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立花 京子  作者: ぐんた
4/13

立花 京子4 ヒノモモ祭りと将棋

月曜日の朝、いつも通りポストのところに京子はいた。


「おはよー」

「おー」


揃い、学校へ向かう。


「昨日、練習試合したの?」


「うん、負けちゃったけどね」


「相手、強かったの?」


「一応、年上だったけど、どうかな?練習もっと頑張るよ。他の学校、朝練とかもあるみたいだし。」


「あー、ウチの学校、朝練できないもんね。」


「そう、集団登校しなきゃだから、早い時間に登校できないし。」


「ウチの地区2人だから、私はいいよ。啓太に合わせるよ。早い時間でも。」


えっ・・・・!?


「えっ・・・」思わず京子の顔を見上げる


「・・・・」 京子は無表情だ。


「早目の時間に行って、京子はどうすんの?」京子に尋ねる。


「頑張る啓太くんに、エールを送ります」澄ました顔で答える。


「・・・・・」


「・・・・・」


そんなことしてくれるなら、楽しそうだしやってみたい気持ちにもなるが。


「いや、いいよ。流石に悪いし、練習相手もいない時間に道場いってもすることないから。結局一人で練習するなら、朝早く起きて庭で竹刀素振りすればいいし。」


「そっか‥‥」




「京子‥‥今年は負けちゃったけど、来年は、俺が勝つから。」


「・・・・・??昨日の練習試合の相手?」


「違う。京子に。体力測定。」


「え‥‥‥‥?あ、うん」



京子の、一年の時の握力は35kg。俺は当時、25kgほどだった。


ハンドボール投げも、京子は26メートルほどで、俺は21メートルほどであった。


その他の記録も完敗だったが、男は中学で成長期がくる。来年には勝ってやるぞという気持ちがあった。




学校に到着し、俺と京子、それぞれの友人らが、俺と京子が険悪でない雰囲気でいる様子を見て、安心半分、退屈半分という気配をみせた。




そこから俺と京子は、互いを意識しすぎていた時期より前の、自然なやり取りを交えられるようになった、




迫る、紅葉祭りに向けて、互いの気持ちも既に確認済みの状況であったので、ジタバタせず、俺は穏やかに学生生活を送った。






そして、ついに、ヒノモモ祭り当日を迎えた。



俺たちの中学の、一年の中で最も大きな祭りがこのヒノモモ祭りだ。


紅葉が彩る日桃山のふもとに出店が立ち並び、夜は花火が上がる。


日桃山(おももやま)は、俺達の地元の山の一つだ。山頂には展望台が、中腹には池もある。山道も多く走っており、神社も山のふもとと、山頂付近に一つずつある。


日桃山のことは、みんな、"おもも"と呼んでいる。


ヒノモモ祭りは、10月最初の週末の、土日2日間に渡って行われる。


最初の土曜日が、いわゆる前夜祭のようなもので、日曜日が本祭だ。花火も日曜日に上がる。



俺と京子は、2日目の日曜日に、一緒に過ごそうと約束した。


ヒノモモ祭りの1日目は、俺は友人達と周る。京子の方も、1日目は友人らと周るらしい。






事前に、2日目に京子とヒノモモ祭りを周ることを友人の圭一達に伝えたところ、圭一達までやや興奮状態となった。


「もう、そこじゃね?言うなら」圭一が俺に推す。


「あぁ、ヒノモモ祭りの二日目に告る」俺が言い切る。


「どのタイミングで言う?花火まで待つ?」友人の一人の遠山聡太が詳細を詰めてくる。


「そこまでは決めてないけど‥‥暗くなってからがいいかな?」ある程度、出たとこ勝負になるのは仕方ない、のか?





そして今日、ヒノモモ祭りの1日目の午後、おもも山のふもとの神社の境内で、俺は友人達と待ち合わせした。


砂田圭一、遠山聡太、吉田良典こと、よっちゃん、水谷翔と俺の計5人だ。


俺が待ち合わせ場所に着いた時には既に、3人が待っていて、さらに2〜3分後に残りの1人も到着した。


「じゃ、テキトーに屋台見た後、とりあえず山頂行って展望台見る?」砂田圭一の提案に従い、縁日の雰囲気を楽しみながら、俺たちはおもも山を登っていった。


「啓太、明日立花に告んだろ?」山を登りながら、水谷翔が俺に聞く。


「うん。」


「なんつーの?」圭一が聞いてくる。


「‥‥俺、京子のことが好きだ。付き合ってくれ‥‥?」俺は首をかしげながら、答えた。フレーズはあまりしっくりこないが、大事なのはタイミングだろう、と思いたい。


「普通だね‥‥」よっちゃんが言う。


「もっと、幼馴染感だせよ」遠山聡太も言う。


「幼稚園の頃の約束、覚えているか?約束通り、京子、幼馴染はもう終わりだ。恋人になろう!」圭一が突然迫真の口上を始めた。


「「「「・・・・・」」」」みんな一斉に固まり、


「なんか幼稚園の頃に約束したの?」聡太が俺に聞く。


「え、なんも」


「「「「「笑笑笑笑笑」」」」」



俺たちは楽しく山を登った。




中腹までくると、そこでも屋台が出ているのが見えた。


池があり、広場があり、大きな蔵もある。


友人達と中腹の屋台を周っていると


パシッ


誰かに肩甲骨あたりを叩かれた。


振り返ると、本村クミ。京子の友人だ。


本村クミの後ろには、伊藤ひろ美と、山中鈴菜と、京子がいた。


俺の背中を叩いた本村クミが、楽しそうに、やほー♪と俺へ挨拶する。


「おう・・・」本村クミとはほとんど喋ったこともなかったので、俺はたじろいだ。なんだこいつ。


「京子、いるよ」嬉しそうにそう言って、本村クミの後方で恥ずかしそうにしている京子の方を指さす。


京子は照れ笑いを浮かべている。


急に、京子いるよ、と言われても俺も困る。


「おぉ・・・・」と、俺も照れ笑いを浮かべながら、京子に手を振る。


「明日、11時な・・・・」とりあえず、待ち合わせの確認をしてみた。俺は明日の11時に境内で京子と待ち合わせになっている。


京子はコクコクと照れくさそうに頷いた。


キャー、という声が聞こえてきそうな表情で、俺の横の本村クミが、両手を自分の頬に当て、目を瞑りぶんぶん頭を左右に振っている。


そして、こちらを向き直り


「じゃ、明日11時ね!」と、まるで本村クミが待ち合わせしているかのように、俺へそう言いながら、京子とその友人達を引き連れて、縁日の雑踏の中に消えていった。


突然の女子一派の襲来を終え、俺も圭一達の方を振り向くと、コイツらもニヤニヤしてやがる。


「なんだよ笑」 圭一達に牽制する。


「明日、11時な笑」


「明日、11時な笑」 


「明日、11時な笑笑」 


「明日、11時な笑笑」


圭一達が順番に俺の真似をし始めた。


「うるせーな笑笑」






その日は友人達と展望台まで見て周り、夜に解散した。



別れ際にも、圭一らには、月曜日に面白い話期待してるぞと、エール(?)をもらった。




その日の夜は、祭りで疲れていた為か、意外とあっさり眠れた。


そして、ヒノモモ祭り2日目。


流石に緊張していた。


俺は待ち合わせより30分以上も早い10時20分に境内に着いてしまった。


毎日顔を合わせて、ヒノモモ祭りにも何度も一緒に行ったことのある京子を待つのにこんなにもソワソワするのかと、自分が不思議だった。


中学生に、なったからだろうか?


やがて、京子が現れた。10時50分ごろだった。


中学生らしい、なんだかラメ入りのキラキラした装飾の入った紺色のカットソーだった。


下はデニムで、足の長い京子にはよく似合っていた。


「お待たせ」いつも通り、可愛い顔立ちだった。


「うん‥‥りんご飴、買う?」


「買お」


2人で屋台を周ることにした。







屋台を周りながら、俺はこの日までずっと考えていたこと提案した。



「なぁ、公民館の方、行かね?」


「公民館?」


京子は、不思議そうにしていた。


「うん。桃里公民館。」


「日曜、やってた?」


「公民館は休みだけど、行こうよ。」


「・・・・・いいけど。」疑問はあっただろうが、京子はそれ以上、尋ねてはこなかった。


なにか、俺がサプライズを用意しているのかと思ったのかもしれない。


まぁ、あながち間違ってはいない。


桃里公民館は、おもも山から少し離れた、町の外れにある公民館だ。



京子も俺も、おもも山にはそれぞれ自転車で来ていたので、自転車で向かうことにした


2人でりんご飴を食べながら自転車を漕いだ。


京子の自転車は、身長180越えの体に合わせてサドルも高い。癪だから絶対に乗りたくないが、きっと、俺が京子の自転車に乗ったら足が届かないだろう。


20分ほど漕いで、桃里公民館に到着した。


辺りには、全く人の気配がない。


公民館が休みである日曜日で、しかもヒノモモ祭りの当日に、町外れの寂れた公民館付近に来るものなどまずいない。


「こっち来て」俺は京子を誘い公民館の裏手の方に周り、公民館の裏にある倉庫の横に自転車を止めた。京子もそれにならい、自転車を俺の自転車の横に止めた。


「京子の自転車はそこに置いておいて。」と、京子に声をかけ、俺は一度止めた自分の自転車を、乗らずに手で引いて、公民館の倉庫の、何個かある窓の一つの前に立った。窓は、地上から1メートル60センチほどの、少し高い位置にある。


何をするの?といった雰囲気の京子を尻目に、俺は、窓の下のところに手で引いてきた自転車を置き、サドルと荷台のところに足をかけ、自転車の上に立った。こうすれば、公民館の倉庫の窓に手が届く。


俺は公民館の窓に体を押し付けて、窓の縁を掴み、気持ち、下から上へと少しスライドさせるような感覚で、体を動かした。


グッ、グッ。ガリッ。


外せた。


ここの窓だけ、窓の鍵が壊れかけていて、上手く力をかけると外からでも鍵が外れてしまうのだ。


誰が発見したのかは謎だが、俺と京子の母校である、桃中山小学校の男子児童の間では語り継がれている技術だ。


鍵を外した窓を俺は開き、自転車の上から中へ入り、京子に手招きした。


「ヤバ・・・・」 京子はそんな風に呟いてるように見えた。


京子は俺の手招きに少し不安そうな様子だったが、俺が大丈夫だから、と2度繰り返すと観念して窓の方へきてくれた。


「怒られるよ」京子は女子らしく、こういった行動には少なからずの嫌悪感を示していた。



この時、驚いたことに、窓に近づいてきた京子は、自転車に乗らずとも頭が窓の縁より上にあったのだ。


窓は地上160センチほどで、京子は180を超えているのだから、当たり前なのだが、改めて京子は大きいのだなと感じた。


「大丈夫だよ。日曜だし、ヒノモモ祭りしてるからこっちの方には人来ないよ。」俺が説得すると、やれやれといった感じで、京子は窓から離れ、自身の自転車の方へと引き返して行った。


「京子!?」俺は、京子が呆れて帰ってしまうのかと思った。



「自転車、隠す。」

そういうと京子は、自身の自転車を倉庫のそばの木の陰に隠し、続いて、窓の下に置かれた俺の自転車もそっちの方へと移そうとした。


「上がれないじゃん」俺がそう忠告したが京子は無視し、俺の自転車を手で引いていき、京子の自転車と同様に木の裏へ隠した。


「どうすんの?」自転車を隠し、窓のところまで戻ってきた京子に聞くと、


京子は窓の縁に手をかけ


「ほっ」


なんと、京子は自転車を使わずに、そのまま蹴上がりするように、ひとっ飛びで窓から侵入しようとしてきた。


縁にかけた手で体を持ち上げ、足も縁にかけて、京子は入ろうとしている。今日の京子はデニムだから、少し動きにくそうだ。


俺は京子の邪魔にならないように窓から少し離れ、落ちるなよ、と京子に声をかけた。


そして、京子は無事窓を乗り越えて、屋内に降り立った。



「すげーな」自転車無しで入ってのけた京子に、素直に称賛の言葉を送った。


「んー」京子はなんでもないような表情をしながら、手と、擦ったズボンを払っている。


京子と自身の、スケールの違いに少し物寂しい気持ちになった。


「中は土足でいい場所じゃないから、靴はここで脱いで」俺はそういいながら、自分が脱いだ靴を指さした。


京子はそれに従い、26.5センチの靴を脱ぎ、22センチの俺の靴の横に並べた。




「こっち来てよ」互いに靴下のみになった後、俺は京子を倉庫の奥へ誘った。


倉庫の中は、公民館で行われる催し物や、地域の行事で使用される用具類が保管されている。



倉庫は三階建てになっていて、俺は京子を三階の方へ案内した。


三階は、催し物の記録類が保管されている。


「これ分かる?」俺は、倉庫の奥に保管されていた、巨大な和紙に墨汁で魚が描かれた絵を、京子に見せた。


「あ‥これ‥小3のときのだっけ?」


「これは小2かな?俺が魚の口もと描いて、京子が、確か、背びれ描いてたかも。」地域の子達で描いた、巨大魚の墨絵だ。


「そうだ。・・・・あたし、結構上手いね。」たしかに、こうしてみると魚の背びれはとても綺麗に描かれている。


「口もと、タラコ唇すぎるでしょ笑」笑いながら京子は絵を見つめている。


「これは覚えてる?」俺は、奥の棚に飾られていたアルバムを見せた。


「あ、覚えてる。運動会の。こんなのあるんだ。」それは、公民館で行われた、地域のわんぱくスポーツ大会のハイライト写真集だ。


もともと参加人数次第で催される不定期開催で、少子化によりここ数年は行われていないが、俺と京子が小3の時には行われていた。


「京子、3年ー4年の部で相撲チャンピオンだったよな。3年生の女子だったのに。」


「啓太も、オタマにピンポン玉入れたまま平均台渡る?みたいなやつ一位だったじゃん」


「え・・・・?そうだっけ・・?」


「うん、一位だった。」そう言いながら、京子はアルバムをペラペラめくる。そして


「ほら、やっぱ一位!」京子がそう言いながら指さす写真には、ピンポン玉を入れたオタマを持ちながらピースをしている俺が写っていた。確かに、その俺は王冠を被っている。


"走れ!オタマすくい危機一髪!"と、写真の下に競技名のようなものがマジックで書かれている。


「ホントだ。全然覚えてねーや・・・」全く覚えていない。こんなこともあったんだな。


「啓太、これ超早かったよ」京子が言う。よく、覚えてくれてるものだな。本人すら忘れてること。


それにしても、こんな意味不明な競技でしか、俺は活躍できないのか・・・?


さらにペラペラとページをめくると


「「あ」」思わず2人で声を出してしまう写真があった。


それは、俺が出場した借り物競走での写真であった。


俺のお題は、"30センチ以上の靴"であった。


このカードを引き当てた俺は観客席の方へ走っていき、30センチ以上のくつの人〜!!と呼びかけた。


そこで観客席から飛び出てきたのは、京子の父親だった。


娘の京子が参加する、わんぱくスポーツ大会を見にきていたのだ。


2メートル、7センチとか8センチという京子の父親の靴は、34センチと文句なしの大靴であった。


京子と幼馴染である俺のこともよく知っていた京子の父親は、「啓太くん、しっかり掴まって」と言い、俺を抱えながら恐ろしい速さでコースを駆け抜けてダントツの一位を俺にプレゼントしてくれた。


その時の写真が、アルバムに載っていた。


俺と、しゃがんだ京子の父ちゃんが並んでピースしている。


「京子の父ちゃん、めっちゃ凄かったよな」


そう言う俺の言葉に京子は「ちょっと、恥ずかしかったけど笑」と、笑いながら応えた。


京子の父親は体格もさることながら、医者であり頭も良い。たまに京子の家で会うと、落ち着いていて、品があって、顔も端正でオーラが出ているようにすら感じる。


京子も物凄く勉強が出来る。京子は母親も医者なのだ。


医者の家系に生まれた京子だが、将来、京子も医者になるかは、まだ深く考えていないと言っていた。


小学校でも、中学校でも、基本的にテストはいつも、京子が学年1位だった。


ちなみに、俺は100人ちょっとの学年で、いつも40番から60番らへんをウロウロしている。


真ん中くらいと言うことだ。



「こっちのベニヤ板は、去年のだね」京子が言う。アルバムを見終えた俺と京子は、さらに物色を続けていた。


このベニヤ板は、去年、俺と京子が小6の時、ウチの地域に、テレビでたまに見る芸人が地方巡業で周って来た時に、舞台で使っていた備品だ。


正直、このベニヤ板はさほど記録的なものでもないだろうから、保管してあると言うより、去年のだからまだ処分されてはいないと言ったところだろう。


「あの芸人、テレビで見るより面白かったよな。」


「うん。面白かったね。」



京子とは、いろいろな行事に参加してきたから、ここに来ると思い出がたくさんある。


昨日圭一達にも言われた "幼馴染感のある告白" これでちょっとそれっぽくなるか?



もう、今告白しちまうか?




うーん・・・・。



ただ、この期に及んでまだ、俺には幼稚なプライドが残っていた。



京子に、しっかりと俺が優位な立場であることを示して付き合いたかったのだ。


男のプライドか、中学生男子のプライドか、分からないが。


京子はいつも、"どことなく手に負えない"ようなオーラを放っている。


さっきの、この倉庫の中への入り方もそうだが、勉強もスポーツも、並外れた先で、さらにもう一段階飛び抜けたような能力を示してくる。


京子は京子自身に、どう言った意識を持っているのか分からないが、


京子になかなか彼氏ができない理由は、どの男子から見ても、京子が自分のものになる気がしないからではないだろうか。



今日俺は、少し小細工を用意した。


それはとても、とても情け無い小細工なのだが、告白という決戦を前に、少しでも、十全十美、無敵超人の京子に傷をつけたかったのだ。


少しでも、京子をやり込めてやりたい。そして、その上で、愛を伝えたい。






そして、倉庫の物色を続けて行くうちに、俺が仕掛けを打った棚の付近へと、京子が近づいてきた。


そして、京子が棚を開けると、すかさず


「何がある?」と俺は京子に尋ねた。


「えっと、なんだろ。木の板・・・ボード?」そう、ボードのような、"それ"。"それ"が何かは、俺は承知している。


「ボード・・・?出してみて」"それ"は俺が事前に仕込んだものだ。あくまでも、自然に、俺が用意したと絶対にバレないように、あえて京子に発見させて、棚から出させる。


「横に、箱がある」京子は俺に伝えながら、棚からボードと小さな木箱を出し、俺に見せた。



そして、京子は、自ら木箱を開け、


「将棋だ」


と呟いた。



そう、これが、俺の仕掛けた小細工だ。


実は俺は、小学校5年生くらいの時からちょくちょく近所の将棋クラブにも遊びに行くようになっていた。


月1〜2回ほどで剣道みたいにガッツリやっているわけではないのだが、時々クラスでガッツリ将棋を習ってるやつと遊びで指したりもする。


小学生のとき放課後一度だけ、将棋が趣味の教頭先生とも指してもらったりもした。




「将棋じゃん」白々しく俺は言う。


京子はぼんやりと将棋板を見ている。


「せっかくだから、一局打とうぜ」


「ルール、分かんない笑」


そう、京子は、将棋をしたことがないのだ。


京子に手ほどきしながら2〜3局打って、日も暮れた頃に祭りに戻って花火を見ながら告白だ。


これで行こうと考えていた。


こんなことでどれほど俺の気が楽になるのかは分からないが、それでも、なんでもこなす京子相手に俺の方が先生という状態になりたかったのだ。




「相手の王を取ったら勝ちだよ。並べた方はこうで〜〜駒の動きは〜〜歩を縦に2つ並べちゃダメで〜〜相手の陣地に入ったら駒を裏返して〜〜」



京子は黙って俺の説明を聞いてくれた。


上手く説明出来たかな?


「どう?一回やってみよ」


「うん。」


とりあえず一通り説明したので一局打ってみることにした。




まずは俺から先攻で、適当に自陣の金をあげてみた。


この一局は勝ち負けよりも、京子が将棋を覚えることに気を向けたい。


京子も、なんとなく、といった様子で、王の正面の真ん中の歩を突き出してきた。


当然定石も何も知らない京子はその後も、手当たり次第適当な動かし方で、桂馬や飛車などを前へ進めていった。


俺は1回目はあえて攻めず、自分の守りも崩して、好き放題に攻めさせ、「成る」や「持ち駒」といった概念を京子に理解してもらった。


京子は、銀が真後ろに行けないことと桂馬が何マス飛び越すかだけをそれぞれ一度ずつ忘れていたが、他の動きは全て俺の最初の説明で覚えてくれていた。




「もう、俺の王の逃げ場はないから、京子の勝ちだよ。」


適当に攻め立てさせて1度目は京子に詰ませてあげた。


「どう、分かった?」


「なんとなく」


「じゃ、次は俺からも攻めるよ」


「うん。攻めて来て。」言われなくても、今日、将棋の後で、13年間の中で最大の攻めをみせるつもりだ。


将棋を並べ直し、再び打ち始める。


「最初、普通どうするの?」京子が序盤の定石を尋ねてきた。もちろん、京子の中に"序盤の定石"という概念や言葉はないだろうが、聞いているのはそういうことだろう。


「たいていは、守りを固めるか、飛車の正面や角の斜め前の歩を突き出して"強い駒"の道を作るかな?」


それを受けて京子は飛車の前の歩を突き出して来た。




じゃ、まぁ、今回は、ガッツリ攻めて一発やり込めてやろうかな?


将棋とは、負けると非常に悔しいものだ。


何を賭けているわけでなくとも、負けると、知力で負けたような気がしてとても悔しい思いをする。


京子が将棋で負けたらどんな表情をして、どんなことをいうのだろうか?


勉強で負けたことのない京子だと将棋で負けた時のショックは人一倍だったりして。


知恵比べで負けることへの免疫がついてなかったりとか。



俺はワクワクとドキドキを織り交ぜながらゴリゴリ棒銀を仕掛けた。



将棋という競技では、"棒銀"すら知らない初心者は、ハメ殺しにあってなす術なく制圧される。


"棒銀"は最も初歩的で基本的な戦術なので、対策を怠るプレイヤーはまずいないが、今の京子のような超初心者は対処のしようがないだろう。


かくいう俺も、戦術は"棒銀'くらいしか知らないし、"棒銀"を捌かれた後の乱戦はいつも出たとこ勝負でその場その場で考えながら指してる。


全然俺もまだまだ、初心者のレベルではある。




俺の"棒銀"を食らった京子は、将棋を始めて初の、長考に入った。


なぜなら、俺の"棒銀"はすでに完全に決まっており、京子は初心者らしく、次の俺の手番で俺に角をタダ取りされる。


いまさらどれだけ長考をしてももはや角は助からないのだが、初心者である京子はどうにか解決できるのではと、目の前の困難に意識を集中させている。


「もう、角は死んだよ」と、俺が答えを告げると


「こうやって攻めるんだね」と、京子はしょんぼりした声色で返した。


その後、俺は定石通り角をタダ取りしながら、飛車を相手陣地にねじ込んで龍に変えた。


この後の定石などは全く分からないが、圧倒的優位な状況に盤面をメイクしたので、いつも通り、その場その場で考えながら指す。手なりで指すっていうのか?こういうの。


相手の桂馬や香車を平らげながら、京子を詰めて行く。


ここまで来たらもう、こちらが負けようもないのだが、京子はじっくり考えながら指してくる。


精一杯、金と、銀と、飛車を使い王を守ろうとしてくる。


ここで違和感を少し覚えたのだが、京子は、普段俺が一緒に指す同レベルの同級生とかクラブの子とは、だいぶ違う指し方をするのだ。


具体的に言うと、同級生やクラブの子は金や銀で王への壁を作るように指すのだが、京子は、金や銀を囮に王を逃すように指す。


これは、京子が初心者だから不思議な指し方をするというよりも、むしろ、大人や先生達がするような指し方への既視感を感じた。


事実、俺は圧倒的に優位な盤面なのになかなか王が寄せられない。


金も銀も囮にし、京子は強い駒も失い明らかにジリ貧なのだが、どうも詰ませられない。


捕まえられない京子の王に苛立ちを感じ、俺は持ち駒もふんだんに使い強引に詰ませようとするが、京子の王はスルスルと逃げていき、なんと、俺の陣地に入ってきた。


いわゆる、入玉というやつだ。


「王も裏返るの?」京子が尋ねる。入玉するほどもつれ込むと思っていなかったため、王は裏返らないということはわざわざ伝えてはいなかった。


「いや、王に成りはないよ」俺は、少し小さな声で答えた。

 


俺は、なんだか嫌な予感がしていた。


今回もまた、京子は俺の想定のを超えてくるのではと。


いや、少なくとも、すでに入玉を成した時点で京子はもう俺の想定の外にいる。


とりあえず、俺は自陣の銀を突き出して入玉してきた京子の王に王手をかける。



そこからさらに京子は長考を交えながら、持ち駒も駆使しつつ、王をギリギリのところで逃がしていった。


しかし、ようやく


「詰み・・・・?」俺は京子の王をやっと捕らえそうつぶやいた。


「うん。もう逃げれない」京子も保証した。この時の京子の言い方は、まるで、自分の王はこの形で死ぬことを、俺が気づくよりも何手か前の時点で見えていたように聞こえて、少し不穏に感じた。



この2局目で京子は完全にルールを把握したことを示していた。


もちろん、千日手や打ち歩詰めなんかは俺もよく分かってないので教えていない。


なので、本当に完璧というわけではないが、普通に対戦する分には支障がないほどになっていた。




俺は京子の2局目での王のしぶとさに強い恐怖を感じていた。


序盤の、定石でのハメ殺しがあったから終始こちらが優位であったが、後半の部分だけを見ると、明らかに京子の方が先の手を見れていた。


自分より遥か格上の人物に、駒落ちで相手をしてもらっているかのような錯覚があった。



「もう一回しよ」京子は平坦な声で静かにそう言った。



"京子は将棋で負けたらどのような反応を示すのか"という俺の疑問についてだが、


おそらく京子はまだ、自分が負けたとは思っていないように見える。


まだチュートリアルの途中で、将棋を覚えている段階の心づもりなのだろう。


事実、まだ2度の試合しかしていないのでその感覚は正しい。



だが、京子はもうーーー



"もう一回しよ"に対して俺はまだ返事をしていないが、京子はすでに2試合目の盤面を崩し、新たに駒を並べ始めている。




強い違和感と、気味の悪さはあるが、まだ、まだ、俺は勝てると思っている。


ここで、"そろそろ祭りに戻ろう"というのは簡単だが、まだ、京子をギャフンと言わせられていない。


京子も将棋のルールについてはもう、俺と同程度の知識を得たのだから、次に負けたら、さすがに悔しさを感じるはずた。


将棋を把握し、ゲームを理解した感覚があったからこその"「京子から」のもう一回しよう"のはずだ。



今の試合で、手応えがあったのだろう。京子。


だけど、将棋はそんな甘いものじゃないぜ。鼻を明かして、ギャフンと言わせてやる。


手応えと自信を持ったところを倒してこそ、先生と呼ばせて手ほどきを受けさせられるってものだ。






駒を並べ終えて、先攻後攻を決めるジャンケンをし、結果、京子が先攻で攻めてきた。


京子は、先ほどオレが見せた"棒銀"を使ってきた、


"棒銀"の捌き方なら分かる。というか、他の手筋の捌き方は何一つ知らない。


京子が俺の見様見真似で棒銀をしてきたことに、どこか安心を覚え


「それ、棒銀っていうんだよ」と、早速先生ヅラをして見た。


「ボーギン・・・・」京子は反復した。


「銀で棒みたいにまっすぐ特攻するからかな?」


俺はそういいながら、守りの型であるヤグラも組み始めた。


とりあえず、この局は絶対に勝つ。




京子の棒銀がグングン突っ込んでくる。


棒銀は手が早いのでまだ俺のヤグラはできていないが、とにかく丁寧に棒銀を捌こうと駒を動かした。


京子の方棒銀が俺の守りにぶつかり、一旦停止する。


しかし、そこから京子は長考に入り、じっと盤面を見つめた。


俺からすれば、この後の京子のするべきことなんてほぼほぼ決まっているのだが、初心者だからじっくり考えるのかな、などと思った。



そして、京子はこの後、桂馬道を開けて、角道を開けて、攻めの姿勢を俺に示した。



棒銀としてはありがちな手筋なのだが、それは、裏を返せば京子がわずか3局目にして、"ありがちな定石"の手筋に、指導を受けるわけでもなく自力でたどり着いたことを示していた。


もはや、京子の手筋は"今日将棋を始めた初心者"の手筋ではなかったのである。


俺は守りを固めつつ、京子の棒銀を捌こうとした。


しかし、京子の棒銀は、俺も知らないような複雑な手順で、捌いても捌いても、強引に攻め込んでくる。



互いの持ち駒が激しく入れ替わり、京子は飛車道や角道も細やかに何度か移し、俺も攻め入れられないよう必死に捌いたのだがーーー


パチリ


京子の持ち駒の銀が、俺の陣地内にノーマークで打ち込まれた。


俺の守りが、破られたのだ。


京子は、氷のように冷たい表情で盤面を見ている。


俺よりも、遥かに深い穴を覗き込んでいるのだろうか?


銀が差し込まれた後は、内側から守りを乱され、さらに互いの持ち駒が激しく入れ替わった。


そしてーーー


「王手」 京子が、俺に王手をかけた。


まだ、到底詰みではない状況ではあるが盤面は完全にこちらが劣勢だった、というか、一方的にこちらが攻め立てられていた。


俺は、頭が真っ白になっていた。


俺は手を抜くことなく、真剣に指した。


だが、たった3局で、京子は俺を負かしてしまうのか?


さすがに信じられなかった。


「マジで、将棋初めて?」俺はポツリと尋ねた。質問するつもりはなく、独り言のつもりだった。いや、むしろ、声に出すつもりもなかったはずなのに、俺の口から溢れていた。


「うん。」京子があっさり応える。


そうだ。京子が初めてというなら、初めてなのだ。瑣末な見栄を張ったり誤魔化しをする女じゃない。


ただ、とても賢い。それだけなのだ。


京子の王手から逃れるために、俺は王を動かした。


すると、京子はそこから長考を始めた。


ハッキリいって、情けない話だが、そんなに考えなくてもこの局面からなら適当に指すだけで俺を詰ませられるだろう。


そう思いながら京子の長考を待った。


そして、長考のあと、ついに京子は手を動かし、やや不自然な所へ銀を持ち駒から打ち込み


「王手!」


京子の長考の末だ。何かあるのだろう。俺も、俺なりに考えながら王を逃す。


さっきの京子のように鮮やかに逃げ、入玉し、あわよくば逆転してやる。


幸い、先ほどの京子と違い、今回の俺は持ち駒がそれなりにある。


そう企んでいた俺だったが、


「王手」


「王手」


「王手」


「王手」



「・・・・・・」


「・・・・・・」


詰んでいた。


京子は先ほどの長考以降、ノータイムで指して完璧に俺を詰ませた。


最初の王手から合わせて、6手詰め。


完全に読み切っていた。俺は、まだ詰まないと思っていたのに。



京子の指し方は、途中、躊躇なく角の成った馬を捨て駒にするほど、自信を持った指し方だった。





"詰んでいる"とも"参りました"も言わず俺は盤面を崩し、



「もう一回やろ」とだけ言い駒を並べ直し始めた。



それを見て京子は、「そろそろ、祭りに戻ろうよ」と俺に言った。



俺は努めて静かに、もっかいだけ、と返したので、京子は分かったよと承諾した。






4局目、俺は自陣の守りを囲わず、まっすぐ棒銀で攻めていった。京子はそれを完全に捌き返してきた。


先程の俺の捌き方を踏まえて、さらに京子なりの考え方で捌いているのだろう。


完璧な捌き方であった。棒銀を止められた俺は、もう攻め方も分からなかった。



仕方ないので、次は京子の攻め込みのミスを待つか、京子の棒銀を捌く過程で手に入った持ち駒でどうにかしようと考えていると、


京子は、棒銀ではない、別の攻め口を見出し始めていた。


俺の棒銀を捌いた後、京子はまた長考をし、なんと、飛車を中央に、つまり、王の正面に移動させた。


中飛車だ。


初心者にとっても、想像に難くない手ではあるが、俺は絶望的な気持ちになっていた。


中飛車の防ぎ方も、ある程度は分かっているつもりだが、より把握していたつもりの棒銀でさえ京子に突破されたのだから、不勉強の中飛車なんか、きっと楽々俺の守りを崩すだろう。


京子は不勉強どころか、初学にも関わらず、だ。


案の定、京子の中飛車は、ジリジリと俺の防御を突破しつつあった。


互いに、盤の中央に多くの駒をつぎ込んで総力戦。


だが、どう見ても俺の守りの駒の数が足りない。


どう見ても、こちらが1手、いや、2手は遅い。


突破されるのは時間の問題だ。


俺は、悔しくて、辛くて、涙が出てきた。


京子をやり込めたくて、下手な小芝居と小細工まで打って用意した将棋で、


小学5年生の時から、ちょこちょこやってきた将棋で、


ルールを覚えたばかりの京子に、


俺の攻めは完全に防がれ、京子の攻めは完全に通り、


俺は京子よりも背が低く、体力測定の項目も全て負けているのに、


将棋まで、



将棋とは、負けると非常に悔しいものだなぁ。


目の前が滲む。盤面が見えない。


何を賭けているわけでなくとも、負けるとーーーいや、俺は男としてのプライドを賭けていたのか?ーーーーいや、全動植物随一の知能を有する、霊長類としての誇りを互いに賭けていたのかもしれない。



あぁ、京子は、賢い。まさしく霊長類なのだ。


俺は涙を零しながら、負けに向かって指す。


もう、京子の中飛車は始動している。いまさら防ぎ手は間に合わない。


京子の桂馬が跳ね、京子の銀に差し込まれ、京子の持ち駒の歩が打ち込んできて、そして、ずっと中央で睨みを効かせていた京子の飛車が、ついに俺の陣地に突っ込んで龍と成った。


「王手」京子の龍が俺の王をまっすぐに見据えて、王手となる。


直感で分かる。俺は、この局も負ける。


中飛車が中央から突破しきって龍と成ったなら、初心者同士の戦いではもう、勝負は決まったようなものなのだ。


正確な詰み手順などは、まだ今の俺には分からないが、きっと将棋ソフトなんか使えば詰み手順も出てくるのではないだろうか。


もしくは、京子には既に、詰みの手順が見えているのか?


実はもう、俺は7手先、8手先で詰んでいるのか?


もはや、俺の勝ち負けではなく、俺の負け方にばかり意識が向いていた。


京子に勝つなんて到底無理なのだ。


盤面が歪み、世界がグニャグニャになる。


涙を零し、鼻水を啜りながら、俺は王手を受けた王を守るように持ち駒を置いた。



「王手」 それを見て、京子はノータイムで、一見すると無駄駒に思えるような王手を仕掛けてきた。


俺の王の真横に金を打ってきたのである。その金を一目見た感じでは、紐もついていない。


俺の王にタダ取りされてしまいそうな一手である。


だが、きっと、この無駄駒の誘導に引っかかってはいけないのだろう。


この無駄駒のように見える一手が、妙手なのだろう。


しかし、この金をあえて取らずに王を逃しても、逃げた先であっさり詰む手筋が俺には見えてしまった。


つまり、見え見えの罠であるこの金を取る以外に、俺の選択肢はない。


この金を取ったらどうなるのか?


俺は、長考していた。


グスッ・・・・グスッ・・


公民館の倉庫の3階に、俺鼻水を啜る音だけがコダマする。


俺の長考を京子は黙って待っている。


俺のぐずり泣く音を、どう思って聞いているのか。


そして、ある瞬間、ハッキリと見えた。


一度見えてしまうと、容易く理解できる。


俺は完全に詰んでいた。


今回は5手詰めだ。京子の打った誘いの金というヒントがあって、ようやく俺は見通すことができた。


やっぱり完敗だったのだ。


何手前から、京子は詰みに気付いていたのだろうか。


飛車が俺の陣地に突っ込み、龍になったときだろうか?


それとも、飛車が俺の陣地に突っ込めることを確定させた、銀差しのときだろうか?


もしくは、もっともっと前の段階から・・・・?



とっくに死んでいるのに、それに気づかず懸命に打つ俺は、京子からはどう見えただろうか?


王手のかかるあからさまな王の腹への金打ちでやっと異変に気づき、長考を始めた俺の鈍さに、京子は呆れたのではないだろうか?


何を思いながら、今の俺の長考を待っているのだろうか?


俺は自分の無様さへの絶望と、京子への畏怖と、悔しさと、どうしようもなさで、いっそう激しく涙を溢れさせながら、震える手で、王の横に打たれた京子の金を取った。



「王手」 案の定、京子は俺の読んだ詰みの手順通り、次の一手を指してきた。


もはや、試合は終わっている。


しかし、"参りました"も"もうムリだ"も、ゲームの敗北を認める言葉がどうしても口から出てこない。


言いたくない。認めたくない。負けたくない。


それ以上に、今声を発したら、そのまま俺は大号泣してしまうだろう。


俺は、ただ黙って、詰みの手順に沿って自身の王を逃した。


「王手」京子は誤らず正確に次の詰め手を指してきた。





俺は将棋盤を払い飛ばし、京子に飛びかかった。



吹き飛ぶ将棋盤の床を転がる音と、チャラチャラと飛び散る将棋駒の音と、京子の悲鳴が倉庫内に響き渡る。


それらの音をかき消すように、少し遅れて、号泣するおれの鳴き声も響く。


「うわ〜ん!!あぁ〜ん!」俺は言葉もなくただ泣き叫びながら、京子の顔を叩き、仰向けに倒れた京子の上に馬乗りになって京子を叩いた。


俺に馬乗りになられた京子は、腕で俺の攻撃をガードしてきたので、俺は京子の腕を何発も叩く形になった。


「やめて!啓太やめて!!」京子の叫びは悲痛だったが、俺は頭が真っ白か、真っ赤か分からない色になっていたので大泣きしながら容赦なく拳を振るった。


学校の時とは違い、助けも仲裁も入らない状況であった。


すると、京子は俺に馬乗りになられたまま体を反らし上げ、体を揺さぶり、俺を振り落として俺の下から脱出した。


体重30いくつの俺のマウントを、体重60は超えていたはずの京子が返すのは、造作もないことであっただろう。


馬乗り状態から脱して立ち上がった京子に、俺はなおも殴りかかり、京子の耳元を平手打ちした。


それを受けて、いよいよ京子も、無言で叩き返してきた。京子は拳を振り上げて、ハンマーのように振り下ろして俺の首元を打った。痛いような、痛くないような、俺は興奮状態でガムシャラだった。


一つだけ、一瞬だけ、ハッとした気持ちに俺をさせたのは、京子もボロボロ涙を零していたことだ。


しかし、勢い付いていた俺の、京子の涙への戸惑いは、刹那で激情の海に飲み込まれ、首元を京子に叩かれた返しに俺の足裏で京子の太ももあたりを蹴っ飛ばした。


かなり思い切って蹴飛ばしたつもりだったが、いかんせん体重差のせいか、京子は少しよろけただけで、逆に今度は、京子がその長い足で俺を蹴っ飛ばしてきた。


バシンと、良い音と共に俺の、お尻というか、太ももの付け根辺りに京子の足の甲がぶつかった。


音は大きく、体重差のせいで俺はかなりグラついたが、あまり痛くはなく、バラエティー番組などで見る芸人のお尻を蹴飛ばす演出は、見た目ほど痛くはないのだなと、この瞬間だけ妙に冷静に思った。


「啓太!もうやめよ」俺が京子の蹴りでグラついて、互いの攻防に一瞬の間とわずかな距離ができたので、京子が泣きながら和平を提案してきた。


「うるせー!!」俺はガキ丸出しの荒くれ方で、なお京子に突撃し、片手で京子の髪を掴んで引っ張りながら、空いた手で京子の肩元や、背中や、胸元を叩いた。


「ちょっと!やめて!」京子は叩いてくる俺の攻撃を懸命に、できる限り腕で遮りながら後さずりしていった。しかし、髪を掴まれていると頭部を動かすことができないようで、かなり辛そうであった。


「もう!」髪を掴まれていることにかなりの不快感を感じたようで、京子からも張り手のようにビンタが飛んできた。顔や胸元を叩かれ、ちょっとは痛かったが、俺の興奮は冷めやまない。


しかし、次の瞬間、京子から膝蹴りが飛んできた。


互いにかなり密着していたことと、身長差の問題で京子が軽く膝を上げるだけで膝が俺の鳩尾に突き刺さった。


京子も、明確に膝蹴りを狙ったというより、俺からの攻撃を防御するような意識で膝を上げたら、俺の腹部に刺さったというような感じに思えた。


この膝蹴りが痛烈であった。鳩尾に入った強烈な一撃は俺の呼吸を止め、俺は思わず京子の髪を離し、うへぇあぁ、とえずきながら腹を抱えて後さずった。


そこで二人の間に距離ができた。膝蹴りの痛みで俺は腹部に力を入れられなくなっていた。吐き気がした。


俺は京子を睨みつけ、京子も俺を悲しそうに見つめてくる。


フーッ、フーッと、互いの乱れた呼吸音だけが響く。



この数拍の間に少しだけ頭の血が降りた。


飛び散った将棋の駒と、振り乱れた京子の髪と、京子の泣き顔を見て、俺は、再び泣き出しながら、記録保管室を飛び出した。


倉庫の階段を駆け降り、侵入した窓際まで来て、靴を履き、窓から飛び降りて木の陰に置かれた俺の自転車に乗り、俺は泣きながら家へ帰った。倉庫から出た時にはもう、日は暮れていて、家に着いた頃に、おもも山の方で花火が上がっているのが見えた。



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