第八話
山がちなエミリア男爵領の街道を進むこと三日。
一度夜営した以外は順調に旅は進み、領境も間もなくだ。
「この峠を越えればマリーノ侯爵領ですわね!」
「ひさしぶりの故郷ですね、お嬢様」
「わたしは初めてです。……あれ? お嬢様って学園生だったんですよね? 領地がある生徒は長期休暇で帰ったりするって聞きましたけど」
「通常はそうしています。ですが、お嬢様は王子の婚約者でしたので」
「長期休暇は王子の婚約者として、いずれ王妃として振る舞えるよう集中講義が開かれていましたわ。王立貴族学園ではなく、王宮で」
「大変そうですぅ……」
「あの頃のお嬢様といったら、それはもう大変でした……」
御者席に腰掛けた侍女のベルタが涙を拭う。
侍女見習いのダリアは華やかなだけじゃない上級貴族の実情に引き気味だ。
過酷な講義を受けてきたアレナ・マリーノ侯爵令嬢は、遠い目をしていた。
峠道の先、遠方を見上げていたアレナの動きが止まる。
「ベルタ。上方の道に馬車が止まっていないかしら?」
「たしかに。モンスターの魔力反応はありません。故障か、あるいは」
「わたし、ふもとの街で、最近は『盗賊が出る』って聞いたような……もしかして」
「先行しますわ!」
「かしこまりました」
「ええっ!? 危なくないですか!?」
二頭立ての箱馬車から飛び出したアレナは道ではなく木立の生えた斜面を進む。
まるでサルのように駆け上がる。
つづら折りの山道をショートカットして、上方で止まっている幌馬車へ向かっていく。
「お嬢様はやっ! なんですかアレ!?」
「お嬢様が極めた二つの魔法のうちのひとつ。『身体強化』です」
「そっか、青毛熊を倒した時の、じゃなくて! 危なくないですか相手は盗賊ですよ!?」
「心配いりません。ですが、馬車を置いて追いましょう」
御者役のベルタが馬車を止めて走り出す。
待ってください、ベルタ先輩!、などと言いながらダリアも続く。
ロングスカートをひるがえして山道を行くベルタは速い。
ちなみに、カロリーナはアレナについていった。
まあついていったところで役に立つかは不明だが。なにしろカロリーナは子狼なので。女体化もしない。
崖を登ってつづら折りをショートカットして、アレナは幌馬車の元へたどり着いた。
馬車の幌には三本の矢が突き立ち、護衛らしき革鎧姿の男が一人倒れている。
「盗賊ですのね?」
「救援ですか、助かります!って、貴族の方!? 護衛はどうされましたか!?」
静かに問いかけたアレナに、幌馬車の持ち主らしき商人が青い顔を見せる。
この場を助かろうが、もしも貴族に怪我させたとなれば、平民が責任を取らされる可能性もあるので。
「言ってる場合じゃねえぞ商人! 嬢ちゃん、戦えんのか?」
「もちろんですの! 平民は私の指示に従っていればいいのですわ!」
「はあっ!?」
「お嬢様は『危ないから下がっていなさい』と言っています」
「はあ、はあ……二人とも早すぎます……あとお嬢様の真意がわかりづらいですぅ……」
「そこの貴方。盗賊は何人ですの?」
「足止めに4! 本命の弓矢射ってるヤツは何人いるかわからねえ!」
「ふん、その程度、相手になりませんわね」
幌馬車の横を通り過ぎて、アレナは道に立ち塞がる四人の盗賊と相対する。
薄汚れた盗賊たちは剣や槍を持って、商人の護衛や馬車が進むのを牽制していた。
「おい、やべえんじゃねえのか? お貴族サマが出てきたぞ?」
「へっ、相手は一人じゃねえか。生かして捕らえりゃ身代金でガッポリだぞ?」
「ぐふっ、ぐふふ。なあ、生かしときゃやっちゃっていいよな? な?」
「お前、あんなデカい女がタイプだったのか? 女はちっちゃくて細っこい方がぷぎゃらっ!」
アレナの登場にざわついていた盗賊の一人が飛んでいく。
「いま、どなたか何か言いまして?」
アレナ、渾身の正拳突きである。
青毛熊にも効いたほどなのだ、ふっ飛んだだけで息があるあたり手加減はしているはずだ。たぶん。
「くそっ、殺るぞお前ら! 生きてとか贅沢ぐふっ!」
「や、やば、はや、ぐあ!」
「ごっふ」
アレナ得意の『身体強化』魔法を活かした格闘術で、道をふさいでいた盗賊はあっさり沈んだ。
青毛熊を単独撃破できるアレナにとっては雑魚もいいところなので。
カロリーナがキラキラした目でアレナを見つめている。
「ふん、あっけないものですわ」
「油断すんな嬢ちゃん! 言ったろ、本命は弓矢で…………は?」
警告した護衛がぽかーんと大口を開ける。
道の横、斜面に潜む盗賊から放たれた弓矢は、何もない空間で止まった。空中に刺さったかのごとく。
「油断なんてしていませんわよ? ドラゴンはゴブリン相手にも全力を尽くすのですわ!」
「ええ……? そんなの聞いたことありませんけど……? むしろドラゴンは気まぐれだって」
「黙りなさいダリア。お嬢様が言うからにはそうなのです」
「ベルタ先輩が理不尽すぎますぅ……そもそもコレなんなんですか!? お嬢様って『身体強化』が得意なんじゃ」
「ベルタ、倒れた盗賊たちを縛っておきなさい」
「かしこまりました。お嬢様はどうなさいますか?」
「マリーノ侯爵領近くで商人を襲う不届き者を一網打尽にしてきますわ! 『魔力障壁』は張っておくから安心するといいですわよ!」
「ありがとうございます、お嬢様。ご武運を」
「ま、魔力障壁?」
「そうですダリア。言ったでしょう、お嬢様は莫大な魔力で二つの魔法を極めたと」
「二つ。『身体強化』と『魔力障壁』、ですか?」
「その通りです」
「で、でも、『魔力障壁』って物理攻撃に弱いって聞いたことがあるような」
「そんな常識、お嬢様の前にはなんの意味もありません」
「ええええええ……?」
「王子を、ひいては国王を守る最後の盾となる。そう決めたお嬢様は、『魔力障壁』を改良したのです。物理も魔法も防ぎ、多少なら離れても大丈夫なように」
「えええええ!? そのうえであんなに戦えるって、お嬢様最強すぎません!?」
「当然です。アレナお嬢様ですから」
まるで自分が褒められたかのようにベルタが胸を張る。
ダリアの口は開きっぱなしだ。
カロリーナは空中で止まった矢に飛びついてくわえようと試みている。
ベルタの手を借りて、商人の護衛は盗賊たちを縛り上げていく。
アレナが消えた上方——弓矢が飛んできた斜面の上からは、時々どかっ、ばきゃっ、という戦闘音が聞こえてきた。
あと一度、火球の魔法が爆発したようだが周囲に影響は及ぼさなかった。『魔力障壁』のおかげで。
しばらくすると、ベルタたちの元には矢ではなく盗賊たちが飛んでくるようになった。
アレナが倒して、『身体強化』の力で投げ下ろしているのだ。
大怪我したところで、盗賊はここで死ぬか街に連れて行かれて縛り首になるかの違いしかない。盗賊たちは貴族に刃を向けたので。
お嬢様の非情な判断である。
盗賊たちが全員縛られたところで、がさがさっと木立を揺らしてアレナが戻ってきた。
カロリーナが強いね! すごいね! と言わんばかりに興奮してアレナの足元にまとわりつく。
「ありがとうございます。貴族様が通りかからなかったら、私たちはここで命を落としていたことでしょう」
「たいしたことではありませんわ! 平民を守るのは貴族の務めですもの!」
地面にひれ伏して感謝を伝える商人とその護衛を前に、アレナはふんぞり返って言った。
口元がひくひくしている。
ストレートな感謝を前に、嬉しさが隠しきれていない。
「お嬢様は『感謝を受け取ります。街までともに行きましょう、私が守ります』と言っています」
「ええっ? わたし、なんだかベルタ先輩が信じられなくなってきました……」
ともあれ、一行は盗賊を退けて峠を上り、間もなく下りに入った。
下りきってしばらく行けばアレナの故郷、マリーノ侯爵領である。