夢と現実、どちらで生きているのか
「やっと届いた~!」
通販で購入した荷物を母親から受け取って、杏は自室でうきうきと段ボールの梱包を開いていた。
ガムテープをはがして、ぷちぷちに包まれた小さな瓶を手に取る。
小さな茶色のガラス瓶の中には、ぎっしりと錠剤が詰まっている。
ネットで見つけた効果抜群だと噂のダイエット薬を買ったのだ。
中学生の杏にはそこそこの値段ではあったが、痩せるためなら仕方ないと割り切った。
父から少しだけお小遣いを前借して購入したのもあって、届くのを心待ちにしていた。
母親からは「あまり怪しい通販を使わないように」とくぎを刺されたけれど、ちゃんと口コミやレビューを調べたのだから文句を言われる謂れはない。
「えーっと、寝る前に飲めばいいのね」
ダイエット薬というくらいだから、毎食後かと思っていたが、寝る前だけでいいのは楽で助かる。
杏は風邪を引いてる時でさえ、毎食後の薬を飲むのを忘れてしまうから。
「寝る前に二錠ずつ」
錠剤の詰まったガラス瓶の側面に書かれた説明文を読み上げる。
試しに手のひらに二錠取り出してみる。
ラムネよりずっと小さな白い錠剤がころんと転がり出てきた。
「今日は早く寝よっと」
明日の朝、体重計に乗るのが楽しみだ。
学習机の上に瓶を置いて、杏は母親からの「ご飯できたわよ」というLineのメッセージに「いまいく!」と返したのだった。
どきどきしながら眠りにつく前に薬を飲んだ翌日。
なんだか不思議な夢を見て、翌日起きた杏は首を傾げてしまった。
のそのそとベッドの上で体を起こし、寝起き特有の気だるい体で欠伸をかみ殺す。
がりがりと頭を掻いて、二度目の欠伸をして、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
そこでやっと『起きた』のだと認識した。
「……へんなゆめ」
夢なのか現実なのか、いまいち判断に困る不思議な夢を見た。
夢の中で杏は両親と一緒に高級ホテルのビュッフェをお腹いっぱい食べたのだ。
お腹に手を当てると、まだ満腹感が残っている。
いつもなら寝起きはお腹が空いて仕方ないのに、全然お腹が減っていない。
「これが薬の効果……?」
予想していたのとちょっと違うが、体重が減るならなんでもいい。
枕もとのスマホを手に取る。Lineを開いて母親あてに「朝ご飯要らない」とメッセージを送った。
朝ご飯を食べない分、二度寝をしてしまおうとベッドに横になる。
今度の夢では、最近ダイエットで控えているラーメンの大盛りを食べていた。起きた時、やっぱりお腹は空いていなかった。
お腹いっぱいの食事をする夢を見始めてから、明らかに食事量が減った。
現実と間違えそうになるリアルな夢から覚めたあとは、お腹が全然減らないのだ。
これ幸いと食事を抜くうちに『食事の前に仮眠をとって、食事を抜く』という技を杏は覚えた。
ご飯をほとんど食べなくなったので、どんどん体重は減った。
体重計に乗るたびに、一日一キロは減っていて、杏は手放しに喜んでいる。
唯一困るのは、最近は夢の中で両親と喧嘩するようになったことだった。
体重が減ったと喜ぶ杏に「もっと食べなさい」と母親が苦言を呈する。
お腹いっぱい食べているのに、もっと食べろと言われても困ってしまう。
父親は「育ち盛りだから」といって皿にどんどん食事を盛って行くのだ。残すと叱るを通り越して罵倒される。
「もう食べられない!」と口喧嘩になるのはしょっちゅうだった。
最近では口論では終わらなくなって、母親や父親に手を上げられる。母には頬を叩かれたし、父には馬乗りになられて殴られた。
夢の中とはいえ、いい気分ではない。起きてげっそりすることが増え、けれどその影響なのかさらに体重は落ちた。
二週間もたつ頃には、平均体重からマイナス十キロを達成していて、学校では友達に羨ましがられて鼻高々だ。
絶対にやせ薬のことは教えないけれど。こんないい薬の存在が広まって、手に入らなくなったら困る。
痩せて喜ぶ杏に、けれど渋い顔をしたのは母親だった。
「最近、全然食べないじゃない」
小言が増えていた。
夢の中では食べているからいい、というと「わけのわからないことをいって」と怒られる。
最近では夢の中でも叱られているので、現実でも夢でも母親から説教ばかりされていて、杏はイラつく日々を送っている。
夢の中での食欲も落ちつつあった。目の前に食事が並ぶと、吐き気がするのだ。
口いっぱいに詰め込まれて食べないと叱られるからだ。
母親特製のカレーは杏の好物の一つだが、今日ばかりは食べる気がしない。
「また残すの?」
「うるさいなぁ。いいでしょ、たまには」
だって、さっきもお腹いっぱい食べたのだ。チョコレートとポテトチップスを山ほど食べた。
夢の中で食べるとゴミを片付けなくていいから楽なのだ。
お菓子をたくさん食べても、体重だって増えない。いいこと尽くしである。
「もっと食べなさい」
(またきた)
最近、夢の中の父も口うるさい。食べろ食べろと、そればかりだ。馬鹿の一つ覚え。
ため息を吐いて、さっさと夢から覚めてしまおうと思った。ああ、でも、その前に試してみたいことが一つある。
「お小遣いちょうだい、お父さん」
ご飯を食べるとお腹いっぱいになるような夢の中だ。
お金を使ってほしいものを買って豪遊すれば、現実では味わえない体験ができるかもしれない。
不愛想に手を突き出したのは、夢の中だから。
現実ではないのだから、お小遣いをもらうのに顔色をうかがうのは馬鹿らしい。
杏の態度に、夢の中の父親が眉を顰める。
「それが人に物を頼む態度か。最近、金遣いも荒いぞ」
口煩い言葉に眉を寄せた。いいではないか、夢の中くらい。
現実でできないことをしたって許されるはずだ。
「いいじゃん、ちょうだい」
「いい加減にしなさい!」
母親にとがめられて、うるさいな、と心底思った。
最近、夢を見ているからか、寝た気がしなくてずっと日中イラついている影響かもしれない。
どうせ今日も起きたら、ぼんやりとして学校で過ごさなければならない。
「テストの成績も落ちているし、学生は勉強が本分なのよ」
「うるさいなぁ」
「親に向かってなんだその口の利き方は」
母からも父からも責められる。またいつものように口論になるコースだ。
いい加減にしてほしい。
(そうだ、夢の中なんだ)
いつもなら口喧嘩をして部屋に引っ込んでベッドに横になれば目が覚める。
だが、言われっぱなしにも嫌気がさしていた。たまにはやり返してもいいだろう。
――だってここは夢の中なのだから。
食卓から立ち上がった杏は、キッチンに向かった。母親がシンクに置きっぱなしの包丁を手に取る。
手に包丁を握って振り返ると、母親がぎょっと目を見開いた。
「杏?!」
「うるさい親とか、いらないんだけど!」
包丁を振りかぶる。馬鹿みたいに目を見開いている母親の胸元目掛けて振り下ろした。
「なにをしている!!」
新聞を読んでいた父親が立ち上がり、絶叫を上げる母親に駆け寄る。
その背中に、さらに杏は包丁を振りかざした。
「あははは!!」
ああ、楽しい。すっきりする。鬱屈とたまっていた感情を発散するのは気持ちいい。
夢の中だから、何をしても許される。言い訳を脳内で反芻しながら、無心で何度も包丁を振り下ろし続ける。
暫くすると、すっかり母も父も静かになった。
「すっきりした~」
さっさと起きよう。ああ、でも現実でも小言がくるんだろうな。
のんびりと考えながら、ふと杏は手に握りしめた包丁に視線を落とした。
母親が料理をする前に必ず研いでいる包丁は鋭利で、真っ赤な鮮血に濡れた刃に、ちらりと杏の返り血で汚れた顔が映りこむ。
「……夢って、こんなにリアルだったっけ?」
ふと、疑問に思った。血で滑る手のひらの感覚、返り血が飛んで気持ち悪い服、ぐいっと頬を拭うと、手のひらに、真っ赤な、血が、ついていて。
「――?」
遠くから、サイレンの音が、聞こえていて。
「……?」
(本当に、これは、ゆめ?)
ふと、脳裏をよぎった疑問に。
彼女は握りしめていた包丁を血だまりの中にごとんと落とした。
杏は見落としていたのだが。
彼女が購入したダイエット薬には『夢のような現実を、あなたに』と小さく注意書きが書かれていた。
果たして、夢はどちらで。現実はどちらであったのか。
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