第六話
ルガーニャ王国のベリンツォの街では、二ヶ月前にオープンしたとある店が賑わっていた。
「いらっしゃいませ。お食事ですか? お持ち帰りですか?」
メイド服姿の無表情なベルタが、来客を淡々とさばく。
通常の食事よりは割高になるため、店内で「とんかつ」を食べるのは商人でも冒険者でも、裕福な者が多い。
そうした客は余裕があるためか、ゆっくり慎重に料理を運ぶ幼女にも温かい視線を送っている。
中には拳を握って無言の声援を送る常連おっさん冒険者もいる。一生懸命働く健気な幼女に心臓をわしづかみされたらしい。
「ころっけ、ころっけパン、かつサンドの持ち帰りは、こちらです!」
店先では10歳前後の少年がテイクアウト商品を販売している。
安くて美味しいとあって、こちらは年若い冒険者や農民、夕飯を自分で作りたくない主婦の利用客が多い。
ガラの悪い客が絡まないように、少年の横では毛並みのいい狼が睨みを利かせている。
キリッとした顔をしているのだが、いかんせんカロリーナはまだ体が小さく効果のほどは怪しい。
あと撫でられるとすぐデレッとする。
「えっと、ロースが二人前、ヒレが一人前で……うう……お手伝いさんが欲しいですぅ……」
厨房を切り盛りするのは侍女見習いのダリア一人だ。
メニューが「とんかつ(ロース)」と「とんかつ(ヒレ)」しかなく、持ち帰り用の商品は売り切りとはいえ、忙しい時間帯は修羅場と化す。
そろそろ新たな人員を確保しないとダリアが倒れるかもしれない。
なにしろ、通常の回復魔法では疲労は消せないので。
「ほーっほっほっほ! みんな初代さまが渇望した『揚げ物』の虜になるといいんですわぁ!」
そんな「揚げ物屋」のオーナー、アレナ・マリーノは、今日もテラス席で高笑いしていた。
かつて「働かざる者食うべからず」と言ったわりに、自身は働いていない。さすがお貴族様、さすが特権階級、さすがオーナーである。
「んふふ、そろそろお父様も来られるかしら?」
店先のテイクアウトスペースの反対側、テラスの角席はアレナの指定席だ。
今日も優雅にお茶を飲んでいる。
父親であるマリーノ侯爵を「おしのび」で揚げ物屋さんに誘うべく、アレナはティーセットをどけてレターセットを取り出した。
いればベルタやダリアに任せるが、アレナは基本的に一人でできる子だった。
王妃教育——ではなく、マリーノ家の教育方針として「一人でも生きていけるように」教え込まれている。
羽ペンにインクをつけて筆を走らせる。
文面を考えるべく顔をあげたところで、外の大通りに馬車が見えた。
それも、何台も連なった馬車の列だ。
「どこかの貴族かしら? それにしては紋章がついてませんわねえ」
二頭立ての箱馬車が二台、幌馬車が三台のあわせて五台。
ベリンツォでこの数の馬車が通るのは、台数だけであればめずらしいものではない。
ただそうした馬車は、どこかに商会の名前や印、もしくは貴族の紋章がある。
所属を示さず進む馬車の列にアレナは首をかしげた。
と、一台の箱馬車から人が飛び降りた。
箱馬車の扉をがちゃっと開けて、ためらうことなく、走ったままの馬車から。
よろけつつも、倒れることなく走ってくる。
一目散に、アレナの方へ。
「くふふっ、これは、揚げ物屋のあまりの評判に飛んできたに違いありませんわね!」
にっこり笑うアレナだがもちろん違う。
スカートをたくし上げて駆けてきた女性は飛び込んできたが飛び込み客ではない。
「アレナさまっ!」
「まあまあ! 私の名前はルガーニャにも轟いていますのね!……あら?」
見知らぬ女性に名前を呼ばれたアレナは喜ぶが、途中で考え込んだ。
パサついた金髪、やつれた頬。
不便な長旅だったのかよれたドレス、袖から伸びる細く白い腕。
精気のない顔色の中、涙で潤む青い瞳。
目が合ってようやく気づく。
「貴女、フラウ嬢ではなくって? ずいぶん変わりましたわねえ」
「おひさしぶりですアレナさま! ようやく、ようやくお会いできました!」
走る馬車から飛び降りてアレナの前にひざまづき、ぎゅっと手を握るのはフラウ・フォルトゥナート子爵令嬢だった。
王立貴族学園の卒業パーティ、アレナが婚約破棄&追放を宣言されたあの日以来の再会である。
「アレナさまっ! わたしどうしてもお会いして謝りたくって! エドさまと違って、それでここまで来て、ここならロンバルドじゃないし謝れるんじゃないかって、」
「あらあら? 少し落ち着きなさいませ、フラウ嬢」
「あっ、ごめんなさい急に、なんのことかわからないですよね、でもやっとお会いできて、アレナ・マリーノさまにどうか謝罪させていただきたく——」
「ようやく見つけたぞ! アレナ!」
目に涙を浮かべて、どころか感極まってぼろぼろと大粒の涙をこぼして言い募るフラウの言葉は遮られた。
ずいぶん先で止まった箱馬車から降りてきた、もう一人の人間によって。
走ってきたせいか、それともついついかきむしってしまうのか、トレードマークの金髪は乱れている。
フラウと同じくこけた頬、目の下のクマは不健康の証だ。
元来の整った顔立ちの印象はすっかりなくなっている。
アレナの元婚約者にしてロンバルド王国の第一王子。
エドアルド・ロンバルディアが、びしっとアレナに指を突きつけた。
「あらあらまあまあ、エドアルド殿下まで。何をしにいらっしゃったんですか?」
「ふん、決まっておろう! そんなこともわからぬのか!」
「私、きちんと『王家の名において下された言いつけ』に従って、ロンバルド王国から出ましたのよ? 殿下がいらした理由なんて、まったくわかりませんわ」
とつぜん現れた貴族っぽい人たちに、揚げ物屋を利用していた客は、「飛び火してはたまらない」とばかりにそそくさと退席する。
だが、それほど離れることなく、遠巻きにアレナと貴族の様子をうかがっていた。
それは興味か、それともお気に入りの店のオーナーを心配したのか。
いつの間にかアレナの斜め後ろに立ったベルタが、さっと主人に扇を差し出した。
アレナはぱちっと広げて口元を、余裕の笑みを隠す。
謝罪の途中でエドアルドに押し退けられたフラウは、傷ついた表情で婚約者のはずの第一王子を見上げる。
そのエドアルドは、追放してもなお貴族然としたアレナを苛立たしげに見つめていた。





