化し、動きを封じたのだ。
さらに、突風が吹き荒れ、魔獣同士を衝突させる。
水たまりから巨大な水の鞭が現れ、魔獣を薙ぎ払う。
騎士たちは呆然とした。
「な、なんだこれは!?」
「精霊魔法か? 誰が!?」
アルヴィンだけが、その光の出処を知っていた。
彼は振り返り、丘の上に立つ小さな人影を見た。
リアンだ。
彼の周りに精霊たちが集まり、まるで指揮者のように舞っている。
その姿は神々しく、そして儚げだった。
アルヴィンは叫んだ。
「今だ! 総員、反撃開始!」
騎士たちが息を吹き返す。
リアンの援護射撃を受け、形勢は一気に逆転した。
だが、ベヒーモスだけは違った。
精霊のいたずら程度では止まらない。
怒り狂った巨獣が、リアンのいる丘の方へ向きを変えた。
邪魔な存在を排除しようとしているのだ。
巨大な口を開け、黒いエネルギー弾を溜め始める。
「リアン! 逃げろ!!」
アルヴィンが絶叫し、馬を走らせる。
しかし、距離がありすぎる。
リアンは動けなかった。精霊たちを操るのに全神経を使っていて、逃げる余裕がない。
エネルギー弾が発射される寸前、ポチが前に飛び出した。
ポチの体が光に包まれ、急激に巨大化していく。
白い毛並みは銀色に輝き、背中には翼のような光の紋様が現れる。
子犬の姿から、伝説の神獣フェンリルの成獣へと変貌したのだ。
その大きさはベヒーモスに匹敵する。
フェンリルが咆哮し、ベヒーモスに体当たりした。
凄まじい衝撃波が広がり、周囲の木々がなぎ倒される。
二体の巨獣が激突する中、リアンはその余波で吹き飛ばされた。
「うわっ!」
地面に叩きつけられる。
痛みが走るが、それ以上にポチのことが心配だった。
「ポチ!」
土煙の向こうで、フェンリルがベヒーモスの首に噛みついている。
しかし、ベヒーモスの怪力も凄まじい。フェンリルを振りほどこうと暴れ回る。
このままではポチが危ない。
リアンはよろよろと立ち上がった。
もう一度、精霊の力を。もっと強く。
意識を極限まで集中させる。
その時、アルヴィンが追いついてきた。
馬から飛び降り、リアンを抱きかかえる。
「無事か!?」
「アルヴィン様……ポチが……!」
「わかっている。あいつはお前のために戦っているんだ」
アルヴィンは剣を構えた。
「俺も行く。リアン、お前はここで支援してくれ。お前の精霊魔法で、俺の剣に力を与えてくれ」
「えっ……できるでしょうか」
「できる。俺とお前は番だ。魔力も繋がっている」
アルヴィンはリアンの額にキスをした。
「信じろ。自分を、そして俺を」
その言葉に、リアンは頷いた。
そうだ、二人ならできる。
リアンは目を閉じ、アルヴィンに魔力を送るイメージをした。
自分の中にある光を、彼に託す。
アルヴィンの剣が、かつてないほどの輝きを放ち始めた。
氷の魔力と、精霊の光が融合し、虹色に輝く刃となる。
「行くぞ!」
アルヴィンが駆ける。
フェンリルがベヒーモスを押さえつけている隙に、アルヴィンが高く跳躍した。
流星のような一撃。
剣がベヒーモスの眉間に突き刺さる。
断末魔の叫びと共に、巨獣が崩れ落ちる。
勝った。
静寂が戻った戦場に、騎士たちの歓声が上がった。
フェンリルは光に包まれ、元の小さな子犬の姿に戻った。
リアンはへなへなと座り込んだ。
アルヴィンが戻ってくる。
泥だらけで、血まみれで、でも最高にかっこいい笑顔で。
「やったな、リアン」
二人は戦場の中央で、強く抱き合った。
朝の光が二人を照らし出し、新しい時代の幕開けを告げていた。




