第七話
侯爵令嬢アレナが、拾った子狼(オス)をカロリーナと名付けてから二日後。
一行は、トスカノ子爵領を出てエミリア男爵領の街道を行っていた。
「ほーっほっほっほ! 楽しみですわあ!」
今日のアレナはテンションが高い。
エミリア男爵領を出れば故郷であるマリーノ侯爵領に到着するから、ではない。
「『異世界転生日記』に書いてありましたの! 『旅に野営はつきもので、不便だけど思い返すと楽しいものだった』って! むふふっ!」
そう、今日はアレナ・マリーノ人生初の野営をするのだ。
山の多いエミリア男爵領では、旅人の旅程に合う宿場町を用意することができなかった。
そのため、旅する者はある場所で「野営して一泊」で行くか「宿場町と小さな集落で二泊」して行くか選択を迫られる。
これまでアレナが領地から王都へ向かう際は、とうぜん二泊コースが選ばれていた。
けれど、いまのアレナは自由の身だ。
ということで一泊で抜ける野営コースの選択である。
アレナの信奉者である侍女のベルタが逆らうはずもなく、侍女見習いのダリアの意見が通るはずもなく。
一行は、街道脇にある広場に馬車を止めたのだった。
「お嬢様、準備が整いました」
「馬のお世話も終わりましたぁ!」
と言っても、焚き火ひとつで雑魚寝するワイルドな夜営ではない。
大きな箱馬車の横にはタープが張られ、その下には折りたたみ式のテーブルとイスがセットされている。
就寝前になればすべてを片付けて、ここは二頭の馬の寝場所になる。
人間三人は箱馬車の中で寝る予定だ。
見張りはベルタとダリアが担当する。
いちおう、お嬢様たっての希望で、アレナも早い時間の見張りをするつもりのようだが。
また、広場の脇には小川が流れており、水場として使える。
そもそもこの広場は、宿場町こそ造れないものの、少しでも旅人が休めるようにとエミリア男爵が整えたものなので。
「では、焚き火をしますわよ! 『きゃんぷふぁいやー』ですわぁ!」
「かしこまりました、お嬢様」
「ふふ、なんだかわたしも楽しくなってきちゃいました」
立場こそ違えど、女子三人がきゃっきゃとはしゃいでいる。
日は傾いて、いまから料理して食事、後片付けをすればあっという間に夜になるだろう。
「あれ? お嬢様? カロくんを見ませんでしたか?」
「そういえばいませんわね。ベルタ」
「少し前に森に駆け込む姿を見ました」
「ええっ!? ど、どうしよう、助けにいかなきゃ!」
「落ち着きなさい、ダリア。カロリーナはああ見えてモンスターですわ。ベルタ?」
「付近にモンスターの魔力はありません」
「で、でもでも! カロくんを見つけた時はゴブリンに囲まれてて死にそうで!」
「そうですわねえ。では探しに……あら?」
アレナの視線の先、森の下草をガサガサかき分けて、カロリーナが広場に飛び出してきた。
口にはウサギをくわえている。
「狩りに行ってたんですのね! この短時間で狩ってくるなんて、ウチのカロリーナは優秀ですわ!」
たたたっとアレナに駆け寄ったカロリーナは、手前でウサギを離してひとしきり撫でられる。
満足したのか、わふっ!とひとつ鳴いて、仕留めた獲物の元へ戻っていった。
地面のウサギをきりっと睨みつける。
何をするのかと三人が注目していると。
「あおーん!」
咆哮とともに、口から火を吐き出した。
くしゃみで小さな火を出した時よりも大きな火で、持続時間も長い。
「す、すごい……」
「あらあら、すっかり魔法を使いこなしていますわね。素晴らしいですわ、カロリーナ!」
ウサギの毛が焼かれて、その奥の肉に焦げ目がつく。
地面に接している方には火が回っていないが、それはそれとして。
満足したのか、火を止めたカロリーナはがぶっとウサギに噛み付いた。
小さな牙で噛みちぎってもちゃもちゃする。
アレナを振り返る。
「くぅーん……」
しかめっ面で、悲しそうに鳴いた。
自分で焼いたウサギは美味しくなかったらしい。
宿で食べた、「火を通した」山鳥のソテーは美味しかったのに。
「ふふっ、まだまだですわね、カロリーナ。美味しい料理には下処理と調理が大事ですのよ?」
「わふ?」
「間に合うかはわかりませんけれども……ベルタ、ダリア」
「はい。カロリーナ、少しよいですか?」
アレナの指示を受けてベルタが動く。
カロリーナに声をかけると、理解したのかウサギをすいっと鼻先で押しやった。
拾い上げたベルタとダリア、二人がかりで下処理していく。
首を落として逆さにして血を抜き、内臓を取り出して皮を剥ぐ。
ざっと処理したあとは、ベルタがささっと切り分ける。
ダリアが香草や塩をまぶした調味料を揉み込む。
自分たちの料理用に準備していた串に刺して、焚き火に当てる。
「カロリーナ、これが『調理』ですわ」
「できるだけ早く食べられるように料理したから、味に自信はありませんけど……」
アレナとダリアの声が聞こえているのかいないのか、カロリーナはじゅうじゅうと焼けるウサギ肉に釘付けだ。ちょっとヨダレも垂れてる。
はやるカロリーナをなだめながら火を通すことしばし。
「どうぞ、召し上がれ」
ベルタが、焼けたウサギ肉を串から外してカロリーナの前に置く。
「がうっ!」
ありがとうと、アレナ、ベルタを見てひと吠えして、カロリーナはウサギ肉にかぶりついた。
止まる。
ぼふっと尻尾を膨らませて目を見開き、次の瞬間にはおいしい! これおいしい! と尻尾をぶんぶん振る。
ひと串分食べ終わると、すぐに焚き火に近寄ってほかの串を眺める。
かじっと串をくわえてたたーっと走って。
「あら? どうしたんですの、カロリーナ?」
前足をアレナの足にかけて、くわえた串を差し出した。
「おや。誰が最上位者かわかっているのですね。お嬢様、カロリーナは『自分が仕留めた肉を献上したい』と言っています」
「ええ……? ベルタ先輩、オオカミの言葉も通訳できるんですか……?」
「まあ! カロリーナは優しい子ですのね。いただきます。うん、美味しいですわ!」
カロリーナを迎えた最初の夜に食べた「山鳥のソテー」とは比べるべくもない。
下処理が雑で臭みがあるし、熟成していないため肉は硬く、ありあわせの調味料と香草の味付けは宿の料理ほど洗練されていない。
それでも、「高慢でワガママ」なはずの侯爵令嬢は、ウサギ肉の串焼きに舌鼓を打っていた。
続けて串を渡された侍女のベルタも、無表情ながら美味しそうに食べている。
「あの、カロくん? わたしにはくれないんですか? ねえちょっとカロくん?」
はあ、仕方ないなあ、とばかりにため息を吐きながらカロリーナに串を差し出されたダリアも、美味しい美味しいとはしゃいでいる。
「美味しい」とは、料理そのものの味だけで感じるものではない。
見た目や環境、誰と食べるか、誰が作ったのか、誰が獲ってきたのか。
料理に付随するすべてを総合して「美味しい」と感じるかどうかだ。
だから、カロリーナが獲ってきて、ベルタとダリアが調理して、カロリーナが「おいしいからみんなにも食べてほしい」と提供したウサギ肉の串焼きは「美味しい」のだ。
「ごちそうさまでした。あら? カロリーナは?」
「また森に行きました」
「うう……カロくんは大丈夫でしょうか……もう日が暮れて、森は暗いのに……」
三人が見守っている中、カロリーナがふたたび森から飛び出してくる。
今度は、先ほどよりふたまわり小さなウサギをくわえて。
「ええっ!? 狩りにしても早くないですか!?」
「土で汚れているところを見ると、巣に潜って残っていた子ウサギを狩ったのでしょう」
「なるほど。……頭よすぎませんか、カロくん」
たたーっと三人に駆け寄るカロリーナが焚き火の横を通り過ぎる。
そのまま、イスに座るアレナの横をまわる。
ウサギを離したのは、ダリアの前だった。
前回と違って自分で焼くことなく、ダリアを見つめて前脚でタシタシと地面を叩く。
まるで、調理はよ、とでも言うかのように。
「…………頭よすぎませんか、カロくん」
「カロリーナの中で、グループの順位付けは終わっているようですね」
「んふふっ、ウチのカロリーナは天才ではないかしら!? すごいですわよ、カロリーナ!」
肩を落とすダリアにベルタがトドメを刺す。
アレナはカロリーナを抱えて頭を撫でまわす。
頭どころか顔中撫でまわしているうちに頬が伸びることに気づいてむぎゅむぎゅする。
それでも、カロリーナはうれしそうに尻尾を振っていた。最上位者の寵愛なので。