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立花 京子  作者: ぐんた
11/13

文化祭の後 壊れた体








俺が目覚めた時、世界はかなり白かった。




ゆっくりと思考の焦点を合わせていくと、ようやくそこが病院だと理解できた。




そう、病院だ。



俺は体を起こし、いや、まだ体が動かない。ここはもう病院なのに。



見ると俺の体は全身包帯やギプスで固定されていた。まるでミイラ男だった。



部屋は俺専用の個室の病室のようだ。



仕方ないので、ベッドの上でギシギシと出来る範囲の体重移動をしながら揺れていると、


物音を聞いたらしい看護婦が部屋を覗きに来た。



その看護婦が、気がついたんですね、なんて言うので、何がどうなっているのか尋ねると、先生を呼んできますと言い部屋を出て行った。



やがて、医者が来て、俺と話し、その後、親も来た。



親は俺が意識を取り戻したことを泣くほど喜んでいた。




さらに、その日のうちに学校の先生や友人たちまで来た。




こうして、俺がどうなったかと、京子がどうなったかを知った。







俺はまず、京子にボコボコにされて気を失った。



俺が気絶したのか死んだのか分からないままに、京子はすぐさまエンディング・セレモニーが行われていた体育館に行き、たまたま体育館の入り口の一番近くにいた数学教師に声をかけ、人が死んでいる、と話した。



その時の京子は、俺を殴ったり俺の胸元で泣いたりしたときに付着したと思われる俺の返り血に染まっており、



その数学教師は大変慌てふためいたそうだ。



それを見た周りの生徒は初め、血濡れの京子をエンディング・セレモニーの演出の一部かと思ったらしいが、


演技にしてはあまりに迫真すぎる京子と数学教師の様子にすぐに騒ぎは大きくなり、



教師数名を引き連れて京子は飼育小屋まで戻り惨状を見せ、そこでようやく救急車が呼ばれた。







俺は集中治療室に入れられて、文化祭の日から今日まで、12日間意識を失ったままだったらしい。





歯はやはり3本だけ残して全て折れ、



鼻の骨も折れ、顔面も粉砕骨折。顎の骨は粉々。鼓膜は両耳ともに破れ、頭蓋骨にもヒビ。多数の皮膚の裂傷。そして、右目は眼球破裂していた。


体も、胃と肺と腎臓の損傷で、俺は肺の一つを摘出した。左側の肺だ。完全に潰れていたと伝えられた。肋骨も計15本が折れていたらしい。胃も破れていて手術した為、向こう何ヶ月かは消化のしやすい流動食らしい。もっとも、胃が元気であっで顎と歯の問題で流動食は確定だったと思うが。


左腕は特に肘の関節の部分が、腱も骨も神経までひしゃげていて、もう元のようには動かせないと言われた。



右足も左足も共に、大腿骨が粉砕されており、さらに骨盤まで割れていたらしい。加えて、首の骨と脊髄にも傷があり、以前のように走れるようになるまで数年に渡る長いリハビリが必要か、もしくは、一生、以前のようには走れないらしい。



右腕だけは、転んだ時や倒れた時に出来たと思われる多少の裂傷があったのみだ。



全治何週間とか、何ヶ月というものではない。


全治はしない。



もう一生、俺の体は元には戻らない。





剣道も、もう出来ないつもりでいた方がいいと医者に言われた。




医者も、人間が素手で、それも中学生の女の子がこのような破壊活動を行ったという事実が信じられないらしく、俺に3度もその事事を確認してきた。これは警察の取り調べのようなものとは違い、ただ単に、医者にとってあまりに信じられない事実であったため思わず何度も尋ねてしまったという感じであった。


それほどまでに凄惨な姿だったらしい。




不幸中の幸いとしては、まず、視力を完全に失ったわけではないことだ。


左目は見えるし、右目も眼球破裂はしたものの、完全に見えなくなるわけではないようだ。


右目は、かなりボヤけるが色の判別くらいな出来る。徐々に回復すれば、両目を使って遠近感も取れるようになるらしい。この点については医者もかなり前向きな意見をくれた。



次に、心臓が潰されなかったことだ。左の肺が潰れたり、胃が破れるほどのダメージを心臓が受けていたら、文字通り命はなかったと言われた。



また、救急車の到着が早かったのも良かった。病院に運ばれるのがあと15分も遅かったら確実に死んでいたと医者に断言されてしまった。もし、例えば、救急車への通報がエンディング・セレモニーの際中ではなく、エンディング・セレモニーが終わった後であったなら、学校周りは文化祭から帰宅する教員や生徒達の迎えの車などで混雑し、きっと救急車は俺の絶命までに間に合わなかっただろう。


とにかく、命あっての物種だ。運は良かった。



ついでに、睾丸等の男性器には異常がなかったことも伝えられた。使う予定もないが、なんだかホッとした。






山下大介は、生きていた。もしかすると、事件の経過説明の中でこの知らせが一番嬉しかったかもしれない。



俺と同様に救急車で運ばれて、治療を受けたようだ。


文化祭の日の翌日、今から11日前に目を覚ましたと聞かされた。



ただ、俺に頭を蹴られ鉄格子に頭を打った時に、ムチウチのようになり脊髄を痛めてしまったらしい。目が覚めてから山下大介は思うように足が動かせず、今もリハビリをしながら車椅子生活と言われた。階は違うが、俺と同じ病院にいるとのことだ。


指は、右手の小指が折れていたらしい。


小指の骨折はそのうち治るとは言われたが・・・・。





京子は、立花京子は、




山下大介が目覚めた翌日、つまり文化祭の日から2日後に、山下大介と別れ話をした。




そしてその翌日、つまり文化祭の日から3日後、今から9日前に、





飛び降り自殺をした。




俺と山下大介が入院しているこの病院の、一般人が立ち入れる最上階である8階から飛び降りた。





いや、飛び降り自殺を図ったと言った方がいいか。





8階から京子は転落したのだが、足の骨折と全身の打撲のみで一命を取り留めてしまった。




頑丈すぎるだろ・・・。



京子が飛び降り自殺をしたと聞いた時は気を失いそうだったが、生きていると言われた時に心から安堵した。事件の経過説明とはやや異なるが、山下大介が生きていた以上にホッとした。



俺は、俺をこんな体にした京子を、まだ愛しているのかもしれない。




事件のショックで自殺を図った京子を、俺と山下大介がいるこの病院には入れられないとのことで、京子は今、遠くの病院で入院しているそうだ。



結局、3人とも入院だ。





事件の概要について、警察が京子を取り調べ、京子も全てを話し、俺と京子と山下大介の間で何が起きていたか、ほぼ正確に親や学校の先生たちにも伝えられた。




感覚的に誰が"悪"かと言うなら、俺だ。



法的に誰が"悪"かと言うなら、山下大介に対して俺が、俺に対して京子が、なのかもしれない。



俺の親は、俺が山下大介にしでかしたことについてや、京子についてはあまり触れず、安静にして体を早く治そうとだけ話してくれた。




ただ、山下大介の親と、俺の親と、京子の親で話し合いと謝罪の場は設けられたらしい。


誰の親が誰の親にどのように謝ったのかとか、詳しいことは分からない。


それと、山下大介は母子家庭だったようだ。


俺はこの時初めて知った。






俺の推薦は取り消された。それは、俺が山下大介の"奏"を盗み破いたからかも知れないし、俺が山下大介を下半身不随にしたからかもしれないし、俺がもう竹刀を振れないであろう体になってしまったからかもしれない。



2ヶ月後に迫る一般受験も、俺は受けることが出来ない。2ヶ月はベッドの上で、その後長いリハビリを繰り返し、1人で病院から外出できるようになるのはいつになるか分からないそうだ。



いったん、俺は中卒のフリーターとして中学を卒業していく。



その後どうするかは、体を治してからだ。



もし体を満足に動かせるほど回復出来なかったら、その時は、身体障害者雇用を受けるかも知れない。



そんな話を、見舞いに来た先生と話した。



この世の中の先生というものは、悪さをしたら怒る人で、推薦を取り消すことも怒った口調で俺に言うのかと思ったが、




受験に関する俺への宣告を、俺の担任の先生は終始、実に申し訳なさそうに話していた。



怒りなんて微塵もなく、ただ、俺への哀れみが漏れ出ていた。






見舞いに来た友人たちも、俺の有り様をみて言葉を失っていた。



茶化しも何もなく、早く治るといいな、とか、治ったらまた遊びに行く行こうぜ、とか、中学生なりの言葉で入院生活の友人への言葉を送ってくれた。



誰も、京子の名前は出さなかった。



俺の、小学生の頃からの剣のライバルである砂田圭一も見舞いに来てくれていた。



"また、治ったら試合しような"と言われたので、



返答に悩んだが、正直に、



"俺、もう、剣道できないって医者に言われた"と伝えたら、突然圭一が号泣しだしたので、俺も思わず咽び泣いた。



圭一はオンオン泣いていたが、俺は傷口が開くといけなかったので精一杯押し殺すように泣いた。




泣く圭一の姿で、もう剣道ができない事実を改めて深く理解した。







警察も俺のところに来て取り調べをした。



取り調べといっても、重傷の俺を気遣いながら穏やかに、俺への質問を繰り返す感じだった。



基本的に、京子の証言が虚偽ではないかの確認であった。




特に京子の証言について訂正する部分もなかったので、ほとんど、間違いないです、はい、はい、とだけ答え続けた。




一つだけ、警察の人から、"立花京子ちゃんとは、小さい頃から仲良くしてたんだよね?"と聞かれたので、肯定はせず、しかし否定もせず、"仲良くしてもらってました"と暗に訂正した。



警察の人は気に留めず、そこまでの質疑応答同様に、俺が問題無く肯定したものと感じただろうが、俺にとってはそうではない。調書にはきっと残らないだろうが、大違いだ。





穏やかな取り調べは30分もかからずに終わり、警察の人は病室から出て行った。山下大介を痛めつけたことも、俺は全て認めたがその場では特になにも言われなかった。






入院の日々はとても退屈だった。




することもなく、体が壊れ、高校も入学できず、将来のことを考えても気が滅入る。




過去のことを思い出す以外することもなかった。








京子は、ずっと手加減して生きてきたのだと思う。



体力測定でも、手を抜いていたのだ。


ただでさえ体格的に目立つ京子が、体力テストで凄まじい記録を出してしまうことへの女子的羞恥心か、それとも、俺へ花を持たせてくれていたのか。



京子の身体能力に違和感を覚えた瞬間も度々あったなと、今にして思う。



やっぱり、体力測定や体育の授業なんかは、手を抜いていたのだと考えると腑に落ちる。



だいたい、中1の京子の握力が35で、そこから背も大きく伸びて明らかに成長した中3の京子の握力が36の時点で変だ。



ハンドボール投げも、中1の時と中3の時でほとんど同じ記録。



自明に手を抜いてる。



中1の時の、京子との取っ組み合いの喧嘩なんかもそうだ。



ヒノモモ祭りでの、公民館の倉庫での喧嘩。



あの時、俺は京子と対等に取っ組み合って喧嘩できていたつもりだったが、あれも京子はだいぶ力を抑えていてくれたのだろう。




だって、当時の俺は体重30いくつで、身長も140そこそこだ。


対して京子は、身長180を超え体重60以上だ。



対等な喧嘩になるはずがない。その気になれば瞬殺待った無しだ。


今回俺が一方的に張り倒した山下大介が、身長160くらいで体重40半ばで、俺が身長170弱で体重も60くらいだ。



今の俺と山下大介以上の差が、当時の俺と京子の間にはあった。



今の俺の体重は多分当時の京子より少しだけ軽いくらいだが、もし体重30何キロの中学一年生と喧嘩なんかするなら、一発だ。




将棋で負けて荒れ狂う俺を、京子は穏便に諌めようとしてくれていたのだ。怪我なんか、させないよう。



だから、俺はあの日無事に家へと帰れた。



京子がその気になれば、あっという間にこう出来る、と思いながら俺はベッドに横たわる自分のギプスまみれの体を見た。








京子は、特段鍛えてもいないのに、10年近く剣道を続けてきた俺を瞬殺したのかと思うと、存在の次元の違いを感じる。









入院して、ようやく2ヶ月が経過し、ギプスを取った。



顔の包帯もとれ、久しぶりに自分の顔を見ると、少し変わったような気もするが、概ね前と同様の顔だった。


ただ、昔より鼻が少し曲がっている気がした。



立って歩こうとしたが、力が入らず転んでしまった。



ここからが、俺のリハビリというわけだ。





リハビリはとても辛いものであった。


以前は当たり前に出来ていた、立つことや歩くことが思うようにできない。



"当たり前のことが出来ない自分"と一日中向き合いながら、杖やリハビリ用平行棒を握る。



肉体的にも辛いが、精神的にも辛かった。もどかしさが凄い。



こんなに毎日、リハビリを頑張っても、その先に待っているのは剣道も出来ない普通以下の人生。


せいぜい歩ける程度にしかならないのかと思うとモチベーションも下がる。



超超超マイナス状態から、超マイナスくらいに移行する努力は気持ち的にも苦しい。



だが、それでも、リハビリを始めて半年ほど経った時には、俺は杖を使えば、ゆっくりと歩けるほどに回復していた。




そしてその頃、山下大介の退院の噂が俺の耳に入った。





事件の後、山下大介も、俺と同じ病院でその頃までリハビリを行っていた。




当然、山下大介も高校には行けず病院生活だった。



俺と山下大介の関係性を考慮して、互いの階は離れて、リハビリステーションの階も分けられていた。



俺は事件後、山下大介とはまだ一度も会っていない。



もちろん、京子とも。





俺は山下大介が退院する噂を聞いて、



杖をつきながら、山下大介の病室へと向かった。



山下大介の病室の場所は、以前に看護婦さんから聞いたことがあったのだ。






エレベーターを使い、汗を滲ませながら、モタモタとゆっくり、必死に杖をついて山下大介の部屋へと向かった。



歩くたびに、足がガクガクに震える。思い通りに動かせない。じれったい体だ。





ようやく辿りついた山下大介の部屋の前で、さすがに少し怖気づいた。



だが、勇気を出してドアを開けてノロノロと中へ入ると、山下大介がベッドでテレビを見ていた。




俺の出現に呆然としている。



「よぉ・・・・」俺は無表情に挨拶をした。



京子に殴られて、俺の顔は以前と少し変わってしまっていたが、さすがに誰か見分けがつかない程ということはないはずだ。



「やぁ・・・」山下大介は、まだ、俺に優しい笑みを向けてくれた。



「・・・悪かった。もう、関わらない。悪かった。」俺は山下に、率直に詫びた。俺も、もうまともな運動はできないし、剣道もできない、そう言って哀れみを乞おうかと思ったけど、逆に白々しいかと思いやめた。



すると、


「俺こそ、邪魔して悪かった。」山下大介が不思議なことを言い始めた。



「・・・・?」俺は山下大介の言葉の意味がよく分からなかった。



「俺、田辺くんと、京子の関係とか最初知らなかったから。相思相愛だったって。幼馴染で。たまたま2人が喧嘩しちゃった時期にに、俺が割って入って・・・・京子と田辺くんが変な関係になったって、ずっと周りから言われてて、悪いとは思ってた。」山下大介が言う。


「いや・・・そっか・・・」俺は山下大介の言葉に曖昧な返事をする。


「体、大丈夫?」山下大介が尋ねてくる。


「あー・・・・リハビリしてる・・剣道はもう出来ないけど・・・」同情を誘うつもりで無く、ただ、聞かれたから答えた。




「そうなんだ・・・俺のリハビリ担当してくれた黒島さん、凄く良い人だし頼りになるから、田辺くんも見てもらうといいよ。」山下大介が返す。



なんだこいつ?俺に蹴飛ばされて頭打ったせいで、下半身不随になってリハビリしてたのに・・・


俺に恨みはないのか?もっと、さすがの山下大介でも、悪態とかついてくる覚悟で来たのに。



「・・・俺のこと、ムカつかねーの?」つい、聞いてしまった。



「もう、お互い様だと思うから・・・」山下大介が困ったように言う。




お互い様なのか?これ。



こいつ、やっぱマジで仏の山下大介だ。



罪を憎んで人を憎まずというやつだろうか。




「京子と、別れたの?」俺は山下大介に尋ねた。どうしても、直接確認したいことであった。


取り調べの中で、警察の人がそう言っていた。


「うん・・・もう、別れたよ・・」山下大介が物寂し気に答えた。



「なんで・・・?」俺はヌケヌケと尋ねた。明らかに遠因は俺のせいなのだが、何が決定打なのかが分からなかったからだ。




「京子が、別れてくれって言ってきた。もともと、俺と京子は住む世界が違うって気づいてたから、承諾したよ。京子が俺の彼女だなんて、おかしいよ。」こいつ、そんな風に自分や京子を評価する感性持ってるんだな。意外にまともじゃねーか。



山下大介も、京子の魅惑の犠牲者なのかも知れない。




「そしたら、翌日、飛び降りた。死ぬつもりだったから俺との関係を整理してくれたんだと思うと、やっぱり京子は優しい。弱い俺に愛想尽きたんだと勘違いした自分が情け無いよ。」山下大介が続ける。



「京子、生きてるんだろ?」念のため、山下大介にも確認してみた。



「うん。その時は大丈夫だったって。ただ、俺もそれから会ってないから、今は何してるのか知らない。」山下大介が京子が生きてることを肯定してくれたので、改めて胸を撫で下ろす。



「京子死ぬつもりで別れて、生きてるなら、より、戻さねーの?」俺は、威圧的にならないよう、努めて穏やかに聞いた。でも、目は血走っていたかもしれない。


「俺は・・・田辺くんほど京子を信じきれていなかったみたい・・・まだ、京子のことが好き?」山下大介が聞き返してきた。


「ん・・・ん・・・」俺は言葉に詰まった。自分でも分からない。俺は京子に痛めつけられて、こんな体にされ、2度と剣道も出来ないのだ。



でも、京子のことを思うと、恨みや憎しみは湧いてこない。むしろ、幸福感すらある。


「好きっぽい・・・」俺は言葉を詰まらせた果てで、そう山下大介に答えた。



「スゲー・・・京子は、田辺くんといた方が幸せになれると思う・・・」山下大介は、とことん共感できない、信じられない意見を聞いたような表情をしていた。言うところの、山下大介は俺にドン引きしていた。



山下大介の方もきっと、俺の容態を聞かされていたのだろう。




生死の境を彷徨う重体。



俺が京子にどんな目に遭わされたか。



俺が山下大介にした比じゃない。山下大介はまもなく退院するが、俺はまだまだだ。


事件の翌日に山下大介は目を覚ましたが、俺は12日後だ。



それでもまだ京子を思う俺に、山下大介は引いていた。



そんな京子中毒者の俺と、また京子を奪い合うのにはもう懲りただろう。



だいたい、京子からの別れ話をあっさり受け入れて、その後もよりを戻さないなんて、京子への愛が足りてない。



俺の、根勝ちだ。



「ありがと・・・じゃ・・・元気でな・・」俺はそう言ってヨタヨタと山下大介の病室から出て行こうとした。



すると山下大介がベッドを降りて立ち上がり、俺を追い抜いて病室のドアを開けてくれた。


「あ、わり」山下大介に礼を言う。


歩く山下大介の動きが全然軽やかで安心した。


もう、へっちゃらじゃん。良かった。










山下大介が退院して1年が経過した。


事件から2年が経とうとしている



俺はリハビリも重ね、かなり回復した。


あの時破裂した右目も、かなりボヤけるが今はなんとか見える。


歩いて移動するのもそれなりに滑らかだ。


胃も治り普通の病院食を食べている。



ただ、未だに走ったりは出来ないし、歩きもぎこちなさはある。



走ろうとすると足がもつれて転んでしまう。



歯は総入れ歯で、毎日寝る前には取り外して老人のような口で寝ている。


左手は、握り拳を作れない。人差し指と中指がどういうわけか、上手く折り畳めないし、肘は真っ直ぐ伸ばせない。


これじゃ剣道はやはり出来ない。


肺も、一つだ。




今、俺はリハビリと並行して高認試験の勉強をしている。


高校には行っていないので、高認試験を取る。もしかしたら、大学に行くかもしれないし、高認だけ取ってそのまま就活するかもしれない。



リハビリ生活で病院の外にも滅多に出れないので、出れたとしても病室前の公園を散歩できる程度なので、俺は勉強くらいしかすることがなかった。



もう、剣道も俺にはないから、人並みに勉強くらいしなくちゃな。




そうして、さらに3ヶ月ほどが経ち、事件からは丸2年が経過した。




俺の同級生達は、間もなく高校3年生になる。


そして、俺も、ようやく退院となる。


内臓も神経も骨も筋肉も、やっと日常に戻れるほど回復した。



16〜17歳の日々を病院で過ごしてしまったのは寂しいが、山下大介を死なせていたり、京子に殺されていたりした場合を思えば幸せな方だ。


どれも、十分にありえた可能性だ。









俺は2年ぶりに我が家へ帰った。




何も、変わっていなかった。特に、俺の部屋は時間が止まったままのようだった。まるで、2年前にタイムスリップしたようだった。


変化がなさすぎて、俺と京子の写真がたくさん載ったアルバムが、未だに部屋の隅の棚に置かれているのに気づいた時は胸が苦しかった。



葛藤はあったが、俺は結局、そのアルバムを開いてしまった。



京子にボコボコにされて2年間も入院し、そこからようやく帰宅できた最初の夜を、俺は京子と共に過ごしていた時代のアルバムを見て過ごした。




そのアルバムは、入院前も含めると人生で何度見たかも分からないほど見返したアルバムだ。



アルバムを見ていると、心にポッカリと穴が空いた気持ちになった。




京子は、今どこで何をしているのだろう。







京子は文化祭の3日後に飛び降り自殺を図ったものの、命に別状はなく入院し、



その後、3週間ほどで松葉杖をつきながら退院していったらしい。



俺が意識を取り戻してから、1週間ちょっとで退院している。


その後、俺と京子の通っていた中学には戻らず、そのまま遠くへ引っ越してしまった。



経緯はどうあれ、幼馴染の田辺啓太を再起不能なまでに叩き潰したウワサは学校中が知っている。



通えないだろう。



京子は両親と共に、どこかへ引っ越してしまい、その後は不明だ。



京子の親は共に医者なので、就職先には困らないのだろう。


どこにでも移住できる。






京子の住んでいた家は、再び貸家になっていた。また、外国人や大柄な一家がそのうち借りるのかも知れない。








退院した俺は、リハビリを続けながら高認試験の勉強もし、合間に、中学時代の友人達と久々に出かけたりもした。



彼らはぎこちなく歩く俺の姿に、時折不憫そうな面持ちを見せたが、あまりそこは気にせず最近の出来事や将来の展望などを語り合った。


俺は病院でずっと足踏みをしていたのだが、遠山聡太や砂田圭一や、その他の友人達はいろいろ高校生活を楽しんでいたようで少し羨ましかった。



俺も高認試験を目指していることを伝えると、みんな応援してくれた。


圭一に剣道の調子を聞くと、なかなかそっちの調子も良いようで、大会での話や、小学校時代に俺と圭一が通っていた剣道クラブに関する最近のゴシップなんかも聞かせてくれた。


圭一が俺に剣道の話をするとき、表面的には全く無遠慮だったのがむしろ嬉しかった。もう、剣のライバルではなくなったが、今でも俺と圭一は親友なのだと感じた。




そのように、どんな話題でも明るく盛り上がる場ではあったのだが、



京子は、どうしてるか知ってる?と、俺が京子を話題に出した時、



その時だけはさすがに場が凍った。



全員が絶句したので、俺は思わず、



いや、そんなに?笑 



とおどけたが誰も笑わなかった。



そして砂田圭一が静かに、


多分、県外、伊藤ひろ美が中学卒業後、一回会ったって言ってた。


とだけ述べた。



俺は、ふーん、とだけ答えて、最近のドラマの話に話題を変えた。病院でも、ドラマは見れたので会話についていけた。



そのようにいろいろな話題に触れ、楽しく過ごした。






バイトも始めてみた。


素早く移動は出来ない体なので、自分でもできる仕事は何か探してみたところ、


介護センターの皿洗いのバイトを見つけた。


そこは病院と併設になっている介護センターで、病院の方の洗い物も一緒に行うことになっていた。



俺の同僚は、近所のおばちゃんや外国人留学生で、同年代の男子とかはいなかった。



居酒屋やカラオケなんかで働けたら、楽しいバイト仲間とかも出来たかなと思うと、少し口惜しい。


 

でも、介護センターの洗い場が、体の不自由な俺を雇ってくれただけでもありがたいことだ。



俺は前向きに考えることにした。



不自由な足と左手で、皿洗いですら少しやりにくさを感じたが、だんだんと慣れていった。







その後、初めてのバイト代をもらったので、俺は体が不自由な人をテーマにした自己啓発の本を本屋で買ってみた。



本自体はあまり良い内容だとは感じなかったが、親に頼らずとも自分でやりくり出来る金があることは、俺の気を楽にさせてくれた。







退院して3ヶ月ほど経ち、4月になった。



俺の同級生は高校3年生になる。


高認試験は8月にあるので、それを目指して勉強とバイトとリハビリを続けていた。


リハビリをいつまで続けるかは、自分次第だ。




もっと滑らかに歩けるようになるまで、いつか、走れるようになるまで、とか。


普通の生活自体はもう慣れた。あまり困ったりもしない。



とりあえず、いつか走れることを夢見てリハビリも続ける。筋トレも兼ねている。





やがて、4月の下旬になった。



俺の誕生日が迫る。



5月の4日。それが俺の誕生日だ。



もう、18歳か。




俺は、小学生のころの誕生日を思い出した。





ゴールデンウィークが誕生日なので、家族にもよく遊びに連れて行ってもらえた。



友人にも、祝って貰いやすかった。



京子にお誕生日会をしてもらったりもした。






京子はどうしているのか。



すでに、京子とは2年と半年ほど会っていない。ずいぶん、時間が空いた。


2年前まで、京子と会わなかった最長期間は、中1のヒノモモ祭り直後の2週間だったのに。



それを除くと、京子が夏休みで家族旅行とかに行った1週間くらいだと思う。










俺は、カレンダーに目をやり、5月4日の日付を眺める。



来週からゴールデンウィークが始まり、その真っ只中に俺の誕生日がある。










俺は部屋でじっくりと考えて、悩んで、そして決心した。



悩んだつもりだったが、最初から答えは決まっていたのかもしれない。





京子に会いに行こう。



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