【アンソロ書籍化】特命!変態伯爵様の罵り係〜憧れている美形の英雄に屈辱を与える立派なお仕事〜
「ルーナ嬢、どうか俺を罵ってもらえないだろうか?」
聞き間違いだろうか? たった今、目の前にいる金髪碧眼の美丈夫――アーバン伯爵家当主・ギルバート様の口からとんでもない言葉が聞こえた。
彼は昨年、厄災を招いた悪魔を倒した英雄だ。文武両道、眉目秀麗、性格は生真面目と評判の二十五歳、独身男性。社交界で一番人気の優良物件といっても差し支えないだろう。
恋心を抱いているわけではないが、私も遠くから眺めて憧れていたほどの英傑。
しかし、そんな尊きお方が私のような没落寸前の田舎貴族――ミルトナ男爵家の娘を相手にこんなことを言うなんて誰が信じようか。
だって呼び出しの手紙には「外部に漏らしたくない、特別な任務を命じたい」と書かれていたのだもの。罵りが特別な任務など有り得ない。
この豪奢な応接間をぐるっと一度見渡してから、正面に座る麗しい英雄に意識を戻す。
「その、もう一度お聞きしても?」
「どうか、俺を罵ってもらえないだろうか? 見返りはしっかりと用意する。これは契約書だ」
ギルバート様は至極真面目な表情で、罵倒を依頼する内容が書かれた羊皮紙をテーブルの上に出した。目に見える物まで出されてはもう「耳の調子が悪くって♡」って誤魔化せないじゃないの。
「この依頼を秘密裏に受けてくれるのなら、ルーナ嬢の生家であるミルトナ家の借金を肩代わりしよう」
「え?」
昨年の厄災の被害に遭った我が男爵家は、領民の生活を救済するために大きな借金を背負った。国の支援金では足りなかったのだけれど、それが消えるですって?
「さらに跡継ぎである弟君の学費の支援も惜しまない」
「え?」
借金のせいで、国一番の学園の進学を弟は諦めようとしていた。弟はとても勉強家で優秀なのに……と残念に思っていたけれど、諦めずに済むですって?
「ルーナ嬢が望む相手が未婚であれば、ある程度は縁談の架橋にもなれるだろう」
「えぇ!?」
美人だったら良かったのだけれど、私の容姿は栗毛に翡翠の瞳とこの国では一般的な色の組み合わせで、目立つ顔立ちでもない。そして爵位が低い上に借金がある男爵家の令嬢である私の縁談は、次々と縁談候補の相手から辞退を申し込まれてしまった。
社交界では「ルーナ嬢を娶ったら借金まで付いてくる」と囁かれ、すっかり貧乏神扱い。神様扱いでも嬉しくない。
それまでも解決できるですって?
この特別依頼、とてもおいしいお話ではないだろうか。
「ちなみに、どうして私にこの依頼を?」
「先日の夜会でルーナ嬢と、ある令息の会話を聞いて適任だと思ったのだ。君の罵りは的確に心を抉ってくれると、直感が告げている」
つまり従兄弟としていた喧嘩の現場を見て、ギルバート様は心に決めたらしい。「借金から助けてやろうか? 弟ではなく、親戚の俺が男爵家を継いでも良いんだぜ?」って言いながら送ってきたウィンクにイラっとしたのよね。遠回しな、婿入り宣言。
商人として成功し、お金持ちになったからってうるせー!そんなに男爵家を継ぎたいのならまずは借金返済を手伝う気概を見せてからにしなさいよ見栄クソ男。
あらいけない。令嬢らしくない言葉がでてしまったわ。
おっと……とにかく罵るということは、このように過激で下品な言葉も含まれる。
しかしどんな失礼な発言をしてもギルバート様は罪には問わない――という一文まで契約書に記されていた。
ミルトナ男爵家としても、私個人としても利益が望める依頼。断る理由はないだろう。契約書の下にサインを入れ、ギルバート様に返した。
「この特別依頼、お受けいたしましょう」
「ありがとう。では試しに早速、ひとつ罵ってくれないだろうか?」
ギルバート様は両膝に固く握った拳を載せ、背筋を伸ばした。
なんてせっかちなのか……でも良いわ。私も言いたいことがあったの。全力で罵りましょう。
「顔が良いからって、なんでも許されると思わないでくださいませ変態野郎」
「――ぐぬ」
「七つも年下の……十八歳の令嬢にこんなこと頼むなんて、人間性を疑いましてよ。気持ち悪い」
「うっ」
しまった! ひとつどころか、勢い余ってふたつも罵ってしまった。望まれた以上の罵倒を続けたせいか、ギルバート様は奥歯をギリっと噛みしめて額に青筋を立てた。
待って……すごくお怒りだわ。怖い怖い怖い怖い怖い! 綺麗なお顔だから、怖さが際立っている。
「も、申し訳ありません。ふたつも言ってしまいました」
「いや、これで良い。効いている。素晴らしい」
「えぇ!?」
「やはり見込んだ通りだ。ルーナ嬢は罵りの達人だ」
まさかの絶賛。しかも嬉しくない。
腹が立ってきた。
「何が達人、ですか。無理やり変態趣味に付き合わされているのに、勝手に仲間にするなんて最っ低っ!」
「――くっ」
ギルバート様は相当屈辱なのか、顔を真っ赤にして俯いてしまった。拳は怒りを耐えるように小刻みに震えている。強く握りすぎたためか、膝の上に赤いしみが広がり始めた。
「手から血が! 大丈夫ですか?」
「あぁ、この程度問題はない。しかし今日はこれくらいで良い。また明日頼む」
「――はい?」
え、続けるとか嘘でしょう? どう見ても辛そうなのに、さらに明日も罵って欲しいなんて正気じゃない。そんな疑問の視線を投げかけるが、精神的に疲弊した様子のギルバート様は無視するように私を置いて応接間から出ていってしまった。
それから二週間、私は休まず伯爵家に通い、ギルバート様を罵っている。
「罵れと命じておいて、不服の表情を浮かべるなんて失礼ですわね。変な趣味に付き合わされているこちらの身にもなってくださいませ」
「そうは言っても……いや、すまない」
「謝罪より態度で示してくださいませ。これだから脳筋は……はぁ」
「の、脳筋……!」
「あら、失礼。脳筋ではなく、変態でしたわね」
「くそっ……もう一声!」
ギルバート様は眉間の皺を深くさせ、テーブルの上で拳を小さく震わせた。やはり罵倒されて悔しそうだ。止めれば良いのに、さらに上を要求してくる。
「あらあら、英雄と呼ばれている立派なお方がはしたなく小娘に求めるなんて、救いようのないド変態ですわね」
「――っ! くっ、今のは効いた」
「ご満足いただけたようで何よりですわ。休んでもよろしくて?」
「あぁ、もちろんだ。俺も休みたい」
無事に終わって私は肩の力を抜いた。ギルバート様の怒気や屈辱に耐える重々しい空気にはすっかり慣れたが、なんせネタ切れ気味だったのでここで終わって良かった。
罵倒したくても、相手はこの変わった趣味があるという点以外は完璧な男性なのだ。今もすぐに私の疲れを労わるように、執事に指示してハーブティーと人気店のスイーツを用意してくれる。粗がなかなか見つからない。
「ギルバート様、いつまで続けるのでしょうか?」
「俺が満足するまでだ」
「まだ足りないと仰りますの? あれだけの屈辱と苦痛を味わわされているのに、まだ罵倒をご所望で?」
そう問いかけの視線を向けるが、ギルバート様は真顔で頷いた。
一瞬目眩に襲われそうになるが、引き受けた以上は責任を果たさなくてはならない。それにここで音を上げたら、変態に屈服するということ。それだけは避けたい。どうにかして罵り続け、満足させなければ……。
「そろそろ新しい罵り方を試してもよろしいでしょうか?」
「もちろん。実は最近バリエーションに慣れてきてしまい、少々刺激が足りないと思っていたところだったのだ。まだ他の手段があるなんて、ルーナ嬢は素晴らしい。任せる」
そんな真顔で女神を見るようなキラキラした眼差しを送られても、全然心に響かないのだけれど。そんな性格の真っすぐさを見せるのも反則だと思う。
純粋な人を罵っていると思うと、こちらが心のダメージを受けるのだから考慮して欲しい。
頭痛に耐えながら翌日、私は約束の時間よりかなり早く伯爵邸を訪問した。ギルバート様は朝の鍛錬を終えたばかりで、私室でシャワーを浴びているらしい。
執事にそう説明され、応接室に待たされることになったが……私は部屋に誰もいなくなったのを狙って部屋からこっそり抜け出した。
作戦は単純だ。不意打ちで驚かせ、「この程度で叫ぶなんて、英雄が聞いて呆れますわ。鍛え方が足りなくってよ」と言ってやるのだ。
そう意気込み、人の目を避けながらギルバート様の私室の扉の前にたどり着く。先日、屋敷の中を案内してもらっておいて良かった。あとは突撃するだけだ。
コンコンとノックをする。
「ベンジャミンか? 入れ」
執事がきたと思ったらしく、ギルバート様は入室の許可を出した。よし、今だ――と勢いよく扉を開けて――驚き言葉を失ったのは私の方だった。
軽く羽織っただけのシャツの襟元や、袖を捲られたギルバート様のお身体には、黒いツタ模様が隙間なく浮かんでいたのだ。これは、呪いの模様だ。
「そ、それは」
「ルーナ、嬢……そうか、見られてしまったな」
ギルバート様は怒ることなくただ目元を押さえ、深いため息を吐いた。指の隙間から見える青い彼の瞳は、悲しみで揺れている。
「も、申し訳ございません。ギルバート様を驚かせて、そして……」
「単純なことで驚く俺を馬鹿にしようとした、というところだろうか。そういうことなら責められない。君は仕事を真面目に遂行しようとしただけなのだから。とりあえず、説明させてくれ」
寂しそうに微笑んだギルバート様は、私にソファに座るよう促した。
彼の説明によれば、これは昨年の厄災で悪魔を倒す瞬間にかけられた呪いらしい。
悪魔は負けることが悔しかったのだろう――貴様も屈辱を味わうが良い――と最後の最後で悪魔の攻撃を受けてしまった結果、ギルバート様の全身にツタ模様が浮かんだ。
そして闇の力が強まる新月の夜は、ツタ模様が赤く光って熱を持ち、全身を焼くような痛みに襲われるというのだ。
「大変ですね」という凡庸な言葉しか、私は言えなかった。
「幸いにも俺が屈辱を味わうと呪いが薄まり、解けていくことが先月判明した。ただこの呪いが多くの人に知られれば、悪魔の爪痕が残っていると国民の不安を煽る。だから事情を知る一部の者で秘密裏に解呪しようと試みたのだが……誰もが同情して、本気の屈辱を与えるに至らなかった」
「それで事情を全く知らない、罵り上手な私に依頼をしたのですね?」
「事情があって、決して変態趣味ではないと言いたくても、言い返せない。非常に屈辱的な気分を味わい、かなり呪いの面積が減った……のだが、ここまでのようだな」
「はぁ!? この程度で諦めるなんて、英雄が聞いて呆れますわ。片腹痛い――あ」
私は慌てて口元を手で押さえた。弱気になったギルバート様の姿が情けなくて、見ていられなくて、思わずいつもの調子で罵ってしまった。
早く謝らなくてはと固まっていると、彼の鎖骨に伸びていた黒いツタ模様が消えた。罵ると本当に呪いが解けるらしい。
「事情を知っても容赦なく君が言葉をかけてくれるというのに……諦めようとしていたなんて、俺はなんて情けないのか! ありがとう、ルーナ嬢!」
苦悶の表情のあと、ギルバート様は感動したように青い瞳に希望を宿して輝かせた。まるで私が救世主だと言わんばかりの期待を彼から感じる。
昨年の厄災で、我がミルトナ家の領地の作物は壊滅的だった。けれども人的被害が少なかったのは、ギルバート様が騎士団を率いて悪魔をすぐに倒してくれたからだ。
今こそ、その恩を返すときだろう。初めてギルバート様から特殊任務の手紙を受け取ったときも、そのつもりで屋敷を訪ねたのだ。
罵って欲しいという命令に驚きすっかり初心を忘れていたが、取り戻すことができた。
何より、忌々しい呪いを克服するために自ら屈辱的な行為を受け入れるなんて、尊敬の念を抱かずにはいられない。お支えしたい!
「ギルバート様、私で良ければ今後も協力させてください! 罵りを極めますわ!」
「なんと頼もしい。可哀想でもう無理だと、呪いを見るのも恐ろしいと……他の者のように去らずに、本当に良かった」
「むしろ呪いが消える瞬間が見える方が、成果が分かりやすいのでやる気に繋がりそうです」
「では、これからは常にシャツは全部脱いでいようかな」
「それは普通に変態行為なのでやめてください」
傷付いたらしい。またツタ模様が消えた。
けれど、これは使える。
「一方的に私が罵るよりも、今みたいにギルバート様が先にボケてくださると、私もツッコミを兼ねて罵りやすいですわね」
「ボケたつもりは……いや、なんでもない。つまり俺が罵りやすい餌を撒いて、ルーナ嬢がそれを拾うということだな?」
「はい。ギルバート様から誘ってくださると、私も安心して切り込めます。一緒にがんばりましょう」
「ルーナ嬢、恩に着る!」
固い握手を交わしてさらに一週間の罵り共同作業を続けた結果、ギルバート様の体を覆っていたツタ模様が半分程度にまで減った。下半身と背中のツタはすっかり消えたらしく、シャツを脱いだ姿を確認しているが上半身の胸周辺と二の腕だけにしか見えない。
呪いの模様で見えにくかった六つに割れた腹の筋が、今は綺麗に見える。素晴らしい体だ。
「だいぶ少なくなりましたね。ボケツッコミ作戦が成功して良かったです」
「驚くほどの速さで呪いが消えている。これなら今夜の新月はあまり苦しまずに済みそうだ。ルーナ嬢、本当にありがとう」
ギルバート様はこれまでで一番柔らかい笑みを浮かべた。悪魔を切り捨てた『英雄』や『戦場の金獅子』と威厳ある肩書を持っているとは思えないほどの、ただの青年の笑み。
こんな眩しい笑顔は初めて見るかもしれない。勝手に胸が高鳴ってしまうわ。
「ふふ、可愛い」
しまった! 思わず心の声を出してしまった。
だってこんな顔の良い殿方の満面の笑みって見たことがなかったんだもの……慌てて口を押えて、ギルバート様の反応を窺うと、彼は顔を真っ赤に染めて固まっていた。その上、ツタの模様が減った。
「申し訳ありません……七つも下の小娘に可愛いだなんて言われたら、罵っていなくても屈辱ですよね。でも呪いが消えるのなら正解?」
「いや、屈辱じゃない。ただ恥ずかしいと思っただけで……」
「屈辱じゃないのに、呪いが消えるってどうして?」
「確かに、なぜだろうか」
ふたりで頭を捻っていると、ギルバート様の執事ベンジャミンさんに「屈辱とは面目を失い恥ずかしい思いをする――という意味を持ちます。その恥ずかしい、という部分に呪いが反応したのではないでしょうか?」と言われた。
「つまり褒めることも有効というわけですわね。ボケツッコミ作戦も苦しくなって次の手に悩んでいましたが、褒めるということなら楽勝ですわ!」
「楽勝、なのか?」
「えぇ、だってギルバート様はとても素敵な方ですもの。たくさん褒めるところがございますよ。ふふ、お任せください」
「――っ」
笑みを向けただけで、またツタが消えた。
罵りは時間が経つにつれて、慣れのせいか効果が出にくくなってきた。きっと褒めることに関しても、あまり時間をかけてはいけないだろう。
効果が高いうちに攻めるべきだ。
「ギルバート様の金色の髪は本当に太陽のようで、青い瞳は空のようで、見つめられるとこちらも晴れやかな気持ちになります。私の気持ちもぽかぽかしますわ」
「そ、そうか……」
よし、消えた。まだまだいくわよ。
「本当に綺麗なお顔。睫毛の長さとか羨ましいくらいですわ。これだけ美しいと、見ていて飽きが来ませんわね……素敵♡」
「ど、どうも……」
あらあら、お顔が真っ赤。眉を下げて、戸惑う表情も良い。
幼い男の子が好きな女の子にイタズラしたくなる心理が、なんとなく分かる。
だって、ギルバート様が最高に可愛い。きゅんきゅんしてしまう。
あら、またツタが消えたわ。
「ギルバート様は年上だし、大人っぽいと思ったら初心なんですね。容姿だけでなく、そういう純粋な面も魅力的だと思います」
「な――っ」
「ふふ、そう恥ずかしがるお姿、私嫌いじゃありません。それに――」
満面の笑みを向けてたっぷり褒めた結果、過去最高の面積のツタ模様が消えたのではないだろうか。新月の夜の前に、彼の負担を軽くできて良かった。私の心は達成感に満ちている。
一方で褒めちぎられたギルバート様はずっと顔を両手で覆い、目線を合わせてくれない。
今日はもう十分だろう。
「ギルバート様、今日は帰りますね。また明日も褒めに来ます」
「また……明日も? これだけ言って、まだネタ切れしてないか?」
「もちろんですわ。まだまだギルバート様の素敵なところは尽きませんもの」
「そ、そうか。頼む」
「では失礼しますわ」
目線は合わないけれど、一礼して伯爵邸をあとにした。
そうしてギルバート様を褒め殺し続けて四日後……
「最後の模様が消えませんね。うーん……」
私は彼の左胸にだけ残っている呪いの文様を見て唸った。呪いの中核なのか、そこだけマカロンサイズの黒い薔薇模様が刻印されていている。
「そんなに間近でじっと見つめないでくれ。俺も男なんだ」
そう言ってギルバート様は耳の先を少し赤くしてシャツのボタンを留めようとするが、私はそれに待ったをかける。
「いえ、もっと見つめて恥ずかしい思いをさせて、呪いを消さなければなりませんわ。ギルバート様のお身体は彫刻のように整っております。触れば弾力がありそうなハリのある胸板は誇るべきですわ」
「あ、ありがとう。鍛えた甲斐がある」
「そうではなくて! もうっ、ちゃんと恥ずかしがってくださいませ!」
もう褒められ慣れてしまったのか、今日のギルバート様は恥ずかしいというより嬉しそうな返事をする。
令嬢にあるまじき破廉恥な切り込み方をしても効かないだなんて、どうすれば良いのよ。ソファに腰を下ろして、思わずため息を吐いてしまう。
ギルバート様の呪いを解いて差し上げたいのに……
「すまない。ルーナ嬢……君に褒められると、どうしても喜びの方が勝ってしまって。むしろ今は、もっと言って欲しいと思ってしまっているくらいなんだ」
「褒め言葉は確かにまだまだありますが、言っても意味がないなんて由々しき問題ですわ」
「まだ、あるのか」
「当然ですわ。ギルバート様は危険を顧みず、騎士たちの先頭に立って厄災の渦に挑む大胆さを持ちつつ、その栄光をひけらかすこともない慎ましいところとか、格下の私が無礼をしても寛大に接してくれるところなんて、とても好きですわ」
「ルーナ嬢っ」
ギルバート様は口元を手で覆い、顔を真っ赤にした。しかし、やっぱり呪いの模様が薄くなったり消えたりしてくれない。
それを残念と思いつつも、少し安堵している自分もいる。
だってギルバート様とのやり取りはとても面白いし、彼の容姿も良いからとても目が潤う。けれど呪いが解けてしまったら、彼と会う理由がなくなってしまう。また遠くから眺める日に戻るだけ。
いえ、以前ギルバート様は縁談の架橋になってくれるとも言っていたから、その紹介してくれた方と婚約したらギルバート様を眺めることすらできない立場になる。
なんと寂しいことか。
単なる憧れから、恋心へと変わろうとしていることを知って気が重くなる。
しかし、約束した以上は守るべきだろう。
「ギルバート様、呪いはあとわずかです。強力な屈辱を一度味わったら消えるかもしれません」
「確かに、何かいい方法があるのか?」
「えぇ――私の前で跪き、足の甲に口付けをなさって」
「――っ!」
私の要求にギルバート様は大きく目を見開き、息を飲んだ。
だって私は彼に「自分はあなたの下僕です」という服従の行為を求めたのだ。国一番の英雄が没落寸前の小娘にするなんて、絶対にプライドが許さないはず。かなり屈辱的な気分を与えられるはずだ。
そう思って彼の胸元を見るが、まだ呪いの黒薔薇は残っている。もう少し攻めた方が良いかしら……足を組み直して、甲が見やすいようにドレスの裾も少し引っ張り上げた。
「早くなさって」
私も恥ずかしいのだ。さっさと済まして欲しいと催促すると、ギルバート様は瞳孔を開いたまま恐る恐る両膝を床についた。そして震える手を伸ばし、戸惑いながら私の靴の底に手を添えた。
シャツをはだけさせた美丈夫が、私の足の甲にゆっくりと顔を近づけていく。
えっと……なんで止まらないの? ちょっと……もっと躊躇してよ! 執事のベンジャミンさんも止めてくれない。 え、本当にするの? 駄目、駄目、駄目だってそれ以上は――
「お待ちください!」
ギルバート様の唇が私の足の甲に触れる直前、手のひらを滑り込ませて阻止する。
足の甲のキスはなんとか免れたものの、私の手の先はしっかり彼のキスを受け止めてしまっていた。少し柔らかくて、温かい。
「きゃあぁぁぁあ!」
「す、すまない」
彼が顔を上げた瞬間に、慌てて手と足を引っ込める。まだ唇の感触が残る手を握り、批難の目線を向ける。私は単純なんだから、事故でも本気で恋しちゃうじゃないの!
好きよ、好き!
「なんで止まらなかったのですか!?」
「だって、そう指示されたから。ルーナ嬢の思い付きは、いつも当たるだろう?」
「そうかもしれませんが……素直すぎです!」
鼓動が早くなりすぎて痛む心臓を押さえながら、すぐさまギルバート様の左胸を確認する。
しかし黒薔薇はしっかりと残っていた。これほどの屈辱でも駄目って……ショックのあまり、私はソファの背もたれに身を預けて天を仰いだ。
「これ以上の屈辱行為は私には思いつきませんわ」
「その……先ほどの服従行為についてなんだが……実のところ俺はあまり屈辱に感じていないんだ」
私は姿勢を戻して、未だに両膝をついたままのギルバート様を見下ろす。
彼はほんのり頬を染めていた。
「まさか……そういうことですの?」
「あぁ、そういうことだ。もう気持ちを隠せない」
そう言ってギルバート様は眉間に深い溝を刻んだ。とても苦しげで、切なげで、熱く求めるような眼差しを私に向けた。
彼は口を開いては言い淀み、閉じては再び開いて言葉を探す。その度に黒薔薇の花びらが一枚ずつ消えていく。残り二枚……ギルバート様は絞り出すような声で、告げた。
「好きなんだ。どうしようもなく!」
一世一代のような告白。彼の青い瞳は今にも泣きそうなほど潤み、顔は真っ赤。
そうですよね。言いにくかったですよね。私は彼の勇気を称えたい。すかさず、フォローを入れる。
「罵られることが本当に好きになってしまったのですね。よく教えてくれました」
「違う! 俺が好きなのはルーナ嬢、君そのものだ!」
「えぇ!?」
ギルバート様が私を好きなんて、どう考えてもおかしい。
だって私は彼を罵り苦痛を与え、ときに褒めちぎって恥ずかしがらせるなど、屈辱しか与えていない。好きになるなんて無理がある。
「最初から君には好印象を抱いていたんだ。無茶なお願いでも馬鹿にせず、真面目に取り組んで罵ろうとしてくれただろう? 呪いのことが分かったあとでも見捨てずに付き合ってくれたし、何より褒めるターンのとき、これまでの罵りとのギャップもあり……甘い言葉に溺れて惚れてしまった」
「単純すぎません?」
「否定できない」
ギルバート様が奥歯をギリっと噛んだ。やはり好きになったきっかけが変態行為だった点については、悔しいらしい。呪いの黒薔薇の花びらが一枚消えて、残り一枚になった。
「それに好きだからって、服従の行為に抵抗を覚えないなんて……やっぱり変態です」
「くっ……それだけ好きになってしまったんだ! こんな変態になってしまった俺を、君は嫌いだろうか? 好きになってもらうのは難しいだろうか?」
好きか嫌いかを問われたら、好き。かなり好き。
しかし、英雄がこんな格下の令嬢と婚約するなんて周囲が許すはずがない。
「気持ちでどうにかできる立場ではありませんよ」
「身分差の指摘が怖いのか? 大丈夫、国王陛下も俺の両親も大賛成だ。変態行為にも健気に付き合い、呪いを解く力がある聖女だと皆が君を認めている。事情を知らない他の貴族に関しては、俺がベタ惚れだとアピールしてゴリ押しする!」
「やっぱり脳筋!」
「認めよう。俺は脳筋だ!」
この人、開き直ったわ! 最後の黒い花びら一枚が消えない。
どうしてこんなことに……と思ったけれど私の罵り方と褒め方に問題があって、ギルバート様を歪めてしまった結果だろう。これは開発した責任を取らなくてはいけない。
私は跪いたままのギルバート様の両手を引っ張り、ソファの隣りに座らせた。両手は繋いだまま、彼の青い瞳をじっと見つめる。
「ギルバート様、私もあなた様をお慕いしております。変態でも脳筋でも喜んで受け入れますわ。私と結婚してくださる?」
「――っ!」
私が求婚した瞬間、ギルバート様の左胸にあった最後の花びらが完全に消えた。
つまりこれは彼が望んでいない展開ということだ。
「まさか……私との結婚が屈辱なのに、思わせぶりなことを仰ったの!? もしかして最初からボケツッコミ作戦!? 酷いですわ!」
「違う! 呪いが解けたら俺から求婚しようと思っていたのに、君に先を越されたことが悔しいんだ!」
「では、嫌ではないのですね?」
「もちろんだ。嬉しくて堪らない」
ギルバート様は感極まった表情を浮かべ、私を分厚い胸板へと引き寄せた。想像以上の弾力だ。
「ルーナ、これからも俺に屈辱を与えてくれ」
「あらあら、仕方のない変態様ですこと♡」
こうして私は残念で可愛らしい英雄を愛でるという、素敵な一生を過ごすことになった。
この度は読んでくださりありがとうございます!
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