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立花 京子  作者: ぐんた
12/13




俺はこのゴールデンウィークの中で京子に会いに行くことを計画した。



もともと、ゴールデンウィーク中は友人や家族と出かけるかもしれないと思い、あまりシフトは入れていなかった。



自分の誕生日もあるし。



ゴールデンウィーク中の俺のシフトは、4月30日と5月1日の、出だし2日だけだ。



バイト先は外国人と地域のおばちゃんばかりだったので、ゴールデンウィークでも構わずみんなシフトに出てくれる。



休みが取りやすくて助かった。きっと、若者の多い居酒屋やカラオケのバイトだとこうはいかないだろう。





京子も、多分、今はどこかの高校に通っているとは思うから、ゴールデンウィーク中の方が会ってくれやすいかも?








とりあえず、まずは、京子の情報集めだ。





俺は親に、立花家がどこへ引っ越したのか尋ねてみた。




京子に関する話題は、もはや我が家ではタブーのようになっていたので、俺の質問に親はギョッとしていた。






親の話によると、京子は、中学を卒業するまでは、県内の少し離れた中学に通っていたらしい。



文化祭の事件のあと、京子も入院し、そして3週間ほどで退院した後、県内のどこかの中学校に転校し、そこの普通の生徒達と同様に、どこかの高校を一般受験をしたそうだ。



高校入試は2月にあったので、日程的には十分間に合うが、ずいぶんタフなスケジュールだ。



京子にとって、文化祭の日から中学を卒業するまでの4ヶ月間は怒涛の日々だったろう。




京子はどこの高校を受けたのか?



当初予定していた、第一菅山高校ではない。


というか、県内の高校ではないようだ。



第一菅山を始めとする県内の各高校に通う俺の中学時代の友人達の話だと、京子はもう、県内にはいない。



中学卒業後に、京子がどこへ行ったのかをさらに親へ尋ねると、



もう、立花さんのところとは関わらないで、と悲しそうに母に言われた。



母は、息子を障害者にするほど痛めつけた京子を恨んでいるのだろうか?



いや、恨んではいない気がする。


恨み、とは違う。



母は今、不安を感じているのだ。



母も、文化祭の事件のことは、俺に非があることを分かっていると思う。


俺も山下大介を病院送りにしてしまった。



母も、京子とウチのリビングで何度も一緒にご飯を食べた。



京子のことを幼い頃から、大人の視点で見てきてもいる。



母も、決して京子が"絶対悪"なのではないことを重々承知している。



むしろ、歪んでいるのは息子である俺の方だと、そこにさえ気づいている気がする。



だから、また俺の口から京子の話が出てくるのが、不安なのだろう。



俺は母の渋りに、分かった、とだけ返しその場では母を安心させた。








仕方ない、親に頼らず別の手段で探すか。




俺は伊藤ひろ美とコンタクトを取ろうとした。


京子の、中学時代の部活メイトであり親友だ。


中学卒業後にも、伊藤ひろ美は京子と会ったことがあるというウワサも聞いた。




俺は中学の友人達を頼り、伊藤ひろ美に繋いでもらった。




中学時代の友人達や、伊藤ひろ美は高校生になってから携帯を手に入れ、必要な時にはそれを使って互いに連絡を取っていた。



友人達がみんな携帯を持っているのを始め見た時は、ちょっとした浦島太郎気分だった。



俺はずっと入院していたため、携帯は持っておらず、バイト代が貯まったら買ってみようと考えていた。





俺が、今の京子がどうしているか気になる、と友人達に正直に伝えたので、



俺の中学時代の友人である、よっちゃんこと、吉田良典が伊藤ひろ美に携帯を使って尋ねてくれた。





伊藤ひろ美によると、京子は県外の、遥か遠くの高校に進学したらしい。




学校の名前は伊藤ひろ美も知らないようだったが、どこの県に京子がいるのかは分かった。



俺たちの県から、電車や新幹線を使っても半日ほどかかるくらい、遠い県だった。



だが、その県にいると聞いた時、俺は一つの気づきがあった。





多分、確か、おそらく、曖昧だけど、京子の父方の実家がその県だったような気がした。



つまり、京子のおじいちゃんちだ。



一度だけ、俺も行ったはずだ。


小学生の頃、あれは、2年生の頃だったと思う、夏休みに京子の田舎の親戚の家へ、俺も一緒に連れて行ってもらったような。1泊2日で。



確か、朧げだけど、その県だった気がする。


小2だったのでハッキリとは覚えていないが。


確かに、新幹線にも乗ったし、車にも長く乗っていた気がする。




伊藤ひろ美も、京子とは中学卒業後に一度会っただけで、京子の近況とかは特に知らないようだったので、知れたことはそのくらいだった。



俺は繋いでくれたよっちゃんにお礼を言い、伊藤ひろ美へのお礼の言伝も頼み、家に帰って物置でアルバムを調べた。


俺の部屋に置いてあるアルバム以外にも、京子とのアルバムはいくつかある。





そして俺は、あるアルバムを見つけた。


やっぱり小学2年の時、夏休みに、俺は京子の親戚の家へ遊びに行っていた。



幼き俺と京子が、無邪気に可愛らしく仲良く2人でカメラに向かってポーズをとっている写真が何枚もある。



背景はこの辺ではない、どこか遠くだ。



そのうちの写真の一つに、大きな仏像と一緒に写真を撮っているものがあった。




この大きな大仏、全く覚えてはいないが、この地域の観光名物かなんかか・・・?



俺はパソコンで、京子が今住んでいるという県の観光名所と大仏を調べてみた。



すると、やはり、アルバムで見つけた幼き俺と京子と共に写る大きな大仏は、その県の、とある地域の、ややマイナーではあるが、観光名所の一つだったらしい。



"矢目の大仏(やめのだいぶつ)"というらしい。



九竹市(くたけし)、そこの観光名所が、この"矢目の大仏"だ。



ならば、京子の祖父の家は九竹市にあるのかもしれない。



そして、京子は今、そこに住んでいるのかもしれない。





不確定要素は多くあったが、俺は荷造りをし、5月3日の早朝に九竹市を目指して家を出た。



バイトをしていたおかげで、交通費くらいはある。



今の俺の体は自転車にも乗れないので、バスに乗って最寄りの駅まで行き、そこから電車に揺られて新幹線のある大きな駅まで向かった。



そして、新幹線に乗り、遥か遠くの、九竹市を目指した。




長い移動時間の中で、本当に京子はそこにいるのだろうかという疑念と、いたとして、俺と会ってくれるのだろうかという疑問がずっと渦を巻いていた。







移動時間は長かったが、俺が早朝に出た甲斐もあって、昼前には新幹線が九竹市のある県の主要駅まで着いた。



そこから俺は、九竹市を目指してローカル線に乗り換えて、電車に揺られながら向かった。



1人でこんなに遠くまで来たのは人生で初めてだったので、どことなく夢見心地であった。




そうして、俺は九竹市に着き、そこからどうするべきか悩んだ。



策の一つとして、この地域の中で最も学力の高いらしい、西中津高校とやらの吹奏楽部を調べてみようかと思った。




吹奏楽部なら、もしかしたらゴールデンウィーク中でも練習をしていて、西中津高校まで行けば京子を見つけられるかも。京子がいさえすれば、どれだけの人混みの中でも、一発で分かる。


遠目でも、あんなに分かりやすい人はなかなかいない。



俺は駅構内の蕎麦屋で腹ごしらえをした後、西中津高校の場所を調べるために、駅近くの図書館に入った。



俺はまだ、携帯も持っていなかったので、九竹市近辺エリアの地図を調べた。






現在地を確認し、次は西中津高校の場所だなとページをペラペラめくっていると、たまたま"矢目の大仏"の文字が目に入り手が止まった。



幼少期の俺と京子が、共に写真を撮っていた大仏だ。




ここが"矢目の大仏"か・・・



もし今回京子に会えなかったら、ここだけでも観光がてら見て帰るか、



せっかく遠くまで来たのだから。




と、思っていると、




そのページのギリギリ端っこに掲載されている、市の外れの、山中の集落の一つの家の名前が、"立花 諌"となっている。



これ、もしかして、京子の家じゃないか?





地図を1ページめくり、その山中近辺をメインで記してあるページを改めて見る。



"立花 諌"の家は、地図上で見ると凄い豪邸のように思える。敷地範囲がかなり大きい。


地図上の表記の大きさに忠実だと、小学校並みの敷地面積になってしまうほどだ。




俺は、自分の記憶の中を辿って見る。



そうだ、確かに、あの夏訪れた京子の親戚の家は、バカでかい家だった気がする。


最初、家じゃなくて何かの施設かと思った記憶がある。



車で移動していて、俺は後部座席で寝ていたから山奥かどうかはあまり覚えていないが、いわれてみると、確かにあの家は普通の街中には建っていなかった。そういえば・・・森に囲まれたような集落の一つだったかもしれない。



俺はこの"立花 諌"の家の表記に、忘れていた記憶を刺激され、朧げだった風景が少し鮮明になった。




多分、この家が京子の祖父の家だ。







俺は図書館で地図を印刷し、この"立花 諌"の家へ向かってみることにした。





バスを乗り継ぎ、俺はこの"立花 諌"の家へと順調に近づいていった。




しかし、問題は"九竹市 郷土資料館前"まで乗り継いだ時に起きた。



"九竹市 郷土資料館前"から市街地方面へのバス便は問題ないのだが、街外れの"立花 諌"の集落方面へのバスは、朝と夜にしか走っていないようで、次の便は20時以降になるらしい。



今はまだ、13時であったため、バス移動にこだわるならここで7時間待つことになる。



それは、さすがに待っていられない。


俺は、歩いて向かうことにした。



今いる"九竹市 郷土資料館"はその"立花 諌"の集落のある山のふもとにある。


山道で辛いかもしれないが、距離的には10キロほどだ。





もし、"立花 諌"の家が京子となんの関わりもない家で、全て俺の勘違いだったら、20時に集落に来るバスで帰ろう。



そして、駅前のホテルかどっかで泊まって、また明日、西中津高校辺りを調べてみよう。





俺は張り切って山中の集落を目指した。









それは、地獄だった。



リハビリに励んだおかげで、普通の歩行くらいなら何とかなるほど俺の体は回復していたため、山道もイケるかと思ってしまったのが間違いだった。



健康な一般人でも、山道はキツいのだ。



障害者である俺なんて、1人で山道に挑んではいけなかったのだ。



俺は果てしなく続く山道に座り込んでしまった。



俺は平坦な道を一歩一歩進むのにも、多少の神経と体力を使う。


それが山道だと、想像以上に体力と気力を持っていかれてしまった。



息も絶え絶えで、ゼーゼーと大汗を流しながらアスファルトの曲がりくねった山道にへたり込む。



肺が一つしかないのも、この息切れのひどさに関係あるのか?



どれくらい山道を進めたか分からないが、どんなに時間がかかっても、最悪、20時までには集落へと辿り着かなければならない。



帰りのバスを逃したら、俺は野宿しなければならないだろう。





だが、辛すぎる、この山道。




5月頭のまだ穏やかな気候で助かった。


夏休みとかだったら、俺は熱中症で倒れてしまっているかもしれない。




少し休んで、楽になったらまた登ろうと思い、俺は日陰に移動した。





飲み物、持ってくれば良かった。



10分ほど休み、俺は移動を再開した。



休んだおかげでだいぶ楽になったが、やっぱりすぐキツくなる。



今、どれくらい進めたのか、せめて何か指標でもあれば励みになるが、何も分からない。



もうゴールまで半分を過ぎているなら頑張れる。



だが仮に今が、山のふもとから集落までの10分の3程度しか進めていないなら、俺は徒歩は諦めて下山し、明日の朝のバスで"立花 諌"の集落を目指す。


そんな気分だ。





ドテッ


しばらく歩き続けたが、俺は足がもつれて倒れてしまった。



そして、疲労困憊で立ち上がれなかった。



杖も、持ってくればよかった。



こういうコンディションにもなれば、杖もあるのとないのとではやっぱり違う。






ヘトヘトになって自分の慢心を呪った。




俺は寝転がったまま少し這い進み、日陰になっている部分に体を逃した。




どうしようか・・・20時までに集落到着じゃなくて、明日の朝までに集落到着が現実的かもしれない。





そう思いながら、倒れたまま体を休めていると、



 


ブゥーン、キィ




デカくて高そうなクルマがふもとから走って来て、俺の傍に止まった。



俺は山道で寝そべっていたので、轢かれなくて良かった。





すると、ガチャ、と運転手席のドアが開いた。


中からまさに、ロマンス・グレーというような品のある老人が顔を覗かせ、


「大丈夫ですか?」と尋ねてきてくれた。



「いや・・・あんま大丈夫じゃないです・・・」俺は喉がカラカラだったので、声もカスカスであった。



俺のその返事を聞いたその老人は慌てて車から降り、


「大丈夫ですか?立てますか?」と俺を支えながら立たせてくれた。


そして、



「乗りなさい」と、俺を後部座席に乗せてくれた。




車から降りてきた時に気づいたのだが、その老人は、とても背が高かった。190cmはありそうで、こんなに背の高い老人を俺は初めて見た、気がした。




「病院行きますか?」とその老人が運転席から振り返り尋ねて来たので、



「体は大丈夫です・・・へばってただけなので・・・自分、足が悪くて・・・山道を舐めてました・・・」と俺は答えた。自分が障害者であること仄めかした。そうでなければ、倒れ込んでいたくせに"体は大丈夫です"が不自然に聞こえるのではないかと思ったからだ。


「そうですか・・・なら、送りますよ。山の方ですか?市街地の方ですか?」なんと、この老人は俺を送ってくれるという。



「すみません・・・山の中の集落に行きたいのですが・・・」俺は老人の言葉に甘えた。




「帰り道なので構いませんよ。お若いですが、集落に親戚とかがいらっしゃるのですか?」老人が尋ねてくる。


"帰り道"ということは、この老人も集落の人か。


なら、馴染みのない顔の俺が集落に向かうのは、不思議に感じるかもしれない。集落はきっと、狭いコミュニティだろうし。


それにしてもこの老人、見た目通りとてもお上品だ。見るからに10代の俺にも丁寧な口調だ。


「・・・同級生のところへ遊びに行こうかと・・・」どう答えようか迷ったが、そんな風に答えてみた。



「・・・なら、君は京子のお友達かな?」老人は、合点が言ったような様子で、少し砕けた話し方に変わった。



きっと、その集落には10代の子は京子しかいないのだろう。


だから"同級生のところへ"と俺が言えば、その集落では京子一択なのだろう。


やっぱり、京子はここにいるんだ。



そして、多分、てか、絶対、この老人はやっぱり、




"立花 諌" さんだろう。



どことなく、京子のお父さんにも似てる。



どことなくっていうか、そもそもガタイがモロだ。


あと、品のある雰囲気とかが似てる。



顔は、言われてみると似てるかも。






「あ・・・・そう・・・です」俺は後ろめたい気持ちでそう答えた。


俺は、もはや京子の友達ではないのかもしれない。



幼馴染でもない。



小学生の頃に同級生ではあったが。




「たまたまになるが、京子は私の孫じゃ。だから、ちょうど良かった。」老人ははにかみながら答えてくれた。



「あ・・・そうだったんですね・・・凄い、偶然・・・」おれは答えた。



やっぱり、"立花 諌"さんだった。


もしくは、"立花 諌"さんはこの人のさらに父親かも知れないが、とにかく、京子に会えそうだ。





その時、俺はワクワク感よりも、強い緊張感を覚えた。



恐怖心も、ある。



本当に、京子に会いに行っていいのか・・・




そのまま京子の祖父は俺の体調を時々気遣ってくれながら、車で集落へと向かった。




「家は、こっちの方かい?それとも、西中津のそば?」向かう途中、京子のおじいちゃんが尋ねてきた。



やっぱり京子は西中津に通っていたんだ。偏差値でみると、俺の地元で言うところの第一菅山だ。やっぱり京子は凄い。


あんな激動の数ヶ月の中、退院直後でも最難関の高校に受かってしまうのだから。



「家は・・・ここからだと結構遠いですね・・」京子のおじいちゃんへの返答に困った。中学時代の同級生とは知られない方が良い気がする。京子は、中学までの関係性を避けてこっちに移ったのだから。



あまり、俺のことを深掘りされるとボロが出てしまう。



「僕がへばっていた場所は、やまのふもとから集落までの、何分目あたりでしょうか?」俺のことを掘り下げられる前に、話題を変えてみる。


気になっていたことの答えを求めてみた。 


「あそこは・・そうだな・・道程の半分手前くらいかな?」そう答えてくれた。


10分の4くらいってことか・・・?


だとすると、やはりこの道のりは俺にはあまりにも辛すぎる。あれで半分にも達していないなんて。


本当に、京子のおじいちゃんが通りかかってくれて良かった。



さっき京子のおじいちゃんを見て、こんな大きい老人初めてみたって思ったけど、10年前にも多分、俺、京子のおじいちゃん見てるんだよな?



小学生の頃の俺にとっては大人の大きさの差なんか分かんなかったか、京子の父親や、従兄弟とか他の親戚もいたから目立たなかったのかも。立花一族、おそらくみんなデカいだろうし。



京子のおじいちゃんの運転は山道にもかかわらず穏やかで、ヘトヘトだった俺は眠くなってきていた。



夢現の中、京子の親戚の家へ向かう山道、車の後部座席、俺は幼少期の記憶と今の区別がつかなくなっていた。









「着いたよ」京子のおじいちゃんの声で、俺はハッと目覚めた。



寝てしまっていた。俺は小2の頃のまんまだな。


車の外を見ると、和風の城のような大豪邸が建っていた。正面には門がある。



なるほど、これはとても一般民家とは思えない。なんらかの施設と見紛う。



「車を車庫に入れるから、先に玄関の方へ行っといてくれ」と、京子のおじいちゃんがいうので俺はその場で一度お礼を言ってから車から降りた。


京子のおじいちゃんが、門に沿って走っていき、門の外にある車庫のようなところに車を止めようとしている。



玄関って、この門の奥か?




俺は門をくぐり、和風の内装の敷地内を歩いて行った。



門を潜った少し先に、玄関が見える。門から玄関まで50mはある。まさにお屋敷だ。



たしかになんとなく、小2の時にも来たような気がして来た。



たどり着いた大きな玄関の扉を開け、俺はそこで京子のおじいちゃんが追いついてくるのを待った。







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