間話 奴隷少女フラウ
先日、ベリンツォの街にオープンした揚げ物屋さん。
稼ぎのいい冒険者や裕福な商人、テイクアウトは普通の平民にも人気となっていたその店は、オーナー&主力店員不在で一時休業中となって——いなかった。
アレナは考えたのだ。
店を休みにすることはかまわない。
その期間の売り上げがなくなるが、もともと金銭目的ではじめたお店ではない。
だが、長期の冒険に出るたびに休みにしていては、揚げ物を楽しみにする民がかわいそうだ、と。
上から目線である。さすが生まれついての貴族。
そこでアレナは、実家に手紙を書いた。
マリーノ侯爵領の領都・マリノリヒトを本拠地とするとある新興商会から、続々と店員が送り込まれたのだ。
店員たちは物覚えもよく飲み込みも早かったため、揚げ物屋さんはアレナやベルタ、ダリア不在でも営業を続けている。
なお、新たな店員たちはやけに仕草や物腰がピシッとして、言葉遣いが丁寧だったという。
さて。
アレナたちはダンジョン探索に向かったが、残された者もいる。
「仕込みは我々にお任せください」
「いえ、わたしはアレナさまの奴隷なので……」
「そのアレナさまに、兄妹の面倒を頼まれているでしょう? そちらをよろしくお願いします」
「……はい、わかりました」
朝と昼のピークを終えた、いわゆる「アイドルタイム」。
本来であれば夕方に向けて仕込みをする時間帯だが、揚げ物屋で働く奴隷少女は仕込みを免除された。
調理場裏の扉から外に出る。
通りに面していないそこは、奥の住居との間に広がる中庭だ。
そこには、まだ幼い兄妹がぱたぱたと庭を走りまわっていた。
「まてまてー!」
「くっ、すばしっこいヤツらめ!」
「…………二人とも?」
「あっ! フラウおねーちゃん!」
何やら追いかけていた幼女はさっと方向転換する。
パッと顔を輝かせて奴隷少女の足にしがみつく。
奴隷少女は、すっかり女の子に懐かれているらしい。
「あらあら、どうしたの?」
「あのね! とりさんがね、ぱーってにげるの!」
「ふふ、そう。じゃあわたしがいいものを見せてあげましょう」
「いいもの?」
好奇心でいっぱいの目をした幼女に見上げられて、奴隷少女は優しく微笑んだ。
杖も詠唱もなく魔法を発動させる。
「コッ!? コケーッ!」
と、中庭を自由に走りまわっていた、ぽてっとした鳥たちが立ち止まる。
まるで、見えない壁に阻まれているかのように。
「すごーい! どうやったの、フラウおねーちゃん!」
「これは魔法ですよ。『聖結界』と言うのです」
奴隷少女——ただのフラウに戻った少女は、にこりと笑って幼女の頭を撫でた。
「お母さんと暮らしてた頃は、こうやって庭鳥を捕まえてたなあ……」
昔——貴族の養女となった頃ではなく、貧乏ながらも愛する母と一緒に暮らしていた頃——を思い出して、フラウは目を細める。
幼女はそんなフラウを尊敬の眼差しで見つめている。
庭鳥は、ロンバルド王国やルガーニャ王国で平民に飼育されることの多い家畜だ。
もっとも、農業が軽視されているロンバルドでは貴族や裕福な平民ほど飼わないものだが。
庭鳥なのに飛べず、そのため、庭がある家では放し飼いにされている。
祭り以外で庶民が食べる「肉」といえばたいてい庭鳥の肉である。
「おー! すげえなこれ! じゃあオレ、ちょっと卵を回収してくる!」
「巣にある卵はそのままで、集めるのは産み捨てた卵だけですよ」
「わかってるって! 巣のヤツは孵ってまた増えるもんな!」
「わたしもやるー!」
そう言って、幼い兄妹はぱたぱたと中庭を走っていった。
そこに、明日の食べ物にも困って悲観していた陰りはない。
「さて。……そろそろ、食べ頃の子はいるかな?」
「コケッ!?」
近くの農家から購入してきた庭鳥たちを見定めるフラウもまた。
そして、フラウは知らない。
アレナが転生者である初代が渇望した「からあげ」を再現すべく行動していることは知っているが、唐揚げに使う「肉」がなんなのか。
どの鳥の肉だろう、と思いながらも、「から」のイメージに引きずられたフラウもまた、庭鳥については思い浮かばなかった。
正解は文字通りの足元にあったのに。
「お疲れさまでした。それではお先に失礼します」
「あとはお任せください。あの兄妹のこと、よろしくお願いします」
「もちろんです! 大恩あるアレナ様からの依頼ですから!」
揚げ物屋さん閉店後も、奴隷少女フラウの仕事は終わりではない。
店内の清掃はほかの従業員に任せて、フラウは店裏手の屋敷へ戻る。
屋敷のリビングで待つのは、夕飯とお風呂をすませてさっぱりした平民兄妹だ。
「二人とも、眠くないですか?」
「おひるねしたからへーき!」
「まだ陽も沈みきってません。オレ……私たちは平気です、フラウさん」
「ふふ。そうそう、言葉遣いは日常から心がけるといいですよ。わたしもそれで苦労したものです……」
ソファに座る二人のヒザの上には、羊皮紙の分厚い本が置かれていた。
平民という身分、どころか年齢とも見合わないほどの。
「では、今日はロンバルド王国史からはじめましょう」
「はい! よろしくおねがいします、フラウおねえちゃんせんせー!」
「よろしくお願いします」
「いい挨拶ですね。それでははじめます。王国暦274年、時の王であるクリストフ・ロンバルディア3世は——」
そう言って、フラウはまだ幼い兄妹に、ロンバルド王国王立貴族学園で学ぶ歴史の講義をはじめた。
アレナから「兄妹の面倒を見る」ことと、「教育」を頼まれたために。
とうぜん、本来はまだ10歳にも満たない男子や、5歳の女児に教えることではない。
だが、フラウはこうして、年齢や状況にかかわらず、ひたすら詰め込まれてきたのだ。
子爵から引き取られたタイミングで、「貴族として恥ずかしくないように」と。
エドアルド王子の婚約者となったタイミングで、「将来の王妃として」と。
フラウにとって、教育とはこのようなものなのである。
もちろんアレナは知らない。
気にもしていない。
平民兄妹が貴族並みの知識や教養をつけたと聞いても、「それはよかったですわね! マリーノ家に連なる者たるもの、そうでなくってはなりませんわ!」程度の反応だろう。
こうして。
アレナの知らないところで、揚げ物屋の営業はつつがなくまわり、雇い入れた子供たちには英才教育がはじまっていた。
気まぐれに雇われた兄妹がどうなるのか、アレナは知らない。教育を担当する、フラウもまた。
「貴族への挨拶は相手の爵位と、自らの立場によって異なります。ゆえに、すべて覚えておきましょう」
「がんばるー!」
「……それオレたちが覚える必要ありま、いえなんでもないです、アレナさまの実家は侯爵家ですもんね、喜んで覚えます、覚えさせてください!」





