1 根本菜美子です。…ラブ・トライアングルの始まり
私が、変わっていく
私じゃなくなっていく
私の心はどこなの?
私は誰?
君は誰なの?
君は、どこから来たの?
そうたずねると
少年は真っ直ぐに天を指差した。
君、おもしろいね。
おもしろいってなあに?
楽しいことだよ。
楽しいってなあに?
ワクワクすることだよ。
ワクワクすると、どうなるの?
おもしろくなるんだよ。
おもしろくなると、どうなるの?
楽しくなるんだよ
楽しくなると、どうなるの?
ワクワクするよ
ワクワクすると、どうなるの?
おもしろくナルヨ
堂々巡りだね。
うん!そうだね。
おもしろいね
今日はコミケの日だ。イベント会場は、徹夜組を先頭に大行列が出来ていた。
私は同人誌で漫画を描いて自主販売している。やっと準備も終わり。販売開始の前に小休止。ペットボトルのお茶を一口飲み込んだ。
ゴクツ。喉を抜ける冷たさで、緊張をほぐした。もう二年目と言うのにやっぱり緊張してしまう。
「いい加減慣れてくれればいいのに」
自分自身をコントロール出来ない事が、もどかしい。
スマホで時間を確認する。丁度、十時。イベント開始の時間だ。一斉にお客が会場に入ってきた。皆、お目当てのエリアに向かっている。
「走らないで!走らないで下さい。」
主催側スタッフの注意喚起の声が掛かるが誰も聞いていない。我先にと、走り抜けて行く。
皆、お目当てのグッズを買う為に楽しみにして、この日を待っていたのだ。その欲求を誰も止める事など出来ない。
皆、大きなりュックにバッグ。大量買いを始めから決め込んでいる。一つでも逃さないと言う意気込みで来ている。瞳が血走っているのがそれを物語っている。
「夜穴先生!ああ、良かった。
私一番乗りですね。」
桂虫夜穴。
それが私のペンネームだ。桂とは月に生える木。その木の穴に巣食う夜の虫。
少しロマンチックだなと自分では、気に入っている。何より手塚治虫先生から一文字頂きたかった。それが本音だが。実際は勝手に拝借しただけだ。
しかしこれからSNSへの投稿も考えるなら、このネームは捨てざる負えないかもしれない。厚かましいとネットで叩かれてしまうかもしれないからだ。
手塚ファンは永遠だ。
私は、私のファンを大事にしょう。
さあ!早速、ファン読者のお出ましだ。ありがたいが、その「厚」と「熱量」には、いつも圧倒される。
「先生に会えると思って昨夜は全然眠れ無かったんですよ。ああ!嬉しい!今日は3冊頂きます。
バイト頑張ったんです。
少しでも先生の応援に、なれたら私、嬉しいんで!」
「ありがとうございます。
折角のバイト代なのに、大丈夫ですか?」
「はい!これで、また次のフェスまで頑張れます!」
握手と写真取りをして見送った。まるで、アイドルのイベントみたいな事をして我ながら恥ずかしい。
しかし、もちろん私が率先して始めた事ではない。読者に頼まれてやったまでだ。
素人漫画家の本を買って貰っているのだ。それくらいのサービスは当たり前だろう。別に自惚れてやっている訳では無い。むしろ逆だ。
こんな、つたない者の本を買ってくれる読者に少しでも報いたいと言う思いだ。
順調に本は売れていった。昼前に完売してしまった。次は、もう少し増版してみるかな。でも売れ残るのは嫌だし。そこが商売の難しさだ。
初めは誰か人の目に触れるだけでいいと思っていたのに浅ましくなったものだ。
少し早いけれど今日はお開きにしよう。売るべき本が在庫切れたのだ。致し方ない。運営に伝えて片付けを始めた。
「ちょっと、今日は色々観て帰るかな。
最近は物販で忙しくて
それどころじゃなかったしなぁ。」
大きなリュックにキャリーバック。帰りは荷物が空っぽで楽なもんだ。カラカラとバッグを引っ張りながら迷路の様な物販通路を歩いた。
同人誌だけじゃない。アニメにフィギュアにゲームにコスプレ。オタク文化の全てがここに集結している。
お客さんも物販側も皆、本当に楽しんでいる。こぼれる様な笑顔で溢れている。販売するのに本気でコスプレをしている者もいる。
サービスも去る事ながら自分達がやりたいからやっている。その精神が羨ましい。
私は自分の作品が大好きだ。でも家族にはその内容を話せずにいた。
恥じているわけでは無いが躊躇していた。個人の趣味趣向は家族と言えども異なるものだ。それが性の嗜好となれば、なおさらだ。
言い方を仕損じれば取り返しの付かない事に成りかねない。誤解を招かない様に、それは慎重になされなければならない。
今は、まだその時期では無いと思っている。その機会が来るまで、その事はお預けだ。
何故なら、私は腐女子だから。
ゲイ漫画家。ボーイズラブを描いている。…とは、まだ言えない。家族には....
途中で、すごい人だかりが出来て前に進めなくなった。どうやらSNSで評判になっているコスプレイヤーの写真会らしい。
一眼レフカメラからスマホまで一斉に写真を撮っている。
混雑の最後尾で、あったが興味本位で隙間を探すと機材の配置場所が少し空いていた。その隙間から覗いて見た。
すると、バツグンのプロポーションの後ろ姿が目に飛び込んで来た。
アニメキャラのコスプレだ。当の本人よりもスタイルが良いのが、すぐわかった。
まん丸でキュッと、上がったお尻は、少し大きめだけど脚が長くて真っ直ぐに伸びてるからカッコいい! 腰もキュッと閉まって。胸は..Fは、ありそうだな。女の子目線でも、惚れ惚れするスタイルだ。
見惚れていると突然、彼女が振り向いた。
瞳がロックオンした。
私はドキッ!と心臓を掴まれた様に驚いた。
覗き見か盗撮犯の様な何故か、そんな後ろめたさを感じた。
慌てて目をそらそうとしたら彼女が真っ白い歯を剥き出してニコッと笑った。屈託の無い笑顔だ。反らそうとした目が再びロックオンした。
「カワイイ!」
ピンクのツインテールに白い肌。長いまつ毛に大きな瞳。小さな鼻に厚めの唇。その横に小さなホクロのアクセント。
それを一瞬で出来の悪い脳が解析した。もし私が男性だったら、この瞬間に一目惚れしたに違いない。
彼女はポーズを変えながらターンした。美しい背中が今はこちらを向いている。私は、カッコイイお尻に向かって手の平を合わせお辞儀をして会場を後にした。
月曜日、大学のゼミ。今日から大学生活が始まる。真ん中あたりの席に着いた。
いつも朝は頭が中々、回らない。夜遅くまで漫画を描いていたのだ。眠気覚ましにペットボトルの冷たいお茶を口に含んでバッグに戻した。
顔を上げると後ろの席がザワ付いている。
( 何だろう? )と振り向くと
「ハッ!」と目を引く様な美人が立っている。
金髪で、もしかしてハーフ?と思わせる容姿だ。それを見て、みんなヒソヒソ話しを始めたのだ。
当の彼女はキョロキョロと空いた席を探している。遅れて来て空席は、まばらになっていた。
一通り見渡している途中で彼女が急に奇声を上げた。こちらを指差して笑っている。
( 誰⁉︎ 誰!私じゃないよね?)
口元を手の平で覆って回りを見回した。
彼女はショルダーハックを揺らしながら通路を駆け降りてくると私のいる列で直角に曲がった。
「ごめんなさい。前、通ります。ごめんなさい。」
そう詫びながら迫ってくる。
( えっ!まさか!やっぱり私⁉︎ )
と思っている瞬間、目の前を通り過ぎた。
( えっ!何!?違うの⁉︎ )
何故か、ちょっとがっかりしたが、彼女は、突然ダンスみたいにクルッ!と半回転してカタッ!と横の席に着いた。「クルカタだ!」
「ハハッ!勢い付いて通り過ぎちゃった。」
いきなり話しかけられた。やっぱりお目当ては私なの?
「イヤー!ビックリした。
昨日、会ったばかりで、
また、すぐ再会するなんて、スゴクない!
これって、やっぱ、運命でしょ!
ねえ、そう思わない。」
そう言いながら、いつのまにか私の手を握っている。何の事か、わからない。人違いか、勘違いかその、どちらかだろう。
「あっ、あのう...。どなたでしょうか?
何か人違いじゃ..ないですか?」
そう言いながら。ジワーっと手を離そうとした。
「あっ!そうか、ごめんなさい。
私、早乙女好子。よろしくね。あなたのお名前は?」
そう言うと、はずそうとした手をさらに両手で握ってきた。
「ええっ!ああ..私は、根元菜美子と申します。」
緊張して変な言い回しをしてしまった。
「いえ!そこじゃなくて、
私の事、ご存知なんですか?
私の方は記憶になくて....。」
すると彼女はニッコリ歯を剥き出して笑った。その類には小さなホクロ。すると突然、私の脳内のスイッチが反応した。
「ああ〜っ!もしかして、昨日の..。」
言いかけたところで真前の学生が振り向いた。
「静かにして下さい!もうすぐ講義が始まり...
あっ、いや、ごめんなさい。お節介でした。」
私達と目があった途端、話しをやめて前を向いてしまった。
私達はその背中にごめんなさい」と小声であやまった。
それにしても、何と言う美青年。
まつ毛が長くて大きな瞳、高い鼻に、さくらんぼみたいな唇。
正に女の子みたい。私の漫画から飛び出した様な容姿。
私の理想系男子が目の前にいた。
今、二次元から三次元にワープして来たのだ。
胸がドキドキしている。
この鼓動が誰かの耳に届いているのではないか。
そう思ってしまう程、胸の高鳴りが止まらなかった。
講義が始まっても全然、身が入らなかった。
彼の背中をずっと見つめて彼の顔の記憶をたどった。 早く休憩になってくれれば良いのにと心底思った。横顔だけでもチラ見したかった。
こんな風に男性の事を思った事が未だかつてあっただろうか。いや、あるはず無かった。
私は本当の恋を知らない。
漫画の世界だけが、私にとってのリアルだったのだ。
その中でしか私は自分自身を解放できないでいた。
「さあっ!休憩!休憩!
ちょっと外の空気を吸いに行きましょう。
私、こう言う閉鎖空間、苦手なんだよね。」
そう言うと彼女は、私の手を引っ張って席を立った。
(あっ!ちょっと、待って!
顔、顔!横顔だけでも見せてーっ!)
心の中で叫んだけど、強引な彼女に連れさられてしまった。
噴水の前の木陰のベンチに座った。
「申し訳ありません。
昨日のピンクの髪、ウィッグだったんですね。
あの印象が強くて初めは、わかりませんでした。
ごめんなさい。
でも、よくわかりましたね。私だと。
昨日の、あの一瞬で...。」
「うん!ハートにビビビビビビビビって来たの。
インプットされちゃた!」
「随分長いビビビですね。フフッ」
「こんなカワイイ娘いるのか!
…って一瞬で目と心と脳ミソに焼き付けちゃった!」
「いろんなところに焼き付けたんですね!ハハハッ!でも私そんなにカワイくないですよ。
早乙女さんの方がずっとカワイイじゃないですか!」
謙遜ではない。本心だ。
「いや!そんな事ない。君は私の、どストライク!
タイプなんだ。うん!一目惚れしたみたい。
菜美子ちゃんの事。」
ビックリ!ドッキリした。一瞬自分の耳を疑った。
(今、告白されてるのか?まさか、そんな...こと。)
つたない人生で初めての告白を、してくれたのが女性とは!
「えっ!ええーっ⁉︎ ちょ、ちょっと待って下さい。
わっ私、男の人しか…..。」
言い終わる途中で、彼女の人差し指が、私の唇を押さえた。細くてキレイな指だ。爪も綺麗に手入れしてマニュキュアが塗られている。
「わかってる。でも、友達ならいいでしょ?
ねっ!お願い。お願いします。」
上目遣いで真っ直ぐに私の瞳を見つめている。吸い込まれそうな程、綺麗な瞳だ。
私は恥ずかしさで真っ赤になり視線をそらし、下を向いてしまった。
「私などで良ければ....
こっ、こちらこそよろしくお願いします」
そう言うのが精一杯だった。
言い終わったところで足元に人影が近寄ってきた。上を向くと彼だった。
愛しの彼が目の前に立っていた。
木漏れ日に輝いて、まるで女神が降臨したようだ。
それ程、美しい。
「わっ!」
私は思わずベンチに退けぞった。ビックリして顔がこわばっている。
「あっ!ごめんなさい。
ビックリさせちゃって。さっきの事、謝りたくて....
いつも、ついついお節介やいてしまう癖があって。
嫌な気に、なってたらごめんなさい。
あっ!僕、本郷。「本郷尚樹」です。
よろしくお願いします。」
そう言って、深々と頭を下げた。
「男らしい名前だね。仮面ライダーみたい。」
早乙女さんが満面の笑みで言った。褒めてるのか、ふざけたのか測りかねた。
私は、また下を向いている。あんなに見たかった彼の顔が真正面にきて緊張して恥ずかしくて、まともに見られなかった。
それに、まだ真っ赤になっているはずだ。そんな顔も見られたくなかった。私は下を向いたまま応えた。
「あ、あの、大丈夫です。全然、大丈夫です。
悪いのは私達ですから。お気になさらずに。
ええと、私は根元菜美子です。
よろしくお願いします。」
何とか言えた。
「私は早乙女好子。よろしくね。」
これが、始まりだった。
この、恋の三角関係。
ラブ・トライアングルの…。
続く