エピローグ
アレナ・マリーノがエドアルド・ロンバルディア第一王子をぶん殴り、追い返したのち。
魔法と芸術の国、ロンバルド王国ではさまざまな出来事が巻き起こった。
もっとも大きなものは、第一王子エドアルド・ロンバルディアが「重篤な病気にかかった」ことを理由に廃嫡されて、静養中に病死したことだ。
その訃報は、何も知らない多くの国民——平民——には、驚きをもって迎えられた。
表面上は貴族たちも驚いた反応をしていたが、「さもありなん」と思った者も多いようだ。
王立貴族学園の卒業パーティ以降の言動は、多くの貴族の知るところである。
情報通の貴族たちの間では、「公表できない不祥事により毒杯を呷らされたのだ」などと密やかに語られている。
第一王子の死が公表されても、ロンバルド国内に大きな混乱はもたらされなかった。
国王陛下よりすぐに、「喪が明けたのち、第二王子の『立太子の儀』を執り行う」というお触れが出されたのだ。
人当たりもよく優秀という評判の第二王子が王太子となるなら不安はない、と人々はホッとした。
なにより、「第一王子がマリーノ侯爵家のサポートをなくしたうえで王位に就く」ことを心配していた、まともな貴族たちがホッとしていた。
新婚約者だったフラウがいかに努力しようと、実家である子爵家の力は、侯爵家とは雲泥の差がある。
もしエドアルドが存命だったら、本格的な王位争いも巻き起こっていたかもしれない。
不幸なこととはいえ、平穏を望む貴族たちが安堵するのも仕方ないことだろう。
大きな出来事はもうひとつあった。
フォルトゥナート子爵家が取り潰しになったのだ。
発表されたところによると、とある国と通じて密偵を招き入れ、王家にダメージを与えようと画策したのだという。
ルガーニャ王国は軽々と防衛されたためロンバルド王国に手を出す気は一切なくなったが、それとは別の、海路を通して交流のある国の謀略だったそうだ。
令嬢は禁呪である「精神魔法」によって操られ、もし病気にかからなければ第一王子にさえ影響を与えるところだった。
お家取り潰しは当然の沙汰である。
フォルトゥナート子爵、および密偵だった侍女は、いまも国内で苛烈な尋問を受けているのだとか。
ちなみに、「精神魔法」によって操られたとはいえ、第一王子の婚約者となっていたフラウ・フォルトゥナート子爵令嬢は奴隷落ちとなった。
それも、身分を買い戻すこともできず、一生過酷な労働が約束される「犯罪奴隷」である。
口さがない者は、「一生過酷な労働って言ったって、短いモンだろ?」「お貴族さまのお嬢さまなら処刑された方がマシだったんじゃねえか?」「どうせすぐ死ぬんだしな」などと話している。
情報通は、「どこか外国の貴族の奴隷になって、過酷な労働に加えて『薬壺』がわりだそうだ」「ああ、そういえば稀少な回復魔法の使い手だったっけ」と訳知り顔で語り合っていた。
さて。
ロンバルド王国がゴタゴタしていても、それは国内のこと。
隣国であるルガーニャ王国に影響はなく、国境にほど近いベリンツォの街も平和なものだった。
貴族との騒動があったにもかかわらず、もはや街の名物となった揚げ物屋は今日もにぎわっている。
「かつサンド三個、ころっけパン二個ですね、かしこまりました!」
店先ではあいかわらずテイクアウトのカツサンドとコロッケパンが人気だ。
持ち運んで手軽に食べられるため、冒険者たちの昼飯の定番になっている。
昼間は少ないが、夕方になれば近隣のおばさまたちが夕飯のおかずとしてコロッケを買い込んでいく。
また、格安なコロッケはあまり裕福でない層の「ごちそう」として定着した。
店内で食べるトンカツは手が届かなくても、一日働けばコロッケは購入できる。いつか、いつでもトンカツを食べられるようになる。そんな夢を抱く人も増えてきたという。
そんなテイクアウトコーナーでは、アレナに拾われた平民兄妹の兄が今日も元気に働いていた。
ベルタの厳しい教育の結果、数も数えられるしお釣りの計算もできるようになった。
揚げ物屋の二階に住み込んで、衣食住に不自由のない生活を送っている。
「おまたせしました! ろーすとんかつです!」
「ありがとなあ、おちびちゃん。足はすっかりいいみてえだな」
「あし? なんともないよ?」
平民兄妹の妹は、騒動を見ていたらしい客の言葉にこてんと首をかしげる。
痛かった。痛かったけど、すぐ治ったせいか足を怪我したことさえ忘れかけている。幼女強い。
店内でちょっとお高い「トンカツ」を食べるのは、稼ぎのいい冒険者や裕福な商人たちだ。
最近ではこの揚げ物屋が噂になり、近隣の街からわざわざ食べに来る客もいるのだという。
ルガーニャ国内はおろか、国境を挟んだロンバルド王国からも。
しかもなぜかマリノリヒトからの客が多く、お忍びっぽい品のある夫婦や、やたら目力の強い老人がよく来るとか。忍んでいる。いちおう。
「余計なことは言っていないようですね。こちらヒレです」
「ひっ! すみませんすみません俺がよけいなこと言ったばっかりにほんとすみません!」
客席はさほど多くないとはいえ、三、四歳の幼女一人では店内はまわせない。
ホールの主力は侍女のベルタだ。
音もなく料理を運び、油断なくお客様に目を光らせてオーダーを取り、ささっと会計まで済ませる。
とはいえ、混雑するようになった揚げ物屋は、二人でもまわせない。
「おーい、嬢ちゃん、注文頼む!」
「はい、いまうかがいます!」
人手不足を受けて、揚げ物屋には一人の少女が採用された。
最初こそ表情が固かったものの、くるくる働く少女はすぐお店にも客にも馴染んでいった。
もともとは明るい性格だったのだろう、いまではよく笑うようになって評判もいい。
時おり暗い顔をしていたり、ふとした時に出る所作が上流階級を感じさせて、常連客からは「なにか訳ありなんだろう」と推測されていた。
髪を染めて服装を変えたせいか、あるいは大人の配慮か、あの騒動を見ていた人から指摘があったことはない。
ともあれ、もともと平民育ちだったこともあって、本人は楽しそうに働いている。
王族の婚約者どころか、貴族という立場さえ、本人にとっては重かったのかもしれない。
「ロースふたつ揚がりました! 提供お願いしまーす! 次はっと……うう……厨房が忙しすぎますぅ……お嬢様、厨房にも人を! 人を採用してくださいぃ……!」
侍女見習いのダリアは、今日も厨房で孤軍奮闘している。
下ごしらえは営業前にベルタが手伝うとはいえ、営業中は一人で。
いまや、「聖女」と呼ばれたフラウさえ凌駕するほどの回復魔法の使い手なのに。
最近では怪我や病気ではなく、体力を回復させる魔法の開発に成功していた。
必要は発明の友である。哀れ。
そして。
「わふっ!」
「ふふ、カロリーナは可愛いですわねえ。女の子になる日が楽しみですわ!」
「くぅーん……」
「はやく女体化しないかしら。もう『ぱじゃま』も用意してますのよ?」
揚げ物屋のオーナーであるアレナは、今日もテラス席に座っていた。
子狼のカロリーナを抱え上げて、あいかわらず女体化に期待している。
困り顔で、無理だよ? 人化も女体化もしないよ? と情けない声を出すカロリーナの思いは伝わらない。そもそもオスだし。
「店は盛況じゃのう。さすが我が孫!」
「ありがとうございます、お爺様」
「それで、今後はどうするのじゃ? 揚げ物屋を『ちぇーん展開』するのかのう?」
「そのつもりはありませんわ、お爺様。私、まだまだ満足してないんですもの!」
「ほう? 充分に美味しい『とんかつ』じゃと思ったが」
「ええ、『とんかつ』も『ころっけ』も美味しかったですわ。でも、初代さまの書かれた『異世界転生日記』にはまだまだ美味なるものが出てきますのよ?」
「そういえばそうじゃったな。また何か再現するのかのう? 次は何を狙っているのじゃ?」
常連の年配客——もはや隠そうともしない祖父、先代マリーノ侯爵に聞かれて、アレナはガタッと立ち上がった。
カロリーナはようやくアレナの拘束を逃れ、ときどき横暴なご主人様を足元から見上げる。
アレナはぐっと拳を天に突き上げた。
かつて、ロンバルド王国の王都を出た時と同じように。
「私! 次は『からあげ』が食べたいのですわぁー!」
アレナの叫びがベリンツォに響く。
過酷なダイエットから解放されて、トンカツとコロッケを再現して、毎日のように揚げ物を食べても。
アレナ・マリーノ侯爵令嬢の、揚げ物への欲求は止まらないようだ。
「ところで、『からあげ』の『から』ってなんですの? 殻?」
「わふぅ?」
…………ただし、前途は多難である。





