第七話
「あらあらまあまあ、エドアルド殿下まで。何をしにいらっしゃったんですか?」
「ふん、決まっておろう! そんなこともわからぬのか!」
「私、きちんと『王家の名において下された言いつけ』に従って、ロンバルド王国から出ましたのよ? 殿下がいらした理由なんて、まったくわかりませんわ」
ベリンツォの街、二ヶ月前にオープンした「揚げ物屋さん」の店先で言い合う二人。
アレナは扇で口元を隠して受け流し、エドアルドはやつれた顔でがなりたてる。
周囲には、騒ぎを聞きつけた人や通行人、店内から抜け出した客が何事かと遠巻きに二人の様子をうかがっている。
ベルタはアレナのななめうしろに立って、カロリーナは足元で牙を剥き出してぐるぐるうなっていた。なにコイツ、殺るの? 殺っていいの? とばかりに。
「ロンバルドに戻れ。仕方ない、王妃にしてやろう。政務だけ行う形だけの、な」
嫌そうに顔をしかめ、ふん、と鼻を鳴らしてエドアルドが言う。
押し退けられて座り込んでいたフラウは、目を丸くしてエドアルドを見上げた。
「そ、そんな、エドさま、わたし、がんばります! この期に及んで、アレナさまになんて失礼な……!」
「心配はいらぬ。フラウは身綺麗にして、ただ笑っていればいい」
フラウが厳しい王妃教育をこなしてきたのは、子爵令嬢に過ぎなかった自分がエドアルドの隣に立つためだ。
いくら好きになったとはいえ、エドアルドは話も聞かずアレナとの婚約を破棄して追放した。
そのアレナをこんな形で呼び戻す。
しかも、自分の努力さえ認められていない。
「まあ! なんて言い草ですの! フラウ嬢、このような男のどこを好きになったのかしら?」
「わたし、わたしは……」
「ふん、高慢でワガママなアレナなどにはわかるまい。油臭い店など畳んでさっさと来い!」
衝撃を受けたフラウにかまうことなくエドアルドがアレナに告げる。
アレナが視線でダリアに合図すると、通じたダリアはフラウの隣に座り込んでそっと背中に手を当てた。
カロリーナも近づいて背中を押しつける。撫でてもいいよ? 撫でると落ち着くんだって! とでも言うかのように。
「さっさと行くぞ!」
促すエドアルドを前に、アレナはパチリと扇を閉じた。
「行くわけありませんわぁ!」
扇をぺしっと手に叩きつけて宣言する。
大人しく言いなりになった卒業パーティのあの時とは違って。
「まず! 私、『王家の名の下に』婚約破棄されて国外追放されたんですのよ? 『王家の名の下に』それを取り消す書状はお持ちですの?」
「そんなものあるわけなかろう! 口答えせずに俺に従え!」
「エ、エドさま……」
「はあ、何もわかってませんのねえ。陛下は『私を連れ戻す』ことに賛成でらっしゃいますの? まさか話してない、なんてことはありませんわよね?」
「……父には帰ってから話す」
「なんてことですの!? 陛下の書状もなく! あれだけの貴族の目の前で『王家の名の下に』命じたことを覆すなど! ありえませんわあ!」
「ぐっ! う、うるさいうるさい! お前は黙って従えばいいのだ!」
「そもそも! 初代さまが渇望されて! 私が再現した料理を出す揚げ物屋さんを! 油臭いなどと! はーもう、これだからロンバルドのバカ王子は!」
「なっ!? 貴様、この俺を『バカ王子』だと!?」
「あら? あらゆる手続きを無視して婚約破棄し、なんの法にも基づかずに国外追放を命じて、陛下の許可なく連れ戻そうとする王子など、『バカ』以外に表現がありまして? 『ワガママお子ちゃまバカ王子』とでもお呼びすればよろしいんですの?」
「は、はあっ!? ききき貴様! 叩っ斬ってくれる!」
「はあ……連れ戻しに来たのに『叩き斬る』んですのね……『かるしうむ』が足りてないと思いますわぁ」
剣の柄に手をかけたエドアルドを前に、アレナが深々とため息を吐く。
エドアルドは顔を赤くして剣を抜いた。煽り耐性ゼロか。
エドアルドが勢いよく振りかぶっても、アレナの表情は変わらない。
極めた『魔力障壁』は、エドアルドの剣撃程度では破れないゆえに。
だが。
「あぶない、お嬢ちゃん!」
「わあっ!」
「きゃぁー!」
二人と関係ないところから声が上がった。
制止するダミ声、続けてドン、バキッという音と女の子の悲鳴が響く。
続けて、「お、俺のせいじゃない、そいつがいきなり飛び出してきたんだ」と、震える声で言い訳する男の声も。
「クソッ、俺が話しているのだぞ! 騒がしい平民どもめ!」
何もかもが思い通りにならず腹を立てるエドアルドに、フラウが目を丸くする。
バッと顔を上げて何かに気づいたカロリーナが走り出す。
アレナがあとを追うと、遠巻きに見ていた人の群れが割れた。
そこには馬車が止まっていた。
それだけではない。
馬車の横には、一人の女の子が倒れていた。
轢かれて倒れて車輪の下敷きになったのだろう、足があらぬ方向に曲がっている。
というか、白い骨が飛び出している。
「ベルタ! ダリア! フラウ嬢もおいでくださいませ!」
アレナが二人を呼び、自身も駆け寄る。
女の子の手をその兄が握り、カロリーナが涙を舐め取る。
倒れた女の子は三歳か四歳ほどで、侍女見習いのダリアの服によく似たメイド服っぽいものを着ていた。
アレナが採用した平民兄妹の、妹である。
痛みが激しいのだろう、青い顔をして、兄の手をぎゅっと握りしめている。
「お貴族様!? お、おれは悪くねえんです、人だかりを避けようとしたらそいつが急に飛び出してきて、止まれなくて」
「フラウ嬢。聖女と呼ばれる貴女なら、この傷を治せますかしら?」
置いていったエドアルドも、御者の言い訳も無視して、アレナが稀少な回復魔法の使い手であるフラウに問いかける。
だが、フラウは悲しげに首を振った。
「傷を治して、命を取り留めることはできます。けれど、その後、きちんと歩けるように、完全に治せるかどうかは……」
「そう、なら決まりですわね」
しゃがんで幼女の、自分の店の従業員の様子を見ていたアレナが立ち上がる。
駆けてきたダリアと、しっかり目を合わせる。
「ダリア。治しなさい。完璧に。傷一つ残すことなく」
「え、ええっ!? でも聖女さまもできないって、わたし、それは、わたしだって治してあげたいですけど!」
「ダリア。お嬢様はこう言っています。『マリーノ流魔力増強術で魔力を増やし、幾多のオークを解体して人型の構造を把握した貴女なら、完璧に治せる』と」
「お、お嬢様……そんなことを言っていたんですね……」
「頼むよダリア姉! 治してやってくれ、おれ、なんだってするから!」
「ダリア。『治せない』なんていう常識は要りませんのよ? ダリアはもう『柔軟な発想と魔力量で魔法を使いこなす』マリーノ家の一員なのですから!」
「お嬢様、そこまで……わたし、やってみます! ううん、治してみせます!」
アレナの、主人の信頼に、ダリアはぐっと拳を握った。
その意気だ、とばかりにカロリーナがウォンッ!と鳴く。
そうして、ダリアは横たわる幼女の前にしゃがみ込んだ。





