第六話
トスカノ子爵領第二の都市。
子狼を助けたアレナたちは、街一番の宿の一室にいた。
これまで泊まってきた宿場町の宿と違って、従者の部屋もある貴族用のスイートルームだ。
スイートルームのダイニングにはアレナが座っていた。
侍女のベルタと侍女見習いのダリアは、階下から運んできた夕食を配膳すべく準備している。
怪我が癒えた子狼は、アレナの足元にちょこんと座っている。
治ったばかりなのにすぐ動けるのは、小さくてもモンスターのためか。
ちなみに、部屋の中に子狼を連れ込む際、宿の従業員から止められた。
抜け毛が残って翌日の宿泊客に迷惑をかけてしまうと大変なので、できればペットは馬屋に泊めてもらえないかと。
だがアレナは断った。
「でしたら翌日分も部屋代を払いますわ。その期間で掃除すればよろしいのではなくて?」と。
身分と金にモノを言わせた解決策である。
青毛熊をまるごと売り払って、金ならあるので。
「わふっ!」
「わたしの回復魔法でこんなに元気になるなんて思いませんでした……前は小さな傷しか治せなかったのに」
「そんなの簡単ですわ! 初代さまが伝えた『マリーノ流魔力増強法』で魔力が鍛えられ、助けたいという思いの強さが回復魔法を強力なものにしたんですのよ?」
「毎晩気絶するまで魔力を使って、吐き気にのたうちまわりながら眠って、悪夢にうなされる地獄の毎日は無駄じゃなかったんですね……」
「もちろんですわ! ですからダリア、『マリーノ流魔力増強法』は決して口外しないように。王都で暮らす、弟さんのためにも」
「もし言っちゃったら弟の身に何か起きるってことですよね!? わたし、ぜったい言いません!」
「ダリア。お嬢様は『外に漏らすことで弟さんの優位性を失うのはもったいないですわ』と言っています」
「そんなこと言ってました!? でもそっか、弟も魔力が増えるから……わたし、口が裂けても言いません!」
「せっかく稀少な回復魔法の使い手としてマリーノ侯爵家に仕えるようになったんですもの。末長くお付き合いしたいものですわねえ。弟さんともども」
「これやっぱり脅されてませんか!? ベルタ先輩の通訳がお嬢様の本音なんですよね!? ね!?」
ダリアがベルタに近づくと、ベルタはすうっと視線をそらした。
アレナがクスクス笑ってるあたり、二人して侍女見習いをからかっているのだろう。たぶん。
楽しそうな人間たちが気になったのか、後脚で立った子狼がアレナの足に前脚をかける。
つぶらな目で見つめられて、アレナはたまらず子狼を抱えた。
「ふふ、この子の名前を決めないといけませんわね!」
アレナが脇を持って持ち上げると、子狼は体をたらーんと垂らす。
助けてくれたことをわかっているのか、嫌がる様子はない。
子狼と見つめあって考えることしばし。
アレナが大きく頷いた。
「決めました! この子の名前はカロリーナですわ!」
満面の笑みを浮かべて子狼を掲げるアレナ。
ダリアは首を傾げて子狼を見つめる。
子狼のカロリーナはへちゃっと眉を寄せてちょっと困り顔だ。
なにしろ——
「でもお嬢様、この子、男の子ですよ?」
——子狼が掲げられたおかげで、ダリアにはモノが見えたので。
カロリーナの困り顔も当然である。言葉は通じていないはずなのだが。ニュアンスを感じ取った的なアレで。
「かまいませんわっ!」
「ええっ!?」
「お嬢様のお望みのままに」
「くぅーん」
「えっ、ほらこの子も困ってるみたいですし、ここは男の子の名前を」
「いいえ、これが正解なのですわ!」
「その、なんでですか?」
「『異世界転生日記』に、『懐いてきたモンスターはいずれ女体化する』と書いてありましたもの! ですから、男の子の名前をつけるとむしろ大変なことになるんですわ!」
「なるほど、さすがお嬢様」
「えええええー!? 女体化……? モンスターが人の姿、しかも女の子に……?」
「ふふ、楽しみですわね、カロリーナ。女の子のお友達が増えますわ!」
アレナはにっこにこでカロリーナを抱きしめる。
ダリアはポカーンとして、ベルタはお嬢様の深慮に頷きつつ前菜をサーブした。
「きゅ、きゅーん」
カロリーナの戸惑いの鳴き声は、アレナの耳に届いていないようだ。
「くふふっ、どんな姿になるのかしら。やっぱり狼のお耳と尻尾は残った女体化なのかしら。んふふふふ」
あるいは、届いていても『異世界転生日記』を信じるあまりに、「いずれカロリーナにもわかりますわ!」と思っていたのかもしれない。
カロリーナの悲嘆をよそにアレナの食事は進む。
「こちらがメインの肉料理、山鳥のソテーです」
「うふふ、夕食をフルコースでぜんぶ食べるなんてひさしぶりですわ!」
王子との婚約を破棄されて、ロリ体型こそ至高とされるロンバルド王国の価値観から解放されたため、アレナは過度なダイエットの必要がなくなった。
一口で終わりにすることなくお腹いっぱい食べられるとあってアレナはご満悦だ。
「うーん……見た目はいいのですけれども、薄味ですわねえ」
口では不満を述べながらも、アレナのニヤニヤは止まらない。
なにしろ、婚約者時代は肉なんて一口食べればいい方だったので。
「そういえば……カロリーナは何を食べるのか知りませんわ」
「小さくともモンスターですから、たいていのものは食べられると思われます」
「そう。どう、カロリーナ? 山鳥のソテー、食べるかしら?」
そう言って、アレナは小さく切り分けた肉を足元のカロリーナに向ける。
食べていいの!? とばかりに目を輝かせるカロリーナの口に、アレナはひょいっと肉を放り込んだ。
カロリーナの動きが止まる。
ぼふっと尻尾を膨らませて目を見開き、次の瞬間にはおいしい! これおいしい! と尻尾をぶんぶん振って走りまわる。
戻ってきてアレナの足に体をこすりつける。
「ふふ、気に入ったようですわね。女体化したら美味しいものを用意して『ぱじゃまパーティ』しますわよ! 楽しみですわあ……あら?」
うっとりと頭を撫でるアレナは、カロリーナの異変を感じ取った。
鼻をムズムズさせている。
わずかに魔力が動いている。
カロリーナがくしゅんっとくしゃみをすると同時に。
口から、小さな火が飛んだ。
木のテーブルの足に焦げ目をつける程度の、小さな火が。
「わわっ!」
「まあ! カロリーナは魔法が使えるんですのね!」
姿は子狼でも、魔力を持つカロリーナは立派なモンスターだ。
目を丸くする本人——本狼?——も自覚はなかったようだが、魔法が使えるらしい。
かわいく、(アレナの願望では)いずれ女体化して、魔法が使える。
アレナはすっかり、今日拾ったばかりのカロリーナに夢中になっていた。
「あの、抜け毛でも嫌がられてましたし、この焦げ跡……」
「問題ありません、ダリア。宿代を多めに払っておきましょう」
たらーっと冷や汗をかくダリアと、フォローするベルタをよそに。
前話あとがきでも言いましたが女体化しません!w