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『ドキュメント428 ― 聖カレリア学園攻防録』  作者: もこもこハダカデバネズミ


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2/8

聖カレリア学園襲撃事件:実験棟における「魔物博士」の行動記録

 12時43分、正門や教室が阿鼻叫喚の渦に叩き落とされていたその時、学園北端の実験棟もまた、空間を裂く轟音と震動に見舞われていた。


 当時、棟内に居残っていたのは、七年生のエディと五年生のロッサノ・ロポポロのわずか二名。


 監視の名目で訪れていた教師が、優雅に珈琲を啜りながら空間の亀裂へと吸い込まれていく絶望的な光景を、エディは目の前で目撃していた。


「先輩! エディ先輩!!」と、情けなく声を震わせて縋る後輩に対し、エディは「はいはい」と振り返りもせずに応じる。

 普段は几帳面にアイロンをかけられたロッサノの白衣は、恐怖による涙と床の埃で無惨に汚れていた。

 ふさふさで長い耳を持つロッサノはエディの耳よりも音をよく拾う。突然の轟音に一瞬の気絶をして目が覚めると、今度は実験棟では聞かない足音が迫っていたのだ。

 ガシャガシャと金属を纏い、重く、素早い足音。ロッサノの兄が軍人になった時にお披露目された、鎧を着る者の足音とおなじ。


「え、なんで、先輩! なんか、軍人が来ますよ!?」

「軍人かなあ」

「それ以外のなんですか? 監査かなあ、やばいの隠さなきゃ……」

「テロリストか敵軍だろうねえ。皆殺しかな」

「え」


 逃げ場のない密室で、エディは分厚い眼鏡の奥で楽しげに目を細めた。いつだってエディは楽しそうに生きているが、いつだってこういう時のエディはろくでもない。

 経験上それが分かっているロッサノは口の中で「たすけて」と誰に言うでもなく縋っていた。


「きな臭い噂はなかったんだけどね、戦争かなあ。嫌だねえ、どこに逃げよう。ロッサノくんは子爵家だし、お兄さんは軍人でしょ? 逃げらんないねえ。がんばれる?」

「はわわわわわわ」

「逃げられなさそうだねえ」


 普段は多くの人がいる実験棟だが、昼食も取らずに篭っていたのはエディとロッサノの2人きりだった。相手もわざわざここに来たのなら、取るに足らない学生達の実験産物には興味はないだろう。

 珈琲を片手に「うわあ」と笑いながら吸い込まれていった教師は、あれはあれで実は高名なので、彼の成果目当てだろうか。

 

 エディが「死にたくない人ーー?」と問いかけ、ロッサノが「はーい! はい! はいはいはいはい!!!」と狂ったように挙手した瞬間、実験棟の扉が乱暴に跳ね飛ばされた。





 屈強な男二人と長身の女一人。殺意を剥き出しにしたプロの兵士たちが踏み込んだ世界は、瞬時に毒々しい紫色の粘液によって埋め尽くされた。


 ヌヴン、ブリュ、グニュ、クポァ、グチュ。


 生ぬるく、不気味に心地よい液状の質量が、侵入者たちの肌を、装備を、そして尊厳を執拗に絡め取っていく。


「いらっしゃい」


 襲撃者たる男は、薄汚れた白衣を着た眼鏡の少年を見た。にやにやと口元を歪めて、楽しそうにこちらを見下してくる。狩られる立場のくせにと激昂し、口をあけた、瞬間。その口腔に、待機していた半透明の触手が電光石火の速さで滑り込んだ。


 肺まで届かんとする勢いで喉の奥を蹂躙され、男の叫びは「ゴプァ」という湿った水音にかき消される。抵抗しようと振り上げた腕には、天井から滴り落ちた別の粘体が意思を持つ蛇のように巻き付き、瞬く間に四肢を壁際へと釘付けにした。


 それは単なる液体の固まりではない。意思を持ち、獲物の温度を敏感に察知して這いずる「肉」の奔流である。

 長身の女兵士が引き抜こうとした剣も、鞘ごとヌチャリと音を立てる紫の塊に包まれ、引き抜くことさえ叶わない。むしろ、力を込めれば込めるほど、粘液は彼女の指の隙間を割り、吸盤のような感触を伴って皮膚に吸い付いた。

 蠢く触手はまるで愛撫するように彼らの全身を這い回り、激しい摩擦音を立てながら武装の隙間をこじ開けていく。衣服の下に滑り込んだ先端が、冷たい粘液を撒き散らしながら胸元や腹部を這いずり回るたび、兵士たちの身体は生理的な嫌悪感と未知の感触にガタガタと震え、痙攣する。

 

「あー、あなたが最初ですね」


 エディが指差した先では、最初にそれを飲まされた男が、眼球を裏返しながら粘液の拘束の中で狂ったように身悶えていた。だが、激しく動けば動くほど触手は増殖し、さらに深く、さらに強く、彼らの柔らかな粘膜を、そして兵士としての誇りを、音を立てて啜り上げていく。そこに逃げ場はなく、ただ生温かい紫の闇の中で、身体の自由と自我が溶かされていく感覚だけが、延々と続いていた。


「エディ先輩、これは……」

「僕の研究していたあれですよ」

「うわあ……」


 エディと呼ばれた少年よりも幾分背の高い、長い兎の耳を持つ少年が、ひどく憐れむような、あるいはゴミを見るような冷ややかな眼で兵士を見つめていた。

 その視線で、拘束されていた男は不意に理解した。エディ、エディ、平民のエディ! あいつは軍のリストにあった要捕獲者だ。魔物使いであり、禁忌を厭わぬ改造の天才。……まさか、這いまわるこれは、魔物なのか?


 グルルル、ぐにゅん、ぬぽっ、ぐちぐち、くちくち、くちゃ。


 耳元で、内臓を直接舐め回されているような湿った咀嚼音が鼓膜を這いずる。男は、最早一指しも動かせない肉塊と化した己の身体を呪いながら、必死で視線だけを左右に走らせた。


 そこには、共に死地を潜り抜けてきたはずの仲間たちがいた。屈強な兵士であったはずの彼らは、今や恐怖に引き攣った異様な表情で、声にならない絶叫を上げている。

 その大きく開かれた口内へ、紫色の液体が執拗に、渦を巻きながら雪崩れ込んでいく光景が見えた。逃げ場のない内側から、蹂躙が始まっているのだ。


 “溶けている……”


 そう気付いた瞬間、男の喉からも本能的な悲鳴が迸った。しかし、その叫びが空気を震わせることはなかった。発せられた音は、瞬時に浸食してきた《スライム》の粘膜に飲み込まれ、ドロドロとした沈黙の中へと溶けて、消えた。


「スライムをご存知ですか? 死肉を溶かし栄養にする姿を見たことはありますか? 子供が棒で叩いて倒せるような、戦う術のない弱くて無害な魔物です! それをなんと! 生きたままの獲物を捕食出来るよう改良しました!」


 最初に溶けたのは布だった。繊維がほつれ、端から消えていく。強固な鎧は泡を出しながら脆く崩れ、タンパク質と鉄分を吸収したスライムは、徐々に血のような赤みを帯びていく。


「エディ先輩、人体実験出来なかったから丁度いいですね!」

「そうだねえ、さすがに人には頼めなかったしねえ」

「エディ先輩、見てください! スライムの色が変わっていませんか?」

「ああ、最後はきっと真っ赤になるよ」

「最悪ですね!」

「最悪こそ最高ってこと」


 白衣を着た二人の少年は、スライムに全裸にされ、身動きを封じられた襲撃者たちを嬉々として見下ろした。




 結局、無事に脱出した二人にそのまま存在を忘れられた兵士たちは、ロッサノが思い出すまでの三日間、肉色のぬめぬめとした触手に囲まれた空間で、その粘液を啜って生き延びることになった。

 その後彼らは救助されたものの、心身に深い傷を負い、後遺症の治療に四年の歳月を要することとなる。





 現在のインタビューにおいて、魔物博士となったエディ氏は「僕、エロトラップダンジョンが作りたくてですねえ。服だけ溶けるスライムですよ。今は改良されて医療現場で使われています」と快活に笑うが、隣のロッサノ氏は深くため息をつく。


「とにかく早く気絶してくれという気持ちでしたね。私もエディも暴力沙汰は全然ですし、スライムも拘束性能は高いですが、服を溶かすだけなので暴れられたらおしまいでした。頑張って狂人のふりをしましたが、エディは素でやっていましたよ」


「17歳ってすけべなもの大好きじゃないですか。だからそういうの沢山作ったんですよ。触手とかも!」


「驚きました。まさか私にまで内緒で部室をひとつ触手部屋にしているとは思いもしませんでした」


「準備しておくものだねえ」


「無計画に増やしたんだろ! 本当の媚薬を出すやつはやめろ! 奴らじゃなくて一般生徒がうっかり入ってしまったら……って、すみません、大声を出して……」


「気をつけて、記者さんを怖がらせないで」


 嗜めるエディ氏に対し、ロッサノ氏は「ええ、まあ、昔からこういう人なんですよ。悪気はないんですけど……。ただ無神経で癪に障る言動を無意識に取ってしまう大人気ない奴というだけで、悪気だけは本当に無くて……。だからって本当に許せるところはひとつも無いんですけど、頭の良さだけギリギリ見ないふりされているってだけで…………。悪気は無い生き物なんです……別に許しませんけど。……まあ、生きてて良かったです。エディのおかげですね」と語り、エディ氏の「一生感謝してね」という言葉に対し、ロッサノ氏が無言でエディ氏の腿を拳で殴りつけた為、これを彼らへのインタビューの〆とする。


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