第九話
「さっさと帰ってまわりに泣きつくといいですわよ? 味方になってくれる人がいればいいですわねえ。もろとも叩き潰してくれますけれども!」
「な、なんだと……!? ならば家ごと取り潰してくれる!」
「ですから、言ってるではありませんか。マリーノ家の者に直接手を出したんですもの、マリーノ家一丸となって反攻して差し上げますわ」
「くそ、くそ、くそっ!」
エドアルドの脅しにもアレナは怯まない。
アレナがゆっくり歩を進めると、エドアルドは尻もちをついたままずりずりと後ろに下がる。
「たかが侯爵家のひとつやふたつ! 王家の力で潰してやる! それだけじゃないぞ!」
「あら? 『ワガママお子ちゃまバカ王子』には素敵な考えがあるのかしら?」
「俺をコケにしたこの街の平民も! この油臭い店も! この街も! ぜんぶぜんぶ潰してやる!」
「へえ。初代さまの夢にして、私の、揚げ物屋さんを。ならば、そんなことされぬようにこの場でアレしておいた方がよさそうですわねえ」
にっこりと笑ってアレナが魔力を練る。
エドアルドはよろよろと立ち上がり、青い顔をしたままうしろに下がる。
護衛のもとにたどり着けば、馬車に逃げ込めば、アレナから逃れられる、とでもいうかのように。
小さな体を活かしてカロリーナが抜け目なくささっとまわり込んでいることには気づかない。
アレナもベルタも、「潰す」と明言されたベリンツォの街の住人まで、エドアルドにじりじりと近づく中。
箱馬車の扉がガチャっと開いた。
二人の侍女が降りてくる。
「お、おい! お前たち、俺を守れ! 侍女だって盾ぐらいにはなるだろう!」
情けなくすがるエドアルドに向けて、一人の侍女は、はあーっ、と深いため息を吐いた。
腕を取ったもう一人の侍女を地面に放り出して背を踏む。
「まったく、こっちはこっちでやることがあったのに……でも、他国の民を傷つけるだけでなく、侵攻まで宣言するとは。見過ごせません」
「な、なんだ? 何をしている!?」
「やっとクソ貴族の尻尾を捕まえたと思ったら……王族がこれですもの。はあ」
「踏まれてるのは、お義父様につけられたわたしの侍女……? 彼女が何かしましたか?」
「その話はあとでしましょう、フラウ嬢。いまはこのクソ王子の後始末が先です」
「はあ!? たかが侍女風情が何を言っているのだ! いいから早く俺を守れほぎゃっ!」
侍女の肩をつかもうとするエドアルドの背後から、アレナがびしっとローキックをかました。
転んだ王子の腕を取り、背中にヒザを置いて制圧する。
「ご無沙汰しておりますわ、エリアーヌ・ロンバルディア殿下」
「は? 何を言っているのだ貴様? 侍女が我が妹だなどと、やはり頭がおかしくなったのか?」
「『エリアーヌ様』とは呼んでくれないのですね、アレナ様」
「私はもうエドアルド殿下の婚約者ではありませんもの!」
「はあ。ほんっとに、このクソ兄は……ご迷惑をおかけしました」
「かまいませんわ! おかげで自由になりましたもの! ただ……今回の件、オトシマエはつけていただけるんですわよね?」
「もちろんです」
「おいっ! 貴様ら俺を抜きになんの話をしている! コイツがエリアーヌなどと、髪の色も瞳の色も違うではないか!……は?」
侍女がするすると髪をほどく。
耳につけたイヤリングを外すと、髪は金色に、瞳はスカイブルーに変化した。
エドアルドと同じ、王家の色である。
「エドアルド・ロンバルディア。許可なく国外に出たうえ、他国の民への暴行、暴言。アレナ嬢とその配下の者への言動と併せて陛下に報告します」
「は? ま、まて!」
「厳しい沙汰が下るでしょう。道中もひどいものでしたし、ね」
「エリアーヌ殿下。フラウ嬢はどうなさるつもりですの?」
「あわせて陛下に諮ります。フォルトゥナート子爵もですね。なにしろフラウ嬢に『精神操作』の魔法を使える侍女をつけていたぐらいですからねえ」
そう言って、踏んでいた足元の侍女を軽く蹴る。
話に出た侍女が、地に押し付けられたこの侍女らしい。
「ど、どういうことだ!? フラウにそんな者など!」
「アレナ様、この場は私に預けていただけませんか? 裁きは王国に戻ってからになりますが、マリーノ侯爵に相談のうえ、悪いようにはしないと誓います」
「では、お任せしますわ! お父様と協議するなら、きっちり裁かれるはずですもの」
「ありがとうございます。護衛、この者たちを拘束せよ」
侍女——もとい、エリアーヌ・ロンバルディア第一王女の命令で、馬車の護衛がエドアルドを拘束する。
王族の命令であれば、暴虐を働いていた王族を拘束するのにためらいはない。
王女がいなければややこしいことになったかもしれないが。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした、アレナ様」
「エリアーヌ殿下は関係ありませんわ! あとはケジメさえつけていただければかまわなくてよ?」
「ありがとうございます。……『お義姉さま』と呼べなくなったことは残念ですが……きっと、アレナ様にとってはよかったのでしょう」
「そうですわね! 私、いまの境遇を心底楽しんでいますのよ! ふふ、エリアーヌ殿下、お土産に『かつサンド』と『ころっけパン』を差し上げますわね!」
アレナが言うと、ベルタがささっと動いてテイクアウトコーナーからありったけのカツサンドとコロッケパンを用意する。
「アレナさま……申し訳ありませんでした……」
「あら、フラウ嬢が謝ることではありませんわよ? 悪いのはエドアルド殿下ですわ!」
「でも、わたしがしっかりしてたら……エドさまがあんな人だなんて……」
「そこが『精神操作』の魔法でイジられてたのかもしれませんわねえ。フラウ嬢から見て、エドアルド殿下が魅力的に見えるように」
「そんな……でも……」
「使い手は捕らえられたんですもの、しばらくすればわかるのではなくて?」
「はい。エリアーヌ殿下とともに帰国して、裁きを待ちます」
最後にアレナに謝罪の言葉をかけて深々と礼をして、フラウ・フォルトゥナート子爵令嬢は馬車に乗り込んだ。
とうぜん、拘束されたエドアルド殿下とは違う馬車に。
全員馬車に乗り込んで、行きと同じように隊列を組み直して。
ゆっくりと馬車が進んでいく。
来た方向へ戻るのではなく、ベリンツォから一番近い国境に向けて。
つまり、マリーノ侯爵領に向けて。
「……無事に王都まで帰れるといいですわねえ」
「お嬢様。早馬で先代様と侯爵閣下にお知らせしておいた方がいいかと思います」
「そうしますわ。お爺様もお父様も、暴走しかねませんもの!」
「ぼ、ぼうそう……お嬢様、ちなみに、暴走したらどうなるんですか?」
「馬車ごと『なかったこと』になりますわね!」
「ひえっ! か、書きましょう! あの王子はともかく王女さまが『なかったこと』になったら大変ですから! すぐ書きましょう!」
「ほーっほっほっほ! 『王子はともかく』だなんて、ダリアも順調に『マリーノ』に染まってきましたわね!」
「わふん?」
「素晴らしいことです。その調子ですよ、ダリア」
「あっ。……わたしは、お嬢様の侍女見習いですから!」
「あのね、わたしも、おじょうさまのじじょになりたい、です!」
「お、おい。俺たちは店員で充分だって。というか足はもう平気なのか? 無理してないか?」
ガラガラと走る馬車を見送りながら、アレナたちはどこか呑気な会話を交わしていた。
あれだけの騒動があったのに、怪我した幼女でさえのんびりと。
豪胆さは、マリーノ家に関わる人たちに必須のスキルなのかもしれない。
なにしろ、初代からはじまり、一族がだいたい「常識なんて知ったこっちゃない」タイプなので。
ともあれ。
王子の襲来というトラブルをあっさり退けて。
ベリンツォの街にオープンした『揚げ物屋』は、今日も営業を続ける。
アレナが「無体な貴族を退けた」という噂は街を駆け巡り、その日はいつもよりさらに盛況だったという。
「……忘れてましたわぁ! ウチの可愛い店員に『困ったことがあったらギルドに言うんだよ』とか宣ったヤツはどいつですの! マリーノ家がギルドより信頼に足ることを教えて差し上げますわぁ!」
オーナーの声が響いて、一部の客が顔を青ざめさせることもあったようだが。





