継ぐ鳥先を逃がさず
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
二学期もあと、一カ月足らずかあ……それで年末年始が終わると、あっという間の三学期。
こうしてみると、年を明ける前から新学年のことを考え始めちゃうよ。先のことが予想できちゃうようになると、そこに至る道とか結果を想定しちゃって、どうにも気が滅入る。
そうなると、僕たちも最上級生っしょ? 先輩たちのいた教室に、今度は僕たちが入るのかあ……と考えると、これも感慨深いというか。
ああ、そうだ、こーちゃん。
教室を移動する段になったら、思い出してほしいんだけどさ。新しくお世話になるフロアには気を付けるところが、いくつかあるらしい。
なにせ学校は同じ年ごろの子供が、大勢集められる特殊な空間。空間が特殊となれば、そこにあるものもまた、特殊なものに変わる可能性あり、というわけだ。
その話について、耳に入れておかない?
立つ鳥後を濁さず。
去る者は、その引き際をいさぎよいものとし、きれいにするよう努めなくてはいけないということわざ。
これは、後からやってきた者に対する思いやりも兼ねている。先に放置されたゴミなんかを処理するのは、後からやってきた人たちだ。
手間、時間、労力。
本来は別のものに割けたであろうそれを、この本来なら必要なかったことに使わなきゃいけない。それは大げさにいうなら、未来を奪うことといえる。
かといって、立つ鳥がいくら気づかいの鬼だったとしても、思考の外にあるものには気づけない。それにさえも、罪を負わせるのは酷すぎる。
放っておけば、更なる未来の損失ともなりえる見落とし、取りこぼし。これは受け取る者がするべき対処なのだという。
論だけなら前に話したことに矛盾するかもしれない。でも現実に起こることには因果があって矛盾はない。
ただときおり、僕たちに計り知れない場所と事象から、原因と結果があらわれるということで。僕たちはぱっと見、意味わからんものにも気を付けておくべきということ。
教室移動に話を戻そうか。
みんながえっちらおっちら、自分の椅子と机を新教室へ運び込む。
この段階で、自分の机と椅子を置く場所を探っておくんだ。
分かりやすい落書き、彫り込み。こいつらがあっても、まあかわいいもの。
若さならではの自己顕示欲かもだけど、そうやってその場に残っているということは、「そこに、他のものはいない」という証に他ならないから。
もし何かいるなら、それはすでに塗り替えられ、あるいはもっと別のものに作り変えられ、ひっそり潜んでいるのだから。
どんな呪言だとしても、目に見えるならまだまだ笑止。
床にタイルがあるなら、その何枚目に置いたかを確認。
放課後になってひと気がなくなったあたりを見計らい、いったん自分もその場を離れる。
ベストポジションは、トイレの個室だ。
水は古来、霊的な感覚を得るのに重要な役割を果たすもののひとつ。そこの便座に腰をおろし、しばし待つ。別に用を足したくなければ脱がなくていい。
目を閉じ、しばしの瞑想。自分でも「ゆっくりすぎるかな」と思うほど300を数える。
その間に、何もなければ今のところには何もないとみていい。
けれど、そうでないなら気にすべきところがある。
便座が水音を立てたなら、机と椅子の位置。下半身に何かが触れる感触がしたら、机の引き出しの中。上半身のいずこかをなでられたら、教室の天井に気を払う。
働く力が強いほど、机椅子はその位置にとどまっておらず、その中身にはゴミかもっとおぞましい何かがしまわれ、天井は黒ずみ、あるいは剥がれかけんとしているかもしれない。
自分の守護霊の強さ、まわりの人の影響などによっては大事に至らないそうだけど、もし校内で不幸な事故に見舞われるなら、そいつらの仕業。
けれども、中でもいっとうまずいのは、その300秒間で顔に触れられるもの。
話をしてくれた友達の場合は、目鼻をはっきりとつままれ、いくらか息が完全にできない時間があったというんだ。
目を開けても、そこには誰もいない。鏡に映しても、顔に何かついているでもない。
気のせいかと思ってしまう記憶と相成って、教室へ戻りかけるや。
ばさりと、頭のてっぺんから降りかかるものがあった。
ボンボンを被せられたような、あるいは大きなかつらがちょうど頭上へ降ってきたか。
いずれも目元はおろか、口元まで覆うほどの大きさでもって、視界がほぼ見えなくなる。
ただのいたずらでなかった。いくら手を当て、押し上げようとしてもこれらにちっとも触れる気配がないばかりが、おのずと息ができなくなっていくからだ。
あらかじめ聞いていた、よくない事態を前に、友達は教室の中をゆく。
自分の机からは遠い、教室の最後尾を目指して。同時に、締め付けはにわかに強まるばかりか、のど元へはっきりと締め上げられる力が加わった。
息を止めにかかっている。
気を抜けば意識を持っていかれそうなふらつきをこらえつつ、友達は自分の目当て。掃除用具入れを全開にする。
どどっと、こぼれてきたほうきの柄たち。それらをしゃにむに蹴散らし、バケツもひっくり返し、用具入れの底をあらわにする。
そこにいたのは、「友達自身」。
厳密にはつむじから、あごのあたりまで。ちょうど用具入れの底へギリギリうずまるようにして、頭だけを外に出していたんだ。
その顔は能面のように、無表情で固まったまま、ぴくりとも動かない。
友達はそののぞいているこめかみを、思い切り蹴り飛ばす。瞬間、自分も蹴ったのとまったく同じ箇所へ強い衝撃を受けたんだ。
ふらつく足がまともにこらえられるわけがなく、今度はみんなの荷物を入れるロッカーへ頭をぶつけてしまう。
そのまま意識を失ったのは、ほんの数十秒ほど。
顔の前へ被さってきたものはなくなり、用具入れの底に「自分」はいない。ただ荒らされた道具たちばかりが残った。
立つ鳥に残されてしまうもので、こいつは特にやばいらしく、友達の場合は頭部だったが、場合によっては身体の至る部分を中に押し込め、そこで腐らせ命を奪う。
内臓をやられればまずその異変に気付くことはなく、それが間接的に本人が落命するきっかけともなりうるという。
継ぐ鳥先を逃さず。
自分の将来を逃がさないためには、訪れた箇所の気配を探ることも大事なんだってさ。